第2話

 目を開け、なじみ深い光を感じる。「おっ?」と間抜けな声を出し、体を起こし寝ぼけ眼がゆっくりと覚めるのを待つ。それでここが今、夢ではないと実感をかみしめた後、私は立ち上がった。

「よし!」

 アル! 起きて! <くらやみ>が晴れてるよ!

 そう言おうとしたが、隣のシュラフはもぬけの殻だった。だがまだ焦る状態ではない。きっと晴れてるのに気が付いて外へ出て行ったのだろう。まったく、おっちょこちょいだなあ。念のために護身用のブラスターを腰に差し、ビルを下りる。

 映獣ヴィジョンビーストが来られない区域にはアルはいなかった。

 恐る恐る警戒しながらそこからも降りた。しかしアルの気配はない。地上まで下りてみる。あたりを探してみたが、誰もいなかった。地下まで下りてみる。誰もいない。

「落ち着け落ち着け落ち着け」

 本当に落ち着け。もう何十年も一緒にいるんだ。子供じゃないんだし、いなくなったぐらいで今更必要以上に慌てることもない。深呼吸をしてまた上に戻る。

 そこに誰か立っていた。

 なんだいるじゃん、驚かせやがって。ため息をついた。これはお説教コースだな。しかし何となく言葉尻をとらえられて、なあなあで済ませられたらどうしようか。ならしっかりと自分がいかに心配したかを伝えなけば。そんなことを考えていたら目の前の彼女が振り返った。


――それはアルじゃなかった。


 アルよりも背が高い。唐傘のような防護帽をかぶっている。少し吊り上がった眼は、アルとは似ても似つかない。

「え? なになに? 生き残り?」

 女がきょとんとした顔でこちらを見る。敵意は感じられない。

 私はそれでも素早くブラスターを突き付けた。

「動くな!」

 女がそれを見てゆっくりと手を挙げる。

「あーそういう感じね。まあ確かに初手警戒は基本だけど。というか……ん? 君もしかして」

「余計なことを話すな!」

 女はけげん怪訝な顔をしている。どう見ても拳銃を突き付けられている顔ではない。久しぶりに人間の形をしたものに出会ったので戸惑っているのだろうか。

 膠着した状態が続く。しかし数分ほどたったのち、女は手をゆっくりと下した。

「いや」女は手をこちらに向けてきた。

「――君が動くな」

 何を……。そう言おうとしたら、彼女の言葉が頭を貫いた。

 体が硬直し指一本動かせなくなる。無理に動かそうと激痛が走った。

 それを見て女はうなずいた。「いい娘だ、所属と製造ナンバーを」

「わ……」口だけが動くようになった。「私は野崎工業制作の黙劇人形パントマイムドール。ドロシー型、製造ナンバーLE762134」

 私とは違う声が口から洩れ出てきた。女は満足げに微笑む。

「あたしのことはフウカって呼んで。えっと、黙劇人形パントマイムドール……ってなんだっけ? いや、自分で調べるからいいんだけど」彼女の視線が右上に逸れた。電脳検索をしている人型特有の視線だった。「ARサバイバルゲームの敵NPCロボット……立体映像だけじゃ味気ないから、敵役のロボットを設置するってっ発想か。あーなるほど。成程なるほど。つまりゲームのやられ役ロボットが今の今まで残ってたってこと? すごいな」

 フウカと名乗った女は動かない私の周りをじろじろと見まわしながら回った。

「あ、あの……」と私はへりくだった声を作っていった。

「何?」

「もしかしてあなたは人間なんですか?」

「いやー残念違うんだなこれが。死んだご主人が人間で、その権限を一部引き継いでるだけだよ。人間にはここ百年で会ってないね」

 そうなのか……じゃあ敬語を使う必要はないと思ったけど生殺与奪の権利は相手が持ってることを忘れてはならない。

「あの……私と同じ仲間の黙劇人形パントマイムドールの女の子に危険が迫ってるかもしれないんです。助けてもらえないでしょうか?」

「ふむ……?」

 フウカは不思議そうな顔をした。

 そこで私はしまったと思う。彼女は私たちをやられやくのロボットと言った。フウカがどの立場のロボットなのかはわからないが、少なくとも私を同格とは見ていない。あまつさえ先ほど、私は彼女に銃を突き付けつけた。自分が生きるのに精一杯な状態で、モブが危害を与えようとした後助けを求めてきたとして、手を差し伸べるバカはいないだろう。私だって同じ状態になっても助けない。こうしている間にも、アルに危険が迫っているのかもしれないというのに。せめてもう少し話してから、聞けばよかった。私のせいでアルが死ぬ。

 ああ……ああああ……アルが死ぬ……死んでしまう。

「まあいいよ。助けるっていうか手を貸すことはできる。その女の子なら先ほど東の方向へ走っていくのが見えたけど」

「……?」

 予想とは違うことが聞こえた。会話とは常に相手の言葉を想定して行うものであり、あまり予想外のことが発せられると途切れる。「え? なんで?」

「それはあたしが」

 そこでフウカはいったん言葉を切った。

 いったん私から距離を取り、手を広げる。次の瞬間色とりどりの花のAR映像があたりを舞った。

「それはあたしが、『幸せ』を配るロボットだからだよ」

 私はすでに滅びた花が降り注ぐ部屋を眺める。おそらく何百年前の世界でも、それらの花が一度に咲くことはなかったのだろう。美しいと感じた。

 なるほどと私は納得する。


 つまり目の前の女はこの長い年月を得て、狂ってしまったのだろうと。


 悲しいことだ。しかしよくあることだ。

 私は目をつむった。

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