第15話

 ウィリアムが思い出したのは、戦争の終結を意味したこの砦に突入したときだ。


 当時ウィリアムは二十七歳で大尉、突入するときの後衛部隊の隊長。一方で妻であり部下のハナは二十六歳の少尉で前衛部隊でも先陣を切ってく部隊にいた。


 突入した際に妻の姿を見ることができた。


 ハナは勢いに乗ってすぐに難しい魔法攻撃を組み上げ、すぐに一気に敵への攻撃を止めない。

 戦場に四年ほど遠ざかっていたとは思えない動きで、激しい戦闘も何も気にせずに戦っているようだ。


「後衛、突入せよ」


 指揮官の声が聞こえたときにウィリアムはすぐに走り出し、銃剣を片手に敵を倒していく。


 砦の入口では銃弾が雨のように降ってきて、彼は銃弾で掠り傷ができている。


 ウィリアムはすぐにある程度の範囲で爆破できる攻撃魔法を仕掛け、すぐに大砲の音が聞こえてきてから再び走っていく。

 入口からはものすごい人数がやってくるので、ウィリアムは砦の庭園から射撃を望もうとしたときだ。


 前方から次第に逃げてくる兵士たちが増えてきているのが見えた。

 しかもかなり血相を変えてきているのは前衛部隊にいた者たちだろう。


「まずい。爆破攻撃が始まるぞ!」

「全員退散せよ! 早く!」

「前衛部隊が下がってきた、早く戻れ!」


 退避を選んだ南軍はすぐに攻撃から撤退の行動へ動きを変えていく。

 ウィリアムも部下たちへすぐに支持を出したが、彼はそんなことよりも不安なことがあった。

 すぐに部下たちの多くいるトンネルのもとへと向かうと、月明かりが漏れて出口が見えてきたときだった。


(ハナがあっちに……早く戻れればいいが)


 そのときに至近距離で爆発音が聞こえ、トンネルにいたウィリアムは爆風に吹き飛ばされて地面に叩きつけられてしまった。


 叩きつけられたときの痛みは大きかったが、頬や手には傷がいくつもできて血が出ている。


 そのときに砦の建物のから白旗が上がり、南軍の多くの兵士が雄叫びをあげていたときだった。


 先程の爆破は最後の抵抗のように思えたが、それもウィリアムには虚しく見えた。


 そのなかでウィリアムはその倒れた兵士のもとへと駆け寄ったとき、思わず息を飲み言葉を失って急いで膝をついた。


 血と泥で染まり始めているモスグリーンの戦闘服、ヘルメットが跡形もなく無くなっているので髪も見えた。


 それは長く、闇夜のような漆黒、それを緋色の髪色で結われていた。


 思わず軍人であるのを忘れて、すぐに彼女のもとへと向かう。



「ハナ‼」



 そっと頭を持ち上げて抱き上げると、かなりの出血がすでに出ているようで手が血で染まってしまった。


「しっかりしてくれ。ハナ。治癒魔法、かけるから」


 なかなか治りにくくなっていたほどひどいけがをしていた。

 彼女は意識がまだはっきりしてるのか、ウィリアムの手を握ってきたのだ。


「ウィル……やめて、お願い、だから」

「ハナ、それはダメだ」


 ウィリアムはそっと彼女を抱き上げて、意識が持つ間に医療班へ運んでいく。すでに彼女は目をうっすら開けているような状況だった。


 彼はそんな彼女のそばを離れることはなく、医療班のもとへと向かった。



 野営地に設置された南軍の野戦病院のベッドに寝かされたハナは手当てを受け、血の気の無い青白い顔で眠っているのが見えた。

 医官は一番ハナと仲の良い女性で、もう彼女の容態もわかっている。


「アンダーソン大尉、サクラノミヤ少尉はもう助かる見込みが」

「わかってる。もう、二人きりにさせてほしい」

「わかりました。何かあったら!」


 すぐに医官はすぐに走って他の患者のもとへと向かった。


 もう最終決戦から一夜明け、彼女の意識が混濁しているのか、目をうっすら開けてこちらを見ている。


 それを見たウィリアムはそっと彼女の手を握っていた。

 少しでもぬくもりを分けていきたいと思っていたのだ。

 それに応えるようにそっと握りしめてくれる、それにウィリアムは言葉をかける。


「ハナ、一緒にアンのもとに帰ろう」

「アン……愛してる……帰り、たい。早く」

「すぐに帰れるって。上官にも伝えてあるからな」

「うん……」


 弱々しく聞こえてきたのは幼い娘への謝罪と愛を自分の命を削ってまでも言おうとしていた。


 その現実が来てほしくないと願うウィリアムはその言葉に涙が溢れてきた。

 覚悟はしていたどちらかが、もしくはどちらも戦場で命を落としかねないと。


 でも、愛する人が目の前でこのように命が尽きてしまうことが、こんなにも怖いのは初めて知ることになってしまった。


「ハナ、朝には出発だよ」

「ウィル……」


 そっと彼女は優しく語りかけてきた。

 重傷を負ったハナは穏やかで柔らかい表情で、自分の命が減ってきているのを悟っているのかもしれない。


「あなたは……生きて、あの子と、一緒に、生きて」

「そんなことを言うなよ! アンのところに帰ろう」


 彼女の命の灯は消えかかっている。

 ベッドの彼女の近くに膝をついて、ウィリアムはそっと顔を近づける。


「これだけ、聞いて……」


 ハナはそっとウィリアムの頬を手で包み、話しかけてきた。


「死んだら、髪をアズマの、桜の下に」

「うん。わかった」

「ウィル……愛し、てる」


 彼女の言葉を聞いてそっとキスをする。

 そっと顔を離すと、とても穏やかな笑みを浮かべているのが見えた。


「また、見つけ、てね」

「ハナ……約束する。見つけたら、結婚して、幸せになろう」


 優しく手を握り、そのままハナは一度目を閉じた。



 突入した最終決戦から一日、夜明けと共に彼は最愛の妻を看取った。

 彼女の表情は穏やかで眠っているようで、微笑んでいるような表情をしている。


 医官の診断を基にすぐに彼女の死亡届が作られた。


 戦地からすぐにアズマ国にいるハナの家族に亡くなったことを伝え、アンと共にエリン=ジュネット王国に帰国した。


 移動の間で寝ることができたが、上手く気持ちが処理できずにいた。



 土と泥、血で汚れ、硝煙と血の匂いが残る戦闘服のまま帰ったので、ハナの両親は理解したのかそっと優しく迎えてくれたのだ。


「ありがとう。あなたが看取ってくれたのね」

「は、い。お義母さん」


 義母の腕に抱かれたアンはまだ状況を理解できていない、まだ三歳の娘に残酷なことを伝えなければならない。

 少しためらっていると、娘は義母から下りて自分のところへやって来たのだ。


「アン……おいで」


 アンはいつものように首に抱きつくと、すぐに疑問に思っていることを言った。


「おかあさんはどこにいるの、おとうさん?」


(この子はまだ、わからないんだ……)


 ウィリアムは無言で彼女を抱きしめて、目を合わせてちゃんと伝えることにした。


「アン……お母さんは」


 そこに安置された棺のなかでハナは眠っていた。

 まだ寝ているだろうと思っているのか、アンはいつもの自分にしてくるように起こしている。


「おかあさん? おきてよ。ねぇ、おきて」


 すぐに起きるように棺で眠るハナの頬を触れて、そこに温もりを感じないことを覚えた。

 それを感じて驚き、大きな声で泣き始めていた。


「おかあさぁぁん、おきてよ、おかあさん!」

「アン……お母さんは天の国に行くんだよ。最期にお別れするんだよ」


 そんなことを理解できないが何度も声をかけても目を開けないハナを、泣きながら起こそうとしているアンを見てウィリアムは初めてハナが亡くなってから涙を流した。


 ウィリアムは体を洗ってアンと写真を撮ったときに最後に着た紫紺の陸軍の礼服に袖を通した。

 そして左腕に喪主を表す黒のリボンを巻き、髪型を整えてからハナの家族とアンを出迎えた。


「ウィルくん……ハナと一緒に戻ってきてくれて、感謝しきれないよ。ありがとう」


 義父の言葉に驚いき、再び涙が込み上げてきた。


「そんなこと、ないです……ハナを、娘さんを生きて帰せなくて……ごめんなさい。お義父さん、お義母さん、ユキさん……アン」


 ウィリアムは崩れるようにその場にうずくまって、まるで子どものように泣いてしまった。


「ハナは、あの子は幸せだったと思います。あなたがいてくれて、あの子は戦場でも生きてこれたの」


 義母も泣きそうになりながら、ウィリアムをそっと抱きしめて話してくれた。





 ハナの死から一年半が経ってから第二次大陸戦争が終わりを告げて、南北の友好条約が制定された。


 でも、ウィリアムが妻に亡くした喪失感が大きかった。


 それは十五年経っても、まだ心にぽっかりと穴が開いたような気持ちであった。

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