無機質

……………











「多分……この辺なんだろうな。」


確実に濃くなっている『違和感』。嗅覚で感じ取っているのに、それは臭気ではない。もっと、曖昧なナニか。

それは心臓を刹那に揺らすモノ。本能が警鐘を鳴らすモノ。逃げろ、離れろ、さもなくば殺せと、僕の中のフレンズの部分が訴えてくる、そんな脅威。


「っ……。」


がさり、と薮が音を立てた。それは、今まで嗅覚が曖昧に捉えていたナニかが、明確な形となってそこに在る証左に他ならない。

見なければならない。少しでも。情報が必要だ。

ここに暮らすというではある以上、ここにむ脅威とも顔を合わせる必要がある。


心臓が高鳴る。しかし良い方向にではない。それは例えば、大型恐竜の咆哮を前にした時のように。焦燥と恐怖ばかりが強くなり、一層の不安を煽ってくる。


「……え、」


故に、薮から飛び出たそれを見た時の声は幾分か間抜けな物だったと思う。

鮮やかな青。耳を模したような形の小さい突起。そして一つ目。

夕日を受けながらにも鮮やかすぎる青と外見の不気味さは、それが常軌の範疇を超えたものであるということを示している。


大型恐竜のような、『見ればわかるだろ俺はお前より大きくて強いんだ』という感じでは無い。

しかし。であれば。


「うおッ」


どうやらその疑問に答えてくれる程優しくは無いようだ。

遅く単調な体当たり。避けるのは簡単だったわけだが、どうやらもう一度振り返ってこちらに向かってきているようだ。


こいつは間違いなく、僕に危害を加えてくる。


であれば、こいつをここで倒すのも正当防衛に──


「っ……。」


『やめろ!やめろ!この化け物が!』


「がッ……う、煩いぞ……!」


『ひ、人殺し!お前のせいだ!お前のせいであいつは──』


「やめろォッ!」


左手を振り払った。


駄目だ。


駄目だ!


「っ……。フーッ……フーッ……。」


二度。二度避けた。この葛藤と幻聴の内に。

そしてその最中、確実に自分の動きが鈍くなっているのを感じた。

計三度の回避の中で、間違いなく三度目が一番ダメだった。明確に分かってはいるが、かといってこの調子で逃げ切れるかと言われると、それもまた分からない。

夕日がだんだんと沈んでいく。夜の闇がだんだんと視界を埋めていく。


「っ……しつこいな……。」


タイムリミットも近い。決断しなければ。

おとなしく逃げ帰るか。それとも、あの時のように、ここでこいつをのか……。


「……ぐ、くっ……」


駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ!


早く!速く、早く!決めろ!決意を固めろ!

じゃないと、もうすぐそこに──


「ぁ……。」


目を閉じた。


「……なんて体たらくなんだ。まったく。」


「……。」


その声は、まだ全く慣れてもいないのに、どうにも安心できるものだった。


「面目ない、です……。」


情けない。今ここにタイリクオオカミさんが居なかったら、僕はどうなっていただろうか。

目を覆った。少しだけ、見られたくないと思った。


「……いや、いいさ。仕方ないこともあるよ。『初めて』なんだろう?」


ひとつ頷いた。もっとも、次以降は対処できるかと訊かれれば、言葉を濁すことしかできないが。


「ほら、。」


……情けなかった。気を遣わせてしまったとばかり思った。

だけど、頭を振って顔を上げて、今になってやっと見ることのできた顔はとても優しくて。


「……はい。」


もう一度、目を覆いたくなるような、そんな感情が流れてきて、どうしようもなく嬉しかった。










……………












「……すまなかったね、さっきは。」


「はい?」


一歩前を歩く彼女の口から漏れた言葉。

顔は見えない。


「それは、どういう……。」


「あんなに何もかも疑う必要は無かった。君も一人のフレンズだったのに。」


一歩前の後ろ姿が、少しばかり俯いた。


「そもそも、今日の予定も後回しにして君を追っていたのも、君を疑っていたからだ。君がに襲われているのも放っておこうとした。」


「……。」


セルリアンというのは、あの青い一つ目のことだろうか。

確かに、怪しいだけの不審者を始末するには都合のいい存在だったのだろう。僕が勝手にそれに近づいて行ったのだから。


「でも、できなかった。」


「……ああ。あんなに必死に悩んでいる姿を見て、放っておけなかった。」


歩みが止まった。


「君がもし悩むこともなかったら、私はどうしていたのか。よくわからないんだよ。」


恐怖、であっただろうか。それとも、もっと別の何かだろうか。

良い方向では無いのは確かだった。何か悩んで、ずっと彷徨しているかのような、そんな感じがした。


「そんなの、どうでもいいんじゃないですか?」


「……へ?」


ほうけたような声が出た。悩んでいたであろう表情が、驚愕に染まっていた。


「あなたが僕を助けて、そのお陰で僕は生きている。ここにある事実はそれだけですよ。」


現実に起きたことを掘り起こしてみれば、動機はどうであれ、この人は僕を助けてくれただけ。

良い方向であるのは確かである。命を救われた時に鼻に感じたのは、あんな曖昧な何かではなく、確実にそこにある安心という名の芳香であったのは鮮明に覚えている。


「申し訳ないとか思う必要があるのは僕の方です。勝手に出かけて、勝手に襲われて。あなたはそれを救ってくれた。ありがとうとざいます。それから、ごめんなさい。」


頭を下げた。

今回の行動は、全てが僕の落ち度だ。たったあれだけにも対処出来ないようでは、これから先生きのこることも難しいだろう。

もう足を向けて寝れなくなってしまった。ふとfootした判断の一つだけでも、それがきっかけで恩というのは生まれるものだ。


「……顔を上げてくれ。」


困ったような笑顔が見えた。


「今回の件は互いにチャラにしよう。せっかくここに来たばかりなのに、こんなに謝りあっているのもあれだろうしね。」


相応に妥協してくれたのだろう。

自身の失態を妥協して許すというのは、どうにも合わないが……向こうもそう言っているのだ。乗るべきだろう。


「そうしましょう。明日にはお互いへっなくらいが丁度いい。」


手を差し出した。

これは良い方向を向くための第一歩だ。足元がしっかりしていなければ、前なんて向けないのだから。恩と奉公は大事だが、それだけでは関係は成り立たないのだから。


「ふっ……。じゃ、仲直りだ。」


しっかりと手を握られる。予想外ではあったが、新たな友情というのはいつだっていいものだ。


「直るような仲は今できたんですけどね?」


「……ごめんって」


「ふふ、冗談ですよ。これからよろしくお願いします。」


笑って見せれば、返ってくるのもまた笑顔だ。

最初の印象とは随分違う。無機質な、冷たい対応とは。今こうして僕の右手を握っている彼女は、夜の闇と冷たさの中でも、はっきりと暖かく感じられる。


「そういえば、まだ名前も聞いていなかったね。改めて、教えてくれ。」


「そうでしたね。僕の名前はエイキです。よろしくお願いします。」


暗くなった中、笑っているのを見れば、随分と可愛らしいとも思った。











……………

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