第32話 運命の別れた“その日”

 その日は、何の変哲もない朝だった。

 強いて言うのであれば、朝からずっと雨が降っていて、いつもより部屋の中が暗かった。


「……グラシア、少し良いかい?」


 いつもなら仕事に出かけてしまうセシルが、朝から自分の部屋にやって来たことに、グラシアは首を傾げつつも扉を開いた。


「セシル様、どうされ、て……?」


 扉を隔てた先に居たセシルは、どこまでも冷たい瞳でグラシアを見つめていた。

 怒っていると感じ取れるセシルの視線を受け、グラシアは「何故」と考えた。


 セシルが怒る理由に、心当たりがない訳ではない。

 だが、グラシアがセルディナを虐めていたのも、その食事に毒を入れていたのも、今に始まった事では無い。

 今までずっと、セルディナの事を気にも留めていなかった筈のセシルが、突然グラシアの部屋にやって来たことに、グラシアは「どうしたのだろう」と、理由を思い浮かべることが出来なかった。


「セルディナが大人しくなったのは、環境が変わってしまったからだろうと考えていた。甘えることが苦手なだけだと。そう考えていた私は愚かだった」

「セシル様?」

「君だろう。セルディナの笑顔を消し去ったのは」

「何を……?」


 誤魔化そうとしたグラシアだったが、セシルはその返事を聞こうとはしなかった。

 グラシアの自室の中を歩いていき、セシルが開いたのは、部屋の中にある化粧台……その、引き出しの一つだった。


「そこは!!」


 引き出しの中に入っているものを思い出したグラシアは、セシルを止めようとしたが遅かった。

 中に入っていた、数種類の毒物を手に取り、グラシアはセシルを睨みつける。


「私の唯一の娘は、こんなものに苦しめられていたのか。君が毒物を誤って飲んで、倒れた時からおかしいとは思っていた。こんなことになるまで気付くことの出来なかった、私自身殺してやりたい」

「セシル様、そんな……嘘ですよ、ね?」

「ああ、本当に。嘘だったらどれ程良かったか……」


 セシルは呟いて、テーブルの上にあったグラスに、持っていた毒の花を落とした。

 紫色の花は、蜜が強い毒で。グラシアも何度か、セルディナに飲ませたものだった。

 トロリ、と。花の蜜が水に溶けていく。花が入った事で揺らいだ水に、グラシアはごくりと生唾を飲み込んだ。


「これを飲んだら、私は君を許そう」

「飲まなかったら、どうなるのでしょうか?」

「簡単だ。自分で飲まないなら、飲ませるだけだ」


 セシルからグラスを差し出されたグラシアに、もう逃げ場はなかった。


「あ、あ……」


 手が震えてしまって、グラスが滑り落ちそうになる。

 だが、それを許すセシルではなかった。


「零れてしまったら、その時はこっちの毒を使おう。こんなものまで、手に入れるのは大変だっただろうに」


 セシルが取り出したのは、先ほどグラスの中に入れられた毒より、苦痛が酷いタイプのものだった。

 どうやったって逃れられないのだと悟ったグラシアは、諦めてグラスに口を付ける。

 毒とは思えない、甘い味が口いっぱいに広がって。グラリと視界が揺れた。

 倒れるグラシアを、支える手は伸ばされなくて。


「君の毒と、私の無知がセルディナを苦しめてしまった」


 呟いて、セシルは目を瞑った。

瞼の裏に思い浮かべるのは、セシルに背を向けるセルディナの姿。


「セルディナのもたらす全てを受け入れよう。それが私に出来る、せめてもの償いだ」


 王子の婚約者であるセルディナが失踪した事は、マクバーレン公爵家の失態として罰せられるだろう。

 セシルは、それらの全てを受け入れようと考えていた。






 その日、グラシア・マクバーレンは病死した。

 ……正確には病死ではないが、表向きは病死とされ、グラシアはひっそりと舞台から消えた。




 その日、セシル・マクバーレンは全てを失った。

 愛していた娘を失い、妻のグラシアを失った。暗い部屋の中、セシルはたった一人の娘の事を思う。






 その日、アルシア・アルセルトは……。






「酷い雨だ」


 その日は、朝から豪雨が降り注いでいた。


「父上の具合はどうだ?」

「担当医の話では、今日が山場とのことです」


 アルシアの父である、現国王が病によって倒れたのは先日の事だった。

 元々抱えていた持病は公にされていなかったけれど、もう長くはないと、アルシアも前々から告げられていた。


「……そうか」


 予想はしていた事だったが、アルシアが受けるショックは大きかった。

 今日が山場という事は、もしかすると明日には父が死んでしまっているかもしれないということで。そうすれば、王位はアルシアへと回ってくる。


「父上……」


 アルシアにはまだ、父を失う心の準備も、王冠を被る覚悟も出来ていなかった。


 俯いていると、雨粒が地面を叩く音がよく聞こえるようで。

 ザァザァと大きな雨音に潜むように、複数の足音が響いていた。


 突然、閉ざされていたアルシアの扉を開く人間がやって来て。


「アルシア様!!城下町で魔物が大量に暴れているとのことです!!制止の命令も聞かず、町の建物を破壊中。町は混乱に陥っております!!」


 国王が病床に伏せた国で、アルシアはそんな報告を受けた。

 一時、アルシアは告げられた報告の意味が分からず、口を半開きにして固まって。その言葉の意味を理解すると、バン!と机を叩いて立ち上がった。


「魔物はが命令を聞かないなんてあり得ない!」

「で、ですが!現に今も魔物は暴れています。騎士が対処に当たっていますが、自由に魔法を使う魔物に、被害は広まるばかりです!」


 アルシアの脳裏に、父である国王から伝えられている、国の機密事項の存在が過った。

 魔物を縛り付けるに何かがあったのではいかと考え……直ぐにそんな筈がないと思い直す。


 ―――を知っているのは、両親と僕だけだ。

 ――――――に何かが、起こる筈なんてない。


「……もしかすると、高位貴族の人間が魔物に対して、暴れるように命令をしているのかもしれない。魔物への命令は、爵位によって優先順位が決まってくる。支度が出来次第、僕が町に出て魔物に命令をする」

「はっ!」


 城下町へ向かうため、立ち上がったアルシアに対し、側に控えていたラルムは「良いんですか?」と尋ねた。


「……この場で動けないのなら、僕が王族である意味がない」


 一瞬立ち止まったアルシアは、父が居るであろう部屋に視線を向けて、そう言った。


「父上も、きっとそう思う筈だ」


 そうして、歩き出したアルシアは振り返らなかった。

 その姿は、次期国王という重役を背負うに相応しく。ラルムはその背に、現国王の姿が重なって見えた気がした。


「速やかに事態を収束させるぞ」

「我が主の仰せの通りに」







 アルシアはその日、雨の中。病に倒れた父を置いて、町へ降りた。


 そこで……



「何だ、これは……」



 ……信じられない光景を目の当たりにする事となる。





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