第三章 第五節 野獣の独奏
本来は2度目のライブの8月下旬のこの日、バンドをクビになった俺はぽっかり空いた予定の埋め方がわからず、当てもなくゴッドロックカフェに来ていた。
「夏休みは基本的にフル出勤って聞いたぞ? せっかくなんだから休めよ」
大和さんはこんなことを言ってくれたが、同級生は受験勉強で誰も捕まらないし、そもそもあまり遊びに行く気にもなれなかった。それで杏里さんからの了解も得て急遽俺も出勤にしてもらった。何かに没頭していたかったのだ。
大和さんと2人での営業は初めてだが、穏やかな彼は多くの常連さんから愛されていると実感した。大和さんがいると知った常連さんでこの日の客足は止まらなかった。
ただ残念ながらダイヤモンドハーレムは地方でライブが入っているらしく誰も帰省していない。夏休みはライブやイベントが目白押しでメジャーアーティストは書き入れ時だ。
そんな忙しいながらも順調に営業をこなし、閉店間近というタイミングだった。ついさきほど最後の常連さんが帰って正に店を閉めようとしていた。
バンッ!
「バイトッ!」
またこの人は。先週と同じくヒナさんだ。ドア鈴の音も飲み込むほど勢いよく入店してきた。
「はっ! 店長さん! あぁ、店長さんが今日もいるなんて。バイトッ! 連絡しろって言ったでしょ!」
だからヒナさんの連絡先を知らないって。しかし俺が口を挟む間もなくクネクネしながらヒナさんはまくし立てる。
「あぁ、なんてタイミング。でも今日はダメ。私はどうしてもバイト君に用があるの。店長さんと甘いミッドナイトカクテルを飲みたい。でも今日はダメ。私はバイト君を拉致しなきゃいけないの」
俺と大和さんはポカンである。まくし立てると言うより、ヒナさんの独り言にも聞こえる。しかし俺を拉致するって言ったか? なんだかゾッとするのだが。
「バイト君!」
大和さんの効果でヒナさんの勢いは削がれたのか、君付けに戻った。とりあえず俺は恐る恐る返事をする。
「は、はい……」
「私と今からエカのところに行くわよ」
「は? なんで?」
「あの子、1人で危ないところにいる」
次は別の意味でゾッとした。しかしエカさんは恋人の存在もわかったし、俺は気まずいまま。俺の腰は重い。
「もたもたするな! エカは今、男の中に女1人でいる!」
「えっ……」
なんでそんなことに? しかも今ヒナさんは「女1人で」を強調して言った。その真意とは?
「行って来いよ」
その声はカウンターの中にいる俺の隣からだった。大和さんだ。彼は朗らかな笑みを浮かべて言う。
「この後店はもう僕1人で大丈夫だから。たぶんこれは行かないと一生後悔する」
「大和さん……」
大和さんは優しい目で俺をみつめる。ヒナさんの俺を見る目は鋭い。急いているようで足を床でカタカタ鳴らしている。状況はまだ呑み込めないが俺は決心した。
「すいません。後頼みます」
「うん」
大和さんに見送られて俺はヒナさんと一緒に店を出た。表にはなぜか紺のセダンが止まっている。俺でも知っている高級ブランドだ。するとヒナさんが声を張った。
「乗って!」
「え?」
「早く!」
まさかヒナさんの車だとは思わなかった。俺が車に寄るとヒナさんは一足早く運転席に収まった。俺は慌てて助手席に乗り込み、シートベルトを締めようとする。
「うおっ!」
急発進した。めちゃくちゃ運転が荒い。俺まだシートベルトも締めていないのに。そんな俺に見向きもせずヒナさんはハンドルを操作する。
俺はやっとの思いでシートベルトを締めて、周囲の掴まれるところに手あたり次第捕まりながらヒナさんを向く。
「ヒナさん、こんな車持ってたんすね?」
「私のじゃない」
「誰のっすか?」
「誰とは答えられない」
「そうっすか」
「法人名義だから」
「法人?」
「不動産屋で社長やってるパパの会社の車を借りてきた」
パパ活らしい。
「で、俺はなんで拉致られたんすか?」
「エカが危ないから」
「具体的に」
「あんたと先週店で会った時私はまだ知らなかったけど、オーロラと揉めてたんでしょ?」
「はい」
「そもそもオーロラはあんたのためにエカが紹介した。合ってる?」
「はい」
「あんた最低ね」
何も言えない。
「けどエカも世間知らずのバカだから」
「どういうことっすか?」
「今エカは今日のライブの打ち上げの二次会にいる」
そうか、今日は本来俺もライブだったはずで、エカさんはチケットを持っている。しかも打ち上げに誘われていた。少しずつ繋がってきた。
「しかしその二次会が問題なの」
「どうしてっすか?」
「オーロラのメンバー3人とエカの合計4人でカナメの部屋なのよ。つまり宅飲み」
「男の部屋にホイホイ上がるんすね。やっぱり俺帰ります」
なんだか一気に冷めてしまった。恋人だっているエカさんだ。パパ活と言い、仲のいい複数の男の存在と言い、俺が動く必要もない。勝手にしてくれ。
するとヒナさんは本気で殺意のこもった言い方をした。
「今運転中で良かったわ。手が自由なら私はあんたを失神させてから締め殺してた」
「なんすか、それ」
俺も思わず怒気を含む。
「あんたがカナメを殴ったことで足元を見られて、今日の打ち上げは二次会にも来いって強要されたの」
「え……」
俺の浮き沈みは激しい。途端に青ざめた。
「あの子面倒見が良くて世話焼きでしょ?」
「はい、否定しません」
「そのくせ世間知らずだから、邪な考えの人に疑いもなくホイホイついてっちゃうのよ」
確かに飲むと無邪気になる。ヒナさんが言うように、普段から世間知らずな一面があるのかもしれない。
「それで今日もあんたのことを謝るから、予定通りライブに行くって言ってた」
なんでエカさんがわざわざそんなことを……。
「けど私は心配だったからさっき様子を窺うためにエカに電話したの。そこで二次会のことを知った。二次会まで付き合うならバイト君のことを水に流すって言われたそうよ。私はすぐに引き返せって言ったわ。けどちょうどもうカナメの部屋に入ったところで、電話は切れてそれっきり繋がらない」
「それでエカさんはどう危ないんすか?」
「女の口からは言いたくないことを男3人から寄ってたかってされる。オーロラはそういうことで悪評高いバンドよ」
「そんな……」
「ファンは食うし、質の悪いことにファンに友達まで呼ばせてその子たちも餌食にする」
知らなかった。いやしかし先週のフシダラな打ち上げを思い返すと納得できる気もする。
「ここから1時間近くかかる。エカはさっき部屋に入ったばかり。まずは酒で酔わせようとするでしょうから、かなりギリギリよ」
「さっきの俺の無責任な発言、すいませんでした」
「エカに惚れてるんでしょ?」
「……」
なんと答えたらいいのかわからない。
「見てればわかる」
いつ見てたんだよ……。
「まぁ、そうっす。でもエカさん他に男いるから」
「ん? 今はフリーって聞いてたけど」
「そうなんすか?」
どうやらヒナさんも児玉恒星との関係は知らないらしい。詳しく聞いてみたい気もするが、児玉恒星の名前は店の会員登録で得たものなので、俺には守秘義務もある。
「とにかくこれでエカの救出をしてくれる気になった?」
「はい」
「じゃぁ、私に殺意を抱かせたことは水に流してあげる」
「あざす」
ヒナさんからの許しは嬉しいと言うよりも、エカさんを助けなくてはならないという使命感を重くした。
「とにかく今回の件は、あんたが大事なものをバカにされただけで済めばカナメが一方的に悪かった」
「はい」
それは唯先輩からも言われたことだ。重々承知している。しかし更に唯先輩から言われた事の本質はまだわかっていないので、俺は未だそれに困惑している。
「けどあんたは我慢できずにカナメを殴った」
「はい」
それがいけなかったんだろう。何度考えてもその結論だ。
「結果、バンドを紹介したエカの顔に泥を塗った」
「え?」
「ん? わかってないの? しっかりしなさいよ」
そうだったのか……。俺がエカさんの顔を潰した。なんて愚かなことを。
「だからエカは足元見られて今の状況よ? て言うか、二次会に付き合っただけで解放してもらえて、しかも本当に許してもらえると思ってるエカもバカ。どれだけポンコツなのよ。今まではどんな付き合いも終電までに切り上げてたのを、今回は宅飲みに付き合うことで懺悔になると思ってるんだから」
ヒナさんは荒い運転をしながらエカさんを容赦なく貶す。しかし心配して電話して今こうして向かっているということは、彼女たちの絆を感じる。エカさんがヒナさんの保護者だと思っていが、お互いが足りないところを補完し合っている。
ヒナさんが言うとおりならエカさんは世間知らずのバカだ。しかし俺はもっとバカで愚かで、義理がどんなものかも今まで知らなかったクソガキだ。これが唯先輩の言っていた事の本質だろう。本当は自分で気づかなければいけなかった。けど気づかせてくれてありがとう、ヒナさん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます