第10話 佐々木さんの記憶がない

 夕方に両親と用事があるという小悪魔とショッピングモールで別れ、久しぶりにひとりを満喫する。

 考えてみれば自由にゆっくりと人生を過ごす為に記憶喪失のフリをしているのに、まったく楽しめていない。

 病院で目覚めてからの事を考えれば、仕方がないのかもしれないけど。


 楽器店でアコースティックギターを見ている時にスマホがぶるぶると震えだす。


 「あ、氷河くん?わたしよわたし。今日これから少し時間もらえるかな?」


 「あの……わたしわたし詐欺ですか?」


 「うふふ相変わらず面白い子ね。佐々木よ、さ・さ・き。あ、そっか記憶ないの忘れてたわ」


 もちろん佐々木さんだと分かって冗談で言ってみたのだけれど、僕は記憶喪失なのだからシャレにならないかもしれない。ちょっと不謹慎だったので反省しなければ。

 今回の件で佐々木さんには多大な迷惑をかけてしまっているし、執筆活動だって僕のわがままで中断しているのだ。


 「わかりました。では30分後に」


 自宅に戻り10分ほどするとインターホンが室内に鳴り響く。


 『ヤッホー!佐々木です』


 ……この能天気ぶりは間違いなく佐々木さんだ。

 外でふたりで会うのはまだまだリスクが高いし、僕の暮らすマンションはセキュリティーが高いので最善だと判断したのだ。

 締め切り間際のあの時も僕さえ時間に余裕をもって原稿を書いていれば、ここで仕事をしてあんな事は起きなかったのではと今でも後悔している。

 まあその気になればどこにだってマスコミもも現れるだろうからあまり気にしすぎても仕方がない。


 「久しぶりにここに来たけどやっぱりいい景色よねー。高校生のくせに生意気だからわたしも住んじゃおうかしら」


 「見晴らしはいいですね。一緒に住んだらそれこそニュースですよ」


 「アッハッハッハ!そうだねー」


 豪快に笑う佐々木さんだったけど……明らかに以前よりも痩せていた。

 背中まである長い髪を優雅に漂わせ、すらりと引き締まった体にタイトなスーツをカッコよく着こなす正統派美人のキャリアウーマン。


 【 佐々木夏美ささきなつみ 】


 僕は佐々木さんを本当の姉のように慕っていた。

 ふたりの時はいつもナツ姉と呼ぶくらいに。


 中学3年生の頃に小説投稿サイトで応募した作品に目をつけてくれたのが佐々木さんなのだ。

 

 『私があなたを一流にしてみせる』


 応募した作品が落選したにも関わらず、あなたには才能があるからと言って連絡をくれた。その言葉を信じて僕は今日まで一生懸命に原稿を書いた。

 まだまだ未熟な僕に小説の基礎やストーリーの構成、背景の描写など様々な事を一から教えてくれた。

 私生活では元カノと喧嘩した時など愚痴を聞いてくれたり励ましてくれたり……

 食事もカレーばかり食べている僕のために、サラダを作ってくれたり肉じゃがを作ってくれたりとまるでほんとの姉と弟のような関係だったのだ。

 一緒にお風呂入ろうか?と誘われた時はさすがにからかうなと怒ったけど。


 「わたしさ……メモリーの担当はずされるみたい」


 電話ではなぜか氷河と呼ぶ佐々木さんが、いつもの呼び方で静かに話始めた。

 え?あまりの衝撃に言葉も出なければ頭も回らなくなっていく。


 「な、なんで!……アイツの……あの事件のせい?」


 記憶喪失であるはずの僕の口からつい出てしまった言葉にも、ナツ姉は真っすぐに僕の目を見て再び口を開く。


 「それも多少はあるんだけど、編集長に痛いところつかれちゃってさ。お前は作家さん、つまりメモリーとの付き合い方や入れ込み方が仕事上の範囲を超えているって。だから今回のような事になるんだって言われて反論できなかったよ。仕方ないじゃん私の可愛い弟なんだから」


 ナツ姉の表情を僕は全て記憶している。

 事件のせいかと聞いたとき、両方の眉がわずかに上がり下唇に力が入っていた。言い当てられたときにするいつもの仕草だ。

 僕との事を言われた話をしている時に、目だけが何度も上を見ていた。悔しい時にする仕草だ。


 ナツ姉が僕の事を何でもお見通しのように、僕もの事ならなんでも分かる。


 「僕が犯人を突き出せば……」


 「メモリー、わたしはあなたが何に悲しみ絶望してしまってこうなったのかは分からない。でもね、例え担当からはずされようとわたしはいつだってメモリーの味方だよ。あなたが自分自身で悩み決断したのならわたしも一緒に背負ってあげる。だから人を恨み続けるだけの人生はおくらないで」


 ほんとこの人は……


 お人好しって言葉がこれ程似合う人は世界中を探しても他に見つからないだろう。

 祖父が亡くなった時だって、ずっと元カノと共に僕の側にいて一緒に泣いてくれた。僕よりも豪快に泣いてしまい周りがひいてしまうくらいだった事を記憶している。


 僕にもまだ家族と呼べる人がいたんだ……


 気付けばたくさんの涙が溢れていた。

 記憶喪失になって以来初めての涙が。


 ナツ姉が僕の頭を優しく撫でてくれる。

 その手がとても温かい事を心に刻み込む。

 完全記憶能力を使わなくても一生忘れる事はないだろう。


 「僕……決めたよ。また小説を書いてみる」


 「わたしの為だと思うなら無理しないで」


 「ナツ姉の為に書きたい。僕が決めた事なら応援してくれるよね?それと……担当が変わるなら出版社を変えるって編集長に交渉する。それでもダメならナツ姉と専属契約で担当兼マネージャーで雇いたい。どうかな?」


 ナツ姉は黙ったまま頷いてくれた。

 その瞳には大粒の涙が溢れているけど、僕は記憶しようとはせずに天井を見つめながらお返しとばかりにナツ姉の頭を撫でていた。


 * * * *


 決意した内容を編集長に電話をする。

 こんな大事な話を電話で済まそうとしたのは、1分でも時間が惜しかったのだ。


 スピーカーフォンに切り替えふたりで編集長の返事を待っていた。

 この場面で緊張しない人がいるなら見てみたい。口から心臓が飛び出そうとは昔の人はよく言ったものだ。


 『……佐々木も一緒に聞いているんだろ?……良くやった!大金星じゃないか!』


 「「えっ?」」


 頭がついていかない、ついていけるわけがない。


 『わ、わたしをメモリーの担当から外すって……』


 編集長には氷河先生って言わないと


 『あーあれな?お前がうじうじしてなかなか氷河くんに会いに行こうとしないからハッパをかけたんだよ』


 『だって……メモリーに合わせる顔がなかったんだもん……』


 ナツ姉が幼児化している。それほど動揺してるのだろう。


 『だいたい手取り足取り育てたのはお前だろ。まして記憶喪失で全て忘れてる彼に、いろいろ教えられるのはお前以外に誰がいるんだよ?』


 すいません……バッチリ覚えてます。今ガンガン書けます。力がみなぎっています。


 『じゃあいいの?』


 敬語忘れてる敬語、目上の人は敬わないと。


 『当然だろ。さすがに専属契約は驚いたけどなー。いっそ将来の専属契約交わして家族になっちゃえよ』


 な、なにを言ってるんだこの人は!?

 あ、姉弟になれって意味か?

 法律上の話はよくわからないです。

 ナツ姉も何か言わないと、ってあれ?


 「メモリーとけ、結婚?。メモリーと夫婦……」


 『あん?おい佐々木ー?よく聞こえないぞー?氷河くんいったいどうなってる?』


 『あ、佐々木さんは完全にポンコツ化しています。顔が気持ち悪いくらいニヤけてます。勘違いしすぎでさすがに僕も困っています』


 『はっはっは!佐々木ー?氷河くんの事好きすぎだろーお前』


 「あううううう!?」


 もうからかうのやめてあげてー!

 追い討ちをかけられたナツ姉は顔が茹で蛸のように真っ赤っかだ。


 僕と目が合う……

 そしてお風呂場へと逃げ込む。なんだこれ?


 『佐々木さんがあうあう言いながらお風呂場へ逃走しました』


 『アイツもしょうがねーなー』


 全部あんたのせいだろ。


 『でも氷河くん大変だと思うけどこれからもよろしく頼むな。佐々木は君専属って事で契約を交わそう。君達はお風呂場でいろいろ交わしてくれ。さすがにそれはまずいかな?一緒にお風呂くらいまでにしてくれ。じゃあ忙しいからまた今度な!』


 スキャンダルだからそれ。痛い目にあったからそれ。お風呂もアウトだから。

 編集長も適当でアバウトなのを思い出してつい笑ってしまった。


 今日からまた頑張ろう。


 ちなみにナツ姉は1時間してからなに食わぬ顔で背筋をピンと伸ばしてリビングへと戻ってきた。

 

 ……大人だ。

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