第3話 「とりあえず」王女

 長い衣の中が二重になっていて、何枚か紙が雑に押し込まれていた。捕り物の際に動かされて端が折れていたが、本体は無事だ。アイラはそれを、卓の上に広げるよう指示を出す。


「終わったら、そっちの紙に水をかけてみて。適当な水さしのでいいわ。それで数字が浮かぶはず」


 押収した紙が全て卓の上にそろった。兵が、店に備え付けてあった水差しから水をかける。すると、全ての紙に色濃く数字が浮かび上がった。


「どういう仕組みなんでしょうねえ。面白いなあ」


 周囲が説明を求める空気になったのを見計らって、連れの男がわざとらしく言った。アイラはそれに応える。


「洗濯用の石けんを紙に塗って、乾かすの。乾けば文字は消えるけど、水をかければ石けんの成分があったところだけ余計に水を吸うから、そこだけ色が濃くなる」

「……そんなことだったのか」

「だから綺麗な白い紙じゃないとだめだったのよ。周りとの差がわかりやすいものを選ばないとね」

「なるほど、まさに子供の悪戯……ひとつ質問。あなたもこれで遊んだくちですか」

「まあね」


 連れの男に問われて、アイラは白い歯を見せた。その横で、銀髪の男が何度もうなずいている。


「もしカモに詐欺を疑われたら、なんの加工もしていない紙を見せればいいってことか。しかし、間違ったら大事だな」

「よく見てみなさい。なにも仕掛けがなかった紙は、角が丸く切ってあるの。懐の中にあっても、指先で触ればわかるわ」


 種は全て明かされた。客たちの顔にあった熱気もどこかへ飛んでいき、ひとりまたひとりと霊媒師から離れていく。そしてうち捨てられていた杯が、次々に飲み干された。それを横目で見ながら、連れの男がなんでもない様子で口を開く。


「大変よくわかりました。……ついでにもうひとつ聞きましょう。あなたは何者ですか? 何故、衛兵があそこまで言うことを聞くのですか?」

 

 いきなり鋭くなった声。それに核心に触れられて、アイラはわずかに眉をあげた。


「私は……王妃アーユシの姪であり、この国の王女よ。アイラ・フィーリウス・レーギス。聞いたことない?」

「あ」

「やっぱりか……信じたくなかったが」


 銀髪男二人が、なぜか目を合わせてため息をつく。その様子を、周囲の客や衛兵が面白そうに眺める。酒をあおりながら、おのぼりさんにモノを教えてやる口調で皆が言い始めた。


「落ち込んでる落ち込んでる」

「無理はないねえ」

「正装してれば、少しはらしいのになあ」


 それを聞いた霊媒師が、急にいきりたった。衛兵に両腕をつかまれつつも、唾を飛ばしながらわめく。


「あんた、頭おかしいんじゃないの。王女? 人の顔面に果物投げてくる王女なんかいるわけないじゃない」


 それを聞いた客や衛兵が、すかさず霊媒師に対して声をあげる。


「なんだと」

「とりあえずとはいえ王女に」

「これでも王の娘だ」

「王の肖像画にそっくりじゃないか。それ以外の証拠を求められると困るけど」


 聴衆の声が若干おかしい気がするが、アイラは手をふって彼らに答えた。まあ、おおむね慕われていると考えていいだろう。細かいことは気にしないのだ……と自分に言い聞かせてからアイラは霊媒師に歩み寄って笑みを浮かべる。


「王家の人間の名を使った金儲けに加え、王女への侮辱……生きているうちに、太陽の下を歩けるとは思わないことね」


 今度こそ顔色を真っ白にした霊媒師を、衛兵たちが引きずっていった。それを見ながら、連れの男がアイラに聞く。


「そんなに長い刑になるのですか? あのせこい詐欺が」

「知らない。犯罪の量刑なんて、裁く前からわからないわよ」

「やれやれ、適当な脅しですか。怖い人だ」

「叔母の名前を出さなかったら、もう少し優しくやったんだけどねえ。たっぷり後悔させておいてやろうと思って」

「悪役くせえ台詞だなあ」

「うるさい」


 衛兵たちが外へ出てから、アイラはやっと息をついた。傍らの男たちも、身支度を調え出す。


「あら、もう出るの?」

「なんとなく、居づらい。他所で飲み直すさ」

「仕方無いわね」

「その分、良いものが見られました。では、我々はこれで」

「はいはい、さよなら」

「……あなたとはので、同じご挨拶は控えましょう。その時まで、ご息災で」


 男たちは意外に綺麗な礼をすると、そのまま店を出て行った。通りを曲がることなく、その姿が消えたように見えたのは──きっと、気のせいだろう。


 アイラも外へ出た。外界へ通じる青い海に面した港には、小型の帆船が並び出港を待っている。その奥には、船着き場に寄り添うように灯台が立っているのが見えた。


 港を出るとすぐ横には黄色や赤に塗られた華やかな家屋が建ち並び、市場街の橙色の屋根が日の光を浴びて輝いている。船から下りた客──多くは外国から来た商人──の中には、興味深そうにそれをじっと見ている者もいた。


 港を出ると道に勾配がつく。人足たちや商人の姿はまばらになり、上にあがるにつれて、家の色彩はうすれ白に近づいていく。高台にそびえる白い壁の塔は時計台、その下にあるのは基礎的な教育を行う軍学校とその教練所だ。


 文官や神学生のための基礎学校も少し離れてこの地区にあり、かしましい声をあげながら学生たちが道を下りていく姿がそこここで見られた。週にいくらかしか与えられない外出時間を満喫しつくそうという、濃いがすがすがしい欲のにおいがした。


 アイラはその喧噪の横を黙って通り過ぎる。学生たちがその姿を見つけて、歓声をあげ手を振った。


「あ、アイラ様だ」

「また宮殿を抜け出したんですか?」


 アイラは何も言わず、にやりと笑ってみせる。学生たちはそれを見て、共犯者のような微笑を返してきた。


 学生も校則で縛られており、不自由な身の上である。規則の多いアイラの気持ちも理解してくれるようだ。お互い大変だね、と無言の会話を交わしながらすれ違った。


 それからも、多くの声がアイラに向かって投げかけられる。その多くは好意的なもので、アイラはそれを聞きながら王宮に向かって歩く。そこに初めて怒声が混じったとき、まいてやった護衛の兵士が迎えに来たのだとわかった。


 兵士の乗る大鳥が日射しをさえぎって、地面に大きな影を作る。さて、今度はどんな小言が聞こえるかと思いながらアイラは宙をあおいだ。



☆☆☆



 アイラに小言を言うのは兵士だけではない。雑な詐欺に関わってしまったせいで、帰ると約束した時刻を過ぎていた。躾を一手に引き受けている侍女頭がさぞかし怒っているだろう、と容易に想像できる。


「約束を破ったら、水瓶に漬けますからね!」


 出ていく時に、しつこく言われた台詞が蘇る。そろりと戸口から室内を覗いてみると、腕を組んだ侍女頭の横に、立派な白色の水瓶が置いてあった。


 漬けられた。

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