第10話 酒場

 外はだいぶ暗くなってきたが、それが余計酒場から漏れる光を明るく感じさせた。

 時折聞こえる野太い笑い声が、店内の騒々しさを教えてくれる。


 アルとレネオは酒場の前で緊張して立っている。

「レネオ。お前この店に入ったことあるんだっけ?」

「いや、ないよ。いつもモーブルに来るときは部屋で食事してたから……」

 

 二人とも酒場で食事するのは初めてだった。

 ザレア村には酒場どころかお店は何一つなく、外食するという習慣が少ないのだ。


 アルは何度か親と他の町を訪れたこともあるが、宿屋で出される食事をしたか、どこかで購入したものを部屋で食べていた記憶があった。


 レネオは祖父と出かけたとき、食事のできるお店に入ることもあったが、目の前に見える酒場のようなところではなく、子供連れの家族が行くような落ち着いたお店だった気がしていた。


「怖気づいても仕方ねえ。入るぜ、レネオ」

 アルが意を決したようにそう言うと、木で出来た扉をゆっくり開けた。


 中から光と共に酒の匂いが溢れ出てくる。大人の世界の匂いだ。

 アルは押し戻されそうになっているのを隠すように、すました表情で店に入っていった。続いているレネオは、不安な表情が現れている。


「あら、見ない顔ね。いらっしゃい」


 お店の者と思われる中年女性が二人に近づいてきた。

 三角巾を頭に被り、空いたグラスを手に持っている。下げる途中で来客に気付いて近づいたようだ。


「ずいぶん若い冒険者さんね。お酒は飲めるのかしら?」

 その女性は二人の姿を見上げながら、二人に聞いたのか独り言か判断できないような言いかたをした。


「わりぃ、俺たち十五歳だからお酒は飲めねえんだ。食事だけしに来た」

 女性は二人の表情を見てから、笑顔で、

「まあ。歓迎するわ。あそこのテーブルが空いてるから、座って待ってて」

 と言いながら端にあるテーブルを指差し、店の奥に戻っていった。


 アルとレネオは言われたテーブルについて店内を観察すると、想像していたよりガラの悪い雰囲気ではないことが分かり安堵した。

 冒険者のような恰好をした者はいない。旅人のような服装を何人か見かけるが、あとは近所に住む町民なんじゃないかと思った。ザレア村の人たちと似たような空気を持っている。


「お待たせ。何食べてみる?」

 さきほどの女性が戻ってきた。

「あっ、えっと……」

 お店で食事をしたことがないアルは、何を食べるかと言われても料理の名前なんて知らなかった。


「僕たちこのお店初めてなので、何かお勧めをください。お酒は飲めないのでアルコールの入ってない飲み物も二つ」

 いつの間にか店の雰囲気に慣れたレネオが、狼狽ろうばいしているアルを制止して冷静に注文した。


「お任せでいいってことね。分かったわ、待っててね」

 クスッと笑うと、女性はまた店の奥に戻っていった。


「レネオ、助かったぜ」

 アルが言うと、

「僕もお爺さんの受け売りだけどね」

 とレネオは笑顔を見せた。


 二人は改めて店内を見渡してみた。

 顔を真っ赤にしてバカ騒ぎしているテーブルもあれば、一人静かに飲んでいるテーブルもある。

 騒がしいと言えば騒がしいが、嫌な気分ではなく楽しくなるような騒がしさだった。

 一日の疲れをこのお店で洗い流すかのように、皆笑顔で飲んでいる。


「いいお店だよな、ここ」

 ふいに男が声を掛けてきた。


 アルとレネオは思わず目を合わせると、男を見直してみる。

 どうやら隣のテーブルに一人で座っていた男のようだ。


 年齢は三十歳ぐらいだろうか。背はアル達より低く身体の線も細い。この辺では見たこともない柄の服を着ていたが、人懐っこい笑顔のこの男には似合っている気もアルはしていた。


「悪い悪い突然。オレは旅の者でさ。この町に来たのは今日が初めてなんだ」

 男は自分のグラスを持ったまま、無遠慮にアル達のテーブルに座って、


「二人は冒険者? 少し話してもいいかい?」

 と楽しげに話しかけてきた。


 二人は再度、お互いを見合わせる。

 そもそも色々な人の話を聞くために酒場に来たので、これは思ってもない機会だった。


「はい、ぜひお願いします」

 レネオはそう言って、隣にあるザレア村から来たこと、冒険者になるためにウォルテミスを目指していることを話した。


「そっかそっか」

 男はそう言うと、彼の話を語りだした。


 彼は国境の町エンタベリーからやってきた旅人だった。

 生家は商いをやっていて、国境というのものあり他国から物を買い、国内で売って生計を立てているようだ。

 アルは『交易』という言葉を初めて耳にし、感心しながら男の話を聞いていた。


「今回は、このウォルテミス地方で商売ができるもんか、調べに来たってわけよ!」

「おお、そうなんだ! すげえ!」


「では、ウォルテミスにはもう行かれたんですか?」

 レネオは、子供のように好奇心むき出しのアルとは違い、何か役立つ情報はないかと冷静に尋ねた。


 男は次の町バロスビーやウォルテミスについて、酒の力も借りてか饒舌じょうぜつに語ってくれた。

 大半はブライアンから聞いていた内容ではあったが、町で流行っていることや物の値段、宿や酒場の相場なども調べているところが、さすが商人だとレネオは感じた。


「あとな、きみ達ウォルテミスに行ったら、貴族とハイアーク教には関わるんじゃないぞ」

 アルとレネオを順番に指差して続けた。

「冒険者になったらクエストをやるようになると思うけど、その二つが関わってないことだけは確認するんだ。関わってもロクなことない」


 貴族に関わるなとはブライアンにも言われていた。

 ザレア村出身の二人には宗教についてはピンと来なかったが、その話をするとき男から笑顔が消えていたので、ハイアーク教は覚えておこうと思った。


 料理が来た後も男は席に居座り、途中から他愛もないような話題ばかりだったが、アル達の代金も支払い、「ありがとう、楽しかったよ」と言って帰っていった。


 二人にとっても楽しい時間だった。

 ブライアンが初めて村にやってきた時のように、新しい出会いは彼らを刺激した。

 まだ出発して一日目だったが、アル達は充実した気分で夜を迎えた。

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