19 『心酔の王女』


 歩けば道は開き、前を塞ぐ者はいない。まるでモーセにでもなった気分だ。そう、素直に言えたらどれだけ良かっただろうか。


 周りからは奇怪な眼差しが向けられる。奇妙を通り越し、この世に存在する言語では表現し得ないほどの気味悪さ。

 仮面をつけた黒マントの人物と、その腕に抱きついている笑顔の王女様。


「これ、日本でやれば間違いなくトレンド一位レベルに悪目立ってるんだけど」


「……? 言ってる意味はわかりませんが、シャドウパラディン様と食べ歩きデートなんて夢のようです! 最&高です!」


「仮面だと食べにくいんだけど」


「取ればいいんじゃないですか?」


「炎上するわ。いやしないけど。僕がシャドウなんたらでも平民は平民だから、王族と並んで歩けば死刑レベルなんだよ」


「私は平民でもシャドウパラディン様に一生ついていきますから、死刑になることはありません」


「一生って……結婚でもする気ですか?」


「そのつもりですよ?」


 アオイは食べかけのカエル焼きを落とす。それをレスティが拾い、「三秒ルールです」と呟いて口に運んだ。


「は……?」


 衝撃的な発言に衝撃的な奇行を、同一人物の王女様から確認した。

 いくらアオイでも思考がフリーズする。


「これが噂の間接キスですね! シャドウパラディン様の食べかけなら砂利すら美味です!」


 地面に落ちたんだから当然、砂もたくさんくっついていただろう。それをこいつは食べた。王族が地面に落ちたカエルを食べた。


「……お前、あいつらの悪影響受けすぎ。日本人でも稀に見る変態だぞ?」


「ふひっ、も、もっと私を罵ってください」


 レスティの荒い鼻息が腕にかかる。


「その扉の先は後戻りできないから。一方通行だから。あとその恋も一方通行だから」


「さらっとフラれた! でも諦めません! 打たれ強さなら誰にも負けませんよ! なんなら今もちょっと気持ちよかったですし、結婚がだめでも無理やり奴隷になれば……」


「無理やり奴隷になれば……って言葉初耳だわ。言ってることめちゃくちゃだよ? 自覚してらっしゃる?」


 と、アオイが訊いたのと同じタイミング。レスティの電話がバイブ音を鳴らし、この国の紋章が刻まれた電話を取り出す。

 思念で伝達するので声は出さない。レスティが目を大きく開いたりする反応を見るに、なにか重大な案件と思われる。


「大変な事態が起こりました」


「――帝国か」


「さすがシャドウパラディン様! その通りです! 帝国がこの王都に向かって進軍とのこと。王都に侵略される前に対処する必要があり、明日には連合軍が出発します。シャドウパラディン様の連絡係は私ということになっていまして、戦争には私も向かいます」


「なに? 王女が?」


「シャドウパラディン様が行くのに私だけ残れません。これは私の志願です!」


 珍しく、というか久しぶりに真剣な表情に戻り、強く決意するレスティにアオイは感動すら覚えた。


「そっか。ならよろしく」


「私とシャドウパラディン様は同じテントで寝泊まりするので、夜もよろしくお願いしますね!」


「僕の感動を返せ」


 もったいないからこいつにはもう感情を使わないと心に誓い、アオイはレスティと共に踵を返して塔へ向かう。



▶ ▷ ▼ ▽



 明け方、暗闇を引き裂く陽光が出始め、新鮮なおいしい空気を深呼吸で吸い込む。

 生い茂る木々の隙間から東雲しののめを眺め、久方ぶりの緊張感と共にアオイは感慨する。

 あとは、隣で口を尖らせるゼロ距離のくっつき虫さえいなければ完璧だった。


「――聞いてます? 昨日、私に睡眠薬を飲ませましたよね? なんでそんなことしたんですか?」


 不機嫌でもちゃっかりアオイの腕を掴む。さっきから文句と胸を押しつけてくるレスティのせいで、せっかくの感慨が台無しだ。


「王女の子供ですよ? ほしくないんですか? 私はシャドウパラディン様の子供を産みたいんですけど」


「魔獣が来る」


「それならご安心を」


 草むらから飛び出してきた闇い大型犬は、輝く子犬にワンパンされた。


「聖獣がいますから。凶悪化や何十体の群れなら話は別ですが、凶暴化の数体程度は瞬殺です。ましてや一匹なら子犬の威嚇で終わりますよ」


「便利だなぁ」


 今のアオイが使える力は、単純なタイマン勝負では強力だが万能ではない。レスティの称号は羨ましい限りだ。


「私がいるおかげで想定より早く進めているんです。これなら帝国を逆に奇襲してやれますね」


「王女様のおっしゃる通りです。仮面の男、あまり調子に」


「あなたは誰ですか?」


「ハッ、わたくしは王国騎士副団長の」


「で? 一体、誰の許可を得て私たちの会話に割り込んだんです?」


 言い終える前に遮り、静かに怫然する無表情のレスティに副団長さんは顔を青ざめた。


「し、しかし、この者は平民だと」


「だから?」


「だ、だから、王女様は平民を嫌って」


「この方は特別です。あなた風情の尺度で私とこの方を測るのは実に不快極まりません」


「で、ですが、まさか本気で平民と結婚する気ではないでしょう? そのような愚行、国王様がお許しになるわけが」


「私に口出しするのなら、今この場で死にますか? 聖獣ならたくさんいますが」


「――っ」


 副団長の体に輝くヘビが巻きつき、鋭い牙を首に近づける。


「文字通りの毒牙です。噛まれれば苦しい思いをするでしょうが、遅くとも明日の朝方には楽になれますよ」


「しょ、正気ですか王女様! この者は平民なのでしょう! もしや洗脳されて」


「忠告はしました」


「――ッ!」


 首の付け根にヘビが噛みつき、毒が回った副団長は噛まれた箇所を押さえて膝をつく。


「うぐっ……!」


「逆らうあなたが悪いのです」


「ちょい、その人副団長なんでしょ? 戦力削ぐことになるよね?」


「ですがこの私に意見しました。許される行為ではありません」


「それは暴君だ。そういう自己中心的な人間は僕が一番嫌いな」


「どなたか毒を治療できる方はいませんか! 毒蛇に噛まれた者がいます!」


 目撃者多数の中で白々しく犯人が叫び、聞きつけた治癒師が副団長を治す。各国、選りすぐりの精鋭が揃っているだけあり、アオイも驚くほどスムーズに毒は取り除かれた。


「……うっ……」


「今回は不問にしてあげます。シャドウパラディン様の寛大なお心に感謝しなさい」


「そういう態度を改めろって言ってるんだけど……せめて平民嫌いを直してくれたら」


「無事に帰ったら平民と握手します。徐々に慣れていき、いずれ平民に慕われる王女になることを目標にします」


「そうなれば王女様にもチャンスはあるかもね。自分でもわからないけど、もしかしたら結婚する気になる可能性もなくはない」


「本当ですか!? 結婚できる可能性が少しでもあるなら平民と仲良くします!」


「難しいと思うけど、まぁ頑張れー」


 平民を嫌っているだけではなく、平民からも嫌われているのが高難易度。それができるかどうかは本人次第。レスティに気合はあるようだが、平民側が受け入れるかどうか。


「ようやく光明が見えました! 俄然やる気が湧いてきましたよ!」


「それより先に――」


 大地の震動。遅れてやってきた突風。そして――轟然たる爆発音が細胞を震駭させた。

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