4. 王国筆頭魔法使い

 ヒソヒソと町民たちがこちらを見ながら、話をしている。

 中には血相を変えて家に隠る者や、怯えて泣き出す子どももいた。

 城下を歩くドロシア、その顔は隠されることなく堂々と晒されていた。


「ドロシア様……やっぱり被り物かマスクのようなものをした方がいいのでは? 人目に付きすぎます」

 未だにトロールになったドロシアに慣れないベニーは、怯えた表情を浮かべていた。

「これでいいのよ! 勝手に恐ろしがらせとけば! 無駄に近付いてくる者もいなくていいじゃない」

「いい心掛けだな」

 優しく瞳を細めるルイスに先の衝動的な告白を思い出し、ドロシアは咳払いして自分を誤魔化した。



 神の贈り物と謳われた、あの比類なき美しさだったドロシア・ジェイド・オブライトが呪いによって醜いトロールの姿に変えられた。そんな噂は瞬く間に国中に広まっていた。


 ドロシア自身は、トロールの姿を受け入れた上で前向きに生きていく覚悟を決めていた。

 けれど、呪いのことやグレゴワールのことなど、少しでもこの状況を好転させる為にも王国筆頭魔法使いの知恵が必要だった。



 王宮から程近い場所にある魔法使いの塔は、かなりの古さを感じるものの重厚感を感じる立派な佇まいだ。

 ここには王国の精鋭である力を持った魔法使いたちが数多く駐在していた。


「失礼致します、少しよろしいでしょうか?」

 その場にいた魔法使いたちが一斉に振り向いた。


「私はドロシア・ジェイド・オブライトと申します。ご覧の通り、呪いによって顔をトロールに変えられてしまいました。 魔法使い様のお知恵を拝借したいのですが」


 その場にいた魔法使いたちがヒソヒソと怪訝な顔をして話し始めるが、声を掛けようとする者は誰もいない。



「強力で厄介な呪いのようだ」


 突然聞こえてきた声の方角を向くが、声の主は見当たらない。

「ここだ、ここ」

 そう言うと、見ていた視線より遥か下に烏の濡れ羽色の長い髪の少年が重そうなローブを纏い立っていた。

 十代前半だろうか、背丈も小さく顔もあどけなさが残るが態度だけは妙に大人びていてる。

 先程まで怪訝な顔つきをしていた魔法使いたちは、皆この少年に頭を垂れていた。


「このお方が王国筆頭魔法使いの長で在らせられます、アンブローズ・ザーンキルトン様です。 私は弟子のメディー・フランシャールと申します」


 明らかに弟子と名乗ったメディー・フランシャールの方が師匠のような出で立ちだった。

「ここで立ち話もなんですから、こちらへどうそ」

 親子のようにしか見えない逆師弟関係を不思議に思いつつ、壮年の人の良さそうな雰囲気の彼が丁寧に別室へと案内してくれた。





 部屋へ着くや否やアンブローズと呼ばれる魔法使いが、ドロシアの顔面へ向けて詠唱を唱えた。

 円陣を描いた魔法の粒子がドロシアを包み込むが、すぐにその光を失った。


「うむ…ダメだな、受け付けない」

「愛する者が現れたら呪いは解けると言われました。 …でも最悪戻らずともいいのです」

 この言葉にその場にいた者全員が驚いた。

 特にベニーの取り乱し方は酷かった。

「最悪戻れなくてもいいって…どういうことですか! ドロシア様!」

 普段怯えているベニーが、珍しくドロシアに掴みかかる。

「あら…そのままの意味ですわ。 この顔を受け入れて生きていく覚悟を決めるということよ」

「そんなの…いけません!」

「あらどうして? じゃあベニー、この顔の私を愛して呪いを解いてくれるのかしら?」

「!!」

 ベニーは掴んでいた手を力無く離した。


「ごめんなさいね、アンブローズ様、メディー様」

「様はいらぬ」

「ではアンブローズ……私のこともドロシアと呼んでちょうだい」

 アンブローズはそれを素直に受け入れ、コクリと頷いた。


「…ドロシアの呪いは、強力な魔力でかけられておる。 そんじょそこらの者がかけられる種のものではない」

「グレゴワールと名乗る者にかけられました。 私との婚姻を条件に…」

「ふむ…魔王グレゴワールか」

「長い眠りについていて最近目覚めたと聞き及んでいたが…」

 ルイスが険しい顔で口を挟む。

 

 アンブローズがメディーへ目配せをすると、卓上いっぱいに印のついた地図を広げた。

「これは……」

 ルイスは地図を見て印が示すところが何なのかを察した様子だ。


「最近魔物に襲われた場所、日付が記されておる」

「だんだん頻繁になっていますわね……」


「ここ百有余年、世界の均衡が崩れておるのを知っているか?」

 そう言うと、アンブローズは宙に弧を描く。

 まるでお伽噺を見ているかのように、映写された光景が浮かぶ。

「積日の戦いから弱っていた魔王は長い長い眠りについた」

 魔王が眠りにつく様子が浮かんでいる。

「魔王が眠りについている間に、魔界の勢力が二つに割れた。 ミノタウロスを筆頭にした反乱軍と魔王の側近たちである魔王軍だ」

 赤色の反乱軍と青色の魔王軍が対峙している。


「元々人間の世界や精霊の世界との境界線を犯すことを良しとしていなかった魔王軍に対して、反乱軍は違った」

 魔物たちが人々を襲う様子が映し出されたところで、宙の映写は残像を残してゆっくりと消えていった。


「では、最近あちこちで暴れているのは反乱軍ということか?」

「その通りだ」

「魔王は目覚めたんだろ? 何してる?」

 ルイスが冷静に問い質した。

 するとアンブローズがドロシアを見る。

 部屋にいる者全員の視線を浴びたドロシアは、飲み込めないままにルイスが質問した答えを待った。

「眠りから覚めた魔王の力はまだ不完全なのだ。 力を取り戻すためには魔王が選んだ伴侶との契りが必要になる」


 ドロシアはハッとした。

 グレゴワールがあの日、自分のことをやっと見つけた伴侶候補だと言ったことを思い出した。

「ただの求婚じゃなくて、そんな重大な意味があったなんて……」

 言葉なく固まるドロシアに対して、ルイスが一定のトーンで質問していく。

「伴侶の候補は複数いるものじゃないのか?」

「いや、魔王の選ぶ伴侶は託宣たくせんが下りた一人だけだ。 しかし……前伴侶は託宣が下りていない相手だったと聞き及んでいる」

「託宣……」

「ではこれを断れば世界の均衡は崩れたまま……反乱軍を止めることも難しいということなのか」

「……結論から言うと、そういうことになる」

 部屋中の空気がいっきに重くなる。


「先の伴侶が託宣の下りていない相手だったことと、長い間争いが続いていることに関連はあるのか?」

「僕にも詳しいことは分からぬが、関係なくはないだろう……」

 アンブローズは、卓上に広げた地図の印を指でなぞる。

「魔王の力が伴侶によって変わるのであれば、不完全な魔王を排除しようとする勢力が現れてもおかしくはない」


 重い空気の中、沈黙を破ったのはドロシアだった。

「ちょっと待って! そんな事情ならどうして私をこんな顔にしたの? わざわざ呪いをかけるなんて……」

「それは僕にも分からぬが……ドロシアを醜い姿に変えることが魔王にとって意味のあることだったんのではないか?」

「普通に求愛しても断られるからじゃないのか?」

 ルイスが真顔で口を挟む。

「こ……断るに決まってるでしょう!」

「だから呪いをかけて、元の姿に戻してもらいに来ることを狙ってるんだろ?」

「…………」

 ルイスの冷静な突っ込みに押し黙るドロシアだったが、混乱する頭を必死で落ち着かせようとしていた。

「……じゃあ何? 伴侶として目星を付けられた時点で私には選択の余地がなかったってこと?」

 こんなところでまで、美しさが枷になるのかとドロシアは暗い淵へと落ちていく。



「今ドロシアにある選択肢は三つだ!」

 アンブローズが三本の指を立てる。

「一つ目は魔王の伴侶となり、元の姿に戻ること。二つ目はその姿で愛してくれる者を探し呪いを解くこと。三つ目はその姿を無条件で受け入れること……」

 そう言ってから但しと強調して付け加える。

「世界の均衡を守る為の選択肢を一以外僕は知らない……」



 ドロシアは呼吸が上手く出来なかった。

 溺れたように、どうやったら息が吸えるのか急に分からなくなっていた。

(あぁ……どうしてこんなことになってしまったんだろう。 あの日バルコニーへ行かなければ、社交界デビューしなければ、こんな顔に生まれなければ)

 たらればを言い出したらきりがないことは分かっている。

 けれど、せっかく最悪な状況の中少しでも前向きに生きようと決めたばかりのドロシアにはあまりにも酷な宣告だった。

(ほんの少し前までなら迷いなく二か三の選択肢しかなかったのに、世界の均衡、平和ときたらむしろ一しかないわね……)


 捨て鉢になって、もうそれでも世の為人の為になるのであればいいかもしれないと思った時、ルイスが前に出る。



「世界の均衡? 平和? そんなもの天秤にかけることは全くない! それはドロシア以外でも出来得ることだ! 王国騎士団、王国筆頭魔法使い、国中の全勢力を上げて対処すればいい!」

 珍しくいつも冷静なルイスが感情を露にしていた。


「だから…お前はお前自身のことだけを考えろ!」


 その言葉に、暗い淵から一気に引き上げられたような気がした。

 溺れたように息苦しかったのが嘘のように、肺が空気で満たされていた。


 ドロシアは胸が温かくなるのを感じていた。

(絶対この人を振り向かせてみせる)

 改めて自分の意志を確認する。


「選択肢は一以外よ! 皆さんの力をお貸し願いたく存じます」

 その場にいた全員が満足げな笑みを浮かべた。

「勿論だっ!」

 王国騎士団隊長と、王国筆頭魔法使いの長が手を組んだ瞬間だった。






「アンブローズ、これからどうしたらいいのかしら?」

「我々が出来ることとして、町や村を襲撃している反乱軍を少しでも食い止めたいと思っている」

「分かりました。 私は出来る限り足手まといにならないよう心掛けますね」


「ドロシアそのことなんだが……」

「はい?」

「また後程、そなたの持っている魔力を測定させてもらいたい」

 ドロシアは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。表情が豊かなのが面白い。

「私……魔力など持っていないはずですが……」

「いや、そなたには魔力があると思うぞ。 それも決して弱くはないものが」


「えーーーーーーーーーっ!!」


 ドロシアは魔法使いの塔全体に響くような大声で驚嘆の声を上げたのだった。

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