第4話 プロローグ 4

「手を取り給え」


 黒衣の女性に言われるままに手を取り、甲板へと下ろされるソルドニア。


「……これは、貴女が?」

「その通り。君のように飛ばされる人が居るかも知れないと思ってね。網を張っておいたのだよ」


 回りを見れば、同様に魔術で作ったであろう光の網に引っ掛かり、救助されている者があった。


「これは……なんと感謝すれば良いか……」


 安堵と疲労から膝から崩れ落ち、半ば土下座の形になって頭を下げるソルドニア。緊張が抜けると同時に傷の痛みを思い出し、気を失いそうになるのを耐える。


「構わないとも。船が沈めば私も困るからね」

「是非お名前を……さぞかし高名な方とお見受けしました」


 船室からぱらぱらと状況を確認しに乗客が顔を出し始めると、安堵から来る歓声が沸き起こった。それによって会話が一時途絶える。

 不意に、積み荷の裏から一人の小柄な女性が現れて、こちらへ駆けてくるのが見えた。


「お疲れ様でした~」


 あんな事件の後だと言うのに、のんびりと間延びした口調で女に声をかける。知り合いのようだ。


「良い画は撮れたかね?」


 女は羽扇を扇ぎつつ尋ねる。


「それはもう~。一大スペクタクルで大迫力ですよ~」


 小柄な女性は言いながら薄い板のような物を差し出している。二人並ぶとかなりの身長差がある。


「ふむ、よく撮れている。今回の挿絵は決まりかな?」

「ですね~。これなら一発で通りますよ~」


 すっかりソルドニアを放ったまま会話を始める二人。

 気は引けたが、おずおずとソルドニアは切り出す。


「その……お話し中申し訳ないのですが、私の話も聞いて頂けると……」

「うん? ああ、まだ居たのかね」


 今気が付いたかのように顔を向ける女。


「ええ、後日正式にお礼に伺いたいので、お名前をお聞かせ願えないでしょうか」

「ああ、名前。そうだったね」


 先程の会話をやっと思い出した様子で羽扇で手の平を打つ。


「助手君」

「はい~」


 女に促され、助手と呼ばれた娘が前に出る。


「この人こそは、かの不殺の英雄、500年を語り継がれる生ける伝説、偉大なる御方、サンデー様です~。わ~ぱちぱちぱち~」


 大仰な口上と共に気の抜けた拍手を送る助手。


「今何と……! 不殺の英雄殿!?」


 思わず耳を疑うソルドニア。あまりの驚きに、怪我の痛みも吹き飛んでしまったかのようだ。


「そうですよ~。ちなみに私はお世話係兼独占取材班のエミリュースと申します~。エミリーとお呼びくださいな~」


 ちゃっかりと自己紹介をする娘。


 ふんわりとカールした肩までの金髪。開いているかよくわからない程目が細いが、薄く金色の瞳が覗く。まだ幼さが残るものの、かなり整った顔立ちをしている。

 服装も趣味が良く、ファッション誌のモデルがそのまま飛び出したかのような華憐さだ。大仰な貴金属はほとんど付けていないが、首から下げた変わった意匠のペンダントが目を引いた。


「これはご丁寧に。私はソルドニア・シュリークと申します。イチノ王国第二騎士団を任されている者です」


 反射的に名乗りを返し一礼してみせるソルドニア。


「しかし、本当にあの英雄殿なのですか? いえ、先程のお力を見れば疑いようはありませんが……」


 伝説と言われる人物を目の前にして、瞬時に信じられる者はそういない。


「まあ私は只の観光客なのだけどね。いつの間にやらそのように呼ばれているそうだよ」


 イチノ王国を擁するワルトガルド大陸には、数百年から数千年を生きるとされる人物が知られている。

 曰く、どんな凶悪な魔獣でも殺さず無力化し、戦でも死者を出さずに終結させるという、破格の能力を持つ超人。


 本人からは一切名乗りがない為、「不殺の英雄」というのが通名として定着している。


 十数年に一度、世界のどこかへ現れては何かしらの大事件を解決して、再び何処かへ去ってゆく。伝説上の人物として語られる事も多い。

 複数の別人だとする説もあるが、今も残る文献にはそれぞれ人智を超えた能力を持ち、絶世の美女であるという表現は一致している。


「サンデー様はこう仰いますが~、我が王国新報社の期待のエース、エミリーちゃんが取材を任されているのですよ~。ご本人で間違いありません~」


 小柄な体を精一杯大きく見せるように胸を張るエミリー。

 それを聞いてソルドニアは思い出す。


 王国新報社とは、イチノ王国で最大手の出版社である。


 王国新報が発行している新聞の1コーナーに、「不殺の英雄漫遊記」と称した一種の旅行記が不定期に連載されていた。

 英雄が観光を楽しむ傍ら、巻き込まれた事件を華麗に解決していくという内容だ。


 その荒唐無稽さから評判を呼び、たちまちに人気コーナーとなった。あまりに人離れした能力を披露するために半ばフィクションと思われている節もあるが、勧善懲悪な正義の味方として今日まで人々に親しまれている。

 普段新聞を購読しない者でも、漫遊記が掲載された号だけは買うと言われる程だ。


 ソルドニアは目の前で力の一端を見たと言うのに、未だに夢でも見ているかのような気分であった。

 見た目には妖艶で美しい華奢な女性が、自分や冒険者達があれほど苦労した怪物を片手であしらったというのは……


「団長!」


 思考の海に沈みそうになるのを、部下の呼び声が引き戻してくれた。騎士団長としての責務を思い出す。


「どれだけ残りましたか?」

「半数ですが、すぐに動けるのは10名程です」

「無事な魔術師は交代しながら治療を開始しなさい。私は船長と話をしてきます」


 簡単に指示を下すと、ソルドニアはサンデーへ敬礼をしてみせる。


「かの英雄殿と会えて光栄の極みです。名残惜しいですが、事後処理が有りますのでこれにて失礼させて頂きます。このお礼は後日必ず」

「ああ、ご苦労様だね。がんばってくれ給え」


 くすりと笑うサンデーへの敬礼を解くと、颯爽と歩き出すソルドニア。


(あれが、不殺の英雄殿……)


 その胸には、伝説の人物との邂逅に、傷の痛みも忘れさせる高揚が沸き上がっていた。

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