換気扇は静かに回りはじめた。

 回る回る換気扇。くるくる廻る換気扇。指に注意。


「サンタクロース憑依説」


 私は先程のユミコの言葉を繰り返した。無意識に、口調まで真似てしまい、ユミコに一睨みされる。一つ咳払いをすると、ユミコは話しはじめた。


「つまりね、サンタクロースにはそもそも実体がなくて、悪霊みたいに、家の中の誰かに乗り移るんだって」


「女の子が考えそうだね」


 と私は軽く笑う。でもユミコは笑わない。雰囲気が大事なんだったな、と私も口を引き締めた。するとユミコは、僅かに首を傾げながら顎を反らし、微笑を浮かべた。やっとその気になったな、とそんな顔である。


「プレゼントはどうやって?」


 私は囁いた。


「それはね、取り憑かれた人の、サンタクロースを信じる心を元にして、一から作られているんだって」


「なんだかオカルト染みてきたね。それから?」


「信じる心を抜かれるのだから、サンタクロースに取り憑かれた人はサンタなんか信じなくなるし、まして自分が取り憑かれているなんて思いもしない。そして子供の方といえば、信じる心で作られたプレゼントを貰って、ほんの少しだけ子供でいられる寿命が延びる」


 ゴーグルがいつの間にか曇っていた。視界不良にご注意。

 マスクを着けたまま、ひそひそと囁くユミコの声は、聞き取り難いことこの上ない。メモのご用意はよろしいですか。

 つんと香る洗剤。混ぜるな危険。

 皿の上に乗せられた最後のジンジャーブレッドマン。このクッキーにはアレルギー物質が含まれています。


「赤い服はただのカモフラージュだって誰かが言ってたわ」


「あんなに目立つのに?」


「目立つからこそのカモフラージュなの」


 ユミコの声は、心なしかの舌っ足らず。ある程度、察することが肝要。

 しかし私の察しの悪さと来たら類を見ない。


「どういうこと?」


「あんな目立つ格好で家に忍び込むわけないでしょ? 堂々としすぎよ。吸血鬼の方がまだ礼儀正しいわ。

 つまりあの衣装はフェイクなの。隠れ蓑。実態のない者は、やっぱり、実態のない噂に身を隠す。だって、到底あり得ない格好でしょ? 自衛のために、あるいは他のサンタを守るために、サンタはこういう格好をしていると吹聴したサンタがいたに違いない」


 曇りのち雨。曇りのち雪。本日は快晴なし。本日は快晴なし。


「女の子ってやっぱり怪談が好きなのね。サンタの話が、いつの間にか怪談になってるってんだから。

 でもね、今思うと、あの時の私たちは、何にも考えずにあれこれ喋っていたけれど、案外、本質を突いていたのかもね。

 クリスマスの雰囲気が街を一変させてしまうように、クリスマスの風習が世の父親を突き動かす。子供はクリスマスにプレゼントを貰うもの、そう定着した認識が、父親をサンタクロースに変えてしまう。

 つまり、サンタクロースという概念が取り憑いて、父親たちを操っているということ。自覚的にサンタクロースを演じているつもりでも、実はサンタクロースに身体を明け渡しているのかも。虚構の存在を演じているその人は、虚構の存在を信じはしない。あくまで虚構として自分が演じているのだから。

 虚構を受け入れない人は、虚構の存在と限りなく遠い所にいるように見えて、その実一番取り憑かれやすいの。僅かばかりも信じていないそのときが、盲点になる。

 後ろの正面は決して見えない。自分自身の裏側は覗けない。鏡を覗いたって無駄。だって、鏡は虚構や幻想の手下なのだから。

 こうして話してると、何だか昔を思い出しちゃうな。ずっと昔のことのはずなのに、不思議なくらい鮮明に思い出せる。

 冬の放課後のことだから、外は夕方というには暗すぎるくらいでね。教室は蛍光灯の光で眩しいくらいだったから、窓の外は余計に暗く感じたわ。教室には、私たちのグループ4~5人だけが残っていた。普段は、取り留めのないことを思い思いに喋っているのだけど、たまにスイッチが入ったみたいに、1つの話題にのめり込むことがあった。サンタクロースの話も、その1つ」


 無意識で喋る内、人間の頭の中は虚だらけになっていく。虚だらけの子供たちが机を寄せ合い、顔を寄せ合い、心を晒して、頭の中の虚さえも晒していく。

 無意識の考えが言葉になって、誰かの虚に入り込む。あるいは自分の虚にさえ。

 ぐるぐる廻る虚ろな言葉。


 虚から虚へと流れる無意識の考え。自分の脳の裏側の言葉、それを目の前のあの子が口にする。

 あの子の思い付きが、いつの間にか自分の常識になっている。

 言葉が廻る内、虚はただの空洞ではなくなっていて。

 いつしか虚が自ら考えるようになっていく。だってみんなの虚を合わせれば、1人分の頭くらいにはなるのだから。

 空っぽだけど、だからこそ、この中の誰よりも深く考える。


 気が付くと誰かの口で喋ってる。澄ましていたのは自分の耳じゃなく、他の誰かの耳だった。目の前のあの子が、いつの間にか私に変わっている。

 感覚もぐるぐる廻る。

 誰かが話しはじめ、それを誰かが引き継ぎ、締め括るのはまた別の誰か。でも本当は虚が独りで喋ってる。


 子供は確固たる心の壁を築いていない。自身と他人との垣根が薄いから、他人と容易に繋がることができる。そして子供の想像力は留まることを知らない。だから、一度深みに足を取られたら、抜け出すのは容易じゃない。

 知りたい、知りたい。でも誰も正解を知らない。全員が質問者。問い掛けだけで構成された詩を読むように、ただただ想像が膨らんでいく。そして、ますます深みにはまる。


 沈む沈む、どんどん沈む。あの子の足を引きながら。

 沈む沈む、息を全部吐き出して。

 沈む沈む、みんなで沈む。

 沈む沈む、どこまで沈む?

 沈んだ先には何がある?

 底には知りたいことが沈んでる。濁りの先にうっすら見えるのは、何だかそんなに綺麗なものじゃなさそうで、だけれど欲しくて欲しくて堪らない。屍蝋になってでも、この胸に抱きたくて。


「極論しちゃえば人間はみんな、人間が考えた、あれこれに取り憑かれている。あれやこれや。私たちは百一匹目。あれやこれやの後の、百一匹目の人間」

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