第6話 理子との同居





 高校三年になると、理子の妹・沙織が入学してきた。

 中学に入った頃は理子の家で勉強する事があって、沙織は部屋にジュースを持ってきてくれたりした。

 しかし、慎司が原因で理子が顔に怪我をした一件があってから、後ろめたさもあって、理子の家を尋ねる事はなくなっていた。

 沙織と言葉を交わすのはそれ以来だった。

「ねぇ、沙織可愛くなったと思わない?」

 理子が耳打ちした。

 慎司は苦笑した。

「おまえなぁ。おれのこと、スカートはいていれば誰でもいいと思ってないか?」

「ひどいわ、今の言葉。沙織傷つくわ、きっと」

「いやいや、沙織は可愛いよ。そうじゃなくて…おまえは…可愛い娘見つけると、おれとくっ付けようとするだろ? おれのこと、年中発情男みたいに思ってないか?」

 慎司がそう言うと、理子は可笑しそうに笑った。

「それ、いい」

 理子は笑いを止めなかった。

「クフフフフ……年中発情男って、上手い事言うのね。アハハハ…」

 笑いのツボに入ったようだ。



慎司と理子だけのグループに、女子に人気のある沙織が加わった事で、慎司の交友関係は広がった。 

 慎司は沙織の友達の石川美穂と意気投合して、何度かデートを重ねたが、友達以上恋人未満の関係から脱却できないまま卒業を迎えて、自然消滅の形になった。

 恋人には恵まれなかったものの、慎司の高校生活は悪いものではなかった。


 慎司は故郷を離れ、東京の大学に入学した。

「慎ちゃん、大学でもよろしくね」

 相変わらず隣には理子がいた。

 二人は下宿暮らしを始めた。

 背の低い雑居ビルが立ち並ぶ商店街の二階の2DKに同居する事にした。

 同棲ではなく同居だ。

 慎司と理子の関係に変化はなかった。

 二つある部屋をそれぞれが一つずつ使い、風呂とトイレと台所はもちろん共同だ。

 家主である一階の八百屋『野菜の佐々木』の手伝いをする事で、光熱費と家賃は免除してもらった。

 『野菜の佐々木』の主人・佐々木守とその妻・和美は良心的な人だった。

 開店前の準備と夕方の書き入れ時の三時間ほどの手伝いを、どちらか一人が入ればよかった。

「これなら講義の時間に合わせて、二人でシフトが組めるね」

 慎司たちにとっても願ったり叶ったりだった。

 この辺りの家賃事情を考えたら、2DKだと10万円を下らないし、光熱費込みだと、手伝いを時給千円で計算しても、慎司たちの方にお得感があった。

 しかも月末には慎司と理子それぞれ二万円ほどの小遣いもくれるのだ。

「申し訳ないから頂けません」

 と理子は丁寧に断っていたが、

「何言ってるのよ。学生さんは遠慮しないの。人手が欲しい時に助けてもらっているお礼よ」

 と和美は慎司と理子の手の中に封筒を握らせた。

 そんな事もあって理子は、店で余った食材で四人分の夕食を作り、慎司が後片付けをする事にした。

「夕食の支度しないですむから、ほんと助かるわ。男と同じように働いているのに、女は家事もしなきゃいけないからね」

 和美の言葉を耳にした佐々木が慎司を見て肩をすくめた。

「理子ちゃん。お弁当作るんなら、残ったお店の食材使っていいからね。学生さんは倹約も必要よ」

「はい。お言葉に甘えてそうさせていただきます」

 理子は笑顔で好意を受け止めていた。


 ある時、作り過ぎた弁当の総菜を理子が思いつきで店に並べたたら、すぐに売れた。

「お客さんから催促があったのよ。理子ちゃんの総菜が欲しいって。頼めるかしら」

「ええ、いいですよ。でも、大学があるので多くは作れませんが、お弁当に入れる四種類くらいの総菜の範囲であれば、少し余分に作ることは出来ますが」

「もちろんよ。こっちはお願いしてるんだからね」

という事で始めた『理子の総菜コーナー』は人気が高く、午前中には売り切れた。



「理子ちゃん達って他にもアルバイトしているんでしょ?」

 和美が改まった口調で尋ねた。

 慎司と理子は互いに顔を見合わせて、和美に頷いた。

 学費だけはそれぞれの両親に出してもらっているが、生活費は自分達で稼ぐ事にしていた。

「そのことなんだけど、もう少し家を手伝ってもらったら、わたし達も助かるんだけど。どうかな? もちろんアルバイトとしてよ」

 慎司と理子はもう一度互いの顔を見て、笑って頷いた。

 食事に関しては佐々木夫婦のお陰で不自由はしなかったが、諸々もろもろの雑費や交際費は、和美の好意の小遣いだけでは心もとなかったから、短期のアルバイトをしていた。

「理子ちゃんのお惣菜が大好評で、それを目当てに来たお客さんが、ついでに他の物も買ってくれるのよ。特にね、理子ちゃんを見知っている男性は、全種類買って帰るのよ」

 それには理子も苦笑いした。

「分かりました。わたしも慣れた所でお仕事させてもらう方が嬉しいですよ。慎ちゃんはどう?」

「もちろんだよ。和美さん、願ったり叶ったりです」

「決まりね。少し忙しくなるけど、あんた達の学業の妨げにはならないようにするから、よろしくね」

 という事で二人の仕事分担が明確になった。

 慎司は開店準備と書き入れ時の夕方三時間の店内担当。

 理子は朝・夕の総菜づくりとパック詰めを担当する事になった。

 

 

 慎司と理子の大学生活は順調だった。

 店の手伝いがあるから部活には入らなかったが、他の学生に比べたら時間的余裕はある方だった。

 大学も『野菜の佐々木』から歩いて十分程なので、通学時間も短く交通費も発生しなかった。

 『野菜の佐々木』のアルバイトは慎司達にとって、商店街で生活するにおいて、いろんな特典があった。

 『野菜の佐々木』は定休日が日曜だった。

 休日でも理子は目覚めが早く、慎司が部屋にいない理子を探して外に出ると、チリン・チリンと近くでドアのベルが鳴る。

「慎ちゃん、おいで」

 近所の喫茶店「イノウエ」のドア越しに理子が手招きした。

「ここのコーヒー美味しいのよ。わたしのおごりよ」

 小さく見えるも奥行きのある店内には、静かなクラッシックが流れていた。

 慎司と理子が向かい合わせに座ると、初老の品のいいマスターがコーヒーとサンドウィッチとサラダのセットを持ってきた。

「おはよう、慎司君」

「井上さん、おはようございます」

 サンドウィッチもサラダも単品サイズの豪華さだった。

「いいのか?」

 どう見ても一人千円は下らないセットに思えた。

 理子はクスクスと笑って見せた。

「井上さんがね、『野菜の佐々木』が定休日の時だけ、五百円でいいから食べにおいでって言ってくれたの」

「へえ~。これが一人五百円だなんてすごいよ」

「何言ってるの。二人でよ」

「ええっ?!」

 思わず大声を出した慎司は慌てて周囲を見回した。

 カウンターの向こうで井上が微笑んでいた。

 慎司は改めてお辞儀をした。


 この界隈では佐々木さんの理子ちゃん慎ちゃんで通っていた。

 服を買う時だって、慎司も理子も新宿や渋谷に繰り出す必要はなかった。

 商店街の洋服店に入れば「年度落ちでいいのなら、大負けしてあげるよ」とかなり割り引いてくれる。

 外食だって六本木や原宿に出向く必要はなかった。

 商店街の食堂を利用すれば美味しい食事を、何も言わなくても安く提供してくれた。

 特に理子がお気に入りだったのは、洋食店・田中食堂のトロトロ卵のオムライスだった。

「もう、最高! 幸せ!」

 オムライスを頬張るこの上ない理子の笑顔に、慎司もつられて笑ってしまった。

 特に用事のない休日は、大体において、商店街界隈で過ごす事が多い二人だった。



 慎司はいくつかの恋をして、振られた。

 いずれも大学構内やコンパで知り合った女性たちだった。

 大学で知り合った彼女は、学内で理子と二人でいる所を誤解され、慎司の話に耳も傾けないで去って行った。

 もっとも、理子の存在は慎司にとって誤解でも、世間一般の感性から見れば、立派な浮気である事は間違いないのだが…。

 コンパで知り合った女性はかなり積極的だった。

 慎司は彼女を通して、女性との付き合い方をすべて知るのだが、彼女が名門大学に通う慎司の将来性を見越しての交際だと気づいた。

 その上、相手は慎司だけではなく、将来の有望株と不特定多数の関係を持っていた。

 いわゆるビッチというヤツである。

 慎司の気持ちは一気に冷めてしまった。


「おれってモテないよな」

 アパートで理子と二人きりになると、慎司はつい愚痴が出る。

「大丈夫よ。慎ちゃんを分かってくれる人、必ずいるよ」

「ありがとう。理子」

 慎司は理子の胸に顔を預けると、不思議と何もかも吹っ切れるのだ

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