虹の在処 -化け物は戦場で恋を知る-

防人 康平

加賀谷高戦襲撃編

第0話:プロローグ

「ひっ……ひっ……」


その時、私は公園の木陰に隠れ、止まらない嗚咽を必死に堪えようとしていた。

絶え間なく溢れ出てくる涙を無視し、叫びそうになる口に両手で塞ぎ、その音が過ぎ去るまで気配を殺す。


何故、そのようなことをしているか?

理由は単純だ。そうしなければ、殺されてしまうからだ。何に殺されるのか? そんなことは決まり切っている。


【抗体】、だ。


現在の世界で人間を殺すものなんて、同族を除けば抗体しかありえない。それは、とある実験事故によって誕生した、人類初の敵性生物。いわゆる、天敵と呼ぶべき存在だ。


(静かにしなくちゃ……物音を立てず、息を止めて、気配を消さないと、じゃないと私も……殺される!)


彼らは人間を襲い、時に大波のような群れとなり都市を飲み込んでしまう。


今まさに、私の街も抗体に飲み込まれていく。

突如として現れた抗体の大群に、街に常駐していた防衛戦力はあっさりと突破され、沢山の人で賑わっていた町の大通りは抗体で埋め尽くされた。市街地に侵入した抗体は至る所で暴れ回り、今も人を食らっている。



 ―――― それは、十数分前の出来事。



今日は、私達の卒業式だった。

中学校から卒業し、4月からは高校生として新たな生活を始める日。当日の朝は普段通り教室に集合し、私は親友の紗耶香さやかと一緒に何気ない話をしていた。


「紗耶香は可愛いんだから、少しくらい髪形を変えてみればいいのに」


快活な性格の彼女は、普段からボーイッシュなショートヘアにしている。もちろんその髪形もとても似合っているのだが、彼女の細く引き締まった容姿であれば、他の髪形も似合うだろうなと、いつも思っていた。すると、紗耶香は私のセミロングの髪を指さしながら、こう返してきた。


美鈴みすずだって、普段と一緒じゃない」


言われてみればそのとおりだ。

私自身も学校に思い入れがあるわけではない。卒業式だからと言って、別に特別なことはするつもりがなかった。


「だって、楽ちんだし」


つまり、卒業式といっても、その程度のモノなのだ。

別に普段と違うことをする必要はない。いつも通りでいいのだ。しばしの間、私たちは互いの顔を見つめ合い、やがて小さく噴き出すと、笑い合った。


滞りなく卒業式を終え、紗耶香と帰路についていた時だ。

始まりは、私が通学路として使っていた大通り。遠方で大勢の人達の騒いでいる声が聞こえた。最初は何か事故でも起きたのかと、微かに興味を持つ程度だった。しかし、その程度に捉えていたのは、僅かな間だけだ。


声の聞こえる方向で土埃の上がる様子が見え、次第に人々の騒ぎ声が大きくなっていった。それに従って、大勢の人間が私たちの来た方角に向かって逃げてきて、皆口々に叫んでいた。


『"抗体"だ! "抗体"の群れが侵入してきているぞ!!』

『逃げろ! 南側から入ってくる!!』


抗体といわれても、何のことなのか理解するまでに数秒の時間を有した。私の暮らしていた町は抗体の被害とは無縁の町で、人外の存在と戦争状態にあるといわれても、正直、実感はなかった。この日までは ――――。


 キキキ……ギシュゥウウ……ッ


土埃の中から道路の中央に現れたそれを、大きな犬か何かと勘違いしたが、直ぐに違うと脳が訂正した。

尻尾が見えたために、思考が身近な生物に補完しただけで、体の大きさも、形状も、何もかもが既存の生物とは違っていた。


(なに……アレ……?)


身長が150センチある私と比べても、遜色ない体躯。体に比して長い手足の先には、鋭利な爪が伸びた4本の指。恐竜のように前かがみの体に体毛はなく、濡れたイルカの皮膚のような生っぽい灰色をしていた。


その生物が口に何かを加えていることに気づき、それが何なのか理解したとき、首筋から全身に電流を流されたような衝撃が奔った。


(ッ!?)


抗体が咥えていたのは、人の首だった。

首から剥き出しになった食道を、血の滴る牙で咥えている。藁素坊わらすぼのような抗体の頭部に目は確認できず、左右に大きく裂けた口は、咥えていた人の首を振り上げると、ひと際大きく開いて咥え直す。嚥下するごとに首は抗体の口内に消えていき、大きく膨らんだ喉に沿って、体内へと消えていった。


目の前で起きた出来事を、心より先に体が理解した。

全身が大きく震えだし、手足に力が入らない。大きく深く呼吸している筈なのに、息苦しさが次第に全身を支配し始める。


(逃げなきゃ……逃げないといけない、はずなのに……ッ)


鉛のように重くなった私の手を誰かが掴んで初めて、心は現実に戻ってきた。


「み、美鈴、逃げよう!」


一緒に居た紗耶香が、私の手を引いてその場を離れてくれた。踵を返し、もと来た道へと引き返す。


 ギキャァアアアッ!!


後方で、抗体の叫び声がした。

その声に呼び寄せられてか、先ほどと同じ生物が新たに3匹姿を現し、逃げ惑う人々に見境なく襲い掛かった。突き立てられた爪は肉を裂き、食らいついた牙は肉を引き千切る。


どんなに聞きたくなくても、耳をふさぐことが出来ない。

鼓膜に響いてくる悲痛な叫び声を、二人は必死に堪えて走っていく。耳をふさぐことに腕を使い、速力を落とすわけにはいかないからだ。


目指す先は、学校。臨時の避難所としても指定されている学校なら、何か対策を講じているかもしれない。


「ハァッ……ハァッ……ぇっ!?」


だが、曲がり角を右折し、学校を目前にした二人を待っていたのは、絶望的な光景だった。


学校の正門は、押し寄せた抗体で溢れていた。

道路を埋め尽くすほどの抗体が、正門を乗り越える順番待ちしていたからだ。そして、彼女たちの足音に気づいた抗体の一匹が、けたたましく鳴き声を上げ、二人を捕捉する。


阿鼻叫喚の喧騒の中、私と紗耶香は一心不乱に走り、付近の大きな公園内に身を隠した。


なかば飛び込むようにして公園内の木陰に身を潜めると、私たちの後を追ってきた抗体の何体かが公園内に侵入し、獲物の捜索を開始した。公園の入り口から伸びる通路は、コンクリートで舗装されているため、抗体の鋭い爪が歩くたびにぶつかり、カチカチと音を立てる。


 クルルル……コフ、コフ……


血と土の匂いが、次第に強くなっていく。

爪とコンクリートがすれる音の数も、次第に増えていく。何とかして、この場を離れなければならない。


しかし、どうすれば逃げられる?


「ひっ……ひっ……」


全身を支配する恐怖のせいか、横隔膜がかすかに痙攣し、変な呼吸をしてしまう。気づかれたら終わりなのだ。死なないために、死ぬ気で気配を殺すよう努めた。


紗耶香の方にチラリと目をやると、今にも気を失いそうな顔色で息を殺していた。自分がその時どんな表情をしていたかは分からない。だがきっと、私も同じような状態だったに違いない。


と、何やら抗体の足音がピタリと静かになった。

キィキィと微かな鳴き声が聞こえているため、この場から離れたわけではない。死の恐怖に好奇心が勝ったのか、頭で考えるよりも先に、脇からそっと顔を出して様子を確認した。そして、それは好奇心からきた行動でないことを、直ぐに悟った。


 ガキンッ、ガキンッ、ガキンッ、ガキンッ


硬質で先端の尖ったものがぶつかる様な音をたてながら、公園の入り口から何かが近づいてくる。その音は不規則で、まるで複数生き物がまとまって移動しているのかと錯覚しそうになるが、そうではない。


目の前に現れたのは、体高5メートル近い巨躯をもった、多脚式の抗体だった。

甲殻類のような六本足に、人間に近い上半身を持ち、四本ある腕は槍騎兵の槍のように鋭利な形状をしている。


 キキィ……キシキシ……


高音で、何か擦れるような音が聞こえてくる。

耳を劈くようなこの音は、おそらく多脚式の鳴き声なのだろう。獲物を追い詰め、それを楽しんでいるように感じられるほど、その鳴き声は落ち着いたものだった。


悲鳴を上げそうになる口を、震える手で必死に抑える。

音を出してはいけない。出した時が、私の最後だ。

頭で考えなくても、その事を本能で理解した。


 ガキンッ……


多脚式が歩みを止めた。

上半身の頭部のような部位を動かし、何かを確認しているようだった。そして次の瞬間、見つけた何かに向けて二本の腕を振りかぶり、そして ――――。


 ゴバァッ!!


大きく横なぎにするように、振り回した。その威力は凄まじく、槍の届く範囲にあった樹木は軒並みへし折られる。そして、見つけてしまった。


「―――― ッ! ―――― ッ!!」


衝撃と風圧に、一瞬だけ聴力をやられてしまっていたらしい。数秒後には音を拾えるようになったが、ある意味、聴力は戻らないほうが良かったかもしれない。次第に戻った音の中に、悲痛な女性の叫び声が混ざっていたからである。


「い、いた……痛ぁいィッ!」


おそらく、私達と同様に、木陰に身を潜めていた人だろう。ところが、多脚式に気づかれてしまい、訳も分からないまま捕らえられてしまったようだ。女性は槍で足を貫かれ、そのまま宙に逆さ吊りにされている。槍の先端がやや上方を向いているせいで、足の肉を引き千切りでもしない限り、脱することは出来ない状態だった。


「や、やめてッ、放して、嫌ァッ!!」


暴れるたびに傷口から噴き出す血のことなど気にも留めず、女性は暴れ続けていた。目前に佇む恐怖を前に、痛みすら忘れて錯乱しているのだ。槍の角度に傾斜が付いているため、暴れる反動で槍は女性の足により深く刺さっていく。当然その分、女性の体は多脚式との距離を縮まっていく。


多脚式の抗体は彼女の血から体を品定めするように、じっくりと女性を覗き込み、そして頭部が突然、縦に割けた。


「ヒッ ―――!?」


素早く息を吸い込んだような、小さな悲鳴を上げた女性。

その上半身は、次の瞬間には開かれた抗体の口内に納められる。初めはまだバタバタと動いていた体も、数秒後には物言わぬ肉塊となった。


断面から内臓を零しつつ、亡骸を口内から引き出すその姿は、まるで人が蟹でも食べているようだった。

うごかなくなった獲物に興味を失ったのか、女性の返り血で真っ赤に染まった多脚式は残った亡骸を地に転がし、それを取り巻きの抗体が貪り食う。


ボロボロと零れてくる涙が止まらない。

意識はハッキリとしているのに、何も考えられない。ただその場に息を潜めているだけなのに、何かに思考を支配されている。それは、何か。今までの普通の人生では、決して知らなかった感情。


私を支配していた激情。それは、"恐怖"だった。

目の前に散乱する人だったものの肉片。あたりに充満する、耐えがたいほどに生臭い匂い。絶えず耳に聞こえてくる人々の悲鳴。それらすべてが一つとなって、私の根幹にある生物としての生存本能を刺激していた。


(嫌……死にたくない……こんなの嫌ァ……!)


あのような惨たらしい最後を、私は迎えたくない。

頭の中を巡る感情はそれだけで、他に何も考えられない。どうして私はこんな目に遭っているのだろうか。私はただ、いつもと変わらぬ日常を過ごし、それはこれからも続いていくはずだったのに。


けれど、生きた心地のしない時間に耐えた。


 ギキッ……ギシャアァァアアアッ!!


突然、多脚式の抗体が雄叫びを上げた。

まるでその声を合図としたかのように、抗体達が一斉に移動を開始する。


どうやら、抗体は私達には気づかなかったらしい。

抗体には生物を知覚できる器官が備わっているる。しかし、下位個体の知覚器官はそれほど精度が高くないと聞いたことがある。先ほどの女性を発見したことで、もうこの場に獲物はいないと判断したようだ。


体を反転させ、侵入してきたとき同様に足音を鳴らしながら公園の入り口へと引き返していく。


(た、たすか……)


僅かであるが、抗体が遠ざかっていく様子に私は安堵した。そう、まだ脅威は完全に去っていないにも関わらず。


仲間が続々と公園を後にする中、未だに亡骸を貪っていた抗体が、仲間の抗体に叱責され、尻尾で頭部を打ち据えられた。その拍子に、口に咥えていたものが私の近くに落下する。それは、女性の足だった。


「ヒぅッ!?」


意表を突いた余りの出来事に、私は声を漏らしてしまった。


 ガガギィンッ、ガガギィンッ、ガガッ……


入り口の目の前にまで戻っていた多脚式の抗体は足を止め、ゆっくりと私達の方向に向き直る。


抗体の向けた視線の先には、私の隠れた樹木があった。


 ―――― 気付かれた!


抗体の足跡が近づいてくる。

本能的にそう理解した時、頭の中は思ったよりも冷静だった。逃げなければと、その場から離れる判断をする。そして今度は体が動いてくれた。もし体が動かなかったとしたら、きっと私の命はなかった。


「キャァアアッ!!」


突進してきた多脚式が再び腕を大きく振りかぶり、私が隠れていた樹木をなぎ倒したからだ。あと一瞬でも離れるのが遅れていれば、樹木ごと私の体はへし折られていただろう。


衝撃の余波で吹き飛ばされ、粉々に飛び散る木片が体に降り注いでくる。とっさに体を丸めて、腕で頭部を覆い隠した。大きなケガはしなくても済んだようだが、衝撃と動揺で体に力が入らない。すぐに顔を上げ、急いで走り出さなければいけないのに、恐怖に足がすくみ、身動きをとれない。


「ぁ……」


先ほどの抗体が、目の前にいた。

槍状の腕で狙いを定め、私をすぐにでも貫ける体制だった。これは、もう間に合わない。私は、ここで死ぬ。そう、死を覚悟した。

けれど、紗耶香は違った。


「美鈴、逃げてッ!!」


視界の端から、紗耶香が手を伸ばした。

ダメ、そんなのはいけない。私はもう助からない。紗耶香まで道連れになってしまう。言葉にしなくても、頭の中で刹那の間に思考が巡り、叫ぶ。


「ダメ、紗耶香!!」


そんな紗耶香を、多脚式の抗体が見る。

私を貫くために構えていた槍の軌道を突然切り替え、横に振るって紗耶香の体を弾き飛ばした。


「かっ……!」

「紗耶香ァっ!!」


小さな苦悶の声を漏らした紗耶香の体は飛ばされ、隠れていたものとは別の木にぶつかって静かになった。彼女の口からは赤い線が垂れ、意識を失っていた。そんな彼女を取り囲むように、抗体が群がっていく。


「やめてぇッ……!」


自分を助けようとしたせいで、紗耶香が殺されることなんて、あってはならない。彼女は生きるべきだ。明るく、活発で、皆から頼りにされて、情に厚くて。私の大切な、私の親友。


多脚式が紗耶香に狙いをつけ、体を貫こうと腕を引き絞る。

そのほかの抗体は、ボスの許可が出ることを、今か今かと待ちかねている。


「誰か、おねがい……だれかぁ……」


この場に彼女を救う手立ては存在しない。

もう誰も、助からない。私も、紗耶香も。


そう理解しても、叫ばずにはいられなかった。

願わずにはいられなかった。

大切な友達が、救われる未来を。


「誰か ―――― 紗耶香を助けてッ!!」


槍状の腕が動く。

聴力が失われたのかと錯覚するほど、世界から音が消えた。きっと次の瞬間には抗体の腕が紗耶香の体を貫いてしまう。槍状の腕が紗耶香に向かっていく光景が、静かに、確実に視覚を通して私に伝わる。これが、現実なのだと。


 ゴガァンッ!!


大きな音を立てて、大気に衝撃が伝搬した。

そして赤い液体が空中に飛び散り、地面に染み込んでいく。


ただし、それは紗耶香の血ではなかった。


 ゴチャン


先ほどの轟音に続いて、何か生々しいものがコンクリート上に落ちてきた。それは、紗耶香を貫こうとしていた、多脚式の腕だった。


 ギュォ……ォォオオオオオッ!!?


腕を吹き飛ばされ、多脚式が絶叫する。

顔を持たないため、どのような感情を多脚式が抱いていたのはが分からない。だがきっと、痛みと怒りがゴチャ混ぜになっていたのだと思う。


抗体は公園の入り口に体を向けたまま、腕を飛ばした犯人と対峙する。

全身を装備で覆っているため表情が見えず、性別を確認できないが、そこに居たのは戦闘服をまとった170センチほどの背丈の兵士だった。左胸のアーマー部にはアルファベットでこう記載されていた。【ANA's】、と。


【ANA's】―――― それは、日本政府が抗体と戦うために組織した、戦後初となる日本の正規軍。

生物として一線を画す抗体に対抗するため、ナノマシンで肉体を強化し、常人では扱えない装備を以って抗体を狩る、戦闘のスペシャリスト達だ。


「少しの間、そのままで」


目の前に現れた兵士は背中のバックパックからマガジンを取り出し、未だに銃口から硝煙を立ち上らせている大型の銃に装填する。武器にはあまり詳しくないが、以前に映画で見た対物ライフルによく似た武器だった。装甲車をも貫く威力のそれを片腕で軽々と扱い、兵士は戦闘態勢をとる抗体に向けて構え直す。


 ギキャァァアアアアアッ!


多脚式が、けたたましい声を上げて兵士を威嚇し、それを合図に他の抗体が襲い掛かる。

が、兵士は動揺することもなく狙いを定め、抗体を銃撃する。


外観どおりの凄まじい威力を発揮する銃弾は、一発で縦に並んでいた数匹の抗体をまとめて打ち抜き、もの言わぬ肉片へと変えていく。そのような凶悪な兵器を、その兵士はまるで水鉄砲でも扱うように連射し、駆逐していく。


 ガチンッ


残るは3匹だけであったが、ここで右手に持ったライフルの残弾が無くなった。

手にした銃はただの鉄の塊となったが、兵士はバックパックに装着していた装備を左手で掴み、目にも止まらぬ速さで振りぬく。


 ギキッ……!?


兵士が左手に握っていたもの。それはつばなどの装飾は若干異なっているが、間違いなく日本刀だった。

上段から下段へと一気に振り下ろした唐竹は、とびかかってきた三匹の内、中央の個体を左右に両断した。


そしてそのまま踏み込んだ足を軸にして、反時計回りに体を捻ると、着地と同時に襲い掛かってきた二体の抗体を上下二つに切断する。鯉口を切ってからここに至るまで、コンマ一秒にも満たない早業だった。


地面に刀を突き立て、再びバックパックから取り出したマガジンを装填する。そこへ、多脚式の抗体が奇声を上げながら突っ込んできた。すばやく装填完了したライフルで多脚式を打ち抜こうとするも、多脚式はその巨躯に似合わぬ俊敏性を発揮し、左右への短く素早い跳躍で狙いを散らす。


「でっかいクモだな」


あっという間に距離を詰められた兵士は、多脚式が繰り出した攻撃を銃身で受け、直撃を避ける。体勢を崩さないために盾にした銃を手放し、左手に握りなおした刀で応戦する。多脚式から無造作に繰り出される突きや横薙ぎを刀身の上で滑らせるようにいなし、三本の槍に丁寧に対応していく。


「すごい……」


目にも止まらぬ速さで繰り広げられる攻防に私が感嘆の声を漏らしていると、傍らでガサリと草木の擦れる音がした。

驚いて視線を向けると、先ほどまで亡骸を貪っていた抗体と同種の一匹が、私目掛けて飛びかかろうとしていた。


「きゃァ!」


反射的に上げてしまった悲鳴を聞くと、兵士は手にしていた刀を投擲し、私に襲い掛かろうと飛び出した抗体の体を貫く。どれほどの力で投げられたのかは分からないが、刀に貫かれた抗体は体ごと吹き飛ばされ、昆虫標本のように近くの木の幹にうち付けられてしまった。


「あ、危ない!」


私を助けたことで丸腰となった兵士を、多脚式の抗体が後ろから狙う。

上段からまっすぐに振り下ろされる攻撃。しかし、目をやることもせず兵士は攻撃を躱し、地面にぶつかった多脚式の腕を足場に背後に取りつくと、腕の一本を右腕で絡めとる。


驚いた多脚式は残る腕を振り回し、兵士を引きはがそうと暴れるが、放たれた多脚式の攻撃を左手で掴み、動きを制限する。そして背中を足蹴に腕の力を強めていくと、ミチミチと筋繊維の千切れる音を上げながら抗体の腕を引き千切ってしまった。


 ギッギィヤァアア!!


まさか自分がこのような目に合うとは予想もしなかったのだろう。悲鳴のような鳴き声を多脚式があげると、兵士は引き千切った抗体の腕を槍に見立て、多脚式の胴体に突き立てる。


 ガキュイィンッ!


だが、よほど外殻が固いのか、槍は胴体を貫くことが出来ず、弾かれてしまった。


「……固いな」


ボソリと、兵士が何かつぶやいた気がした。

そう聞こえた瞬間、兵士を引き離そうと多脚式が全身を使って腕を振り回す。流石にこれには兵士も耐えられなかったようで、微かに当たった抗体の腕によって、私目掛けて吹き飛んできた。否、正確には吹き飛ばされてきた。


兵士は先ほど私を襲った抗体が穿たれた木を足場にすると、抗体ごと木に穿たれたままの刀を回収する。


姿が霞むほどの超速で多脚式に再接敵し、上体を反らして敵の放った槍のよこ薙ぎを躱す。そしてそのままスライディングの要領で抗体の股下を抜けると、すり抜けざまに足の一本を切り落とす。


腕、足と、次々に四肢を切り落とされていく抗体は出血が増え、次第に動きが緩慢になっていく。

だが、攻撃の手を止めることはない。バランスを崩したまま、足の一つを兵士に振り下ろし、その体を押しつぶそうとする。


 ゴガァンッ!


突然、響き渡る炸裂音。

それと同時に吹き飛んだのは、兵士をつぶそうとしていた抗体の足。抗体の股下を潜り抜け、その先にあった対物ライフルを拾い上げると、振り下ろされた抗体の足に向けて放ったのだった。


「これでもう、逃げられん」


排莢し、硝煙の尾を引いている空の薬きょうが飛び出す。

機動力は奪い取った。照準精度を上げるために、刀は地面に突き立てた。後は狙いをつけて引き金を引くだけ。そして続けて引き金を引こうとしたとき、私を襲った抗体がもう一匹現れ、兵士の背後から襲い掛かった。


意表を突かれたとはいえ、その兵士は動じない。

姿勢は変えず、肩で担ぐように銃口だけを180度反転させると、背後に向け発射する。抗体を始末してすぐに多脚式の抗体に狙いを戻す。が、僅かに時間が足りなかった。


 ガギャァン ―――― ッ!!


斜め下から振り上げるような攻撃の盾となったライフルはマガジンを破損し、格納されていた弾丸が真上に飛び出した。


「あ……」


思わず、美鈴は声を漏らす。

たとえ敵の装甲が厚かったとしても、あの対物ライフルであれば攻撃が届くかもしれない。助かるかもしれないと、そう思った。しかし、その頼みの綱が目の前で抗体に弾かれてしまった。もう、ダメかもしれない。


「往生際の ――――」


だが、兵士は一向に動じる気配がない。


「―――― 悪い奴だ」


銃を構えるために地面に突き立てた刀を引き抜き、抗体が繰り出した二の矢の突きを受けいなすと、槍状の腕を側面から刀で貫き、釘のように敵の腕を地面に固定する。拘束され、一瞬だけ動きが止まった抗体の腕と肩を足場に跳躍すると、兵士は宙に舞い上がった一発の弾丸を掴み、空中で銃身に装填する。


そのまま奇声を上げていた抗体の口内へとバレルを突っ込むと、槓桿を引き、引き金を引く。内部から銃撃に打ち抜かれた抗体は、弾丸が開けた腹の穴から臓物を零し、そのまま動かなくなった。


「助かった、の……?」


目の前には抗体の死体が多数横たわり、血生臭いが漂っている。多対一の戦闘で、紙一重の内容であったにも関らず、兵士にはどこか余裕のような雰囲気が感じられた。と、兵士がこちらに向き直し、近づいてくる。


「怪我はないか?」

「は、はい。私は平気です。でも、友人が……紗耶香が抗体に襲われて……あの、お願いします、紗耶香を助けてください!」


動揺するあまり思考がまとまらない。

とにかく、紗耶香の方を指さし、手当てを求めた。兵士の方も、コクリとうなずくと、慣れた手つきで容態を確認していく。最後に口から滴っていた血を綺麗にふき取ると、落ち着いた声で私に教えてくれた。


「大丈夫。口の中をひどく切ってはいるが、内臓に損傷はない。今は気を失っているが、直に目を覚ますだろう」

「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」


紗耶香が無事だと聞かされ、私は心から安心した。

私を庇って紗耶香が死んでしまったら、私はきっと自分を許せなかっただろう。


「あ、でも、まだ学校に沢山の抗体が! 早く此処から逃げないと ――――」

「高校の状況を知っているのか。だが、問題ない。俺はその方角からこちらに来た。敵の大部分は既に駆逐し、残党も俺の部隊が殲滅中だ」


俺の部隊? 救援が来ているという事だろうか?


「立てるか?」

「え、あ、ハイ……アレ? おかしいな……どうして……ごめんなさい、今すぐに立ちますから!」


差し出された兵士の手を取り、立ち上がろうとしたものの、足に力が入らない。あまりの恐怖に、完全に腰を抜かしてしまっていた。


その様子を察した兵士は片膝をついて視線の高さを私と揃えると、装備を取り外して素顔を晒した。


「挨拶が遅れたな、俺はANA's所属の紅神 零斗という」


装備を外した兵士の顔をみて、私は言葉を失っていた。

あれほどの激しい戦闘を繰り広げた兵士は、穏やかで、少しだけ軟らかな雰囲気を纏った男の子だった。


おそらく、私よりも1~2才ほど年上だろうか?

黒髪でツーブロックの少年は、一見すると普通の青年のようにも見えるが、私達とは違い、その瞳の奥には深く力強い光を宿しているように見えた。


「き、霧島 美鈴です! この度は危ないところを助けていただき、ありがとうございます! すみません、まだお仕事が残っているのに、いま、立ちますから……」


そう言って、無理に立ち上がろうとして再びひっくり返ってしまったところを、彼に支えられた。気持ちばかり急いてしまい、失態を増やしてばかりだ。そのたびに私は慌てふためき、軽いパニックを起こしながら謝罪の言葉を口にした。


そんな私に呆れるでもなく、彼は優しく私の頭に手をのせて、こう言葉をかけてくれた。


「そうか、美鈴。これだけの極限状態を経験したんだ。基礎訓練を終えた兵士であっても、この場に放りだされれば、恐怖に身を固めてしまうものは多いだろう」


その声音はとても優しく、たった一人で抗体を殲滅した兵士のものとは思えなかった。


「だが、そんな過酷な環境下で君たちは生き残り、良く友人と二人で逃げ切った。その恐怖は恥ずべきものじゃない。君たちが生きているという、確固たる証だからだ」


優しいのは声音だけではない。

とても穏やかな目でまっすぐに私を見据え、笑いかけてくれた。


「だから言わせてほしい。もう、大丈夫。君たちは、助かった」


彼の言葉に、心の中で張り詰めていた何かが切れた。息を潜め、恐怖していた時とは違う。暖かいと、そう感じ取れるものが、目からひたすらに流れ続け、生きていることを強く実感できた。


すると、何やらモーターのような駆動音を上げながら、公園上空に何か大きな機械の影が見えた。大きさ的に20メートル近くあるだろうか。零斗の落ち着きようからして、ANA'sの増援であるようだ。木々の隙間を縫うように巨大な人型の物体が目の前に降りてくる。


 ……ゥウウウ……ン……ッ!


地面に降り立ち、片膝をつく形で二人の前に着地したのは、抗体を駆逐するために開発されたANA'sの人型強化外骨格兵装。

通称 ――――【ストライカー】く


不整地での物資運搬や兵器運用を始め、ANA'sが攻守問わず運用している、搭乗型のパワードスーツである。

パワードスーツとはいえ、3メートル近くあるそれは完全にロボットであった。


その背面には武装が、両手には数人の隊員が捕まっている一本のワイヤーがあり、ストライカーが設置するのとほぼ同じタイミングで零斗の前に整列した。


《こちら、倉貫。隊長、聞こえていますか?》


と、零斗の装備から無線で声が聞こえてきた。


「こちら、紅神。要救助者を二名確保している。支給、この二名を保護し、後方へと護送してもらいたい」

《承知しました。要救助者はこちらに収容し後方に退避します。隊長はどうされますか?》

「市街部まで侵入した一団は駆逐したが、問題の侵入口を塞げていない。俺はこのまま部隊を率いて、敵の指揮個体をつぶす」

《それはまた……無茶をなさいますね。ですが、承知しました。ご武運を》

「了解した」


無線を切るのとほぼ同時に、目の前のストライカーが美鈴と零斗の前に手を差し出した。それを確認した零斗はスッと美鈴を抱きかかえ、ストライカーの腕に乗せる。気を失ったままの紗耶香も、別のストライカーが優しく持ち抱えていてくれている。


「後は彼らが守ってくれる。もう安全だ」


そう言って、零斗は美鈴から手を放す。

触れていたその手を離した時、美鈴には何故か、どうしても聞かずにはいられないことがあった。


「あ……、あの!!」


その事を知ってか知らでか、美鈴は大きな声を上げ、零斗を呼び止めていた。


「どうしてあなた方は、あんなに恐ろしい敵に立ち向かっていけるのですか!?」


その時、零斗は一度だけ立ち止まり、こちらを見た気がした。けれどその問いは、周囲のストライカーの足音や航空機の駆動音によってかき消されてしまったのだろう。


零斗は、優しく微笑むと、到着した部隊を率いて戦場へと向かっていった。


後で知った話だが、抗体の流入は未だに止まらずANA's本体には既に撤退命令が下っていたらしい。無線の不調だのなんだのと理由をつけて命令を無視し、救助に来たのは彼の部隊だけであったそうだ。


その後、後方の都市で私が聞いたのは、抗体の大群をとある一部隊が押し留め、被害を最小限に食い止めたという話だった。


これが、私がANA'sに入隊する前の出来事。

私の心が決まったのは、この時だった。


編入先の学校で徴兵公募のポスターを見た時ではない。

戦争被害のニュースを聞いた時でもない。

学校で進路希望調査票が配布された時でもない。


あの時の彼のように強く、優しい存在になりたいと、憧れを抱いた時だ。


だからこそ、私はANA'sに行くことを決めた。

かつて私がそうしてもらったように、沢山の人たちを助ける力になるために。その時が来たら、今度こそ問いの答えを聞ける気がする。


これは、"化け物"と呼ばれた彼が一人の女性との出会いをキッカケに世界を変えた記録。

その最初の日。


敵の待ち構える戦場へ向かう彼の腕章には、部隊名がこう記されていた。


【第38独立遊撃大隊 "ウルフパックwolf's pack"】、と。

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