第23話
※
「よいしょ、っと……。ちょっと引っ張ってみて、デルタ伍長」
「んっと。大丈夫です。下りられそうです」
「それじゃ、私から」
俺とリアン中尉は、俺の部屋にあったカーテンを取り外し、それを結んでロープの代用品にした。言うまでもなく、秘密裡にこのホテルから抜け出すためである。
正規の治安維持機関が役に立たないのであれば、俺たち、つまり俺、リアン中尉、ルイスがどうにかするしかない。
だが、ルイスはずっと非戦闘員だった。彼には、ホテルに残ってできる限りの情報収集にあたってもらうのが適切だろう。
テロリストの拠点の把握にあたるのは、俺と中尉の二人だけ。人数的には不安があったが、何も無理に戦う必要はない。
『ここにテロリストが潜伏しているのは確実なのだから、正規軍を投入して殲滅すべきである』――その根拠となるだけの情報を得られればいい。
問題は、武装だ。ホテルに滞在する間、俺たちの手元に残されたのは、防弾ベストと拳銃が一丁。飽くまでも護身用である。とても敵地に乗り込むだけの装備とは言えない。
「だから、戦う必要はねえんだってのに……」
俺は一人呟いて、窓から外を見下ろした。幸いにして、ここはホテルの二階。だからカーテンを結んだだけのロープで降りられたのだ。リアン中尉が俺を急かすように手を振っている。
俺もするりとロープを下り、着地した。我ながら、少年兵時代の身体感覚は鈍っていないようだ。
もちろん、正面玄関から出るわけにはいかない。俺たちが下りたのはホテルの中庭。ここから警備の薄い裏口を抜け、最寄の衣服屋に入るのは簡単なことだった。
「いらっしゃいませ」
店員に笑顔を振りまく中尉。俺は、こんな店に入るのは初めてだったので、危うく敬礼を返しそうになった。中尉が肩を小突いてくれたお陰でそうはならなかったが。
何故衣服屋を訪れる必要があったのか。理由は単純で、俺たちがホテルを抜け出したことを察せられないためだ。今の俺たちの外見では、軍属らしい空気を拭いきれない。まずは外見から誤魔化さなければ。
裏口から出る際、警備にあたっていた兵士に顔を見られた恐れはない。背後からヘッドロックをかけたからだ。それに、俺たちの不在に関しては、ルイスが上手い言い訳を用意している。抜かりはない。
それはいいとして。
「あー……中尉?」
「なあに、デルタくん?」
「俺、こんな格好でいいんですか?」
「だってちゃんと防弾ベストは着てるでしょ?」
「そ、そういうわけじゃなくてですね、中尉」
俺の服を選んでいた中尉は、眉を顰めて俺を睨んだ。
「その『中尉』っていうのは止めなさい。軍属だってバレるわよ」
「ああ、すみません。えっと……」
「そうね、『リンちゃん』って呼んでくれる?」
「わっ、分かりました! リアンちゅ……じゃなくてリン、ちゃん」
「よろしい。それじゃ、この服着てみて。私も着替えてくるから」
そう言うと、中尉は俺の隣のカーテンの仕切りの向こうに消えた。
取り残された俺は、自分用の更衣スペースに上がりつつ、『マジかよ……』と呟いた。
俺に与えられたのは、白地の胸部に髑髏マークの入った半袖のシャツに、紺色のダメージジーンズだった。俺はいろいろと悩みながら着込み始める。
髑髏マークをどうにか目立たなくできないか。
シャツの端はジーンズの内側に入れるべきか否か。
ジーンズにはわざとらしく穴が空いているが、負傷せずに戦うにはどうしたらよいか。
散々悩んだ挙句、偶然にも不自然のない(と思われる)格好に至ることができた。ファッション雑誌など読んだことのない俺でも、やろうと思えばできるものである。
すると、ちょうど隣の更衣スペースのカーテンが引き開けられるところだった。
「どうだった、リンちゃ――」
やや固い口調で中尉に声をかけようとして、俺は思わず息を飲んだ。
男物らしい、けばけばしい白・茶・緑の迷彩柄のシャツ。
膝上までしかないジーパン。
暗い色の薄手のパーカー。
そして、それらに合わせたかのようにポニーテールに纏められた長髪。
それを見て、俺はぱっかりと口を開けた。
「あれ? どうしたの、デルタくん? 似合わないかな?」
「いっ、いえ、じゃなくて、いや、そんなことないよ、似合ってる、すごく、うん」
俺が慌てた理由。それは、こんなカジュアルな服装の上からでも、中尉の胸の膨らみがしっかり見て取れたからだ。
これでは、敵に見つかる前に鼻血による出血多量で死にかねない。
「それじゃ行きましょ。奢るわ」
そう言ってレジに向かう中尉。片手に提げた袋には、彼女のみならず俺の分の衣類も入っている。
こうして、俺たちは真新しい布の匂いに包まれながら、衣服屋をあとにした。
※
「何だかすみま……ごめん、俺の分までお金出してもらって」
「いいって。久し振りに帰ってきたから、ちょっと買い物したかったのよ」
人間二人分の真新しい衣服二着が、はたして『ちょっと』なのだろうか? 俺は疑問だったが、敢えて口にはしなかった。
それよりも。
「リンちゃん、スモッグって言うのかい? 酷く空気がざらざらする」
「あ、ごめんごめん」
中尉はさっとマスクを取り出し、うち一枚を俺にくれた。
「あ、ありがとう」
「この街、工業力を上げてるのはいいんだけど、環境汚染が深刻でね。屋外じゃ木も花も育ちやしないのよ」
「ふぅん」
ああ、だからスランバーグ将軍は、孫娘に生きている花を持ち帰ってやりたかったのか。
俺は納得しつつ、同時にどうしようもなく切ない気持ちに締めつけられた。
「今は任務優先よ、デルタ伍長」
一瞬、武人の表情になった中尉に向かい、俺はこくりと頷いた。
※
その後、俺たちはとあるカフェに入った。貨幣の扱いに慣れていない俺に代わり、再び中尉が奢ってくれるという。俺は一番安いアイスコーヒーを注文した。
もちろん、このカフェを選んだのには理由がある。ここは比較的、廃棄区画に近いから、そこに出入りする人間を見張りやすいのだ。
「さて、しばらくは辛抱するしかないわね」
「う、うん」
俺はさっと視線を窓の方に遣った。中尉の胸に目が囚われてしまうのを防ぐのも兼ねて。
しかし、その目はすぐさま中尉の下へと引き戻された。今度はその、強くもひどく寂し気な瞳に。
「この前はごめんね、急に、その……泣き出したりして」
「いえ! じゃない、いや! 気、気にしないでよ」
その後のことを思い出し、俺は自分の顔から火が出るように思われた。
中尉に抱きしめられたまではいい。俺の心を焼いているのは、『俺が中尉を』抱き締めてしまったことだ。
まあ、他にどんな行動の選択肢があったか、と訊かれても、答えようがないのだけれど。
「デルタくんって、私の父親に似てたのよ」
「リンちゃんのお父さん?」
こくん、と首を上下させる中尉。
「私たち姉妹の母親は、リールを産んですぐに亡くなったの」
「そ、それは……」
「ああ、違う違う。元々身体が弱かったから。戦死したりテロに巻き込まれたりしたわけじゃないのよ」
俺は中途半端な息をついた。中尉の母親が、争いの最中で亡くなったと聞かされては、発狂するところだった。そう言う意味では、ほっとしている。
しかし、他者の死を以て胸を撫で下ろすのは、あまりにも不謹慎だ。
「そう、なんだ」
中尉は頷いた。自分のカフェラテに差し込まれたストローの端を短く吸う。
それから、視線をテーブルのどこかに合わせた。
「父親は、八年前の軍事パレードの最中に死んだの。私とリールを庇ってね」
「ど、どういう意味?」
「事故だったのか事件だったのか、未だにはっきりしないのだけれど……。パレードの最中に、航空部隊の戦闘機の部品が落ちてきたの。きっと彼には見えたんでしょうね、陸軍の狙撃手として、目は相当よかったから」
「それで、リンちゃんとリールが危険な場所にいると判断した、ってこと?」
頷く代わりに、視線を反対側に走らせる中尉。
「父親は、振り返って私とリールを突き飛ばした。私は受け身を取るのに必死だったけど、リールはそんなに強くは突き飛ばされなかったみたいでね。見たのよ」
「見たって、何を?」
「父親が戦闘機の装甲板の下敷きになるところを」
俺は思わず、ごくりと唾を飲んだ。
すると中尉は、ジョークの一つも言ったかのような気軽さで肩を竦め、こう言った、
「それからね。リールが壊れちゃったのは」
「壊れた?」
「ええ。私とリールは、親戚の家に預けられることになった。伯父夫婦は、本当に私たちによくしてくれたわ。でも、リールはずっと心を開かなかった」
ううむ、確かにそういうことはあるだろう。だが、『壊れた』というのは言葉が過ぎるのではないか。
中尉はテーブルに肘を着き、指を組み合わせてこう言った。
「その頃からかしらね。リールが人一倍、人命を軽視するようになってしまったのは」
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