第三章 第三節 野獣の独奏

 どう話そうかと俺が考えるので、唯先輩と大和さんは無言になってしまった。しかしありのままを話すしかない。そして俺が意を決して口を開こうとした時だった。


 バンッ!


 ドア鈴の音も飲み込むほど勢いよく扉が開かれ、慌ただしく1人の女性が入店してきた。


「店長さ~ん!」


 店長? 店長は今産休中だが? いや、その女性の目は大和さんに向いている。俺が初めて見る彼女の表情。俺のイメージにはない。そんな態度を見せるのはヒナさんだった。


 ヒナさんと言えば自信家でいて愚痴っぽく、常連さんが鼻の下を伸ばすと甘ったるく擦り寄って奢ってもらう。それなのに大和さんに向かうヒナさんはどこか元気いっぱいで盲目なのか? と思えるほど一直線だ。こんなヒナさんを俺は知らない。

 一方、大和さんは苦笑いを浮かべる。そして片耳に届く「ひっ!」という怯えた声。これは唯先輩だった。この相関図をどう表したらいいのか、俺にはまったくわからない。


 そんなヒナさんは俺から1席空けて――この微妙な距離の意味もわからんが――椅子を引いた。しかしもう1人女性客がやってくる。閉店間際になんでこんなに賑やかなんだと思っていると、その彼女はなんとエカさんだった。

 ヒナさんの派手な登場で失念していたが、そう言えばエカさんはヒナさんと合流すると言っていた。一気に気まずさが襲う。そのエカさんは俺を一瞥するとヒナさんの腕を引いた。


「ヒナ、こっち」

「えぇ……」

「牽制しないの」

「ちぇぇ」


 牽制? どういう意味だ? エカさんの言葉の意味がまったくわからない。エカさんはヒナさんを移動させ、俺たちとは反対の端席に座った。やっぱり俺を避けたのだろうか?

 唖然と2人の様子を眺めていると、大和さんに注文を終えたヒナさんが俺を見た。


「ちょっとバイト!」


 呼び捨て怖っ! エカさんから俺の暴挙を聞いたのか? いや、それにしては早すぎる。さっき俺はエカさんと別れて来店したばかりだ。タイミング的にヒナさんがこの近くにいたなら、エカさんとは合流したばかりだと思うのだが。


「今日店長さんいるなら教えておきなさいよ!」

「は? 店長は今産休中っす」

「バカ! アホ! チンカス!」


 罵り方が汚い。それに情報を与えようにもヒナさんの連絡先知らないし。


「大和前店長のことよ!」

「は、はぁ……」

「エカに聞いてびっくりしたじゃない! もう閉店間際だし、慌てて来たわよ! 私が近くにいたから良かったものの……うんたらかんたら」


 ヒナさんの隣でエカさんはクスクス笑っている。

 結局この後、大和さんはヒナさんとエカさんに付きっ切りとなり、俺は唯先輩と2人だけの席となった。その直前エカさんがこちらに向かって手を立てて、口パクで「ごめん」と言った。その時唯先輩が苦笑いでぺこりと頭を下げるから、もしかして唯先輩に対しての意思表示だっただろうか? 本当にこの場の関係性がわからない。


「それで、倉知君」


 ふと唯先輩に呼ばれる。ヒナさんが登場した時の怯えた様子は消えている。ヒナさんのテンションが高くて向こうのグループは独自の世界を構築しているので、俺たち2人の会話は当事者間でしか成り立ってない。


「今日ライブだったんだよね? どうだったの?」

「あぁ……」


 そうだ、その話だった。エカさんにこちらの会話は聞こえない。それなら言ってしまうか。


「実は……」


 俺は今日のことを全て話した。唯先輩にもらったベースを語るうえで唯先輩に惚れていたことは避けて通れないが、本人を前にして恥じらいがあるのでその辺はゴニョゴニョっと濁しながら。当初はエカさんにバンドを紹介してもらって、この日のライブが良かったという内容だったので、唯先輩は目を輝かせて聞いてくれた。

 しかし話題はその後の打ち上げに移る。俺が話を進めるに連れて唯先輩は寂しそうで、心配そうで、そして残念そうな表情になった。時々反対の端席を見るのはエカさんを気にしているのだろう。そんなエカさんの席からはヒナさんを筆頭にエカさんの笑い声も混じる。


 唯先輩は口を挟むことなく黙って俺の話を聞いていた。そして俺が話し終えるとはっきり言った。


「私との約束や思い出を大事にしてくれたことは心から嬉しい。もし倉知君が手を出さなければ相手が一方的に悪い。それで済んでた。けど今からエカさんには謝ろう?」

「え?」

「すぐそこにいるんだから。こういうのは早い方がいいよ?」

「えっと……俺がエカさんに八つ当たりしたことっすか?」

「……」


 すると唯先輩は口を噤んでしまった。寂しそうに俺を見るその瞳の奥は、俺を非難しているようにも思えた。


「倉知君は事の本質がわかってないと思う」


 言葉でもはっきり否定された。それに俺はショックを受ける。


「バンドからはラインもブロックされちゃってたぶんもう修復は無理だと思う。けどエカさんは違うでしょ?」

「えっと、だからつまり……」

「やっぱり今謝るのはなしにしよう」

「え?」


 まったくもってわからない。頭の中は混乱している。ただ唯先輩が俺を見るその目が痛い。


「今謝っても趣旨を外れたことに謝罪して余計に失礼だから。倉知君の今日の行いの何がいけなかったのか、それがわかったらしっかり謝って?」


 もう泣きたくなってきた。誰も庇ってくれない。そんな俺の感情をよそに唯先輩は続ける。


「エカさんはできた人だと思うよ。こんなことがあっても気まずさを見せずに今同じ空間にいるんだから」

「席を離されたのにですか?」

「それはヒナさんを私から離したのかな?」

「ヒナさんって唯先輩と仲が悪いんすか?」

「うふふ。そんなことないよ。ダイヤモンドハーレムかな」


 魅惑的に笑って言い直す唯先輩。そう言えばヒナさんはダイヤモンドハーレムによく噛み付いていたんだっけ。エカさんがそれを宥めていたんだっけ。それと関係があるのか?


 反対の端席では楽しそうな談笑が聞こえる。いるだけで柔らかな印象を抱く大和さんにヒナさんが夢中といった構図だ。

 末広バンドの健吾なんかは大和さんを恐れているが、それがなぜなのかはわからない。俺を含めメンバー皆が理由を聞いても絶対に答えてくれなかった。けど俺の抱く大和さんへの印象は、優しそうな人だ。


 話を持ち直すように唯先輩は言う。


「とにかくこれもエカさんの気遣いだから」


 確かに面倒見のいい人だから気遣いと言われることに違和感はないが、やっぱりこの場の相関図はよくわからない。


「だからエカさんのこと、大事にして?」

「わ、わかりました……」


 と答えはしたものの、本当はわかっていない。エカさんに謝罪をしようにも唯先輩の言う事の本質が俺には見えていないからだ。


 この日は色々あり過ぎて疲れた。だからそれからはせっかく再会できた唯先輩と何を話したのかも全く覚えていない。恐らくお互いの近況報告だったとは思うが。


 ただ1つだけわかったこともある。俺が惚れていた頃の唯先輩はもうどこにもいなくて、再会に喜びはしたものの当時の感情がぶり返すことはなかった。もちろん唯先輩から庇ってもらえなかったことで卑屈になっているが故の意見ではない。ただ唯先輩はハキハキと自分の意見を言い、余裕があって、今の充実度が手に取るようにわかった。

 高校生の時よりも綺麗になったし、女性としての魅力は増したと思う。しかしそこにはもう俺の知らない唯先輩がいて、どこか遠くに行ってしまったように感じた。物理的に離れているし、時間も経っている。何より相手は人気のある芸能人だ。当たり前と言えば当たり前なのだが、それを思い知った夜だった。


 閉店時間になって唯先輩もエカさんとヒナさんも退店したが、俺は店に残った。


「悪いね、手伝ってもらって」

「いえ、全然っす」


 大和さんが久しぶりのゴッドロックカフェで、物の配置など変わったこともあるからわからないと言った。それで疲れてはいたが俺は大和さんを手伝った。


「これ、ヒナちゃんかエカちゃんの忘れ物だと思うんだけど? 椅子の下に落ちてたんだ」


 すると大和さんが示したその手には、真っ赤なパスケースが握られていた。ICカードは無記名のものだが、ケースの方に見覚えがある。間違いなくエカさんのだ。

 俺は大和さんに悟られないよう内心でため息を吐いた。


「渡しておきます」


 この日は仕事が終わると俺は大和さんの運転で自宅まで送ってもらった。

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