第二章

第二章 第一節 野獣の独奏

 夏休み最初の日曜日。昼下がりの気温は高く、俺は額の汗をTシャツの袖で拭う。背負ったベースのギグバッグが背中を蒸れさせる。今日は備糸駅でエカさんと待ち合わせだ。


「バイト君、お待たせ」


 すると約束の時間ちょうどに爽やかな笑顔を浮かべてエカさんがやって来た。

 この日エカさんはゆったりしたシャツに太ももまで見える丈のスカート。シャツはインしているから細いウエストも豊かな胸もはっきりわかる。そして足が細くてしなやかだ。暗くした髪は健在で、肩くらいの長さで真っ直ぐ下りていた。日に日に小柄なこの人の魅力が増すようだ。


「今日はありがとうございます」

「うん。行こうか?」

「うっす」


 俺とエカさんは縦に並んでICカードをタッチし、改札口を抜けた。エカさんは真っ赤なパスケースをかざしていた。原色なのでそれはよく目に留まった。

 俺の背中はギグバッグに面積を取られ、Gパンの尻ポケットはベースのボディーで死んでいる。サイドのポケットは小さい。ICカード他、手荷物は全てギグバッグのポケットだ。一度ギグバッグの肩ベルトを片方外して前に持って来なければならず、カードホルダーの収納に手間取った。


 エカさんはそんな俺の様子に気づいているのか、あまり早く歩こうとはしない。それでもホームに上がる階段は幾らか先に進んでいた。俺はエカさんに追いつくため急ごうとして一度顔を上げた。


「う……」


 エカさんのスカートの中が見えてしまった。物凄い罪悪感を覚える。しかしエカさんはミニスカートの中に短パンを履いていた。いや、あれは短パンではない。スカートと一体になっていたように見える。どういう構造なんだ? いや、そういう構造なんだろう。


 そんな俺のドキドキはさて置き、この日の電車は空いていた。エカさんと並んで座り、県内の都心まで到着して一緒に歩く。

 て言うか、都心まで来るなら現地集合の方こそ効率が良かった。俺の自宅は備糸市と都心の中間地点だ。片道30分で、往復分がロスの計算になるから合計1時間の非効率。


 しかし効率性とは裏腹に俺の気持ちとしては晴れやかだ。こうして綺麗な女子大生と一緒に行動できているのだから。

 そう、やっぱりエカさんは綺麗だ。移動中の電車の中でも気になっていたが、都会の街を歩くにつれてそれは確信に変わった。周囲の男たちが振り返るのだ。時には女性まで。


 イメージチェンジをするまではどこかあどけなく、着飾っている気がした。どこにでもいそうと言うか、まぁ世間一般的にいてもおかしくないと言える標準的な容姿。しかしここ最近のエカさんは女子アナにいそうな清潔感を纏った大人な女性。これは世の男が放っておかないだろう。

 バンド現役当時から今の格好の方が良かったのでは? と思うが、間違いなく失礼な発言になるので言わない。


 そう言えばパパ活をしていると言っていたが、カレシは別にいたりするのだろうか? いるに決まっているか。今日は俺の音楽活動に付き合ってくれているだけ。男と2人で行動する余裕があることの意味をはき違えてはいけない。


「着いた。ここだよ」


 そんな浮かれた気分のままエカさんと談笑しながら歩いていると、目的の貸しスタジオ店に到着した。雑居ビルの地下にある貸しスタジオ店で、通りに面した部分に下へと通じる階段が口を開けている。俺はエカさんと一緒にその階段を下りた。

 薄暗く狭いエントランスで最初に受付を済ませる。受付の脇には短い廊下が1本あって、その片側に扉が3つあった。3室ある貸しスタジオ店のようだ。エカさんは迷うことなく真ん中の扉を開けた。


 瞬間。


 ディストーションとバスドラの音圧を受けた。久しいこの感じ。そしてスタジオ独特の柔らかな匂い。どこか蒸れた汗の空気も感じる。ドラムのスネアは鼓膜を直接刺激し、ノイズかと紛うエレキギターの高音はしっかりメロディーを構築している。

 五感全てが敏感になり一気にあちらの世界に引き込まれる。末広バンドはドラムがおらず打ち込みだったので、生きたビートも新鮮だ。


 エカさんがドアを開けたことでその轟音はすぐに止んだ。エカさんはそれを待ってから片手を上げた。


「やっほう、カナメ連れてきたよ」

「おう、エカ。サンキュー」


 マイクスタンドの前に立ってギターを提げている男とエカさんは親しげに話す。室内には予め3人の男がいた。事前にエカさんから聞いていた構成だ。ドラムが1人とギターが2人。ギターの内1人はリードギターで、もう1人が今エカさんと話しているカナメと呼ばれたボーカル兼サイドギター。

 練習はまだ始まっていない様子で、この時はセッティングと音出し。俺とエカさんが入室してドアを閉めると各々が好き勝手にまた音を出し始めた。俺はそんな室内の様子を感じながらギグバッグを肩から下し、自分のセッティングを始める。


 少しして俺のセッティングが終わると、ドラムのメンバーが俺に気づいたようで音を止めた。ドラムの音が無くなったことでギター2人分の音も止まる。俺を含めた男4人は8畳ほどのスタジオで一定の距離を保ち、四角になって向かい合った。エカさんはドアのところでバッグを脇に置き、女の子座りをしている。

 メンバー3人は爽やかな表情を浮かべていた。俺は自己紹介がまだだったと気づき、真っ先に口を開いた。


「初めまして、倉知譲二っす。高3っす」

「おう。今日は来てくれてサンキュー。俺はカナメ。大学3年」


 最初にエカさんと話していたカナメが答えてくれた。そしてギターとドラムのメンバーを紹介してくれる。ギターが大学3年でケン。ドラムが大学1年でヤスと言った。俺は少し緊張をしているのでそれを察してくれているのか、3人とも柔らかな表情をしている。


「曲は覚えてきた?」

「うっす。3曲覚えました」


 カナメは俺の回答に納得の表情を見せ、そしてメンバーに向き直った。


「じゃぁ早速やるか」


 カナメのその言葉に一拍置いて、ドラムのカウントが4つ鳴った。

 すると途端に鳴る攻撃的なサウンド。技術が後押しした圧倒的な楽曲の波。事前にもらっていたデモ音源で聴いてはいたが打ちのめされた。ここまでレベルが高かったのか。俺は置いて行かれないように必死だった。


 真夏の閉め切ったスタジオはエアコンが設定温度をかなり低くして稼働している。それでも暑さと熱さで汗が吹き出る。時間とともに蒸してきて息苦しく、サウナにいるようだ。

 しかしそんな熱の外的な不快とは裏腹に、この熱に酔う自分がいる。快感で気持ち良く、居心地がいい。自分がいたいと思った、そして、いるべき世界だ。ゾーンに入ったかのようにベースの太い弦をピックで弾く。


 必死でこのサウンドに食らいつきながらも、自己満足も過大にできる演奏を俺はした。そして1曲目が終わるとカナメが不敵に笑ってドラムのメンバーに目配せした。間髪を入れず2曲目のカウントが鳴る。

 2曲目も1曲目と同じ感覚の中進み、やはり3曲目も間髪を入れず始まり、そうして夢中になっているうちにその3曲目も終わった。安堵と満足感で満たされ、気づけば息が上がっている。俺は歌ったわけでもないのに。


 パチパチパチ……


 すると控えめな拍手が聞こえた。ドアの方に目を向けるとエカさんが満面の笑みで手を叩いていた。あぁ、そうだ。エカさんもいたんだ。彼女の存在を忘れるほど俺は集中していた。

 エカさんの拍手が止むと同時に口を開いたのはカナメだ。


「いいじゃん」

「あざっす」


 こめかみを伝う汗をTシャツの袖で拭きながら答える。カナメも他のメンバーも満足げな笑顔だ。


 この後、小休止や多少の雑談を挟みながらも2時間弱のスタジオ練習を終えた。末広バンドも活動が鈍くなっている今、俺にとっては久しぶりに生きていると思える充実した時間だった。

 そして圧倒的な技術と攻撃的なサウンド。更には目標とするバンド活動の思考の高さ。俺はかなり前向きだった。ただ俺が前向きでもそれが一方的だとダメだ。相手にも選ぶ権利はある。


 スタジオを出た俺たちは場所を移動した。もう外は日が落ちかけていて、食事を兼ねたミーティングの場である。

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