其の二十四 現在過去系――、どんなに悲願しても過去には戻れないし、どんなに懇願しても今は勝手に過ぎゆく


 有象無象の夏虫が、はた喧しく夏を唄いあげていた。

 腰をかけた木造のベンチは少しだけ湿っており、スカートを介してヒンヤリとした感触が人肌に伝って――


「――ココ来るのも、久しぶりだなー……」


 妙に感慨深げなトーンで声をこぼしたのは『向日葵』で――、言われてみれば、この公園は子供のころによく向日葵と遊んでいた記憶がある。遠くに見える錆びついたブランコが、なんだか記憶のイメージよりも小さく見えた。


「昔はよく、かくれんぼとかしたよね。ヒマリ、隠れるの下手で下手で……」

「――症に合わないんだよ! ただジッとしてなきゃいけないなんて」


 向日葵が子供のように頬を膨らます。薄暗い夜の公園、輪郭がハッキリしない彼の顔は本当に少年のようだった。なんだか私まで懐かしくなって、思わずクスッと笑みがこぼれて――


「――話ってなんだよ……、昔話がしたくなって、ってわけでもないんだろう?」


 ――ハッとなる。

そういえば私も向日葵も、今は『高校生』だし、紛れもなく『十七才』だった。



「あ、あの~……、ですねぇ~……」


 薄暗い夜の公園、向日葵の顔は輪郭がハッキリとしていないが、いつものニヤついた表情でないことだけはわかった。――つい数分前のワンシーン、凄い剣幕で大声を上げた私に何かを察して、勘の良い向日葵は「近くの公園で話すか?」と気を利かせてくれた。


「なんていうか、ですねぇ~……」


――アイツの方が私の真剣を受け止めてくれたっていうのに……、この期に及んで私のハラは決まっていない。ポリポリと頭を掻き、向日葵を直視できない私は思わず目を逸らし――


「もしかして、好きなヤツ、できた……、とか?」



 世界が一瞬だけ止まって、

 その声がハッキリとした輪郭を以て、

 夜の公園に響く。



「…………えっ!?」


 永遠とも思える時間が流れ――、いや実際には数秒しか経ってないんだけど……、

 雷鳴の如く甲高い声を上げたのは『私』で、暗がりの中、私の反応を眺めていた向日葵がヘラッと力なく笑った。


「……やっぱ、そうなのか」


 有象無象の夏虫が、デタラメなオーケストラを夏の夜空に奏でる。

 向日葵がポリポリ、罰の悪そうに頭を掻き、目を丸くした私の口から思わず声が漏れ出た。


「な、なんで、わかったの……?」

「――いや、最近のお前、明らかにおかしかったもん。妙にボーッとしてるし、体調悪いのかって聞いても、なんでもないって言うし――」


 再びヘラッと笑った向日葵の顔は、なんだかいつもの向日葵じゃないみたいで――


「……そっか、向日葵にはやっぱり、わかっちゃうんだ……」


 やっぱり私たちは『高校生』だし、紛れもなく『十七才』だった。



「ちなみに、どこのどいつなんだよ。陽明のノコギリザメを仕留めた凄腕の漁師は?」

「……だから、変な二つ名で呼ぶなっつの――」


 夏の夜風が私の頬を撫でつけて、どこかフワフワと不安定だった視界に光が戻る。薄ぼんやりと、妙にノスタルジックだった雰囲気はどこへやら、ケラケラと愉しそうに笑う向日葵はいつもの向日葵だ。


「……一個上の、先輩。吹奏楽部で、サックス吹いてて……」

「――ほぉ~~っ、いわゆる『草食系』ってやつか。……まぁお前、『肉食系』だもんな、サメだし」

「――だから、サメでもないし! 肉食系でもないわっ!」


 ……言いつつも、その言葉が心のさおだけに引っかかる。

 ――あれ、もしかして私……、肉食系なの? 急に先輩に抱き着きたくなる時あるし――

 カチンとフリーズした私の眼前、開いた掌を上下に振りながら「おーい」と声を上げる向日葵の頭上にはクエスチョンマークが舞っていた。ハッとなった私は、妙な気恥ずかしさと罪悪感をひた隠しにするように、向日葵の両頬を両手でグイッとつねる。


「――ひでででででっ! あにすんだよぉっ!?」

「……なんでもないわよ、やつあたりっ」


 パっと手を放し、フンと鼻を鳴らしながら背を向ける。向日葵の頭上のクエスチョンマークはさらに増殖を続けているだろうが……、私には知った事ではなかった。


「――ったく、情緒不安定かよ……、さっさと告って、付き合うなり振られるなりしてもらわないと、こっちの身が持たな――」

「――えっ!?」


 ――『私』がガバッと振り返り、『向日葵』の肩がビクッと震える。



「……な、なんだよ」

「――あ、ゴメン。……そ、その、急に、『告白』なんて言うから――」


 行き処をなくした私の視線がまっ平な地面に落ちて、たぶん向日葵は「はっ?」って顔でこっちを見ていて――


「――えっ? しないの? 告白……」

 世間話でもするようなトーンで、その声が私の耳に響く。



「……そ、それは、その――」


 もじもじと口ごもる私の喉の奥、その先の言葉が見当たらない。

 そんな私を見透かす様に――、薄ぼんやりと、輪郭のハッキリとしない向日葵の表情、だけどその目はまっすぐと、貫く様に私のことを見つめていた。


「――もしかしてお前……、『告白ってどうやればいいんだろう?』……、とか考えてない?」

「――えっ!?」


 ――私の口からマヌケな声が漏れ出たのは……、もはや本日何度目なのかもわからない。

 声の出し方を忘れた私はマネキン人形みたいに固まってしまって、はぁっと呆れたような向日葵の吐息が湿った夏風に交わる。


「……図星かよ」

「――そ、そんなことっ……」

 ようやく私は声の出し方を思い出し――


「……そんなこと、あります……」

 ――而して、その声は緩やかな孤を描きながらまっ平の地面に落ちた。



「……さっき双葉に同じこと聞いて、怒られちゃったんだ……、あなたの恋なんだから、あなたが考えなさい……、って――」

「ハハッ、相変わらず双葉ちゃんは、思ったことをずけずけ言うんだな……、まぁ、でも――」


 薄暗い夜の公園、私から目線を外した向日葵が、ポリポリと何か逡巡するように頬を掻き、癖の強い茶色の髪が街灯の光と交わる。


「……俺も、同じ意見……、かな」

「……やっぱり?」

「うん……、っていうか、告白に『やり方』もクソも……、ないと思うぞ?」

「……えっ?」


 湿った木造のベンチは相変わらずヒンヤリと心地よく、私は窺う様に向日葵の顔を見つめた。目を細めた向日葵が、ポリポリと頬を掻きながらこちらに目線を向け、すぐにまた逸らして――


「お前がソイツをなんで好きになったのか、どういうところがいいと思ったのか、なんで一緒にいたいと感じているのか――、それを全部そのまま、伝えるだけだろ? やり方なんか、ねぇよ」


 まくし立てるように声を上げた向日葵はなんだかいつもより早口で……、ちょっとだけ、何かに追われているような、何かをごまかしているような――、でもその声は、まっすぐに私の耳に届けられた。


「……そっか、そう、だよね……」

「そう、だよ……、プッ――」

「――なッ……、なんで笑うのよっ」


 癖の強い茶色の髪がフワッと揺らぎ、肩を揺らして笑う向日葵は愉しそうだ。思わずガバッと立ち上がった私はズカズカと距離を詰めた後、鼻先十センチメートルの距離でググッと向日葵を睨みつける。


「いや……、なんか、いつも能天気にたい焼きばっか食ってて、でもなぜか水泳はめちゃくちゃ速くて……、そんなモモカが、恋愛ごときでこうもふぬけちまうんだなぁって、なんか、面白くて――」

「……な、なんとでもいいなさいよ……、私は、真剣なんだからっ――」

「――わりぃわりぃ、茶化すつもりはないんだ。むしろ、嬉しいっつーか……」

「……嬉しい?」


 鼻先十センチメートルの距離、頭上にクエスチョンマークを浮かべながら首を斜め四十五度に傾けたのは『私』で――、ガシガシと癖の強い茶髪を掻きむしった向日葵が、照れ臭そうに言葉を紡ぐ。


「うん、なんか……、俺らって昔からずっと一緒にいるじゃん? 二人で話していると、子供のころから時間が止まっちゃってるみたいな感覚があって……、それが妙に安心するんだけど、俺たち、ちゃんと成長できてるのかなって、妙に不安になるコトもあって――」

「――えっ?」



 ――同じだ。



「……ヒマリも、そう、だったんだ……」

「……モモカも?」

「うん……、周りの子たちが化粧始めたり、男の子と付き合い始めたり――、なんか、ボーッとしてたら、どんどん周りに置いてかれちゃう感覚があって、でも、向日葵と話しているとそれを忘れられて――」


 湿った夏の夜風が私の頬を撫でつけ、私は錆びついたブランコへと目を向ける。

 記憶のイメージよりも、ずっとずっと小さかった思い出の遊具は、私が中学校に入学した時も、県の水泳大会で優勝した時も、高校受験に合格した時も……、


 一切が変わることなく、ずっとそこに存在し続けていたはずで――


「――だけど俺たち、ちゃんと進んでたんだな。自分の意思なんかに関係なく、色んな奴と話して、色んな経験をしていく内にさ……。なんか、恋に真剣なお前を見てて……、お前も……、モモカも進もうとしているんだなって。だから、嬉しかったんだ」


 鼻先十センチメートルの距離、はにかんだように笑う向日葵は子供のようだったけど、彼は『高校生』だし、紛れもなく『十七才』だ。


 それは私も、もちろんそうで――



「……私、告白するよ、ヒマリ」

「……おっ?」


 薄暗い夜の公園、こぼれるように発した私の声が、だけどハッキリとした輪郭を以て響く。


「……変わらないと思っていても、実は何かは変わっていて……、それに目を背けるのは、違うかなって……、だから、うまくできるかはわからないけど……、私、先輩に自分の気持ち、伝えてみる」


 小石を一つ一つ丁寧に拾い上げるように、バラバラになったピースをゆっくりとはめこんでいくように、私は自分の決意を言葉として外の世界に吐き出し、その声がこだまするように耳の中に響いた。


「――そっか……」

 ポツンと声をこぼしたのは『向日葵』で――


「……じゃあ、俺も、前に進まないとな」

 彼は、そう言葉を続ける。


 思わず「えっ?」と声を漏らした私に対して、向日葵は「なんでもないよ」と屈託なく笑った。

 有象無象の夏虫が、とりとめのないロックン・ロールを響かせる。



「……ありがとね、向日葵と話して、色んなことを思い出して、色んなことに……、気づけた」

「――そいつは、どういたしまして……、もしお前の恋が成就したら、お祝いに難波屋のたい焼き、いくらでもおごってやるよっ」

「――ホントッ!?」


 キラキラと、私の目が子供みたいに輝いて、ヘラッと笑う向日葵の顔がひきつって――


「……わりぃ、やっぱ三個までにさせてくれ」


 どこかで聞いたようなその台詞……、

 釣られて笑った私のお腹が、ぐぅっと鳴った。

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