第三章
第三章 第一節 野獣の独奏
本番のステージは音合わせの時よりもオーディエンスの数が増えていた。たった10分ほどの空き時間だと言うのに、この間に観衆が詰めかけたようだ。これだけでオーロラの人気ぶりがわかる。
そして圧巻は演奏が始まってからの盛り上がりだ。攻撃的な演奏の轟音と観衆の圧はぶつかり合い、乱気流を起こした。走る照明にサウンドと歓声。この空間一帯でエンターテイメントを作り上げていた。その一員としてベースを弾いている自分に俺は酔った。
演奏が3曲終わったところで一度照明が落ち、給水を取る。ヒリヒリとした感覚のもと、水が喉を経由して全身を潤してくれる。ここでカナメがマイクを通してこの日唯一のMCを入れた。それと共にステージは明るくなる。
『いいねぇ』
『うおー!』
ホールを見回す。横目に映るカナメも一度間を空けて同じことをしていた。ステージの端にいる俺はホールの角からの視界を確保している。真下にいるのはエカさんだが、ステージの高低差と俺とエカさんの身長差から、意識的に視線を下げなくては彼女を目視できない。
ホールの奥の照明が直線的に俺たちを照らし、それが眩しいが硬い表情をしないよう気を付ける。ただでさえいかつい顔面の俺だから。
『今日は新メーンバーを紹介したいんだ』
カナメのそんな声がスピーカーを通して聞こえる。もちろん俺のことだ。俺は晴れやかな表情を意識しながらも少しばかり緊張した。オーディエンスが歓声で応えてくるのでプレッシャーと喜びを感じる。
俺は摘んでいたピックを一度ポケットに入れた。そしてカナメが声を張る。
『ベース! 譲二!』
瞬間。俺はスラップを披露する。その間に上がるオーディエンスの期待の声が高揚させ、思わず口角が上がった。
自己紹介のベースソロを終えると俺はマイクに近づいた。
『譲二です。よろしくお願いします』
そう言って俺は頭を下げた。
『うおー!』
『マジメか!』
客席ホールから歓声と
その後、カナメが雑談のMCをして4曲目に移った。
この日のセットリストは5曲。残り2曲だ。来週のライブも5曲。しかし1曲セットリストから入れ替えるので6曲を覚えてきた。
物足りない。もっとこのステージでロックを表現したい。いや、焦るな。これから時間はたっぷりある。表現の場も更なる高みでバンドが準備している。今は目の前のこのステージに真摯に向き合うだけだ。
そんな熱い熱いステージは俺の感覚であっという間に終わった。熱狂の余韻はこの日の全バンドのステージが終わっても冷めやらず、興奮を残した状態で俺たちは打ち上げ会場に行った。
しかし俺の晴れやかな気分はここまでだった。まさかこんな挫折が待っているなんて。やっとスタートラインに立てたというのに。
打ち上げは県内都心の繁華街にあるクラブの個室で始まった。仕切りはカナメで乾杯の音頭も彼が取った。ソファーが3面を囲った明るい室内はすぐに賑やかになる。
この日は俺も飲むよう強要され、カクテルが目の前に置かれている。カナメの懇意にしているクラブとのことで年齢確認はされなかった。俺の容姿で店が年齢確認を怠ったわけではない。
参加者はバンドメンバー4人に加えて初めて見る若い女が2人。そしてエカさんの合計7人だ。会が始まるなりカナメはソファーの1面で1人の女を隣に座らせ、肩を抱いて酒を飲んでいた。女の方も満更ではなさそうで、カナメに寄り添う。
もう1人の女がカナメの対面のソファーでケンとヤスの間に座っているが、密着と言っても過言ではないほど距離は近い。なんだかキャバクラみたいだ。そういう店に行ったこのないガキんちょの俺だから、あくまでメディア媒体などからのイメージだが。
エカさんはそんな連中とは別の面のソファーで俺と隣同士である。打ち上げの参加に喜んでいたエカさんだが、他の女2人は初対面のようで、しかもエカさんに対して人見知りをしているのかそれほど友好的ではない。
だからエカさんの居心地は悪そうで、俺から離れない。大人しく座っているし、まだそれほど酒も入っていないのでお淑やかでもある。そんな状態のエカさんだからなのか、庇護欲を駆り立てるようにも感じるし、凛とした年上の魅力も感じる。
しかしそれも時間を追うごとに状況が変わる。場のみんなの飲酒量は増え、賑やかさは増していく。男女間のボディータッチは増えるし、卑猥な会話も散見される。ガキんちょの俺はついていけず、大人しくエカさんの隣でやり過ごしていた。
ただ、90度折れた隣の面のソファーに座っているカナメの視線が時々、俺の座っているソファーの方に向く。俺とカナメは膝が触れるほど近い。だからカナメが何を見ているのかはわかる。エカさんの胸元だ。
「譲二これからも頼むな」
「あん? ……あ、うん」
隣の女にバンド自慢をしていたカナメが唐突に同意を求める。思わず不機嫌な声が出てしまったので慌てて言い直すが間に合っただろうか。
俺も気づいているから人のことはあまり言えないが、エカさんはシャツの上のボタンが開いていて、胸の谷間が見える。それをカナメが厭らしい目で見るので俺はイライライしていた。エカさんは特に気にした様子も見せず笑顔を振りまいているが。
「なんか機嫌悪くね?」
遅かった。カナメに気づかれてしまった。俺は更に慌てて取り繕った。できるだけ穏やかな表情を意識して。
「そんなことねぇよ」
「ふっ」
一度バカにしたような笑い方を見せるとカナメはテーブルの下で俺の脛を蹴った。こんな体勢なのでそれほど大きな動作ではなかったが、カナメが先の尖った革靴を履いているので思いのほか痛みを感じた。
「生意気な」
カナメが吐き捨てるように言う。初対面の時は堅苦しいのが苦手だと言っていたくせに、今はまるで態度が違う。かなり酔っている様子は見て取れるので、もしかして酒癖が悪いタイプだろうか。残念ながらゴッドロックカフェにもこういう常連さんはゼロではないので、その厄介さは知っている。俺は奥歯を噛んでやり過ごした。
エカさんもそんな険悪な空気に気づいたのだろう。心配そうな眼差しを向けるが、あくまで俺が横目に感じているだけだ。堪えている状態の今の俺はエカさんと目を合わせたくない。
そしてカナメの横にいる女ももちろんこの空気に気づいている。しかし酒で頭がハイになっている彼女はしゃべり方が甘ったるく、それなのにキーキー頭に響く声を出す。そんな不快な音で言った。
「ねぇ、ねぇ、新入り君」
「なんすか?」
「なんで真っ赤なベース使ってんのぉ? ギャップが凄いんだけどぉ」
容姿に似合わずと言っているのだろう。その言い方にムッとするが空気を壊さないよう配慮した。
「先輩からのもらい物なんす」
するとここで口を挟んだのがエカさんだ。酒が入っているとは言え、今まで大人しかったのに。
「ダイヤモンドハーレムの唯ちゃんからもらったんだよね」
女性からもらったことを暴露した。恐らく悪気はない。話題を広げて明るい空気に変えたかったのだろう。
ベースの経緯は特に隠していたわけではないので、他のタイミングなら誰に知られても良かった。そう、今のように酒でハイになっているタイミングでなければ。今の雰囲気の時に、俺の大事な思い出に直結する話をされるのは抵抗があった。
「女からのもらい物かよ」
その声はカナメだった。鼻で笑うように言って更に続ける。
「もしかしてメジャーアーティストに惚れてたのか? だからいかつい顔であんな原色のベース……はっは。しかもダイヤモンドハーレムなんて顔で売ってるから人気があるだけだろ? 曲なんて大したことねぇじゃん」
これ以降のカナメの言葉はほとんど覚えていない。俺の手元のグラスが倒れて割れた音は記憶にある。その直後、俺は手の甲に痛みを感じた。女の悲鳴が上がり、俺に殴られたカナメは頬を抑えていた。
「てめぇ、もう来るな!」
そう言えば去り際に、カナメからクビ宣告が飛び出したのはなんとか覚えている。それに目もくれずドアを潜る時、エカさんが「待って!」と声を張った。
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