洗浄機・扇風機・信号機

 高圧洗浄機を片手に政弘まさひろは立ち尽くしていた。

 いったい何がんだというのだ。だれか理解できるように説明してくれ。そう願わずにはいられない。

 依頼されたのは車の洗浄作業だ。梅雨の時期に汚れてしまった車をキレイにして欲しいとの依頼を受けて。暑さが増す日中。となり駅から、高圧洗浄機を担いでわざわざこの依頼先までやってきた。

 依頼人は優しそうな老夫婦だった。歳を取るとこんな作業も億劫でね。でも、キレイな車に乗り続けたいじゃない。そうにこやかに笑うおばあちゃんは次はどこに旅行しようかしらと、楽しそうにしていた。

 やってやりますよ。仕事ですし。そう思いながら、自前の高圧洗浄機を手にして自慢げに見せた。

 あー。この前、通販番組で見た気がするわ。汚れがよく落ちてた。それがあるなら、安心ね。

 いちいち反応していただけるのは助かる。無愛想な客だと、それ。やっといて。じゃ。くらいしか言葉を交わすことがないこともあるので、やる気が削がれるのだ。

 車を動かして貰い、車庫から少し開けた庭に出して貰うと。水道を借りてホースを繋ぐ。高圧洗浄機のスイッチを入れると勢いよく水が飛び出してきた。

 順調に作業を終えたので、老夫婦を呼んで確認してもらう。

 あら、早いのね。あらあら、ここがまだ汚れているわよ。もう一度お願いね。

 そう、さらりと告げるおばあちゃんにおじちゃんが頷く。

 おや?と思わないでもない。しっかりと確認はしたはずだった。しかし、依頼人の言うことだ、かしこまりましたと告げるともう一度作業に取りかかる。

 今度はしっかりと確認したし、もう大丈夫だろうと、もう一度ふたりを呼んだ。

 しかし、おばあちゃんはここにまだ汚れがあると。先ほどとは違う場所を指差してきた。

 おかしい。先ほどはなにも言わなかった場所だ。もしかしたら意地悪されているのかと思わないでもないが、依頼人の言うことだ逆らわずに、再び作業に取りかかる。

 すると中からおばあちゃんが出て来た。手にはなにかもっている。

 暑いでしょ。扇風機持ってきたから使ってちょうだい。そう言って扇風機を置いていってしまった。

 外で扇風機を回すのか。確かに大きいものなら送風によって多少は暑さの対策には良さそうだが、どこからどうみても室内用の大きさだ。

 親切心を無駄にするのもなんなので、電源コードを差し込んで風力を最大にしてみる。

 確かに風は感じられる、しかし送られてくる風は熱く、気分が良いものではない。

 あれか。これも嫌がらせなのか。いや違う。この高圧洗浄機で濡らしてやれば少しは冷たい風が吹くのではと思った。

作戦は功をそうしたらしいが、根本の解決には至っていない。どうやら、おばあちゃんは汚れを落としてほしいだけではないのではないのか。扇風機を使って何かをして欲しいのかもしれない。しかし、いくら考えても思い浮かぶ考えでは違うとしか思えずに老夫婦を呼ぶのを躊躇ってしまう。

 扇風機と高圧洗浄機を足してみたらどうなのだろう。煮詰まりきった結果、よくわからない考えに至った。

 扇風機の後ろへと回り込むと、回転する扇風機に向かって水を当ててみる。羽に当たって拡散する水は霧の様に車に当たり始める。直後。当然の様に扇風機が水圧に耐え切れずに倒れた。

 そうだよな。

 そうなるよな。

 するとおばあちゃんが何かを持ってできてきた。

 今度は信号機だ。だれがなんと言おうと信号機だ。道路にあるやつを縮小したものにしか見えない。最新のLED型だ。大きさがおばあちゃんが持てるくらい。てっぺんが2mくらいの位置にある信号機をひょいと持ち上げているおばあちゃんが、近くへと置いた。

 そして黙って戻って行ってしまった。

 これには立ち尽くすことしかできない。

 信号機は赤を点灯したまま動かないでいる。それに合わせるわけでもないが、立ち尽くす。

 しばらくして、茫然としていても始まらないので、仕方なく高圧洗浄機で車を再度洗い始める。すると、信号機が黄色に変わっていた。水を止める。赤に戻った。

 ん?あれを青にすれば仕事は終わりなのか。そう思うと希望が湧いてくる。

 信号機をちらちらと確認しながら、洗浄を続ける。

 最初はコツがつかめずに黄色と赤色を行ったり来たりしていたが、徐々に法則が分かってくる。というか、信号機が何を感知しているか知らないが、洗浄を続ける明らかに黄色にいる時間が長くなる場所があるのだ。

 その周囲を入念に洗浄してく。これが時間のかかる作業だった。いつまでたっても黄色から青に変わろうとしない信号機にイライラしながらも、これだけが仕事を終えることのできる可能性だと信じて続ける。

 目に見えない汚れがあるのか。

 この汚れは落とすべきものなのか。

 余計なことばかりが頭をめぐる。

 そうしてその瞬間が訪れる。

 ついに信号機の色が青に変わったのだ。なんともいえぬ達成感が体中を駆け巡り、おばあちゃんがいるであろう家の方をむく。

 そこには笑顔でいっぱいのおあばちゃんが立っていて、これでようやく解放される。と気分が高揚する。

「あとはワックスがけをよろしくね」

 そう言ってもう一つ信号機が出てきた。今度は歩行者専用のものだ。

 さっきより簡単だといいな。そう思いながらも正弘はしばらく立ち尽くすことしかできなかった。

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