第3話

 家に帰って、夕飯を済ませ、デザートのギリシャヨーグルトを食べながら、僕らは今日の会社での出来事を話していた。リミちゃんは「全然大丈夫だよ」と笑うが、本当は心を痛めているのを知っている。こういう細かい、チリチリするような嫌なことが積み重なって、たまに爆発してしまうのだから。今日は、発散したばかりだったから大丈夫なんだろうけど。

 それにしても、部長の態度もさることながら、清野さんのおかげでリミちゃんに余計な負担がかかってしまった。僕はそのことについて、結構腹を立てていた。

「清野さんって、どうなのあれ?」

 僕がギリシャヨーグルトの容器にへばりついたパッションフルーツソースをかき集めながらそう言うと、リミちゃんは眉を下げて、困った顔で笑った。

「まあ悪気はないんだろうし……ていうか、実際いい子だよ、清野さん」

「いい子かなぁ?」

「いい子いい子。いい人だよ」

 リミちゃんはコンビニに小さなプラスチックのスプーンに、ヨーグルトとソースを器用にバランス良くすくう。赤いソースのかかったそのひとすくいが僕の方に差し出される。ぱくりと口に収めると、いちごの甘い香りが鼻を抜ける。リミちゃんはいつも自分の分を僕に分けてくれる。本当に優しい。そういうところが大好きで、でも心配になるんだよな。

「……わたしの夢のことも、笑わないで聞いてくれたし」

 いちごとリミちゃんのスイートさに気を取られて、何の話をしていたか、一瞬忘れてしまった。

「誰が?」

「清野さん」

「えーと、夢のこと?」

「うん」

「話したの?」

「うん」

 知らなかった。リミちゃんが清野さんとプライベートな話をするくらい仲が良かったとは。

「たまたま給湯室で一緒になって。清野さん、学生のときは国際ボランティアに参加してて、本当は卒業したらアフリカに移住するつもりだったんだって。でもお父さんに、まずは社会性を身に着けろって言われてうちに入ったらしいよ」

「へー」

 どうりで、と思ってしまった。アフリカでボランティアする人っていうイメージと、会社での正しさに向かって邁進するあの態度は、なんだかとてもしっくりきた。いや、偏見かもしれないけど。

「うちで三年働いたらアフリカに行くんだって。すごいよねぇ。夢っていうか、目標? がちゃんとあって。そしたら聞かれたんだよね」

「何を?」

「夢」

「あー」

「清野さんの勢いに押されてポロっと言っちゃって……でも、清野さんなら笑わないで聞いてくれるかも、って期待も、うん、ちょっとあったかも。やりすぎなところもあるけど、人の夢を笑うとか、そういうことは正しくない! って思ってそうというか」

 そんなイメージない? と言いながら、リミちゃんは二人分のヨーグルトの器を持って台所に向かう。僕も立ち上がって無意味についていく。

「わかる」

「ね」

 じゃー、と水を出して軽く容器をすすぐ。

「実際、ちっとも笑わないで、目キラキラさせてさ、いいじゃないですか! って。なんかわたし、ちょっとうるっときちゃった」

 すすいだカップを洗いカゴに伏せて、リミちゃんは振り返った。

「だから、清野さんはすごい、いい人だよ」

 にっこりと笑う。僕もつられて笑う。

「それでね……」

 リミちゃんはポケットをまさぐって、スマートフォンを取り出した。何度か画面をタップして、くるりとこちらに画面を向ける。


『未経験者歓迎! 新人女優オーディション』


 そう書いてあった。

「清野さんが見つけてくれたの。直接会場に行ったら、一次審査は全員受けられるんだって」

 リミちゃんが照れくさそうに言う。僕はこのとき、はじめて清野さんのことを見直した。口だけじゃなく、リミちゃんのために行動してくれたのか。

「受けるの?」

「うーん……どうしよっかなぁ……」

 煮え切らない様子でもじもじと膝をすり合わせている。でも、これまで僕が「オーディションとか受けてみたら?」と勧めたときより明らかに前向きな反応だ。清野さんへの謎の嫉妬が胸に渦巻いたが、それはこの際不問にしよう。リミちゃんが前向きになれたことのほうが重要だ。

「受けてみなよ。やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいいって」

 陳腐なことを言ってしまった。でもリミちゃんは「そっか、そうだよね」とつぶやいて、

「うん、わたし、受けてみたい」

 そう胸を張った。

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