第四章 心の傷

その日は雲一つない晴れた日だった。

鮮やかな青い空、それだけを見れば気持ちのいい日だった。

しかし、その晴れやかな空とは裏腹に沈んだ表情の咲がいた。

咲は喪服を着て、墓石の前に立っていた。

そして、咲の隣には咲より少し年上の青年が、同じように喪服を着て立っていた。

親しみのわきそうな柔和な顔立ちだが、その表情は悲しみと怒りを含んでいた。

「なんで…。父さんと母さんが…」

青年は咲の兄で真島ましま和弥かずやといった。

和弥は握りこぶしが震えるほど、こぶしに力を入れていた。

許せない!

そんな想いが和弥のこぶしを震わせていた。

「あたしも…お父さんとお母さんと一緒に死ねたらよかったのに…」

咲は悲しみに満ちた目で、そう言った。

それまで、怒りに囚われていた和弥は、咲の言葉に冷静さを取り戻した。

「何言ってるんだよ?咲。バカなこと言うな」

和弥は穏やかに言うと、咲の頭を撫でた。

「俺がいるだろ?おまえの兄ちゃんが」

そう言うと和弥は笑顔を見せた。

しかし、咲の視線は墓石から離れない。

それどころか、頬に涙が零れ落ちる。

和弥は困ったように咲を見ていた。

そして、軽く深呼吸をすると口を開く。

「咲。俺も父さんと母さんが亡くなって正直辛い。でもな…」

和弥は咲の手を握った。

「おまえが生きてる。だから、辛くても生きていける」

和弥は目を閉じた。

「咲が生きていてくれて、本当に良かったよ」

いつの間にか咲は、目を閉じたまま穏やかに笑う和弥の横顔を見ていた。

和弥は、それまで悲しみに満ちて苦しかった心が、少しずつ軽くなっていくのを感じた。

代わりに胸が暖かくなるのを感じていた。

目を開けると和弥は墓石を見る。

「俺は父さんや母さんの代わりには、なれないかもしれない。でも、咲だけは何があっても守っていくからな。今ここで父さんと母さんに約束する」

和弥は咲に屈託のない笑顔を見せた。

咲の瞳から涙が溢れていく。

和弥は咲を抱き寄せた。

「何があっても、咲だけは守るからな」

咲は和弥に抱きしめられながら、ここが自分の居場所だと思えた。

「咲は一人じゃないからな。兄ちゃんがいるからな」

優しく穏やかな口調で和弥は言った。


 とある朝、 街の一角にあるマンションの一室から朝食のいい匂いがしていた。

それは咲の大好きな、ハムエッグを焼く匂いだった。

咲は毎朝、その匂いで目を覚ます。

ベッドから出ると自分の部屋から出た。

部屋から出るとすぐにリビングになっていて、対面式のキッチンで和弥がハムエッグを焼いていた。

「おはよ。咲」

「おはよう。いい匂い~」

咲は嬉しそうに笑った。

「顔洗ってこい。すぐに朝食だ」

「うん。わかった!」

咲が顔を洗って戻ってくると、テーブルにはパンにサラダ、スープ、ハムエッグが並べられていた。

他に野菜ジュースや牛乳が置いてあった。

「咲。座って」

「うん!」

咲は和弥と向かい合うように、反対側の椅子に座った。

「じゃ、食べよっか」

和弥は笑顔で言った。

「うん!」

二人は朝食を食べ始めた。

咲のハムエッグは、咲の好きな半熟トロトロに焼いてある。

和弥のハムエッグは、しっかり火を通してある。

正直、和弥は半熟のハムエッグは好きではなかったが、毎朝幸せそうな顔で半熟のハムエッグを食べる咲を見るのが好きだった。

だから、咲のハムエッグだけ半熟にして焼いた。

「お兄ちゃんのハムエッグって美味しい!」

「毎朝言うな。それ」

「だって、美味しいもん」

咲は幸せそうな笑顔を見せた。

すると、和弥も幸せそうに笑う。

両親が亡くなった哀しみが嘘のように、二人は幸せだった。

朝食が終わると、片づけは咲の仕事だった。

それでも、毎朝、和弥が手伝ってくれる。

しかし、その日は違った。

「ごめん。咲。今日は、あの日だから」

「あ~、デモね?」

「後片付け頼んでいい?時間に遅れそうだから」

「いいよ。行ってきて」

「ごめんな」

穏やかに言うと咲の頭を撫でた。

咲は嬉しそうに笑う。

「片づけ終わって出かける用意したら、あたしも行くから」

「わかった。じゃあ、気をつけて来いよ」

和弥はニッコリ笑って言うと、玄関に向かった。

「いってらっしゃい」

「ああ、いってくるな」

和弥は家を出て行った。

「ふふっ!」

楽しそうに片づけをする咲だった。


それから二時間後、咲は国会議事堂前にいた。

そこにはデモに参加した者の姿はなかった。

国会議事堂前に広がる血と肉片を洗い流す作業員の姿があった。

「デモに参加した人たち、射殺されたみたいよ」

通りすがりの人の話し声が聞こえた。

咲はカドホでニュースを検索した。

『つい先ほど、国会議事堂前でデモに参加した人々が警察の特殊部隊に射殺されました。この事件の詳細については、この後の記者会見で政府から発表があるようです』

「射殺…」

咲が呟いた瞬間、国会議事堂前でのデモの様子が映し出された。

デモに参加した、たくさんの人が騒いでいる。

その中に和弥の姿を見つけた。

しかし、銃声がした瞬間、悲鳴がして映像が消えた。

『映像の途中ではありますが、この先の映像はあまりにも残酷な映像となりますので、放送を控えさていただきます』

「うそ…」

洗い流されていく血と、小さな肉片がある場所を見た。

国会議事堂前…。

そこに和弥の姿はない。

咲の頬に涙が零れた。


 カーテンの隙間から朝の光が差し込む、ある日。

眩しくて目を覚ました咲は、朝食もとらずに出かける支度をする。

そして、支度ができると家を出る。

一時間後には国会議事堂前に着く。

そして、惨禍の日に射殺された者たちへの花束が備えられている前に立つ。

数時間すると、トボトボとその場から離れて帰っていく。

咲は、そんなことを惨禍の日の翌日から一カ月も続けていた。

そして、今も…。

「君は毎日、ここに来てるんだってね?」

穏やかな初老の男性の声がして、振りかえる。

そこにいたのは新藤教授だった。

「誰…?」

咲は警戒するように新藤教授を睨みつけた。

「君と同じだよ。ここで娘を亡くしたんじゃよ」

新藤教授の細められた目は、悲しみに満ちていた。

「あたしと同じ…」

咲はうつむいた。

「毎日、家族に会いに来てるのかい?」

「お兄ちゃんに…」

「そうか、そうか」

新藤教授は頷きながら言った。

「君、ずいぶん痩せてるね。ご飯は食べれてるのかい?」

心配そうに新藤教授は言った。

「朝は食べないの。早くここに来たいから。少しでもお兄ちゃんの傍にいたいから」

咲はうつろな瞳で言った。

「なるほど。でもね、ご飯を食べないと倒れてしまうよ。毎日、お兄ちゃんにも会いにこれなくなるよ」

新藤教授は、穏やかな声で言いながら微笑んだ。

「…」

咲は答えず、うつむいていた。

「そうだ。私が朝食をご馳走しよう。あまり、料理は得意じゃないが、ハムエッグぐらいなら作れる」

新藤教授はニコニコしながら言った。

「ハムエッグ…?」

咲は初めて新藤教授の顔を見た。

「そうじゃ。ハムエッグじゃよ」

新藤教授はニッコリ笑った。


 新藤教授と出会ってから三十分後、咲は新藤教授の自宅にいた。

新藤教授の家はマンションだったが、その内装はマンションとは思えないほど、ナチュラルなカントリー風の造りだった。

フローリングに白い壁、リビングにはパッチワークの絨毯と木製のテーブルと椅子、観葉植物の鉢が置かれ、窓には手作りのパッチワークのカーテンがついてる。

咲は椅子に座らせられて、目の前のテーブルにはレースのランチョマットが置いてある。

新藤教授のはキッチンで鼻歌を歌いながら、ジュージューとハムエッグを焼いていた。

ハムエッグのいい匂いは咲のところまで届いていた。

咲はぼんやりと、毎朝、和弥が朝食を作ってくれていたことを思い出す

毎朝、この匂いで目を覚ましていたことを思い出していた。

「さて、いいかな」

新藤教授は楽しそうに言うと、ハムエッグを皿にのせた。

ハムエッグに少々の野菜を添え、トレーに置き、ナイフとフォークも置く、後は焼いておいたトーストの皿と牛乳をトレーにのせて咲のところへ向かう。

「またせたね」

咲の目の前にトーストの皿、ハムエッグの皿、牛乳、ナイフとフォークを置いた。

「卵は半熟だけど大丈夫かな?不器用で半熟しか作れないんだよ。嫌いじゃないといいけど」

新藤教授は笑顔で言った。

「…これ」

懐かしいハムエッグの匂いに、咲は思わずナイフとフォークを手に取った。

ハムエッグを食べやすくナイフとフォークで切ると、半熟の黄身が流れ出てくる。

一口大にしたハムエッグを口に運ぶと、こおばしく焼かれたハムと、半熟トロトロのまろやかな味が口の中に広がった。

温かいその味は和弥の作ったものと同じだった。

咲の頬に涙が零れた。

「大丈夫かい?半熟はダメだったのかい?」

新藤教授は心配そうに言った。

「うっ…!くっ…!」

涙がポロポロと溢れてくる。

咲は震えながら、手で顔を覆った。

「…これ、お兄ちゃんのハムエッグと同じ…」

新藤教授は微笑むと、咲の肩にそっと優しく手を置いた。

その手がとても温かくて優しくて、悲しみに凝り固まっていた心が緩んでいく。


和弥が亡くなってから、大事な人が亡くなった悲しみを訴えられるほど、心を開ける人間がいなかった。

それほどに和弥の存在は大きかった。

和弥が亡くなってからの一か月の間、咲はこの広い世界でずっと一人だった。

新藤教授が手を差し伸べるまでは…。


「君さえよければ、毎朝、ハムエッグを作ってあげたいと思うんだが。どうだね?君を見ていると他人とは思えないんだ。亡くなった娘を見ているようで、放っておけないんだよ」

新藤教授はニッコリ笑いながら言った。

「もし、良ければ、私に君の親代わりをさせてもらえないかな?このまま、君を放っておけないんだよ」

新藤教授は穏やかに、落ち着いた口調で言うと、咲の頭を撫でた。

和弥にも同じように頭を撫でられていたことを思い出す。

君には私がついてるからね。

もう、一人じゃないよ。

新藤教授の手から、そんな言葉が伝わってきたように思えた。

「うっ…!わあああー!」

咲は声を上げて泣いた。

その時、咲は初めて自分の心の奥にある真実に気づいた。

自分で思うより、もっと、独りになったことが辛かったということに…。


 泣きながら目を覚ました咲は、柊の屋敷の自分の部屋にいた。

どうやら、昔の夢を見ていたようだ。

それも、辛かった経験からくる夢だった。

体を起こし、辛く悲しい思い出に体を丸めた。

お兄ちゃん…

心の中で和弥の名前を呼んだ瞬間、頭の中に柊の顔が浮かんだ。

「柊…」

咲は目を閉じて、自分の胸の奥が温かくなっていくのを感じた。


俺の傍から離れるな

何があっても守るから…


柊の言葉を思い出す。

咲は心が暖かくなり、思わず微笑んでいた。


 幹に呼びだされた柊たちは、アスピレイションの社長室にいた。

牧村警部が隠していた、データチップが見つかったと連絡があったのだ。

柊は社長室にあるデスクの椅子に座り、来客用のソファーに座っている、冴月と勇輝を見ていた。

咲と幹は、冴月と勇輝の反対側にあるソファーに座っていた。

「で?ロッカーの鍵って、どこから手にいれたんだよ?」

呆れたように柊は言った。

冴月と勇輝は柊に黙って、幹にロッカーの鍵を渡し、その鍵に合うロッカーを捜させていた。

そして、そのロッカーから出てきたのがデータチップだった。

「いや~」

冴月は苦笑いする。

勇輝は答えに困ったように冴月を見る。

「いや~じゃないよ。聞いてることに答えろって」

柊は珍しく不機嫌そうに言った。

「実は牧村警部が射殺されて倒れた時にさ。牧村警部のジャケットのポケットから出てきたのが、そのロッカーの鍵なんだよな」

「それって大事な証拠だろ?勝手に持ってきてよかったのかよ?」

「いやいや、大事な証拠だからだろ?信用できない警察には渡せない。そうだろ?」

「…そうなんだけど」

柊は、ため息をついた。

「なんだよ?」

「なんで黙ってたんだよ?」

柊は不機嫌に言った。

「俺たち親友じゃないのかよ?」

「だから、だろ?」

「どういう意味?」

「おまえは咲についてて、余裕なさそうだったろ。だからだよ」

「…そっか」

柊は深く深呼吸した。

確かに、咲のことしか頭になかった。

咲を失いそうになって、他の事を考える余裕がなかったのが事実だ。

「冴月の気持ちはわかった。でも、言ってほしかったな」

「悪い…」

冴月は頭を下げた。

「いいよ。頭なんて下げなくて」

柊はため息をついた。

「で、幹。そのデータチップは見れるのか?」

「はい。マユキにデータを移してあります」

「そう。じゃあ、見せてくれ」

「はい。マユキ。データチップのデータを見せてくれ」

『了解』

柊の目の前の宙に、ディスプレイがいくつか映し出される。

その画像は研究所らしき建物の外観と、研究所内部、そこで起こったことを映し出していた。

被験者たちには、残忍な手口で殺された被害者と、それを悲しむ遺族の映像を見せられていた。

人を殺せば悲しむ人がいる、そのことを知ることで、何かを学ばせようとしているかのように見えた。

だが、何が起こったのか…?

凶暴化した被験者たちが研究員に暴力を振るい、ついには被験者に殺された研究員の死体があった。

そして、被験者たちは刑務所の独房のような部屋で鎖に繋がれるようになり、研究所内を移動する時も鎖に繋がれ、ムチで叩かれるなどされ、暴れないよう拘束されているように見えた。

「なんだ…。これは…」

『如月大地のように、精神に異常をきたして動物を殺すようになった人間を収容し、研究する施設の画像です』

「研究ってどんな?」

幹が言った。

『如月大地のような人間が増加することを未然に防ぐための研究です』

「これが…?」

柊は息を飲んだ。

画像の中では、被験者は凶暴化した殺人鬼にしか見えなかった。

「失敗…って感じだよな?」

冴月は画像を見ながら言った。

「お兄ちゃん…」

咲が震える声で呟いた。

「咲?」

柊は椅子から立ち上がると、咲の見ている画像を見た。

たくさんの死体が炎に包まれる画像だ。

その中に和弥の姿があった。

そして、その中には研究所の画像にいた研究員や、被験者達の姿もあった。

「見るな!」

柊は咲の傍に行くと、画像が見えないように咲の顔を自分胸に押しつけた。

「おいおい。マジかよ?これって、惨禍の日に射殺された人間と研究所にいた人間、全部殺したってことだよな?」

額の冷や汗を拭いながら冴月が言った。

「そうだな…」

言いながら柊は咲を抱きしめた。

「これは…証拠隠滅ですね」

幹が冷静に言った。

「誰がこんなことしたんだよ!」

冴月の声には怒りが含まれていた。

「この研究施設を作った人間…いや、機関か…?」

柊が考えながらポツリポツリと言う。

「マユキ。研究所所有者はわかるか?」

幹はすかさずマユキに言った。

『政府です』

「やっぱり、そうか。政府がこの事件の黒幕ってことか…」

柊はため息をついた。

「おいおい。この国の政治家は、どうかしちまったのかよ?」

冴月は呆れたように言った。

「何のために皆、殺されたんだ?何か意味があるのか?」

柊は幹を見る。

「マユキ。画像の中の人間は、なぜ殺されたのかわかるか?」

『研究の失敗を隠すためです』

「研究の失敗とは?」

『精神に異常のある者を研究し、同じような人間が増加するのを、未然に防ぐのが研究の目的でした。しかし、研究が進むにつれ被験者である精神異常者の状態は悪化していき、その中でも重症だった如月大地が研究員を複数殺し、研究所から逃げ出し、乱射事件を起こしました。研究は被験者を心のない、殺戮を繰り返すだけの悪魔に変えてしまったからです。政府は事実上、研究を失敗と判断して、全ての証拠を消去することにしたのです』

「消去…?こんなにも多くの人を殺したことを隠して、そんな言葉で片づけるのか…!」

柊の声は怒りに震えていた。

「政府の面目のためか?そんなもんと人間の命と、どっちが大事か考えりゃわかるだろうが…!」

冴月はテーブルを拳で叩いた、

その場の誰もが言葉を失い沈黙が訪れた。

ただただ、こんな理由で亡くなった者が報われなくて。

虚しさだけが込み上げてくる。

「…しかし、なぜ牧村警部は、こんなデータを持ってたんでしょう?持ち歩いて落としたりすれば、誰かに拾われ全てが公になるかもしれないのに…。そうなれば、自分が困るでしょうに」

納得いかないとばかりに幹は言った。

「推測だが…、牧村警部はスナイパーの存在を知っていた。だから、何かあった時、自分の命を守る手段として持ち歩いていたんじゃないかな」

柊は穏やかさを取り戻し、言った。

「だが、殺されたんだよな…。そのスナイパーに…」

ため息をつきながら、冴月が言った。

「そうだな…」

柊が言いかけた時だった。

『新藤教授から着信です』

マユキが言った。

「おじさん!」

それまで柊の胸に顔を伏せていた、咲は顔を上げた。

「柊。どうします?」

「繋いでくれ。調べてもらってたことがあるんだ」

「では、マユキ。教授の着信を繋いで下さい」

『了解』

マユキが答えた直後、宙に新しいディスプレイが表示される。

そこには新藤教授が映し出されていた。

今や何もない空間に表示されるディスプレイに、通話相手が映し出されるという画期的なテレビ電話が普及していた。

「柊くん。今、大丈夫かね?」

「おじさん!」

新藤教授は、柊に抱きしめられている咲に気づく。

「おやおや、お邪魔だったかな」

「いえ、これは違うんです」

柊は慌てて咲から離れる。

「え…?なんで?」

咲は不思議そうに言った。

その咲の態度は、完全に恋愛対象としてではなかった。

冴月と幹は、気持ちに気づいてもらえていない柊を、同情するような目で見ていた。

「あの…。里中助教の予定の確認の件ですよね?」

「ああ。そうじゃ。柊くんの言う通り、助教の里中くんはテレビ局で君が狙撃された日、休みを取っておった」

「そうですか…」

「柊。話が見えないぞ。何の話だ?」

冴月が柊の顔を覗き込むように見る。

「テレビ局で俺が狙撃された日、テレビ局の受付に先客がいたんだ。シルバーのトランクを持っていた男だ。サングラスをかけていて、顔はよくわからなかったが、声だけは覚えていた。この前、里中助教に会った時に彼が気になっていて、テレビ局の受付で会った男を思い出したんだ。あの男と声が似てるって…」

「その男が里中くんではないか…と、柊くんがね。そこで里中くんの当日の予定を調べることにしたんだよ。もし、休んでいれば、その男の可能性が高い…とね」

「で、休んでたわけか…」

冴月は新藤教授に向かって言った。

「そうなんじゃ。あの大きなトランクはもしかしたら、狙撃に使ったSCARが入っていたのかもしれない」

「そうかもしれません」

「しかし、これで納得いく。ライトワークスの動きが筒抜けになっていた理由が。ずっと、見張られていたということじゃな」

新藤教授は、ため息をつく。

「そうなりますね」

柊も、つられるようにため息をついた。

「ん…?なんだね?その画像は?」

社長室内に映し出されたモニターに、新藤教授は気づいた。

「ああ。これは牧村警部が持っていたデータチップのデータです」

「これは…。これは政府がやったことなんだね?研究員に見覚えがある。政府の施設で見かけた」

「そうです。惨禍の日に殺された人間も、研究所の人間も、被験者も全て殺されて死体も残らないように焼かれたんです」

「そうか…。真雪は…」

悲しそうに俯く教授の目には、涙が滲んでいた。

「許せない…」

俯いた柊の握りしめた拳が、怒りに震えていた。

「柊くん。里中くんには、私から少し事情を聞いてみるよ。彼が犯人と決まったわけでもないし、彼は私と一緒に仕事をしてきた助教だ。本当のことを話してくれるかもしれない」

「教授!それは危険です!彼は政府が雇ったスナイパーかもしれない」

「しかし、里中くんは…悪夢の日に妻が傷を負い自殺した時も、惨禍の日に真雪が殺された時も、私の気持ちに寄り添うように支えてくれた。彼が政府のスナイパーで、彼のせいで妻だけでなく、真雪までもが殺され。大切な仲間である、啓の命を奪われることになったのだとしたら…。彼を信用した私の責任だ」

「でも、ダメです!咲にはあなたが必要だ。今は教授が咲の親なんですよ!」

「おじさん…」

悲しそうに新藤教授を見る咲の姿が、ディスプレイ越しに見えた。

「咲…。私の娘…」

新藤教授の瞳から涙が零れた。

「…わかったよ」

新藤教授は目を伏せた。

「今すぐ大学に行きます。それまで里中助教と接触しないようにして下さい」

「ああ、わかったよ。それでは後で会おう。柊くん」

「はい。教授」

その言葉を最後に、新藤教授との通話は切れた。

「どう考えても、里中スナイパー説が濃厚だな」

冴月は柊を見ながら言った。

「ああ、牧村警部は、大学内でスナイパーに狙撃されたからな。教授が心配だ。急ぐぞ!大学へ!」

「だな」

冴月はニヤリと笑って言った。

「咲は幹と、ここで待っててくれ」

「嫌よ!おじさんが危ないのに…!」

「人質に取られたこと忘れたの?」

「あ…。そうよね」

「わかったなら、待ってて」

「うん。でも、ちゃんと帰ってきてね」

咲は柊の腕をギュッとつかんだ。

兄の和弥のように、柊が返って来なかったら…と思うと恐かった。

「大丈夫。ちゃんと帰ってくるから」

柊は咲の頭を撫でた。

「うん…」

咲は涙ぐんだ。

「帰ってきたら、咲の好きな美味しいもの食べような」

柊はニッコリ笑って言った。

「うん…!」

咲は嬉しそうに笑って言った。

「じゃあ、行ってくるな」

柊は、また咲の頭を撫でると笑顔で背を向けた。

「柊。お気をつけて」

幹が会釈する。

「ああ、行ってくる」

柊は背を向けたまま、幹に答えるように手を上げた。

「さあ、行こうか」

「おうよ!」

「はい!」

元気よく答えた冴月と勇輝を連れて、柊は社長室を出て行った。

柊が出て行った社長室のドアを、咲は見つめていた。

咲の肩に、ポンと幹の手が置かれた。

「大丈夫。柊なら、きっと帰ってきますよ」

幹は笑顔で言った。


 しばらくして、大学に着いた柊たちは、新藤教授のいる教授室へ走っていた。

やっと、教授室の部屋の前まで来ると、勢いよくドアを開けた。

「教授!無事ですか!」

次の瞬間、柊は目の前の光景に言葉を失う。

ソファーに横たわる里中の口からは、血が流れ出ていた。

床には、落として割れたコーヒーカップがあった。

新藤教授は向かい側のソファーに座って、悲しそうな顔で柊たちを見上げていた

「教授…。これは…」

「毒を盛って殺したんじゃよ」

疲れたように言った。

冴月が倒れている里中のところへ行き、首に手を当てる。

触れた手から、脈が止まっているのがわかった。

「死んでる…」

冴月は困惑したように柊を見て言った。

柊は答える代わりに頷いた。

「何があったんですか…?」

柊は、新藤教授に向き直って言った。

「…里中から全て聞いたんじゃよ。新しいコーヒーの試飲を理由に呼びだし、話をしたんじゃが…。家族を失い落胆していた私を気遣ってくれた、あの気持ちが本物なら…と。彼にもどうしようもない事情があってのことじゃないか…と心のどこかで期待してたんじゃがな」

新藤教授は深くため息をついた。

柊と冴月、勇輝は困惑して互いに顔を見合わせた。

こんなに穏やかな人が、人を殺すなんて信じれなかった。

「しかし、その期待は見事に裏切られたんじゃよ。信じていた分だけ、許せなかった」

新藤教授は体を丸めて俯いた。

「冷静に考えればわかることなんだがな。私も歳をとったな…。人を平気で殺すような人間が、家族を亡くした者の気持ちに寄り添えるはずがない。もともと、人の命なんて何とも思っていないからこそ、平気で殺せるんじゃからな」

「教授…」

「…」

冴月と勇輝は、新藤教授の言葉を噛みしめるように聞いていた。

「里中は、私が人の命を軽んじる人間を許せないのを知っていた。絶対に自分は殺されない自信があったのじゃろ。全てを…、自分の今までの功績を話していたよ。私を騙し、惨禍の日に多くの人間が殺される手引きをし、柊くんを狙撃し、啓の命までも…」

そう言うと、新藤教授は里中を見る。

「しかし…、私は里中くんが思う以上に彼を信じていた。裏切られていたことが許せないほどにね。それが彼の誤算だったんじゃよ」

里中を見る新藤教授の目が、悲しみに満ちていくのがわかった。

「……」

三人は言葉をかける余裕もないままに、ただただ新藤教授の悲しみを痛い程感じていた。

「柊くん。これを…」

新藤教授がデータチップを差し出した。

「彼の自白した動画が入っている。今回のSCAR盗難事件についても語られているが。私としては、政府を追い詰める証拠にしてほしいところだ」

「ありがとうございます。教授」

柊はデータチップを受け取る。

「それと、警察に牧村警部の上司の“小田切警視正”という人間がいるようだ。彼なら政府と繋がっているかもしれん。SCARのある場所もわかるかもしれない。彼を探してみるといい」

「わかりました」

柊は力なく答えた。

新藤教授はうなだれて、ため息をついた。

「柊くん」

「はい」

「私はライトワークス代表として失格じゃな。どんな理由があろうと人を殺すことは許されない。それが私の信念だった。それを感情に任せて殺してしまった。これじゃあ、やってることは政府と同じじゃな…」

新藤教授は寂しそうに言った。

「そうですね。誰にも命の価値を決める権利はありません。どんな理由があっても奪っていい命なんてない。でも、教授は命を奪ったことを後悔してる。政府とは違う」

「…違うか。ありがとう。柊くん。最後に少しだけ救われたよ」

新藤教授は穏やかに笑うと、コーヒーを飲んだ。

「教授?最後に…?それは、どういう意味ですか?」

柊が尋ねた瞬間、新藤教授は口から血を吐き出した。

「教授!」

柊は新藤教授に駆け寄る。

「毒が入ってたのか!」

冴月も続いて駆け寄る。

新藤教授は苦しそうにもがきながら、ソファーに横たわる。

「勇輝!救急車を呼べ。それと、この大学に医務室あったよな?応急処置できるヤツがいないか探しに行くぞ!」

「はい!」

「柊。おまえは新藤教授についててくれ!」

「わかった」

「勇輝行くぞ!」

「はい!」

冴月と勇輝はバタバタと走って、教授室から出て行く。

二人とも最後まで、新藤教授の命をあきらめたくなかった。

新藤教授のような人には生きててほしい。

その一心で動いてた。

柊も同じ気持ちでいた。

「柊くん…」

新藤教授は震える手を、柊に差し出していた。

「教授…!」

柊は新藤教授の手を掴むと、しっかり握った。

「どうか…殺された者たちのために、真実を世界に広めてくれ…。なぜ、何の罪もない者が…死ななければならなかったのか…を。もう二度と同じことが起こらないように…」

新藤教授は目を潤ませながら言った。

「わかりました。必ず真実を世界中に配信します」

新藤教授の手を握る手に力をこめる。

「ありがとう…」

新藤教授の頬に涙が溢れた。

「それともう一つ…。咲を頼むよ…」

新藤教授は穏やかな顔で言った。

「わかってます」

「すまないね。私が死んだと知ったら、あの娘は…。どうか、咲を支えてやってくれ」

「もちろんです」

「ありがとう。これで…安心して死ねる」

穏やかに微笑むと、そう言った。

「何を言ってるんです!教授!」

柊の言葉もむなしく、教授は再び苦しそうに顔を歪めたかと思うと、動かなくなった。

「教授!」

握った新藤教授の手から、力が抜けていくのがわかった。

柊は新藤教授の手を握りしめた。

新藤教授は里中を殺す時、自分も死ぬつもりで自分のコーヒーにも毒を盛っていた。

多くの命が奪われるのを見てきたはずの自分が、人の命を奪うことが許せなかったのだ。

それだけ新藤教授は、大切な者の命を奪われる痛みを、わかり過ぎるほどわかっていた。


 コツコツと、警察署の廊下を歩く靴音がする。

警官の姿のない廊下を勇輝に案内され、柊は歩いていく。

警察署の警官達は…というと、冴月の連れてきた一個小隊によって拘束され、それぞれの担当部署の部屋で縛られて動けずにいる。

警察署の玄関に二人、一階と二階に見張りが数名、後は小田切警視正を拘束している応接室の前に一人の自衛官の見張りがいる。

事実上、自衛隊の一個小隊が警察署を占拠していた。

柊は警察署に乗り込む前に準備があり、遅れてきたのだが、先に来た冴月と勇輝は何の相談もなく一個小隊を動かしていた。

今更、何を言っても、やってしまったことは帳消しにはならない。

しかたない…といった表情で柊は、警察署の玄関で出迎えた勇輝の後をついて歩いていた。

「本当に警官を見ないな…。自衛隊の一個小隊の力ってすごいな」

「はい。全員。拘束しましたから!」

勇輝は、笑顔で元気よく答えた。

「一個小隊動かして大丈夫なのか?懲戒処分になるとか…前に言ってなかったっけ?」

「バレなきゃ大丈夫です」

勇輝は笑顔で言った。

警察署を占拠して、バレないことってあるのか?

そんな疑問を抱えながら、柊は勇輝の後をついていく。

「今回、冴月さん、本当に怒ってるんです」

案内しながら、勇輝が言った。

「だろうな。冴月の性格なら」

「それで、一個小隊動かしてでも、絶対に真相にたどり着きたいって」

「そうか…」

「俺も冴月さんの気持ちわかります。教授の話を聞いたら、面目とか…立場とか、どうでもいいです。どんなことをしても、教授の願いを叶えたいんです」

「真実を世界に配信してほしい…っていうのだよな」

「そうです。亡くなった人たちのためにも…。教授のためにも…」

「…」

柊の頭の中に、今まで亡くなった人の顔が浮かんでくる。

真雪の母親、真雪、自分の両親、陸の父親。

そして、無実の罪で捕まっている陸の顔を思い出す。

「そうだな。もう、誰も犠牲にしたくないな…」

二階にある署長室横の応接室に着くと、見張りをしていた自衛官がドアを開ける。

柊は勇輝と一緒に入っていく。

応接室に入ると、一人掛けのソファーにロープで手足を縛られた警官が座らされていた。

警官は若く、まだ二十代のようだった。

「よう。遅かったな。柊」

冴月は笑顔で言った。

「冴月。やり過ぎなくらい、徹底的にやったな…」

柊は苦笑いする。

「俺を怒らせるヤツが悪い」

「そうだな。人の怒りを買うようなことをすると、こうなることもあるってことか…」

言いながら柊は若い警官を見た。

「そいつが小田切警視正か?」

「そうだ」

「…こんなことをしても無駄だぞ」

小田切は柊たちを睨みつけて言った。

「ずっと、あんな感じで何もはかない」

「そうか…」

柊はカドホを取り出す。

「用意はいいか?マユキ」

『はい』

「じゃあ、段取り通りに…」 

『了解』

マユキは、一つだけディスプレイを宙に映し出す。

そこには里中が映っていた。

「あいつ…!裏切ったのか!」

小田切が唇を噛んだ。

「君が柊くんを撃ったんだね?」

姿は映っていないが、それは紛れもなく新藤教授の声だった。

「よく、わかりましたね。そうです。僕は政府に雇われたスナイパーです」

動揺する様子もなく、淡々と答えた。

「思ったより、あっさりと認めるんだね」

「はい。プロのスナイパーですから、下手な言い訳なんて見苦しいことはしませんよ」

里中は穏やかな笑顔で言った。

「プロか…」

新藤教授のため息が聞こえる。

「しかし、久我柊とは感のいい人間ですね。ほんの一瞬声を聴いただけなのに、それが僕だと気づくなんて。少し軽く見ていましたね」

「プロなら、受付で鉢合わせないようにできたんじゃないのかい?」

「はい。そのとおりです。でも、そんなリスクを冒しても、相手に気づかれずに完璧な仕事をするのが、何にも代えがたい程のスリルでワクワクするんですよ」

里中は、喜びに打ち震える表情を見せる。

「スナイパーとは、理解しがたい考えの持ち主なんじゃな」

新藤教授が呆れたように言っている。

「この仕事も、慣れてくると退屈なんですよ。ゲーム感覚も取り入れないと、飽きてしまうんです」

「ゲーム感覚か…。まともな人間には理解できない感覚じゃな」

「だと思います。僕はスナイパーのプロですから、常人とは違います」

里中はニッコリ笑った。

「なるほどな…」

「それで、知りたいんですよね?全ての真相を」

里中は楽しそうに言った。

「なんと…!話してくれるのか?」

「はい。僕を突き止めたご褒美です」

そう言うと楽しそうに笑った。

「今までの事件の元凶は、政府の研究にあります」

「精神異常者の研究か?」

「はい。しかし、実験は失敗し、治療どころか被験者は凶暴化し殺人鬼と化してしまった。その第一号が如月大地です」

「やはり、そうだったか」

「ちなみに、その研究の危険性に気づいたのが久我伊織でした。彼は殺人鬼を作り出してしまった研究を中止させたかったようですが、そのお陰で殺されることになりました。牧村警部が彼の情報を探り、僕が殺しました」

里中は落ち着いた口調で言った。

「手を下したのは君だったのか?」

「はい。牧村警部に、Aiをハッキングして操作するなんて、高度な技術ありませんからね」

「そうだったか…」

「久我伊織の死により研究の秘密は守れましたが、研究員の手に負えなくなった如月大地は研究員と他の被験者との区別なく、無差別に数名を殺して研究所から逃げ出しました。すぐに政府から僕に、如月大地を射殺するように…と連絡がありました」

「それが悪夢の日の真相じゃな」

「はい。如月大地は優秀な殺人鬼でした。僕が駆けつけた時には、多くの人間が命を落としていました。しかし、僕からは逃げられなかった…」

里中は楽しそうに笑った。

「そして、その次は惨禍の日じゃな?」

「はい。悪夢の日の被害者家族がライトワークスを立ち上げ、運動を起こしました。しかし、被害者家族のいうような研究は、すでに失敗し、治療の目処どころか殺人鬼を作り出していました。このまま、ライトワークスを放置すれば、誰かが真相にたどり着き、政府が殺人鬼を作り出したことが、世の中に知れ渡ってしまいます」

「それで、デモに参加した者を殺したんじゃな?」

「はい。僕はデモがいつあるのかの手引きをしただけですが、手を下したのは警察と政府でした。小田切警視正という牧村警部の上司が特殊部隊を手配し、現場での射殺を指揮したのが牧村警部です。政府は警察を使い、デモに参加した人間を射殺すると同時に、研究所の研究員と被験者も殺して政府は全ての失態の証拠を闇に葬たんです」

「なんということだ…」

新藤教授の落胆する声が聞こえた。

「政府のお偉いさんもかなり、いちゃってますからね。研究の失敗で後がなくなって、冷静な判断ができなくなってきていた。もう、異常者としか思えませんよ」

里中は、少しうんざりしたように言った。

「そこで終われば良かったんですが…。惨禍の日の遺族がライトワークスに入り、ライトワークスは更に勢いをつけ、惨禍の日のことを調べ始めた。もちろん。政府は焦りましたよ」

「それで、惨禍の日に使われたSCARを盗んだとして、ライトワークスを潰そうとしたんだね」

「はい。惨禍の日の復讐にライトワークスがSCARを盗み、世間に政府への不満を訴えようとした…という筋書きで。しかし、SCARを盗まれたはずの自衛隊は、盗まれたことを隠していました」

「誤算が生じたわけじゃな」

「その通りです。ですから、焦った政府としては、事件を調べようとする人間を全て抹殺する強硬手段にでたんです」

「では、テレビ局に君がいたのは…」

「ライトワークスの代表の一人、岩倉真知子を抹殺するためでした」

「ということは、柊くんたちの存在は誤算だったということだね?」

「そうです。ですが…これ以上彼らに動かれれば面倒なことなります。そこで、威嚇射撃をしたんですが…。政府に報告すると、事件を探っている赤木啓を殺し、彼らを犯人にしたてろ…と」

「それで、柊くんの執事は殺人犯にされたのか?」

「はい。ですが、政府の打つ手は穴だらけで…久我柊たちが真相に近づくのを手助けしたにすぎませんでした」

里中は残念そうに言った。

「新藤教授を抹殺しようとした牧村警部も、政府のずさんな計画により失敗し、人質と逃走している動画をネットばらまかれる始末。すぐに政府から、殺せと連絡がきて射殺しましたけどね」

「それが真相か…」

「はい。僕もいい加減疲れましたよ。政府の下で働くのは…」

里中は遠くを見た。

「人を殺してばかりの仕事なら、そうじゃろうな」

「いいえ。無能な政府の下では、完璧なスナイパーとしての才能を発揮できませんからね」

里中はニッコリ笑って言った。

「里中くん…。教えてくれ。君は自分が人の命を奪ったことを後悔しなのかい?」

「もう、慣れました」

里中は笑顔で言った。

「ただ、慣れて完璧にこなせるようになれば、短調で退屈なだけです。だから、たまにスリルを求めるんですが、ついミスっちゃいましたね」

里中は鼻で笑って言った。

「そうか…」

新藤教授は、ため息をついた。

「そうだ。教授。僕は新しいコーヒーの試飲で呼ばれたんですよね?コーヒーは出ないんですか?」

里中は笑顔で言った。

「君って人間は…。待ってなさい」

ため息をつきながら、新藤教授が席を立って歩いていく足音が聞こえた。

「マユキ。止めろ」

『了解』

この先の映像は、里中の死という結末につながっていた。

「小田切警視正。これが真相ですね?」

「…だとしたら、何だ?警察にでも通報するか?」

そう言うと、小田切は笑った。

「政府からの圧力で、こんな証拠なんてもみ消されるだけだ。結局、力あるものが勝つんだよ。強ければ生き、弱ければ死ぬ」

小田切は勝ち誇ったように柊を見た。

「それは違うと思います」

柊は平然と言った。

「負け惜しみか…?」

「本当の強さとは弱者を守るもの。守るものがあるから人は強くなれる。弱い人間というのは自分を守るために他人を傷つけ、やがてその心は死んでいく。誰かを犠牲にするあなたも、政府も、強くはないんですよ」

穏やかだが、寂しそうに柊は言った。

「何を言う!そんなきれいごとが通るとでも思っているのか?」

「どうでしょうね。世界中の人々に決めてもらいましょうか。あなた達の言うことが通るかどうか」

「どういう意味だ?」

「実は今まで流した里中の動画と、あなたとの会話を世界中にライブ映像として配信していました」

「何だと!」

小田切は青ざめる。

「犠牲になった者の命が、どれほどの価値があるのか、世界中からの声で知って下さい。失われた命は二度と戻らない。その報いを、これから受けることになるでしょう」

小田切はガックリとうなだれた。


 衝撃の映像配信から数時間後、警察と自衛隊に警備された警察署の玄関のエントランスに柊たちはいた。

ついさっき、警察署の地下で見つかった自衛隊のSCARが運ばれていくのを見送ったばかりだった。

「これで冴月との約束は守ったな」

柊は笑顔で言った。

「ああ、ありがとよ」

冴月もニッコリと笑う。

「ところで、柊。もう、AIのマユキは平気みたいだな」

「そういえば…、そうだな?」

柊は不思議そうにカドホを見た。

「なんだ。自覚なしか…」

冴月は笑いながら言った。

「俺が思うに…、おまえを変えたのは、あのお姫様じゃないのか?」

冴月は、幹と一緒に玄関から入ってくる咲の方を見た。

「咲…」

冴月に教えられて、柊は咲に気づく。

心配そうな表情で駆け寄って来ると、咲は柊に抱きついた。

「よかった!無事だった!」

咲は涙を流す。

「柊がいなくなったら…と思うと恐くて恐くて」

「心配かけて、ごめんな」

柊は穏やかな表情をすると、咲を抱きしめた。

「でも、もう大丈夫だから。事件は解決した。もう、危険なことなんてないから」

「うん。…うん」

返事しながら、咲は泣いていた。

冴月は柊と咲を見ながら、ニッコリと笑った。

「これで安心して自衛隊に戻れるぜ」

冴月は満足そうに言った。

「冴月」

「ん?」

「ところで大丈夫なのか?」

「何が?」

「拘束されてる小田切と銃を持った冴月の映像が、世界中に配信されたんだけど。ある意味、テロのようにも見えなくもない映像な気がするんだけど」

「…マジか」

冴月はひきつる。

「何の打ち合わせもなく配信したのは悪かったけど。まさか、警察署を占拠してるとは思わなかったからさ。冴月たちが映らない配慮はしてなかったんだよな」

「ははははっ…」

冴月は張り付いた笑顔で笑った。

「大丈夫だろ。たぶん!」

冴月は、冷や汗を拭う。

 後日、自衛隊では、冴月達の行動は国民の安全を考え、SCAR奪還を最優先しためだったと公表した。

それは自衛隊上層部が、身の保身のための言い逃れとして考えた策だったが、世間は物騒な問題を自衛隊が解決してくれのだと思っている。

自衛隊がどうこうというより、映像の配信によって、政府や警察への不信感が強くなり、その問題が世界中で重くとらえられていたからだ。

お陰で冴月と勇輝は、表向きは長期休暇という名目の三カ月の自宅謹慎処分で済んだ。



 「釈放だ」

陸は、そう言われて看守に連れられて歩く。

病院を退院した陸は、警察署で取り調べを受けた後、拘置所に移されていた。

一か月前に悪夢の日、惨禍の日の真相の暴露映像が、世界中に配信されたのをニュースで見て知っていた。

だから、釈放されるのが近いことは知っていた。

自然と足が軽くなる。

逮捕されてから、ずっと柊とは会っていない。

証拠隠滅の恐れがあるとして、弁護士以外の人間との接見を禁止されていたのだ。

証拠隠滅も何も…やってないって

そんな事を考えながら、取り調べを受けていた。

時には辛辣なことを言われることもあったが、それでも耐えられた。

柊のためなら…と無実を主張し続けた。

そして、そんな苦痛に満ちた日々は終わり、今日会いたかった人に会える。

「嬉しそうだな。そりゃそうか。釈放されるんだもんな」

看守がそう言った。

「はい。きっと、心配かけてる人がいるんで。やっと、その人の心配事を一つ減らせます」

「そうか。心配してくれる人がいるのか。なら、良かったな。ここに来るヤツは心配してくれる人間もいない孤独なヤツか、心配してくれる人間がいても、ここに入ったことで見放されるヤツがほとんどだ」

「そうなんですか?無実でも…?」

陸は不思議そうに言った。

「そう無実でも…だ。おかしいと思うだろ?いつから世の中の人間は、そんなにも人を信じられなくなったんだろうな…」

看守は遠くを見て言った。

「余計なお世話かもしれないが、その心配してくれた人を大切にしな」

「はい。そのつもりです」

陸は笑顔で言った。

拘置所の玄関につくと、そこには柊と咲、冴月と勇輝の姿があった。

「柊!」

陸は笑顔で言った後、咲に気づく。

「あ…咲」

「何よ?その反応?いたの?って感じじゃない?」

「そんなこと言ってないだろ…」

ちょっとは思ったけど…

「冴月さんに勇輝も、みんなで迎えに来てくれたんですね?ありがとう!」

陸は、嬉しさでいっぱいの笑顔で言った。

「悪かったな。陸。警察に捕まるようなことになって。すべて俺の責任だ」

そう言うと、柊は頭を深々と下げた。

「やめて下さいよ!柊。僕は執事です。主である柊を守れれば、それでいいんですよ」

「陸…」

柊は返って微妙な表情をした。

「何言ってるの?執事にしては、やってることが度を越してるわよ。忠誠心とか犠牲になるとか、今どき流行らないし」

咲は、柊の気持ちを代弁するように言った。

「何が言いたいんだよ?」

陸はムッとして、咲を見た。

「わからないの?陸は柊の家族じゃないの!あたしと出会う前から、ずっと」

咲は、ため息をついた。

「あ…」

陸は柊を見た。

「陸。咲の言う通りだよ」

穏やかな表情で、柊は言った。

「そうだぞ。陸。ちなみに俺も家族に加えてくれ」

冴月はニッと笑って言った。

「あんたは柊の親友でいいでしょ!」

「そうですよ。冴月さんは俺と家族なんです~!」

勇輝がムッとして言った。

「なんで、そんな話になるんだか…」

呆れたように、ため息をつく柊だった。

「ふっ…。はははっ!」

その様子を見ていた陸は、お腹を抱えて笑いだした。

柊たちは、そんな陸を見て穏やかに微笑んだ。

「でも、まあ。無事に戻ってこれて良かった。おかえり」

陸はみんなの顔を見回した。

やっと、家に帰れた…そんな温かさに包まれる。

「ただいま」

心からの笑顔で、陸はそう言った。

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