第14話

イサークが目覚め一番先にした事は、周りを確認する事だった。


「・・・・クロエ?」

居ないとわかっていても呼ばずにはいられなかった。

やはり夢だったのか・・・・

此処はベッドの上で、草原ではない。

それにしてもなんとリアルな夢だったのか。

泣いた後だったのだろうか。目元が濡れその瞳は光を反射し水面の様にキラキラしていた。

そして、クロエに触れ、抱きしめた感触が今だ腕に残っている。

今日も待っていると言ってくれた。

それは自分の願望が見せた夢なのか?

願望だったとしたなら、なんて酷な夢なのか。彼女に対する想いがただただ増すだけだ。

「はぁ・・・・・」

深く重い溜息を吐きベッドから下り、焦る侍女達を無視しさっさと着替え執務室へ向かった。


皇帝の仕事は、一言で言えば大変だ。兎に角、忙しい。

本来であればクロエの離宮へ毎日通うなど、無理な事。

だが、彼は人より早く起き、そして誰よりも遅くまで仕事をこなし彼女の元へ通う。

ならいっその事、城に住んでもらえばいいのではないかと思うのだが、彼女の要望を無視したくないという事と、城内のがまだ完璧に終わっていない事が彼に二の足を踏ませていた。

だが先日、ようやく城内の問題が解決されたと報告が上がったばかりで、これで何の憂いもなく彼女を呼べるのだが・・・・彼女は自分を怖がっている。

その事実は、彼の行動を鈍らせるのに十分な理由となっていた。

昨日、全てを話したことでそれは少し和らいだように見えたが、何時も会いに行くと一瞬強張った顔になる事に、密かに傷ついていたのだ。

それでも通う事はやめられない。時折見せてくれるようになった笑顔を、『花の都』で働いていた時の様に屈託ない笑顔にしたい。

結婚まで後一年しかないと思うのか一年もあると思うのか。イサークは前者で、一日でも早く結婚したいが、心通わすには時間が足りないと思ってしまう。

軽く頭を振り、目の前の書類に意識を集中させ、今日もクロエの元に通うため仕事をこなしていくのだった。


早朝から仕事をこなしたのも関わらず、急な会議も入り離宮に着いたのは夕刻に近かった。

疲れ切った顔など見せるはずもなく、イサークが屋敷に入ると、いつもとどこか違う笑顔のクロエにイサークは目を瞬いた。

「イサーク様?」

「あ、すみません。いつもより姫が可愛らしく、驚いてしまいました」

繕うことなくありのままの言葉にクロエは真っ赤になり、ちょっと拗ねたように唇を尖らす。

「イサーク様、クロエとお呼び下さいと言ったはずです」

とってつけた様な笑顔ではなく、可愛らしいその仕草に一瞬何を言われているのかわからなかったが・・・

「え?」

それは夢の中で・・・・

「もしかして、イサーク様は覚えていないのですか?」

「え?いや・・・あれは夢では・・・」

「はい。夢の中でした。ですが、覚えていらっしゃるのでしょう?」

クロエにとっても確信があったわけではないが、多分覚えているのだろうと思っていた。

いや、覚えていてほしい・・・と。覚えていてくれたなら、気持ちに踏ん切りがつけられそうな気がしたから。

当のイサークは目を見開き、そして片手で口元を覆うとくるりと背を向けてしまった。

「イサーク様?」

「えっと・・・その・・・夢だと思っていたので・・・嬉しくて、その・・・」

そう言うと又いきなり振り返り、クロエを抱きしめた。

「イ、イサーク様っ!」

「あぁ・・・嬉しい、好きだ、可愛い、愛してるっ!」

ぎゅうぎゅうに抱きしめながら、呪文の様に繰り返すその言葉にクロエは恥ずかしさのあまり、憤死寸前である。

そんなイサークを止めたのが家令のロイド。

「陛下、嬉しいのはわかりますがクロエ様が今にも死んでしまいそうです」

「え?わぁ、クロエ!大丈夫か!?すまない!!」

腕の中で真っ赤な顔でくったりするクロエを抱き上げると、焦った様に彼女の部屋へと走り出した。

それを見た使用人達は、『氷の皇帝』はどこへ?と、呆れたようにため息を吐くのだった。


そしてここはクロエの部屋。

今だ力なく横たわるクロエの手を握りながら「すまない」と何度も謝るイサークに、苦笑しながらも与えられる言葉がくすぐったくて仕方がない。

「ふふふ・・・恥かしかっただけで・・・大丈夫です」

ふんわりほほ笑むクロエに、イサークは少し考える様に口を開いた。

「そのように微笑まれるのは、夢の中で何かあったからですか?」

「・・・・・・・」

「俺が・・・その笑顔を取り戻したかった・・・」

心底悔しそうに呻くイサークに、クロエは起き上がり俯くその頬をそっと撫でた。

「夢の中で・・・ルイ様に会ったのです」

「ルイ・・・・前の俺?」

「はい。ようやくお話しする事が出来ました。ずっとわだかまっていたものを、ようやく解く事が出来たのです」

「クロエ・・・今もその、前の俺が、その・・・」

言いにくそうにしているその先が容易にわかり、きつく握りしめる手にそっと手を重ねた。

「そうですね。前の人生では愛していました」

「っ!では、今も・・・・・」

「確かに心の片隅にルイ様が存在する事は確かです。ですが、前の人生をこんなにも清々しい思い出に出来るとは思ってもみませんでした」

「では、の事は・・・・」

「正直な所・・・ようやく過去になったとしか言えないのです。なので今世はこれからなのだと」

「これから?」

「えぇ。此処に居るイサーク様は、ルイ様でもあるのです。ですが、同であり異でもある」

「つまりは・・・同じであって違うものって事か?」

「ふふふ、そうです。髪型も言葉遣いも癖も違います。・・・ただ、イサーク・ルイ・フェルノアという事を覗いては。・・・ですから」

『氷の皇帝』の異名など全くもって見る影もない弱々しい眼差しを受け止めながら、クロエはニッコリとほほ笑む。

「ですから、私達はこれからですわ」

「それは、貴女と俺の関係はこれから築いていくという事ですか?」

「そうです」

ならば思い存分甘やかし愛を囁いて・・・と、これから先の幸せな未来を想像し幸せいっぱいの彼は、クロエの次の言葉に一瞬にして冷や水を浴びせられたように青くなった。

「正妃様を迎えられるまでですが」

「なっ!正妃、皇后は貴女だ!」

「いいえ、私は側妃にと言ったはずです」

「それは聞けない。何故なら帝国にはもう側室制度がない」

「え?だって、あの時・・・・」

「それは、俺の事が怖くてきっと嫁ぐのが嫌だろうから、クロエの要求は飲む様にとルナティア様からの助言があったからだ」

「おばあさま・・・・」

「側室制度も一つの要因で前は帝国が滅んだといわれた。それとは別に、それが無くなった事で母上が心安らかになった事も確かだったから、必要な事だったんだと思う」

世継ぎを産まねばならないという重圧。皇后であれば尚更の事だろう。イサークを産んだからと言ってそれで終わりではない。

子供は何人いても邪魔という事はないのだから。

「母上も俺しか生むことが出来ず、いつ側妃を迎えれらるのかと心安らかではいられなかったようだ。だが、制度が廃止された事により年はかなり離れているが弟と妹が生まれた」

イサークに弟妹がいる事に驚く。前の生ではイサークの母は彼しか生むことが出来なかったはずだから。

「だから、クロエとの間に子が生まれなくても、弟がいるから大丈夫だ」

つまりは、同じような重圧は感じなくてもいいと言っているのか・・・・

それにしても祖母ルナティアは何処まで見通していたのか。

自分に対しての、帝国に関する徹底的な情報操作に溜息しか出てこない。

本当に何も知らなかったのだ。いや、今思えば帝国の事に関し知ろうとすれば適当に流されていたように思う。

こちらも祖母に聞かれたこと以外、積極的に知ろうとしなかったのも悪いのだが・・・

恐怖に縛られ本質を見ようとしなかった、いや、目を逸らしていた事に深い後悔を感じずにはいられない。


自己嫌悪に陥るクロエにイサークは、彼女の指先にそっと唇を寄せ跪いた。

「クロエ・ノア・フルール姫、どうか私イサーク・ルイ・フェルノアの妻となっていただきたい」


クロエは少し驚いたように目を瞬かせ、小首を傾げる。

「イサーク様は、私でいいのですか?」

「貴女でなくては駄目なのです。前の人生では味わう事の出来なかった幸せを私が貴女に差し上げたいのです」

二人揃って年老いていく未来。

前の人生で、どれほど夢に見たことか。それをくださるというのか。

「では、約束して下さい」

「何でしょうか?」

「どうか・・・私に相談してください。何かあっても、私を置いていくのではなく、共に戦いたいのです」

前は私を守る為とは言え、離れ離れになり終わってしまった。だから・・・

「もう、後悔はしたくないのです」

彼の指先をキュッと握れば、不意に引き寄せられ抱きしめられた。

「承知しました。どんなことがあっても共に乗り越えて行きましょう」

「はい」

イサークの背に手を回し縋りつく様に抱きしめ返し、スッと彼の匂いを吸い込む。

前とは違う彼の匂いに、ほっと力が抜けたように身体を預けた。

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