Ⅱ.グリード・グリーティング

1.嗤う大鴉

 月の下を、一羽のカラスが飛ぶ。


 カラスは徐々に高度を下げ、やがてある豪華な建物の一室へと入った。

 花瓶や絵画などの高価な調度品の中を、カラスは低空で飛行する。

 そうして――一枚の絵を鑑賞する女の肩に留まり、くるくると低い声で鳴いた。


「……なるほど。ベリアルが来たのですか」


 絵に視線を向けたまま囁き、金髪の女は黒絹の扇子で口元を隠した。

 少女のような容貌をした、小柄な女だった。

 髪は肩に触れる程度の長さで、よく手入れされている。

 白いブラウスとスカートという品の良い装いで、腰には宝石を連ねたベルトが輝く。その上から、黒い羽根飾りがうっそりとついたケープを被せていた。



「そして見失った、と。これは困りましたね。あの合成着色料みたいな髪の色をした女は、全てを台無しにすることにかけては天賦の才を持っている」

「……ほ、他の悪魔が来たのか?」


 窓際で、シャンパングラスを傾けていた黒髪の男が振り返った。仕立ての良いスーツに身を包み、ネクタイにはダイヤのタイピンを着けている。

 いかにも富豪と言った姿だが、その表情には富める者の余裕はない。


「まさか、誰かがオレ達の邪魔をしに来たのか? だ、大丈夫なのか」

「大丈夫。怯える必要はありませんよ、ジョイス。貴方には、わたくしがついています」

「だ、だが、他の悪魔が来たんだろう? 本当に――」


 不安を紛らわせるようにして、ジョイスはシャンパンを一気に煽った。

 そうして視線を金髪の女へと戻したが、そこには誰もいない。


「――何が不安だというのです?」


 青ざめた顔でジョイスが振り返る。

 いつの間にか、金髪の女はその背後に立っていた。


「いかなる危難も、もはや今の貴方には届かないのに」

「こ、怖いんだ……ま、また、あのクソッタレな暮らしに戻るんじゃないかと――」


 パチンと音を立てて、金髪の女は扇子を閉じた。

 その音に、ジョイスは情けない悲鳴を上げて顔を庇う。それをよそに女は黒い手袋を嵌めた手を軽く上げて、見えない何かをくすぐるように指先を蠢かせた。


「ほら、ジョイス……金ですよ」


 身を縮めていたジョイスは、顔を上げた。

 金髪の女の掌に、黄金の輝きが生じている。泡立つようにして生じたそれはすぐに女の手には収まりきらないほどに膨れあがり、床へと零れ落ちた。


「き、金……! 金だ……!」

「この通り、わたくしは黄金の錬成を体得しています。わたくしの他には、神しかこの力を持たない。……そう、わたくしは地上においては神にも等しい存在なのです」


 金に飛びつくジョイスを見下して、金髪の女は再び扇子で口元を覆った。

 女の片手からは、まだ金が溢れている。血相を変えたジョイスはその一つ一つを集め、砂粒ほどの大きさのものまでもをポケットへと詰め込んだ。


「ジョイス、何も恐れる必要はありません。全てわたくしに任せれば良い。契約通り、今の貴方はなんの危険にも脅かされることなく、大富豪としての生涯を送ることができる」

「ほ、本当か……本当なんだな……本当におれは大丈夫――!」

「――同じこと何度も言わせないで欲しいんですけど?」


 瞬間、床に這いつくばっていたジョイスは凍り付く。

 かたかたと震えながら見上げた先で、冷えた金の瞳が彼を見下ろしていた。


「大丈夫って何度も言ってるんですけど? 無駄なやり取りはしたくないんですけど?」

「デスケド! デスケド!」


 女の肩の上で、カラスがばさばさと翼を羽ばたかせる。

 黄金を握りしめたまま、ジョイスは青ざめた顔で首を横に振った。


「す、すまない……だ、だから、だから殺さないでくれ、頼むッ、死にたくない――ッ!」

「殺しませんよ。契約に反するでしょう――ラウム、マルファス」


 部屋の明かりが大きく揺らいだ。

 次の瞬間、女の背後に二人の男が現われた。ストライプのスーツを着て、中折れ帽子を被ったその姿は、まるで映画に出てくるギャングのようだ。

 しかし、どちらもペスト医師のような鳥形のマスクで顔を隠しているのが異様だった。

 男達はそれぞれ、金のプレート飾りがついたタイを襟元に締めている。

 片方のプレートには『R―40』、もう片方のプレートには『M―39』と刻まれていた。


「ベリアルを探しなさい。発見次第、わたくしに伝えること」

「イエス、ボス」


 明かりが揺らぐ。その一瞬で、もう悪魔達の姿は消えていた。

 しかし怯えたジョイスはそれに気付かず、頭を抱えたまま床に這いつくばっていた。

 震える男を見下ろして、金髪の女は扇子の陰で唇を吊り上げた。


「恐れることはありません。――地上において、このマモンに敵はない」

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