在職日数21日目

 鬱蒼(うっそう)と茂る森は、何だか良く分からない草木で覆われていた。緑はもちろん、先日目撃した月のような青や赤、黄色の毒々しそうな植物たち。


 朝に出立する予定ではあったが、テダンの忘れ物は激しいわ、朝食をもりもり食べるわで、昼近い旅立ちになってしまった。社会科他二人も同じようにフィールドワークに出ているが、団体行動をする必要はないので、各々好きに動いている。


「うーん! ここは空気がいいなぁ」

「そうですね」


 理解しがたいものばかりではあるが、森林浴の効果は得られているようである。新鮮な空気を肺一杯に取り込もうとすると、口元に何か布を宛がわれた。


「おっと、魔力がないヤツがそんなに吸うと危ないぞ?」


 それはマスクだった。おや、感染症はすでに落ち着いていると聞いているが、と太郎が首を傾げると、テダンが説明してくれる。植物や森の話になると一気に頭の回転が速くなるようだった。


「あー、学長ったら悪い癖だな。落ち着いたけど、なくなったわけじゃないんだよ。いまはじっちゃんの魔法が効いてるからいいけど、魔力が薄いヤツからだんたんと罹っていく。それでオレはこの森に――」


 テダンの話は続いているが、木の葉の奥でガサリと大きな音が鳴った。太郎が注意を惹き付けられると、そこからひとりの人間が飛び出してくる。性別は分からない。顔が縦長のアーモンドのような形の面で覆われていたからだ。地球にもいる、部族に似た出で立ちで、更には鋭い槍を持っていた。だが攻撃の手段はそれではない。


「風よ、巻き上がれ」

「う、わわっ!?」


 テノールボイスで短い呪文が唱えられると、突風が巻き上がる。台風なんかよりも凄まじい風量で、ふたりを襲う。思わず声が漏れた太郎が、真っ先に捕捉されてしまった。その部族は、体格はテダンと同じくらいであるが、軽々と大人の太郎を持ち上げる。


「えっ、ちょっと!? 助けてください、ミスター・テダン!」


 太郎が叫ぶが、残念ながら風圧とマスクで声が届かない。なおももがいてみるが、謎の人物の力は強くちっとも振りほどけなかった。


「嘘でしょう……?」


 やっと自分の立場を思い出し、サッと血の気が引く。総理大臣である自分がここで命を落としてしまうと、たくさんの問題があるに違いない。国際問題? いや、国内なのか?

 それとももし、誰も見つけてくれなければ……? 人知れず骨になる己を想像して、太郎は気を失った。





「おい、起きろ。チェイルの息子」

「ん……、うぅん」


 どこかで、誰かを呼ぶ声がする。しかし呼ばれているのは自分じゃない。それは分かっていた。チェイル……どこかで聞いたような気がするがどこだったのか。


「おい、オッサン。起きろってば」


 ペチペチと頬を叩かれる。女性ならもっと優しく起こしてくれないものか。というか、痛、痛い! いくらなんでも痛くないですか!?


「ひぇっ……? な、何です……?」


 目を開けてみると、筋肉隆々な女性たちに囲まれていた。太陽の恩恵をたくさん受けたのか、肌は褐色。髪の色は金や銀で色素は薄かったが、それは彼女たちの美貌を際立たせていた。顔と体が合っていない。まるでボディビルダーだ。

 素人目でも分かる力の差に、太郎は身を竦ませた。これから何をさせられるのだ。脅迫か、はたまた恫喝か。


「やっと目が覚めたかい、チェイル」

「え、チェイ、ル……?」

「何でアンタのことを知ってるかって? そりゃこの森じゃあ、アンタの父ゴーダは有名人だからね」


 ぽかんと、静かに話を聞いていたがやがて太郎は、とんでもない間違いを彼女たちはしているのだと思い至った。


「あっ! それは――」

「アタイらはゴーダに助けられたのさ。お父さんの言いつけ通り、この森を守ってきたよ!」


 違うと言おうとしたが、恐らく長である女性はこちらの発言を許さない。嬉々として唾を飛ばしながら喋るので、マスクをしているのがありがたかった。感染症も、そもそも飛沫や空気で感染するものか怪しいので、必要かどうか問われると分からないものだが。それでもテダンの言うことを信じ、律儀に口元を抑えている。


「そう言えばミスター・テダンは……!?」

「さ、歓迎の宴だよ! 今度こそ、自然共存派と共に戦ってもらうんだからね!」

「自然、共存派……?」


 それもどこかで聞いた。そうだ、この森には宗教問題があると聞いていたんだ。よりにもよって、その一派に捕らえられてしまうとは。がっくりと肩を落としたが、もちろん女たちは気に留めることはない。


「ん? まだ何か言いたそうだね?」


 やっと気付いてくれたのかと太郎は嬉しそうに口を開くが、やはりその音は瞬殺される。


「あぁ、そうだ! アタイの名前はベト。ヴァセッタ・ベトだ」

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