形だけ大人になった僕たち

木痣間片男(きあざまかたお)

第1話 「はじめに」から:”一期一会”をテーマに人との関わりを語る

 当たり前かもしれないけれど、人生は一期一会、出会っては別れ、別れては出会うの連続である。人は、人との関わりなしでは暮らせないだろうから、望むと望まぬとに関わらず、たまたまこの時代に生まれ、たまたまこの地にいて、そして、たまたま行動をともにした、ごく一部の人間が僕の周りにもいる。多い少ないの差はあっても、誰にとってもそれは同じだろうし、生きるとはきっとそういうことの繰り返しなのだと思う。

 これまであまり意識してこなかったけれど、人との出会いは運命と言ってもいい。奇跡的な確率によって引き寄せられた大切な巡り合わせではないか。


 いつの間にやら年齢を重ね、人生の折り返しを過ぎた自分の生い立ちに正直戸惑っている。「月日が経つのは速いものだ」なんて悠長なことを言っている間に、平気で2~3年が経過したようにも感じられる。問題がなければ(起こさなければ)、この状態で残り十数年は働けるかもしれないが、ここらで一年くらいをかけて、これまで出会った人たちの記憶を整理しておきたくなった。というか、それをしておいた方がいいのではないかという焦りを感じるようになった。

 

 こんな僕でも思い起こせばたくさんの人と出会ってきた。そして、その先には別れがあった。離れることを自ら選んだ別れもあれば、望まない別れもあった。ときにセンチメンタルであったり、ときに清々しかったりした。

 一方、残りの人生において、あとどれぐらいの人に出会えるだろうか・・・・・・。ここ数年の暮らしぶりを考えると、きっとそれは、かなり限定的なものになるだろうという予感がする。

 もちろん、まだまだこれからという気持ちがないわけではないし、できるだけのチャレンジを続けていきたいと思っている。でもだからこそ、これからの出会いは、これまでよりもっと貴重で、さらに濃密なものになるような気がしている。「いままでがいい加減だった」というわけではけっしてないが、これからの出会いの一つひとつを大切にしていくために、(「僕にとっては」という前提が付くが)意義深かったと感じられる人たちを、一度振り返っておくことが、けっこう重要な営みになるような気がしてきた。


 “団塊の世代”、“新人類”、“バブル世代”、“就職氷河期世代”、“団塊ジュニア世代”、“ゆとり世代”、“ミレニアル世代”なんていう時代を切り取った言葉が次々と生まれた。そんな言葉でひとまとめにされたくないという抗いのなかで、僕のようなおっさんでも、「オレらだって、必死にがんばってきたんだ」と声高に訴えたい気持ちがある。

 が、しかし、「がんばってきたのは何もお前らだけではない」という反論を聞かされれば、黙って下を向くしかない。

 上から浴びせられる「終戦や高度経済成長も知らないくせに」の批判や、下から投げつけられる「バブルでいい思いをしたんでしょ」の合唱に、正面から太刀打ちできる根拠はない。“新人類”として、「忍耐力がない」、「甘えている」、「常識が通じない」と揶揄された一方で、“バブル世代”として、「24時間戦えますか?」に従って、長時間労働に耐えてきたにも関わらず。


 三流私大とはいえ医学部を卒業し、医者になって、母校の大学病院において、理不尽なほどハードな臨床と研究との日々を送ってきた。ある事件をきっかけに志の途中でキャリアを捨てることになった。が、後悔はしていない。その後は被災地病院に転勤し、人生のリセットを試みている。

 私生活においても紆余曲折あり、離婚を一度経験している。子供はいない。それゆえに、いろいろと偏屈な部分が多く、人付き合いが苦手だ。いよいよもって両親が老齢化してきて、何かと手間がかかるようになった。母親は乳がんを患い、いま認知症が進んでいる。

 

 たいした趣味を有しているわけではないが、被災地のここにおいてもこうしたエッセイの執筆や、せめてもの楽しみとして乗馬を嗜んでいる。マラソンチームを作ったり、木工教室を運営したり、“エッセイ講座”を開講したりといった社会活動を展開することによって、市民との交流をはかっている。

 

 人間を観るのは好きだけれど、先にも述べたように人付き合いがいいとはとても言えない。でもこんな僕だけれど、忘れられない人が少しだけいる。その忘れられないほんの一握りの人の共通点を探ってみると、一時にせよ本心を語ってくれたということだ。上っ面だけの何百、何千という“友人”よりも、たった一人の“真人”にこそ価値があった(仲良くなったとは限らないけれど)。


 “回顧録”のようなものを人との付き合いから語ろうとしているのだから、当然、人との関わりを紹介しないわけにはいかない。いや、ちょっと違う。失礼や懺悔のあった人たちへの罪滅ぼしにでもなればと願う気持ちが、本テーマでもって、僕にエッセイを書かせようとしているのかもしれない。

 

 いつの間にか夢を追いかけることを諦めた僕らにとっての希望はなんだろう。「人生なんてこんなもの」と思わざるを得ない状況のなかで、過去に出会った人たちを振り返ることで、これから出会えるであろう人たちに想いを馳せるしかないのか。それほど重く考える必要はないが、そうやって希望をつないでいくしかないのだろうか。

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