第9話  それぞれの歩み





 更に二年が過ぎた。

 入社四年目になる慎司は、ビジネスマンとして日本各地を走り回る会社の戦力となっていた。

 多忙で理子ともあまり会うことは出来なかったが、日々のLINEのやり取りは欠かさなかった。

 慎司には恋人となった美穂がいた。

 東京に戻るわずかな時間は、美穂と過ごす事にしていた。

 美穂は小柄だったから、身長にコンプレックスがある慎司には、ちょうどいい目線の高さだった。

 美穂の歯にきぬを着せない物言いは、誤解を招く部分でもあったが、相手に対しても寛容で明るい性格だったから、人に嫌われる事はなかった。

 zuu…zuu…zuu…

 スマホがバイブレーションする。

 理子からだ。

 最初は二人でいる時の理子からのメールを、慎司は美穂に気遣って放置していた。

 だが……。

「理子さんなんでしょ? 高校時代は理解できなかったけど、今は慎司さんの大切な友達だって分かっているから、別に気を使わなくていいわよ」

 そう言って美穂は理子を受け入れてくれた。

 そうなのだ。

 慎司も美穂も仕事において、異性とのパートナーシップの機会は少なくなかった。

 それをいちいち咎めていては、社会人としてもビジネスマンとして成立しないのだ。

「好きな人を信じられないのなら、恋する資格なんてないわ。特に、慎司さんと理子さんの間には、誰にも踏み込めない領域があるものね」

「理解してくれて嬉しいよ」

「理解はしているわよ。でも、ちょっと妬けるわね」

 そう言って頬を脹らませる美穂は可愛いと思った。

 慎司は美穂を抱き寄せるとキスをした。

「理子とは仲いいけど、キスもしたことないんだよ。これから先ももちろんないさ」

「分かっているわ」

 そう言って美穂はキスを返してきた。

 そして、

「ねぇ、結婚しようよ」

 美穂はどこまでも真っ直ぐな瞳で慎司を見た。

 慎司は溜息をついた。

「それ先に言う? おれのセリフなんだけど」

「だって慎司さん、尻に敷かれるのが好みでしょ? 今度はわたしが主導権握ってあげるわ、理子さんの代わりにね」

 慎司は苦笑した後、真顔になった。

「それは違うよ」

 慎司は美穂を抱き寄せた。

「代わりなんかじゃない。美穂は美穂だ。おれと結婚してくれ」

「嬉しい」

 慎司はもう一度唇を重ねた。

 三月初めのまだ肌寒い頃だった。

 



「慎ちゃん、よかったね!」

 久しぶりに理子に会えた時に、美穂との結婚の話をしたら、思いっきり理子の胸に顔を押し付けられた。

「婚約おめでとう。本当によかったね」

 涙ぐむ理子を見て、本当に自分の幸せを喜んでいるのが分かった。

「まだ正式に婚約はしてないけどね」

「でも二人の気持ちは固まっているんでしょ?」

「まあね」

 慎司はポケットに仕舞い込んでいた理子へのプレゼントを取り出した。

「理子に、受け取って欲しいんだ」

「なに? これ」

「理子への感謝の気持ちなんだ。今までおれの力になってくれてありがとうな。理子がいなかったら、おれはここまで頑張れなかったよ」 

 ジェリーケースに入ったそれは、理子の誕生石の七色に輝くオパールの指輪だった。

「これ……わたしに?」

 理子は瞳を潤ませて慎司を見つめた。

「もらっていいの?」

「ああ」

 慎司が頷くと、理子は最初左手の薬指に入れようとしたが、中指に入れ直した。

「キレイ……。慎ちゃん、ありがとう…」

「なに言ってるんだよ。ありがとうは、こっちのセリフだよ。今まで理子がしてくれたことを思えば、こんな物でしか返せないのが、申し訳ないくらいさ」

「ううん。わたしの方こそ、ずっと慎ちゃんの傍に居られて、本当に幸せだったわ。今までありがとう……幸せになるのよ、慎ちゃん」

「何だよ。おれのお袋かよ」

 慎司が笑うと、理子はほっとした顔になった。

「これで、やっと決心がついたわ」

「決心って?」

「あのね、わたしもね、三ヶ月くらい前に実家に帰ってお見合いをしたの」

「えっ?」

「その後も何度か会って、先方さんにも気に入ってもらえたみたいなのよ」

「それじや…理子も」

 理子は小さく頷いた。

「隠すつもりはなかったんだけど、わたしも結婚しようかと思っているわ」

「そうだったんだ。驚いたよ」

「沙織が転職して地元に戻るのを機に、わたしも地元に戻るわ。相手のかたは隣町の人なのよ」

「で、いつ帰るんだ?」

「四月よ」

「えっ? 引っ越しまで二週間もないじゃないか」

「母校で産休を取られる先生がいて、一学期限定の非常勤だけど、四月から来てくれないかって頼まれたの」

「そうなんだ……」

 慎司の知らないところで、理子が違う人生を歩もうとしていた。

 おめでとうと言わないといけないのに、慎司は言葉が出なかった。

(何だろう。この気持ち…)

 あたかもシンクロしていたような二人の人生が、ここから二つに分かれようとしているのだ。

 いくつもの失恋で打たれ強くなっていた慎司だった。

 しかし、腹の底をかき回されるようなこのダメージは、かつてないものだった。

(おめでとうって言ってあげなきゃ)

 その思いと裏腹に、最後までその言葉は出てこなかった。

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