其の十八 魔窟突入――、「ウソ吐き」に向けてウソを吐いたところで、およそ生産性のある会話は産まれない


 ガヤガヤと喧騒がやかましい。


 目を瞑り、頭の中で『クロユリ』を奏でる。今日の曲は……、『低空飛行』。

 ダウナーなイントロから始まり、沈むような音が広がっていくそのメロディは、而して不思議と希望を感じさせる。地上に這いつくばり、いつかの滑空を夢に見ている今の僕……、『冬麻紫陽』にピッタリの曲だった。


 思い浮かべるイメージは、昨晩見た『クロユリ』の姿。まるで、アンドロイドロボットのように無表情で、でも彼女の声は色彩豊かな感情の色に満ち溢れていた。頭の中でイメージしている『映像』と、耳の中で鳴り響いている『音』がシンクロし、僕の心が、彼女の声に塗りたくられていく。濃い群青色と、時折混ざる淡いブルーによって――


 ――むっ……?

 頭の中のイメージに、ノイズが走る。


 少し茶色味がかったポニーテールがフワッと揺らぎ、『ソイツ』がクスッと、幼子を愛でるようにに、柔らかく笑う。


 ――お前は……

 『ソイツ』の顔面――、の、ちょっと下。


 大きくそびえる二つの山が、僕の眼前に仰々しく立ちはだかり――



「――何考えてるの? 理想のおっぱいの形を妄想してるの?」

「――ッ! ぬぉっ!?」


 ――バチッと眼を見開いた僕の眼前。

 猫のように丸い目と、ボブカットの黒髪が、フワリと揺れる。


 身の危険を感じた僕は無意識に身体をのけ反らせていた。

 幼馴染の皮を被った宿敵……、『御子柴あや芽』が、目の前でいやらしい笑顔を浮かべているのだとようやく状況の理解が追い付く。


「――あや芽……ッ、急に、話しかけるな、心臓に悪い……。それに、なんだ? そんなこと考えているわけないだろう、まるで僕が変態みたいではないか」

「え~、こないだは、『巨乳大好き!』って屋上で叫んでたくせに~?」

「……ぐっ――」


 忘れていた。『御子柴あや芽』はこういう女だ。他人の揚げ足を取ることにかけては天下一で、『ああ』言えば『こう』言い、『そう』返す。彼女に隙を晒してしまったことに関して、人生で何百回目後悔したのかもわからないが、――だがしかし、慣れっこなのも事実だった。


「――あれは、あの日限定の話で……、ぼ、僕はフェティシズムが毎日変わるんだ」

「……そっちの方が、変態っぽいけど――」


 なんか、また弱点を増やしてしまった気がするが……、まぁこの場さえやり過ごせれば、とりあえずよしとしよう。


「シヨウちゃん、それよりさぁ――」


 意味深に目を細めたあや芽が、僕の机で頬杖をついたままチラッと視線を外す。釣られるように彼女の目線の先に目を向けてみると――


「……春風?」


 我ら三年二組の教室の入り口、ひょっこりと顔を出しているのは紛れもなく春風と……、

 横に並ぶは、見知らぬ長髪の少女。


「――あの子達、たぶん後輩ちゃんたちだよねぇ、誰かを探しているみたいダケド……、っていうか、ポニーテールの子、この前シヨウとラブコメしてた子じゃなぁい?」


 再びいやらしい笑顔を浮かべたあや芽がクスクスと笑い――、だがしかし、僕は頭の上に浮かび上がったクエスチョンマークの掃除に必死だった。あや芽の挑発に乗っている暇はない。


「……アイツ、何しに……」

「シヨウちゃんと、お昼ご飯を一緒に食べたいんじゃないの?」

「僕と? 何故だ……」

「……いやだから、あの子がシヨウちゃんに惚れてるからだってばよ……」


 コロコロとよく表情の変わるあや芽が、今度は呆れた目つきではぁっとタメ息を漏らす。僕は心の中に沸き起こった不快をおくびにも隠すことなく、キッとあや芽を睨みつけながら語気の強い言葉を言い放ち――


「……またそれか、いい加減にしてくれないか。彼女は僕にそんな気持ちを持っていないし……、よしんば持っていたとしても――」



「御子柴あや芽! いざ尋常に勝負!」



 ――僕の声が、『見知らぬ少女』の高らかな宣戦布告によって、無情にも中断された。



「――えっ、アタシ?」


 パチパチパチと三回まばたきを繰り返し――、そういえば僕は、あや芽が何かに驚いている顔を久しぶりに見た。だがしかし彼女はすぐにまたスッと眼を細め、悪代官と諸葛孔明を足して二で割ったような含み笑いを浮かべて――


「……なんだろ、面白そうだねぇ……、ちょっと行ってくるわ!」

「――なっ……、お、オイッ!」


 僕の呼びかけも空しく、あや芽は猫のようにスルスルと人の合間の抜けていく。遠くの風景、長髪の少女があや芽と何やら話しており、そのすぐ後ろ、春風は誰の目から見てもオロオロと落ち着きがない。



 ――何が、どうなっているのだ……

 而して、僕の疑問に答えてくれる者などいるはずもなく、教室の外へと消えてしまった三人の乙女の背中を、僕は無力な目つきでただ追うことしかできなかった。



 だだっ広い青空に、わたがしみたいにくっきりとした白い雲が浮かぶ。

 ――シャツの裏側にじんわりと汗がまとい、目の前の御子柴先輩はカーディアンをはおっているにも関わらず涼し気な表情をしていた。


「――いや~っ、やっぱり屋上はいいねぇ! ポカポカ陽気が気持ちよくて……、このまま今日も放課後までサボってようかな~」


 そんなことを宣いながら、御子柴先輩はくるくるとヘンテコな舞を披露し始めた。


 ――果たして、『直感する』。

 この人は、明らかに、まごうことなく、誰の目から見ても――


 ――ヘンな人だ……。


 何故私の周りにはこうも変人ばかり集まるのだと、心の中でひとりタメ息を吐いたところで、能面のような無表情を浮かべている双葉がポツリと声を漏らす。


「――御子柴先輩、先ほどは無礼な態度をとってしまって、大変申し訳ありませんでした」

 ――無礼というか、なんというか……。


 三年二組の教室に到着し、冬麻先輩と仲良く話す一人の女子生徒を発見した私たちは、彼女が『御子柴あや芽』その人だと直感する。――だがしかし、心の準備ができているわけがない私はひたすらに躊躇しており――、私の煮え切らない態度にイライラした双葉が取った荒業に、私の肝は北極に投げ出された。


「――私、如月双葉と申します。『運命の伝道師』と呼ばれる占い師を母に持つ、占い師のタマゴです」

 ――おいおい、ノッケから大嘘吐くなよ!?


 北極に投げ出された私の肝が、さらに冷凍庫の中に閉じ込められる。


「――へぇ~っ、奇遇だねぇ! 私のママも占い師なんだ!」

 ――えぇ~~っ!?


 ヘンテコな踊りをピタリとやめた御子柴先輩が、にまぁ~っと赤ちゃんみたいに顔を引き伸ばして笑った。


「――あっ、ごめんなさい、私のはウソです。私の母は本当は美容師です」

 ――バラすの早っ! なんで最初ウソ吐いたんだよ!


「――あっ、そうなんだ。ゴメン、実はアタシの方もウソ」

 ――えぇ~~~~っ!?



 ――果たして、『なにそれ』。


 対峙する双葉と御子柴先輩の間に幾ばくかの静寂が流れ……、互いに、ニヤリと不気味な笑みを浮かべ始める。……どうやらこの二人、『似た者同士』で妙なシンパシーを感じたようだった。


「――で、そっちのポニーテールちゃんは?」


 フッ――、と、御子柴先輩の丸い瞳が細まり、その淫靡な目線が私に注がれる。妙に艶めかしいその表情に、少しだけドキッと心臓が跳ねた。


「あっ……、私は、春風と言います。春風、杏々香、えっと、今二年生で、水泳部に所属していて――」

「――あっ!」


 ――かくれんぼをしている小学生が友達を見つけて大声をあげたみたいに、御子柴先輩がぴょんぴょん飛び跳ねながら私の顔を指さす。何事かと一歩後ろに引いた私に向かって、彼女はアニメのように甲高い声を浴びせた。


「――キミがあの『春風ちゃん』なんだね~! ……いやぁ、水泳で全国大会出場レベルの子が何故かうちの学校に入ってきたって、ちょっと噂になってたんだよね~」

「……えっ、私がですか……? し、知らなかった」

「うん、苗字も独特だし、なんか覚えがあったんだよね~、それに――」


 私の瞳を貫いていた先輩の艶めかしい目線が、徐々に下の方へと移動していき――


「そ、それに?」

「……や、なんでもないよ~ん」


 クスッと笑った御子柴先輩が、ペロッと飴玉のマスコットキャラみたいに舌をだす。その仕草を眺めながら、私はの頭に再度よぎった感想は――

 ――この人、やっぱりヘンな人だ……、それも、すごいヘンな人だ――



 ふいにそよいだ夏風が、三人の乙女の髪を揺らす。

 どうしていいのかもわからない私は、とりあえずハハッと乾いたように笑った。

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