第二章 第三節 野獣の独奏

 縦に並んで備糸駅の改札口を抜けると、ふとエカさんが立ち止まった。するとなんの前触れもなく悪戯な笑みを浮かべて俺に振り返った。なんだか杏里さんが悪巧みを腹に抱えた時によく見せる表情と重なるから、警戒してしまうのだが。


「ねぇ、バイト君?」

「はい」

「原チャリだって?」


 電車の中で説明したことを今頃になって言う。


「そうっすけど……」

「じゃぁ、原チャリで送ってって」

「は?」

「夜道を30分歩くのが危ないって考えならその方が良くない?」

「ニケツっすか?」

「そう」


 ニカッと笑うエカさん。この人はいい歳こいて原チャリでのニケツ……二人乗りをねだっているらしい。もちろん道交法違反だ。


「警察に見つかる方の自信があります」

「バイト君は飲んでないでしょ?」

「いや、飲酒じゃなくて。ニケツも違反なの、さすがに知ってるでしょ?」

「あはは。JDと単車で二人乗り。そそらない?」

「……」


 唖然として言葉に詰まる。間違いではないがスクーターを単車だなんて恐れ多い言い方……。やはりこの人は酒を飲むと無邪気だ。イメージチェンジしてから大人な雰囲気に感じるのに、このテンションの時だけはイメージチェンジ前の雰囲気に重なる。


「見つかったらどうするんすか?」

「見つからない道を走ってよ」

「エカさんの家知らないんだから、ナビはエカさんっすよ」

「ぶー」


 すると途端に膨れた表情をする。悔しいけど、ちょっと胸を射られた。


「じゃぁ、1人で歩いて帰る」

「わかりましたよ。スクーターで送りますよ」

「えへへん。わかればよろしい」


 俺から送ると言った手前、今更引けるわけがない。俺は渋々エカさんの我儘に付き合うことにした。


 こうして俺たちはゴッドロックカフェに行先を変え、そこからはスクーターに2人乗りで行動を共にした。


「うーん。風気持ちいい」


 エカさんは風を正面で受けながら明るい声を出す。風でその声は聞き取りにくいが、なんとか理解はできる。しかしその前に、図体のデカい俺を運転手にして、エカさんが風を正面で受けているこの状況を説明しなくてはならない。

 ゴッドロックカフェに俺のベースは置いて、停めてあったスクーターの座席の下にエカさんの手荷物は収納した。そして俺が半ヘルメットを片手にスクーターに跨った時だった。エカさんが俺の肩に手をかけたのだ。


「ん?」


 エカさんは俺の後ろに跨るのだと疑いなくわかった。しかし俺は気づいた。


「エカさん。後ろに乗るんすか?」

「ん? 二人乗りってそういうもんじゃないの? あ! パンチラが気になる?」


 そんなこと考えてなかったわ! 片足上げて跨ろうとしていたエカさんはキョトンとした顔から、合点がいったという顔をした。短い丈のスカートを穿いているエカさんは、俺とはてんで方向違いのことを思ったらしい。

 首を捻ってエカさんを向く俺と顔が近くてドキドキするのだが。ただこの時は幸いと言うか、残念ながらと言うか、定休日のゴッドロックカフェから屋外灯は消えていて暗い。


「今日は大丈夫なやつだから」


 知っている。短パンみたいなのが一体になっているスカートだろ。


「前のバイト君からは見えないよ。それとも他の人から見られるのに妬いちゃう? うふふ」

「……」


 なんて言葉を返したらいいのかわからん。大人の余裕で年下の高校生をバカにして揶揄っているだけらしい。やっぱり酒が入った時のエカさんは無邪気だ。

 とにかく俺は頭に浮かんだことを言う。


「酔ってますよね?」

「えぇ……、このくらい平気だよ」


 片足を地面に戻したエカさんは両手で自分の頬を包んで言う。悔しいがその仕草にも胸を射られた。とりあえずそれは置いといて。


「でもしっかり掴まれなくてエカさんが走行中に落ちたら寝覚めが悪いっす」

「まったく、君は本当に優しいなぁ」


 笑ってそう言うとエカさんは俺の斜め前に移動した。


「で? 私はどうすればいいの?」

「前に座ってください。そうすれば俺が安定させますから」

「オッケー。わかった」


 そう言うとエカさんはスクーターの足置きに移動した。


「せっかくおっぱいむぎゅぅのチャンスを棒に振るなんて勿体ないことするなぁ、君は」

「……」


 女性と親密な付き合いをしたことのない男子高校生になんてことを言うのだ。しかしそんなチャンスがあったのか。経験値が低い故の無知。はぁ……こんなことが頭を過った自分に嫌悪する。


「え……」


 そんなことを考えているとエカさんは予想外の行動を取る。


「エカさん?」

「ん?」


 足置きに乗ったエカさんは振り返って俺を見上げる。見上げるだけ距離に余裕がある。エカさんはシートに腰を据えず、そのまま屈んでいた。両手はフロントボディーを掴んで招き猫状態。顔はハンドルメーターの上にかろうじて出る程度。


「その体勢っすか?」

「ん? こっちの方が運転の邪魔にならないし、見つかりにくいでしょ?」


 そんな理由らしい。


「子供の頃よくこうやってお父さんのスクーターに乗ったなぁ」


 更には懐かしむように思い出を口にする。まぁ、エカさんがいいならこのままでもいいや。俺は手に持っていたヘルメットをエカさんに向けた。


「エカさん、これ被ってください」

「本当に君は顔に似合わず優しいな。けどいらない。君が被りな?」


 俺のコンプレックスに触れたことはとりあえず流す。


「そんわけには」


 シートの下はエカさんのバッグが入っているわけでこのヘルメットの行き場はもうない。


「いいから、いいから。私はバイト君の両足に挟まれて守ってもらえるんでしょ?」

「まぁ、確かに」

「それならいいよ。レッツゴー」


 俺は渋々ヘルメットを被り、エンジンスタートボタンを押した。そして走り出したのだ。


「うーん。風気持ちいい」


 走り出すとエカさんはよくこんなことを言った。酒も入っているし、この日は熱帯夜だし、気持ちいいと感じているのは本当だろう。ただもし警察に捕まったら免許の減点と反則金か。まぁ、今が楽しいし、そうなったら気前よく納付してやろう。


「バイト君、バイト君」


 すると走り出して少ししたところの信号待ちで、エカさんは片手を離して指さした。その交差点の角にはコンビニがあり、エカさんの指はコンビニを向いていた。


「寄ります?」

「うん」


 エカさんが明るい表情で首肯したので、俺はコンビニに寄った。店内で籠を抱えたエカさんは軽やかな足取りで商品棚を回る。俺はそれに黙ってついて行った。


「送ってくれてるお礼に奢ってあげる」


 すると飲み物のショーケースの前でエカさんが言った。俺は「あざす」と言って水のペットボトルを籠に入れた。


「それだけでいいの?」

「ん?」

「これも買ってあげる」


 そう言ってエカさんは俺のリクエストも聞かずにコーラのペットボトルも籠に入れた。ゴッドロックカフェでドリンクを出してもらっている時に、よく俺がコーラを飲んでいたからだろう。ただ居酒屋で十分な飲食をしていたため、熱帯夜とは言え、それほど喉は乾いていないのだが。

 するとエカさんはロング缶のレモン酎ハイを2本籠に入れた。


「まだ飲むんすか?」

「うん、君と」

「は?」

「公園に行って一緒に飲もう? 時間には縛られてないんでしょ?」

「ま、まぁ」


 酎ハイを籠に入れた時は家に帰ってから飲むのかと思っていた。しかしどうやら外で俺と飲むつもりらしい。確かに俺は時間に縛られてないし、この人と一緒にいるのは楽しいからいいのだが。


 コンビニで支払いを済ませて俺は再びスクーターを出して、エカさんと一緒に河川敷の公園にやってきた。ここはベンチがあって、ジョギングや散歩のための舗装が成されている以外何もない原っぱの公園だ。堤防と大きめの川の間にあって街灯もない。ただ脇に架かる大きな橋が街灯を多く設置しているので、真っ暗というわけではない。


「ふぁ」


 その公園のベンチで乾杯をするとエカさんは酎ハイをゴクゴク飲んだ。それを横目に見ながら俺もコーラを喉に通す。湿った熱帯夜の河川敷は湿度がより高いのだろうが、風も通るのでそれほどの不快はない。

 開放的な空間のはずなのに、時間帯と周囲に人影がないことから閉鎖的にも錯覚する。そこで俺とエカさんは暫し2人の時間を共有した。

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