部屋に集う

『白羊宮』から引き揚げた管理人を覗く四人は、サロンに集合していた。

 管理人は厨房に入っていったが、かなり朝食の時間を過ぎていたにも関わらず、まだ朝食を摂りに来ていた人間はいなかった。これ幸いと、朝食の準備を再開した管理人だったが、残りの四人は朝食を摂る気にはならず、かといって各自の部屋に戻る気も起きないので、サロンで休憩をしようということになったのだ。

 疲れたようにソファーにうなだれる青柳に、秤谷がコーヒーを入れる。勿論、自分の分も魚沼と佐曽利の分も忘れなかった。お礼を言って受け取ったので、それを聞いてから秤谷はようやくソファーに体を沈めて休むことができた。

 改めて全員の顔を見渡してみると、皆起きたばかりなのだが、すっかり疲れた顔色をしている。それはそうだろう、せっかくの休日としてこの館に足を運んでいたのに、こんな状況になってしまうと、養った生気もどこかに飛んでいってしまう。


「それにしても、大変なことになりましたね。これから管理人さんはどうするつもりなのでしょうか」


 魚沼が、かなり大量の砂糖とミルクをコーヒーに投入してから呟く。つい体に悪いですよ、と突っ込みたくなったが、こういうことを言うような間柄ではなさそうなので黙っておく。


「どうするもなにも、電話は通じない、館から出られないんじゃ大人しく外からの救出を待つしかないんじゃないの」


 佐曽利はミルクを多めに入れている。秤谷も青柳もブラック派なので、よく飲めるな、という感想を持ちながら眺めていた。

 こればかりは佐曽利の言うとおりである。正直早く扉を開けて外に出たいのだが、そう簡単にはいかないことを、先日自分たちの身をもって証明してしまった。

 また、今話しているのはあくまで『ここから出るために管理人はどうするのだろうか』という話で、もう一つ残りの宿泊客に明村が亡くなったことをどう告げるのか、という問題も残されている。

 ふと、青柳が話しかける。


「そういえば佐曽利さん、ずっと気になっていたんだけど、あなた最初に会ったときと随分印象が違うような気がするのだけど」


「そうですか?って言いたいところだけど、事実ですからね、否定はしません。なんていうか、仕事柄初対面の人間と話すときに猫をかぶってしまうんですけど、こんな状況で被る必要はありませんからね」


 そう言って彼女は、大げさに肩をすくめてみせた。

 確かに青柳の言う通り、第一印象からは離れたものになっている。

 秤谷が最初に会ったのは、今日から四日前で食えない印象というか、なんとなく近寄りがたいが何故か目を引いてしまうような印象があった。おそらく服装の影響が大きいのだろうが、それでも生理的に受け付けないような性格をしていたように見えた。

 しかし、今の彼女は少し哀愁を漂わせているというか。歯に衣着せぬ物言いをするところは変わっていないのだが、なんとなく隠していた本心を少しだけ見せ始めたように思える。

 また、最初は誰に対してもタメ口で話していたのが、年上に対しては敬語で話すように変化していた。


「私のことはいいので、お医者さん二人から明村さんの遺体の印象とかを聞きたいんですけど」


 その言葉に、元医者の二人は一瞬困ったように顔を見合わせる。

 というのも、今は退職している身でも医者であったことに変わりはなく、その人間が何か言ってしまえば、その発言に責任がついてくるのではないか、という不安があった。また、それを踏まえた上で、一般市民にこういう話をしてもいいのだろうか。

 だが、即座にこの密室のような状況下で、下手に情報を隠しておくのは得策とは思えない。何かを隠していると疑われてしまえば、犯人に祀り上げられてしまうかもしれない。あと何日続くかわからない状況で、孤立してしまうような状況だけは避けたい。

 常識ある人間なら、簡単に人を疑うようなことをしなさそうだが、極限の状況になってしまうと、人間は何をするかわからない。


「印象……というか、私が話せるのは遺体からわかる状況だけしか無理だ、ってことを念頭に置いてほしいわ。

 まず、死亡推定時刻だけど、専用の器具があるわけではないし、お湯に浸かっていたから正確な時間はわからない。ただ、それでもある程度全身に硬直がきていたから、六時間から八時間以上は経過している。発見された時間が午前七時前だったから、昨晩の日付が変わる前後ぐらいかしら。壁に飛び散っている血痕から考慮して、明村さんはお風呂に入っているときに犯人に襲われた、ってところね。

 死因は、昨日の霜触さん同様、背中から心臓を一突きされての失血死。だけど、お湯が溢れていたのは全員見たでしょう?そのせいで、身体から流れ出た血はほとんど流れてしまっている。

 そして一番の謎は、これね」


 青柳は、先ほど明村の口の中から取り出した紙切れを、テーブルの上にそっと置いた。

 三人はちらりとそれを見ただけで、それ以上見ようと思わなかった。正直、こんなに色々なことが起こっている状況で、よくわからない暗号めいたことを考えようとは思わない。


「とりあえずその文章はあとにして、いくつか質問していいですか」


 魚沼の質問に、青柳が肯定の意を見せる。


「明村さんは本当に誰かに殺されたのでしょうか。自殺だった、とかはありえませんか?」


「私の見解としては、他殺だと判断しているけど、何かそう考える根拠でもあるのかしら」


「そうですね、例えば彼女が死んでいるのが風呂場で、かつ入浴中に死んでいる、というのではどうでしょうか。他殺だとして、女性が一人入浴しているときに背後から襲う、というのはかなり無理がある気がします。完全に気を許している家族のような存在ならともかく、今この館内にはそれに該当する人間はいません。それに、入浴中に殺されているにも拘らず、現場があまりにも綺麗すぎます。普通は現場内に暴れた跡が残っていたり、明村さんの体に何かしらの影響が残るのでは?その状態で心臓を一突き、なんてものは難しいのでは?」


「なるほどね、では疑問を一つずつ潰していきましょうか。まずはそうね、彼女が抵抗した跡があったかどうか。先に結論を言うと、ざっと見た限りではなかった。よく抵抗するときに爪を立てて相手を掴むけれど、そのときに相手の皮膚の一部が爪の中に残されるのね、それがよく襲われたときに証拠を残すために爪を立てて抵抗しろ、って言われるのはこのせいね。まあ、この際この是非は置いておいてほしいのだけど、彼女の爪にはそういった痕跡はみられなかった。仮に知識のあった犯人が爪に細工をしていった、という可能性も捨てがたいけど、彼女の爪は綺麗にネイルされていて最近手を入れたようには見えなかった。

 続いて心臓を一突きの話だけど、これがちょっと無理があるのよね」


 そう言った青柳は急に立ち上がると、どこからかボールペンを取り出して秤谷に投げて寄越した。


「秤谷先生、自分の手だけを使って背中から心臓を刺せる?ああ、真似事だけでいいからね、本当に刺すとかやめてよね」


 当たり前だ、何を言っているんだこの元上司は、と言いかけたが、そういえば彼女は時々こんな冗談を言うような人だったな、ということを思い出した。どうやら、少し話している間に、多少冗談を言えるようにまでは回復してきているらしい。不謹慎だな、という感想を持ってしまうが、正直に言えばこの冗談で元気が出てくるのだから、少しだけ感謝した。

 言われた通り、ボールペンを凶器に見立てて背中から心臓を刺そうと試みる。しかし、最近体が硬くなってきているという影響もあり、心臓の位置まで手が届いているのか怪しい。案の定背後に周った青柳から「ペンの位置がずれているよ」と笑われながら言われた。


「現場の環境も、実験体の条件も揃っていないが、自分で背中から刺すのが難しいのはわかったかな?」


 魚沼が頷いたのを見て、説明を続ける。


「第一自殺しようと思う人間が、なぜ背中から刺すのかがわからないんだけどね、普通確実に心臓を刺せる前面から刺すはずだよ。それに、背中が見えない状況で確実に心臓を一突きするのは凄く難しい。あの風呂場に一応鏡はあったが、それを使ったとしても微調整する間に小さな傷跡が生まれるはずなの。でも、明村さんの背中にそんな傷はなかった」


「じゃ、じゃあ何かの装置を使って自殺したとか」


「魚沼さん、本気で言ってる?そんなもの、というか怪しいものは風呂場のどこにもなかったはずよ。それに、君はもっとも重要なことを見落としている。自殺だったら背中に凶器が残されるはず。でも、少なくともし、抜け落ちたとしても浴槽内のどこにも




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