第25話 王子は婚約者の心が欲しい

 アルシア・アルセルト……この国の第一王子は、この所悩んでいた。

 それは……


 ―――セルディナは、あの従者の事が好きなのだろうか?


 ……自身の婚約者である、セルディナ・マクバーレンの事だった。


 ずっと昔から恋焦がれていたセルディナと婚約を結んだアルシアだったが、二人が話したのは、毒殺未遂事件のあった夜会のみ。

 それすらも、セルディナはその時に飲んだ毒の影響で、覚えていないと言う。


 アルシアがどれ程セルディナの事を想っていても、きっとセルディナは、どうしてアルシアがセルディナとの婚約を望んだのか、分からないだろうとは予想していた。

 それでも。セルディナと交わした会話が無かったことになっていたとしても、婚約者として少しずつ、距離を詰めていくことが出来れば良いと思っていて……


『ロキ』


 ……焦っていない、筈だったのに。


 婚約者となってから初めて会ったセルディナが、従者の男に向けた笑顔に、アルシアは自分でも驚くほど動揺した。

 従者に向けて笑ったセルディナの表情は、安心しきった、柔らかいものだったから。


『アルシア殿下?』


 次いで振り返ったセルディナが、アルシアへと向ける笑顔は、どこか他人行儀なものだった。

 少し硬くなった笑みに、こちらの出方を伺うような瞳は、従者へと向ける視線とは違い、距離を感じてしまった。


 仕方ないとは思う。アルシアが毒を飲ませてしまった罪悪感から、セルディナの元へ向かう事ができなかった間、セルディナの側にいたのは従者の男だ。

 馬車へ乗り込むセルディナへ手を差し伸べ、補助をする様は流れるようで。強固な信頼関係ができる程、彼等は共に過ごす時間が長かったのだろう。


「……セルディナは、あの男が好きなのだろうか」


 浮かんだ疑惑は、アルシアの中で大きくなるばかりで。


「そんなに気になるんでしたら、会いに行けば良いじゃないですか」


 悩むアルシアに声を掛けたのは、アルシアの近衛騎士を務める男のラルムだった。

ちなみに、以前にセルディナが王城へ来た時に、案内をしていたのもラルムだが、セルディナを前にしている時よりは、若干言葉遣いも雰囲気も緩くなっている。


「だが、セルディナは体が弱いと言うし……」

「最近は調子が良いから婚約を結んだのでしょう。それに、この前会った時の顔色も良かったじゃないですか」

「……まぁ、そうだな」


 渋るアルシアに、「悩んだって、一人じゃ答えは出ないですよ」と、ラルムは励ましなのか、投げ出しているのか分からない事を言った。


「……お前は、悩むことなんて無いんだろうな」

「俺ですか?俺の悩みは尽きないですよ」


 ジトリと視線を向けたアルシアを前に、付き合いの長いラルムは気にせず、「今日も大切な妹を置いて仕事に行くべきか悩んだ位ですから」と告げる。


「仕事って……僕の護衛だろう。それを本人の前で言うのか……」

「いつも言っているでしょう。俺の一番は妹だって」

「ああ、そうだ。お前は過度な妹好きそういう奴だったな」


 何せ、「そんなに大事にしている妹なら、一度会ってみたいな」とアルシアが言った時に、真顔で「嫌ですよ。殿下が妹に惚れたら困りますから」と断るのが、ラルムという人間だ。

 付き合いが長いとは言え、王族相手に「惚れられたら困る」など失礼だとは思うが、妹関連以外だと優秀な男なので、アルシアも今更気にしない事にしている。


「今日も、行きたくないから、家に居ていいかって聞いたら、〝お兄ちゃんには、皆から頼られる大切なお仕事があるんだから、行かないと困っちゃうよ〟って怒られまして……」

「だから、それを護衛対象の僕に言うか?」

「そういう事だと思うんですよ」

「どういう事だ……」

「ちゃんと言葉で聞かないと、相手がどう思っているかも伝わらないでしょう」

「……この流れでまともな事を言うのか」


 悩んでいるのも馬鹿らしくなってくるラルムの言葉に、アルシアは「はぁー……」と長い溜め息を吐き出して。それから、「明日、マクバーレン公爵家の家に行く。連絡を入れておいてくれ」と命じた。


「承知しました。……ご令嬢には、何か伝言はありますか?」

「ない。……いや、“会えるのを楽しみにしている”と」


 一度は否定しかけたアルシアだったが、直ぐに思い直して伝言を頼んだ。

 不器用な主アルシアの、慣れていない恋の行方が、どうにか上手くいって欲しいと思いながら、ラルムはマクバーレン公爵家へ使いを出した。











「あら、まぁ……」


 ところ変わって、マクバーレン公爵家の一室。

 部屋の中で、ダリアとギナンの言葉遣いを直すための授業をしていたセルディナは、突然入った連絡に、困ったような声を出した。

 頬に片手を当てて悩むセルディナに、ダリアが声をかける。


「どうかしたのか?」

「姫さん、困り事かァ?」


 ……ダリアもギナンも、変わっていないように見えるが、これはセルディナだけの時は気にしなくて良いと言っているからだ。

 他の人間がいる時は、言葉遣いを変える……筈だ。多分。


「アルシア殿下が明日、こちらへ来るらしいのだけど……明日は新設する孤児院の建物を購入するために、街へ行く予定だったのよ。もう約束もしてしまっているのだけど、殿下の来訪を断る訳にも行かないし……」


 「困ったわね」と呟いたセルディナは、ふとダリアの事を見た。


「そう言えば、ダリアは姿を変えられるのよね」

「セナ?変なこと考えてないか?」

「言葉遣いも直すことが出来たし……」

「セーナー???」

「そうよ!ダリアに私の振りをしてもらえば良いじゃない!」

「無理に決まってんだろ!?」


 突然の無茶振りをされたダリアは、ポカンと口を開いてセルディナを見た。

 最初は冗談だと思っていたギナンも、セルディナの真剣な様子と、その背後に居るロキの、笑顔のまま固まる姿に、どうやら冗談では無いらしいと悟った。


「いやいやいや、姫さん。ダリアだぞ?普通に考えて、姫さんの振りなんてバレるに決まってンだろ?見た目は変えられるって言っても、中身は馬鹿で粗雑ダリアだからな!姫さんとは似ても似つかねェよ!」


 ……と、ギナンはダリアのためを思って言ったのだが。


「誰が馬鹿でソザツ?だって!?セナの振りぐらい、アタシだって出来るに決まってるだろ!!!」


 如何せん、ギナンの言葉のチョイスは悪すぎた。

 怒ったダリアが、そう言って。


「ダリア、お前まで何を言ってンだ?姫さんだって、まさか本気じゃねェだろ!?」

「セルディナ様は本気ですよ。明日、ダリアさんのフォローをお願いしますね」


 苦笑いを浮かべてロキが、ギナンに頼んできて……ギナンは「嘘だろォ?」と、もう一度呟いた。





 “会えるのを楽しみにしている”という、アルシアからの伝言がセルディナにまで伝わっていれば、もしかすると、セルディナも違う選択をしていたかもしれない。

しかし残念なことにその言葉が、伝言の書かれた書状を受け取ったグラシアから、セルディナに伝えられることは無かった。





「そうよ。ダリアなら出来るわ。よろしくね」

「おう!任せておけ!」


 ……斯くして、不安しかないアルシアの訪問が始まろうとしていた。




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