第18話

 宝石店ジュエリーショップのショーウィンドウからはエメラルドのブローチにサファイアの指輪、ガーネットとダイヤモンドのついた指輪、アクアマリンのピアス……どれもきらびやかで、高級そうな値段の物だった。


 アンの心には響いてはいなかったが店内に入ると、ある宝石を見つけて彼女の視線をくぎづけにさせた。

 その宝石は自らの瞳と同じ色をしているもので、ずっと見ていたので宝石商がこちらへやって来たのだ。


「お嬢さん、琥珀こはくが好きですか?」

「え、琥珀……はい。わたしと父の目の色に似てるので、つい見とれてしまい」

「そうですか。これはこの辺でも質の良いものなんです」


 宝石商は話ながら、ガラスケースに収まっている琥珀のブローチを間近で見せた。


「わぁ……きれいですね」


 アンは同じように色をした瞳を輝かせて、そのブローチを見つめていた。

 天井の照明に照らしてみると、淡い光がとてもきれいだった。


「そうでしょう? これは珍しいものなのですよ、純度の高い宝石で価格も高いです」


 そのときにアンは父が先程いた古書店を出て、こちらに来るのがショーウィンドウ越しにやって来た。

 自分と同じ琥珀色の瞳は娘を見つけると、急い店へと駆け寄って来た。


「すみません、娘がこちらに来ていると」

「えぇ。ちょうど色んな宝石のなかでも琥珀に興味深く見ておられましたので、琥珀について教えておりました」


 ウィリアムは照明に照らされ、きれいな色で輝いている琥珀のブローチは魅力的に見えた。


「そうでしたか。きれいな色の琥珀ですね」


 父娘おやこでまじまじと琥珀のブローチを見つめる姿を見ながら、宝石商はウィリアムに話しかけた。


「お父様は商売をやられているのですか?」


 身なりを見て商人がロジェ公国へやって来たのかと思っているようだ。


「いや……家族旅行です、これからホテルに戻る前に寄ってみただけです」

「そうでしたか。わたしにもお嬢さんと同い年くらいの娘がおりますので、なかなか旅行には行きにくいものですよ」


 宝石商にも似た年頃の娘がいるらしい。

 それを聞いて父はホッとして、共感できる話題が生まれたようだ。


「あぁ。この年頃の娘さんは難しいですよね。娘は全寮制の学院に通ってるので、会えるときは大切にしています」


 アンはショーケースにしまわれたブローチをずっと見つめていた。その瞳もキラキラと輝き、少しも目を離さずに見ていた。


「アン。それ、気に入った?」

「え、うん。でも高いよね……」


 このブローチはかなり高額で、それは大陸間横断列車『Stella号』の一等客室の料金に相当する金額だった。


「うん。あきらめるしかないよな……」


(だよね……)


 そのとき、宝石商は思い出したように値札を見て修正を加えた。


「このブローチ、あまりにも売れなくて格安にしていたんです。この値段でどうでしょうか?」


 宝石商が見せた値札は先ほどの値段よりも破格の安さになっていた。


「え、いいんですか!? こんなに安く……」

「いいのですよ。安くするのは今日からなので、気に入ったのなら買ってもらう方がこの宝石も幸せです」


 ウィリアムはそのブローチを指差して、財布を取り出した。


「じゃあ。この値段で買います。アン、これで大丈夫かい」

「うん。これはとても大切にするよ」

「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」

「こちらこそありがとう。また」


 ブローチの代金を支払い、すぐに宝石店をあとにしてホテルへと向かった。



 ホテルにチェックインすると、アンはウィリアムの部屋にやって来た。


「アン、準備ができたのか?」

「入ってもいい? お父さんは大丈夫?」


 アンをすぐに部屋に入れると、彼女はソファに座り旅券パスポートを懐かしそうに見ていた。

 開いていたのは各国の入国審査後に押されるスタンプで、彼女は大陸の大国をはじめとする色んな国々へ旅に出た。


「色んな国に行ったんだ。こんなにページが埋まってるからね」

「そうだな……アンが色んな国の人形と本とかを欲しがってたな」


 アンの部屋にはローマン帝国で作られた人形や、フェーヴ王国の古くから伝わる物語を集めた本とかが置かれてある。毎年、旅行に行ったときに買ったりしていたものだ。


 戦後処理が落ち着いて一緒に暮らし始めた五歳の頃から、ウィリアムは休暇を使って色んな国々に旅行へ行った。


「懐かしいな。アン、酒は飲む?」


 アンにワイングラスを渡そうか、ウィリアムは若干悩んでいた。


「一口くらいなら……飲む。酔ったら、やめるよ」


 彼女の前にワイングラスを置き、ウィリアムは栓の空いたワインボトルから注ぐ。


「これくらいでいいかな。どうぞ、アン」


 成人をしてからアンは全く飲酒はしていなかった。学院生活も続いたりしていたため、ウィリアムと共に飲むこともなかった。


「学院にいるときは全く飲酒はダメって感じだから……罪悪感すごいんだよ」

「たまには飲んでもいいよ。休みときは……大丈夫だよ」


 アンとウィリアムはグラスで乾杯をし、ワインを口にする。


(初めて飲むのに不思議……)


 彼女が初めて飲んでいるのに、少し不思議な表情で首をかしげている。


「やっぱり、これにしておいて良かった」

「え、いつの間に選んだの?」


 アンはそのままウィリアムを見つめる。

 彼はうなずくとボトルを娘に見せた。


「これはアンが生まれた年のもの、十八年もののワインを頼んだんだ。味も独断で決めたけど、良かったみたいだね」


 アンはうなずくとグラスに残っているワインを飲むと、だんだん彼女は酔いが回ってきたみたいで顔を赤くしている。

 もう酔っているのかもしれないので、彼女にワインを飲ませることを止めることにした。


「アン。そろそろ飲むのはやめようか?」


 ウィリアムは彼女の持っているグラスを取ろうとしたときだった。


「お父さん……もう少し、二人でいる時間がほしい」


 アンはうつむいたまま話し始めた。

 普段、こういったことは言わないので驚いていた。


「え……アン。どうした?」

「ずっと家に戻っても、遅くに帰ってくるときは仕方ないけど……休みの日は一緒にどこか出かけたりしたいよ」


 それはアンの心のなかにしまっていた本音だった。


「お父さん、軍隊にいるのは知ってるけど……もしも……いなくなったら、うち一人になっちゃうよ。無理しないでよ?」


 ウィリアムはアンが言いたかったことがわかった。

 彼女が顔を上げた。頬を赤くしていて、自分ウィリアムと同じ琥珀色の瞳は涙で潤んでいた。


「もっと一緒にいてほしいって言えなくて、ずっと我慢してた! お母さんのことも……たぶんつらいと思うし」


 アンの言葉はおそらくずっと言いたくても言えなかったことだと、ウィリアムは聞いていて感じていた。


(ずっと我慢させていたんだな……)


「アン」


 ウィリアムは彼女のもとへ歩み寄る。そして肩に手をそっと置き、目線を同じになるように片膝をついた。


「お父さん……? どうしたの。いきなり」

「アンにはとても我慢させていたのは、本当にごめんね」


 その言葉でアンは抱きついて、ウィリアムは姿勢を崩して後ろを座り込んだ。


「お父さん。ありがとう……ずっと元気でいてね」


 ウィリアムは娘の言葉に胸から込み上げたものをこらえきれずに、ぎゅっと閉じた目からは涙が溢れてアンを抱きしめた。


「アン……? そろそろ部屋に戻りなさい、明日は昼にはここを出ないといけないからね」


 ウィリアムは彼女を部屋へと戻して、自分は残りのワインを飲み干して眠りにつくことにした。


 一方、アンは寝間着ネグリジェに着替えてから、ふわふわとした感覚のままベッドへと潜った。


 ロジェ公国の夜は夏に近づいていても寒くなり、毛布を掛けておかないと風邪を引いてしまう。


 彼女はすうっと深い眠りへと落ちていった。

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