大混乱! 真昼の精器は誰のもの!?【1】

 カーテンの隙間から漏れた陽の光を浴び、真昼は目を覚ました。

 正面には見慣れた自室の天井。見間違えることのない白い壁紙が視界の大半を占めた。

 何故自分が家で寝ているかは分からなかったが、記憶が全く無い訳ではない。それどころか自身の変化も異世界にワープしたことも、カニの怪人と戦ったことも覚えている。あれだけの痛みだ。忘れる方がどうかしている。

 上半身を起こし右手をズボンの中へと突っ込んでみる。知ってはいたがやはりあるべきものがなく、これが現実なのだと思い知らされた。

 嘆息し、次はベッドから出ようとする。と、


「痛ったたたたっ!」


 筋肉が裂けてしまったのかと錯覚するほどの痛みが足に走り、再びベッドマットレスに飲み込まれた。


「何今の……。めっちゃ痛かった」


 あまりの痛みに目尻に涙が浮かんだ。

 怪人に痛めつけられた箇所は特別何かを感じることはなかったが、それにしても両足の筋肉へのダメージが大きい。全く動かせないほどでは無く、ほんの少し動かしただけで刺すような痛みがした。


 困った。起きたのに布団から出れない。


 まるで冬の休日の朝のような気持ちになる真昼。無論気温が原因ではなく下半身が動かせないだけなので、少しばかり心に余裕はあった。

 ひとまず目覚まし時計で現在の時刻を確認しようとした時である。


「真昼くん! 真昼くん真昼くん真昼くん真昼くん!」


 部屋の外から血相を変えた母が飛び込んできた。

 彼女に勢いよく抱きしめられると、再び足に電流が走った。


「あったぁ!」

「あ、ごめんなさい! 私そんなつもりじゃ」

「うんん、大丈夫だから。ボクは大丈夫だから、落ち着いて」


 痛みを堪え、荒ぶる母を宥めながら前に押しやる。

 泣きそうな母親の表情を見ていると何故だか無性に生への実感が湧いた。


「意外と大丈夫そうじゃねーか」

「その声。アケボノ!」


 母の背中に張り付いていたのだろう。ぬいぐるみがにゅっと母の首横から現れた。破れた腹部は綿が飛び出たままだった。


「アケボノも生きてたんだ。良かったぁ」

「おかげさまでな」


 態度は素っ気ないが、心配してくれている雰囲気は伝わってきた。そうでなければ小宵にしがみついてまで話に来たりはしないだろう。


「そっか……。破れたお腹、後で縫ってあげるね」

「あー、ああ。頼む」

「む。私が縫って上げるって言っても断ってきたのに真昼くんなら良いんだ」

「まーその、何となくな」


「むー」と不貞腐れる小宵に対し、何処か照れくさそうにアケボノは頬をかいた。

 そんな居たたまれそうなアケボノに対して真昼は手助けを出す。


「ところでよくボクが起きたって分かったね」

「それは――」

「それはこいつとお前が繋がっているからだろうな」


 アケボノの台詞を掻っ攫うように新たに自室へと入ってくる人影が。それも二つ。


「夜兎!」

「おはよう、真昼」


 一人は親友の常夏夜兎だった。散々教師から灰色の髪を注意されているが、一切気に掛けない変わり者の幼馴染み。だが、人柄が良く大体の人間には優しかった。特に真昼には。

 しかしながら、夜兎の後を付いてきた女性には心当たりがなかった。真昼とは異なる高校の制服を纏っており、外見は何処か野暮ったい。ただ、センスを感じられない黒縁の眼鏡やスカート丈の長さから鑑みると、わざと田舎臭さを演じているようにも思えた。

 しかし、入室する際小さく会釈をしたことから最低限の礼儀は持ってるようだ。


「身体は大丈夫か?」


 許可を取らずに部屋の隅から座布団を二枚引っ張り出しながら夜兎は言った。遊びに来ている回数が回数なので、真昼のみならず小宵が突っ込むことは無かったが。


「足が猛烈に痛いこと以外は平気」

「ウィルフェースで変身した後、慣れないうちから足を酷使したせーだな」

「そこは仕方ないな。生きてただけで御の字だ。お、これ使いな」


 夜兎は朝美専用となっていた座布団を少女に手渡すと、家主のようにどっしりと胡坐をかいた。続くように少女も座る。但し夜兎のような胡坐ではなく正座だった。


「紹介するよ真昼。こいつは霜月夕しもつきゆう。まあ俺のガール――」

「違います。ただの仕事仲間です」


 夜兎の言葉を遮るように少女が言う。そして立ち上がると淡々と口を開いた。


「霜月夕です。彼からキミの護衛を頼まれた者です。宜しくお願い致します」

「ご丁寧にどうも。白雪真昼です」


 ペコリと深くお辞儀をする夕に対して、こちらもとばかりに頭を下げる真昼。母親と恐竜は既に彼女と自己紹介が済んでいるのか、特に反応することはなかった。


「ところで護衛って?」

「文字通りの意味だよ。お前を守る為に俺が雇った」

「何で、そんな」


 真昼の素朴な疑問を前にして、夜兎は小さく深呼吸をすると強めな口調で告げた。


「お前の存在が重要だからだ。ラウの世界にとってな」

「どういうこと?」

「俺達ラウ人は世界から精力を与えられて生きているっていうのはそこの恐竜から聞いてるよな」

「うん――って、夜兎がラウ人!?」


 衝撃の事実である。


「あー、そこはまあ今はどうでもいいから流してくれ」

「どうでもよくないけどっ!」


 激しく突っ込む真昼。

 しかし夜兎は「後で話すから」と、軽くいなすと話を続けた。


「ラウは増えすぎた人口が原因で、数年前から一人当たりの精力供給量が落ちてきているんだ。それも精器が小さい人間は生きていくことが難しいくらいに。だがラウ人の知恵によって、人口増加に対する対策も代替となるエネルギーの見当も今はついている」

「ん? それなら特に問題は無いように思えるけど。だって解決策はあるんだよね?」


 真昼が純粋な疑問を返した瞬間、夜兎の顔が憂鬱な表情に変わった。


「解決策があって実行したとしても、それがすぐに結果に繋がるとは限らないだろ?」

「あ……」


 確かにそうだ。学校の成績が悪いからといって勉強したしても、結果が出るまでには幾分か時間が掛かる。例外もあるが、問題の規模が大きければ大きいほど成功への時間は増えるはずだ。


「事態が好転するまでに少なくとも五〇年は掛かると言われてる」

「五〇年っ!? それじゃあ」

「ああ。想像の通り確実に死者が出る。想像もしたくない程にな。そこで、だ」


 鋭い瞳に切り替えると夜兎は真昼を見つめた。


「ルニシ人の――この世界の住人の力を借りようってわけだ。俺達が今いる世界の生物も精器を持ち、精力を身体の内に宿している。だが生きる上で使用していない。だからこれを利用しようってな。でも誰でもいいってわけじゃない。普通の人間の協力を仰いだところで、カバー出来るラウ人の数はたかがしれてるからな」


 熱弁する夜兔を誰もが真面目に見ていた。既に事情を聞いているであろう小宵もだ。


「だから最も大きな精器を持つ人間に力を借りる必要があった。それがお前だ、真昼」

「今までの流れからそんな気はしてたけど……」

「真昼の精器のでかさは今のラウ人の全人口の精器を足してようやく同等な程で唯一無二だ。当然精力量もな」


 褒められているのだろうけど、全然実感がない。

 そもそもこの世界で使えないならボクにとってメリットが感じられない。


「えっと、ごめん。夜兎が何を問題視しているのかが分からない。この世界で生きるのに精力は不必要なんだよね。じゃあ、ボクの精器が大きかったところでボクには関係ないことだし、ボクの精力でラウが救えるなら全然協力するよ?」


 無自覚に百パーセントの善意を込めて真昼が言う。しかしながら、言葉を受けて夜兎の表情が和らぐことは無かった。


「それはお前がお前でなくなってもか?」

「はい?」

「他人に精力を分け与える手段は今のところ精器を分割して分け与えるしかない。元の持ち主が生きている限りは、世界は分割した精器にもそいつの精力として補給してくれる上に大した手間も掛からないからだ」

「精器を分割……?」


 心当たりがあるとばかりに真昼は呟いた。

 後輩が、朝美がやろうとしていたことがまさしくそれだ。彼女の言葉や表情が脳内に染み付いている今、引っ掛からない方がどうかしている。


「真昼が女になったことは小宵さんから聞いているよ。精器が細分化したことで、元の真昼の体を保つことが出来なくなったんだ」

「でも、どうして女の子に? 私は嬉しいけど」


 今まで黙っていた小宵が口を挟む。


「お母さん……」

「まあ、真昼の根幹はどちらかと言えば男ではなく女ってことでしょうね。話を戻そう」


 小さな笑みを作った夜兎は再び真面目な顔つきに戻すと、再度口を開いた。


「世界を救うには真昼の力を借りるしかない。だが、真昼の力を借りると真昼に迷惑が掛かる。そこで生まれたのが穏健派と強硬派だ」

「穏健派と強硬派?」

「穏健派は被害が可視化するまでラウ内でがんばろーって奴らだな。俺に言わせりゃ口ばっかりで行動がおせー奴らの集まりだ」


 夜兎の説明に乱入するようにアケボノが答える。小宵の肩に乗っていたはずだが、いつの間にか彼女の手のひらに収まっていた。


「俺は精器の大きさがゴミだったから、てめーらのクソさ加減はよく知ってるぜ」

「酷い言われようだが、そういう傾向があるのは否定出来ないな」

「えっと、夜兎は穏健派なの?」

「まあな。こう見えても役職付きだぜ」


 サムズアップと共に白い歯を見せる姿は何処からどう見ても年相応の男子高校生である。


「強硬派というのは?」

「事態の改善の為に真昼を利用しようとする連中だな。自分の為なら何でも利用する自己中心的な人間ばっかだ」

「自分の命が掛かってるなら気持ちは分からなくないけど……」


 アケボノの頭を撫でながら小宵は言った。

 真昼は小さく頷くと会話を続けた。


「強硬派の人も夜兎みたいにこの世界にいるの?」

「いるよ。朝美がそうだ」


 絶句した。

 自分の一、二を争う親友達は異世界人だったらしい。


「じゃあボクと友達になったのも」

「ああ。上からの命令だ……。軽蔑したか」


 あっさりと述べる夜兎を前にして、布団を強く握る真昼。

 計画された出会い。人工的な友情。第三者の思惑が込められた人間関係。

 自分が作り出してきたと思っていた友好が全て他者の手のひらの上で踊らされて作られたものだと想像を広げた時、無性に吐き気がした。

 三人で笑った思い出も。悔しがったり怒ったりした出来事も全て何者かによる指示なのだとしたら――、


 違う。違う。違う。そんなことはない!


 心に纏わりつこうとする闇を全力で払う。胸にしこりは残ったものの不安よりも信頼感の方が僅かに勝った。


「軽蔑なんてしないよ。例え最初は目的があって近付いたのだとしても、夜兎もアサミもボクの友達だ!」

「……そうか。真昼ならそう言うと思ったよ」


 言うや否や親友は立ち上がり、真昼の傍に寄った。


「ありがとう、真昼」


 力強く、それでいて儚げな笑みだった。

 一歩間違えれば悲しみに変わってしまいそうな程に。


「今まで隠していたが、さっきも言ったように俺はラウ人で穏健派だ。だが立場なんて関係ない。俺は真昼を助けたい。真昼の力になりたい。今の俺を、真昼は信じてくれるか……?」

「夜兎――」


 親友の問いかけに考えを働かせることなく瞬時に言葉を紡いだ。


「当然だよ。むしろボクの方が頭を下げてお願いする場面だよ」


 瞬間、夜兎の表情がぱっと明るくなった。正と負の感情の狭間で揺れていた彼は消え、何時もの親友に戻ったようだった。


「何だか青春っぽくて妬けちゃうわね」

「そーか? 青臭すぎて見てらんねーよ」


 好き勝手感想を放つ外野を無視して、少年は話を続けた。


「それなら今後の目標は細切れになった真昼の精器を回収することだ」

「うん、ボクは男に戻りたい」


 意志を瞳に乗せきっぱりと宣言する真昼。可愛い容姿とはかけ離れた強い姿勢を前にし、茶々を入れる人間は誰もいなかった。


「真昼の思いは分かった。俺は戦闘では役に立てないが、それ以外でサポートさせてもらうよ。戦いについては霜月に一任しているから、彼女を頼ってくれ」


 言われて夕の方に視線を移す。しかしながら、やはり何処からどう見ても強そうには見えなかった。


「護衛もコーチもしたことはないですが」

「お前ほんとにつえーのか? 信じられねーな」


 訝しげな目つきで夕を見るアケボノ。しかし彼女は特に態度に出すことなく淡々と述べた。


「はぁ。既に二度守ってますが?」

「え? 初対面ですよね?」


 真昼の台詞を聞くなり、おもむろに彼女は眼鏡を外し指を鳴らした。その瞬間、夕の黒髪は見覚えのある美しい紅髪へと変貌した。


「これで――理解出来ましたか?」


 驚きのあまり押し黙る一人と恐竜。小宵もまた見るのは初めてだったのか、突如訪れた科学では説明出来ない奇跡に目を見開き口を押さえていた。

 服装に変化はなかったが、まぎれもなく彼女は真昼とアケボノを救った大剣使いの少女だった。

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