第18話 事故現場の記憶がない

 ナツ姉と千花の謎の張り合いから数日が経ったある日。


「先輩、先輩ちょっといいですか?」


 久しぶりに小悪魔が休み時間に教室へとやって来た。

 ここ数日は朝や放課後ももちろん、お昼休みでさえまったく姿を現さなかったのだ。

 小悪魔のあまりにも不自然な行動に、千花から聞いた状況や僕に残っている記憶を加えてさらに疑念を抱くのは当然だろう。


 目立たないように小声で僕を呼んでいるようだけど、そもそもここは2年生の教室で、窓際にある僕の席へ直接来てはあまり意味がない。

 さらに付け加えるなら意外な事に、上級生からの人気はかなり高いらしくこのクラスの男子もそれは例外ではなかった。

 姿が見えるだけで何人かの男子生徒が声をかけようかと、そわそわしている。

 黙ってさえいればかわいいかも知れないけど、中身を知ってる僕にとってはひたすらウザイだけである。


「久しぶりだね。休み時間がもうすぐ終わるけど大丈夫なのか?」


「ぜーんぜん大丈夫じゃないです。なのでお昼休みになったら外階段で待ってます。絶対に来てくださいね。あ、ヤバそれではまた!」


 ……まだ返事もしないうちにミニスカートをヒラヒラさせながら走り去って行った。

 ちょっと待て。よりによって外階段だと!?

 僕が階段から落ちて記憶喪失になった事故現場にわざわざ呼び出すなんて尋常ではない。

 推測ではあるけれど、事故現場に小悪魔は居合わせたはずなのだから。


 ……罠の可能性もあるよな。


 今日のあの冷静な態度と対応は、僕の記憶している小悪魔とはほど遠い。

 僕等のやりとりを見ていたのか、千花が不安そうにこちらを見ていた。心配するのも当然である。

 千花の背中を押した疑いのあるのは、浩一クズと小悪魔のふたりなのだから……


 やがてチャイムが鳴り授業が始まっても、昼休みの事で僕の頭の中はいっぱいだった。


 * * * *


「わたしも付いていこうか?」


 千花が心配そうな面持ちで尋ねてきた。

 ちなみにクラスの中で僕らの今の関係は、別れたけど仲が良かった幼馴染なら記憶のない元カレの世話を焼くのは当然だとの位置づけになっている。

 中には復縁したのでは?と怪しんでいた生徒達にも千花が誤解を解いていた。律儀な奴だ。


「大丈夫だから心配しないで。それこそ千花まで危険な目にでも合わないか心配だから」


 僕にはいま大事なものがある。

 千花とナツ姉だ。

 記憶喪失のフリなどと現実逃避をしているどうしようもない僕を、ふたりは見捨てずに支えてくれているのだ。


「……わかった。でも気を付けてね」


 僕は頷いて学校にある外階段へと向かった。

 緊急時には非常階段として使われるこの外階段はあまり人気がなかった。

 正確にはあえて人気がないようにみんなが装っているのだ。


 僕の通う学校の体育館裏は通学路で道路に面している。

 そのために他の学校や小説などでよくでてくる、体育館裏への呼び出しは目立ってしまうのでほとんど皆無なのだ。


 その為に外階段が『告白する場』として暗黙のルールが成り立っているのだ。

 僕に起こった事故の際は、恋愛関係のもつれで落ちたのではと噂が少なからずあったらしい。

 浩一クズのせいで結局は単独事故として扱われた僕は、足が滑って落ちたしょうもない人になっているので心外である。絶対に許さないからな。


 事故にあった現場に到着するとそこにはすでに小悪魔が待っていた。

 さすがに後からきて背中を取られるのだけは勘弁してほしかったので、ちょっとホッとする。別にレスリングをするわけではないけど。


「あ、先輩おつかれさまです」


 バイトの先輩でもないしお前は業界人か。


「おう。昼飯がまだだから手短に頼む」


「それなら……わたしを食べちゃいます?」


 自分の胸を両手で抱えて持ち上げている。


 ……デカメロンがふたつ……いや失礼。お腹が減って幻覚が見えたらしい。

 平気でこんな事を若い女の子がするもんではない。い、嫌ではないのは男だから仕方がないけど今まで培われてきた人類の本能ってやつは恐ろしい。


「それで用事はなんだよ?」


「久しぶりに会ったのに芸術的なスルーは傷付くのでやめてください!」


 お前からやったんだろ。久しぶりでもやっぱりウザイ。


「先輩の記憶って戻ったんですか?以前のように最近はずっと小松先輩が近くにいるから記憶もよりも戻ったのかと思いまして」


「相変わらず記憶は戻ってない。あの人は幼馴染だから今の僕よりも僕の事を分かっていて世話を焼いてくれてるんだ」


 ……やはりどこかで見張っていたのか?

 しかもいまさら記憶の事を聞いてくるあたり、バレるのを恐れて探りを入れる為に呼びだしたのかもしれない。僕は少しだけ警戒感を強めた。


「そうなんですね。しばらくは一緒にいられたのでちょっと寂しいです」


「僕が学校に来てひとりぼっちの時に、一緒にいてくれてありがとな」


 かなりウザかったけど、心を無にする必要もなく寂しくはならなかった。

 スキャンダルの時だってSNSで真っ向から反論して流れを変えてくれたのもコイツなのだ。


「……わたしなりの償いですから」


「え!?」


 心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。

 いま……なんて言った?

 接点があまりない僕に償う理由なんて、自白しているようなものではないのか?


「ウザがられても付き纏った事です。……なんて冗談です」


 顔は笑ってはいる。笑ってはいるけど小悪魔の本当の笑顔ではない。

 僕に記憶を刻み込ませると、小悪魔はその場から去って行った。


 いったいなにが冗談だったのか。今の僕にはそれを判断する事は出来なかった。

 

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