其の十三 奇天烈夜行――、「生まれた時代を間違えた」と悲観する必要はない、百年前に生まれたとしてもたぶん同じことを言っている


 夏の夕暮れ、喧騒に包まれた駅前の商店街。だぼついた白いシャツを纏い、青のロングスカートをなびかせた少女が一人――


「――早すぎたかな……、待ち合わせまで、あと二十分もある……」

 こぼすような声が、誰に拾われることもなく雑踏の渦へと消える。


 私――、『春風杏々香』は、さっきからソワソワと落ち着きがない。チラッと腕時計に目を落とし、キョロキョロと周囲を見やり――、そしてまた腕時計に目を落とす。


「……先輩、スマホ持ってないから、もし何かあっても連絡取れないよね……、不安だなぁ――」

 二度目の独り言が漏れ、交錯する人々の往来がその声をかき消す。はぁっと小さいため息を吐いた後に、私は無意識に前髪をてぐしで整えていた。


「――あれ……?」

 ――三度目の独り言は、心の声が喉から勝手に漏れ出た。


 私の『眼前』――、人々の往来に混じり、コツコツと無骨な足音を立てながらユラリと歩みよる、奇天烈で奇妙な一つの影。


 ――まさか……。


「――なんだ、もう居たのか。僕の方が早く着くと思っていたぞ、春風」

「……先輩?」

「……なんだその目は……、まさか僕の顔を忘れたと言うのではあるまいな?」

「い、いえ……、あの――、なんですか? その『ナリ』は……?」

「む? ……ああ、着流しとゲタのことか……。僕はいわゆる私服はコレしか持っていなくてね。少しばかり目立つのは確かだが……、なぁに、他人の目など慣れてしまえば気にならぬようになるものさ」

「……『それ』もなんですが……、なんで、『サングラス』してるんですか?」

「…………え?」


 ――果たして、『狼狽』。

 「さぁツッコんでください」と言わんばかりのコーディネートをめかしこんでいる先輩へ、杓子定規に疑問をぶつけた私だったが――、なぜか先輩は明らかに動揺している。


「……い、いや……、日差しが、強いじゃないか。立ち眩みの予防だよ……」

「……もう夕方で、これからどんどん暗くなりますけど……」

「……知っているか春風? 夏の夜にサングラスをかけると、運気が上がるという風水があるんだ」

「……知らないですし、絶対ウソですよね」

「ぐっ……」


 ――果たして、『下手か』。

 先輩の戯言は誰の耳で聞いても虚偽であることは間違いなかったし、何より、きょろきょろと小魚のように動き回る先輩の二つの両目が「ウソを吐いています」と自ら告白していた。


「……細かいことは、気にするな。は、早くいかないと遅れてしまうのではないか?」

 ――そして、無理やりにごまかす。


 ジト―ッとした細い目つきをなおも先輩にぶつけ続けている私は――、そういえば先ほどまでの緊張はどこかにふきとんでいた。ふぅっと短く息を吐き、「今から行けば全然間に合いますよ」と口元を綻ばせる。


「む、そうか……、では、よろしく頼むぞ、春風」


 ――言いながら、先輩はスッと私の目の前に手を差し出し、私は「何事か」と目を丸くして――


「……いや、この通り僕はサングラスをしている。そして、既に空は暗くなり始めているではないか……、つまりだ、僕は今、前がよく見えない。僕の手を繋いで、僕を先導してくれないか? 春風」



 ――えっ……?



 ――果たして、『何言ってんの?』。

 「暗がりでサングラスをしているから、前がよく見えない」――、この道理はよくわかる。

 ――で、あるならば……。


「……えっ、外せばいいじゃないですか、サングラス――」


 ――杓子定規な疑問を再びえいやとぶつけるハメになった私だが、やはり先輩はポリポリと頬をかきながら何かをごまかすのに必死だ。一体何なんだ。


「……春風、この世界には人一人の力ではどうにもできん不条理な運命が存在する。僕がサングラスを外せないのもその類の話だ……、わかってくれ――」

「……い、いやさすがに納得できないです……、ちゃんと説明を――」

「――そんなに、僕と手を繋ぐのがイヤなのか?」

「えっ!?」


 ――果たして、『不意打ち』。

 「イヤかどうか」と聞かれれば、「イヤじゃない」に決まっている。むしろ……。


 「さぁ」と私の眼前に一歩距離を詰めながら、ぐいっと掌を前に突き出してきた先輩はなんだか強引で――


 ――や、やばい……。

 頬が火照り、全身からじわりと汗がにじみ出る。


 自らの体温の上昇を文字通り肌で感じている私の手は震えており……、おずおずと差し出した掌を先輩の掌の上にちょこんと乗せる。その手は白く透き通っており、でも確かに熱を持った人の身体の一部であり――


「……そんな握り方だと僕を連れていけないだろう……、ホラっ」

「――きゃっ……」


 ぐわしと、先輩の掌が私の掌を包み、伝った熱が急ピッチで私の全身に駆け巡る。顔面はバクハツしそうで、ガクガクと足は震えていて……、思わず逃げ出したくなるような衝動に襲われたが、でも何故か「二度と離したくない」とも強く感じた。矛盾した思考が、相反する二つの命令を全神経に命じて、私の身体はパニック寸前だった。


「……春風、お前の掌、汗だくじゃないか、それに暗くてよく見えないが、顔も少し赤い気が……、もしかして夏風邪か?」

「――えっ!?」


 先輩の声がぐいっと私の意識を現実に引き戻し、気づけば立場は逆転している。あわあわと露骨に動揺している私を眺めながら、訝し気な目つきの先輩が斜め四十五度に首を傾けて――


「あっ、やっ……、か、か、風邪は引いておりません! 引いたこともありません!」

「……そんな人間、いるのか?」

「うぇっ!? あっ、あっ、うちの家系は、特殊体質でして!?」


 ――果たして、『何言ってんの?』

 いよいよ宇宙人を見るような目つきになった先輩の八の字眉は険しくなるばかり、まともな思考が働いていない私は自分でも何を喋っているのか理解できていない。矛盾していた二つの思考が休戦協定を結び、「とにかく会話を終わらせろ」と私の全神経に緊急指令を告げる。


「と、と、とにかくもう行きましょう!」


 ――ぐいっと私は先輩の手を力任せに引っ張り、思わず体勢を崩した先輩の口から「おわっ!?」とマヌケな声が漏れる。


「――お、オイ、春風! そっちは駅と逆方向――」


 ズンズンと歩みを進める私の耳は一切の音を遮断していて、初デートで手を握り合っている私たちには、ロマンチックなムードなんて1ミリも漂っていなくて――


 ――結局、開演ギリギリの到着となってしまった事案について、私は先輩に平謝りすることしかできず、猛ダッシュによって疲れ切った顔の先輩が、「春風、お前は力加減というものを覚えた方がいい」と、私に引っ張りまわされた左手を慈しむようにさすっていた。

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