非日常から日常へ

 不安と期待から、素性の知れない少年に付いてきてしまったブランシェ。


(この人は一体何者なのでしょう? なんの為に私を誘ったのでしょう? もしかして陛下の言う誘拐犯さんなのでしょうか?)


 いくら悩んでも、少し前を歩く少年は答えない。それに、たまに香る屋台の匂いや視界に映る露店の品物・楽しそうな声がブランシェの思考を妨げる。


(大道芸人と言っていたけれど…………あ! あれは何でしょう? パン? でも中に色々詰まってるわ! だとすると……ですが千切ると零れてしまいそうですし……鑑賞用とかかしら? ……あぁ違うわ。この腕輪の事も含めて考えなくては。……とはいえ年齢的に見て大司教以上には見えないし…………まあ! 面白いネックレス! 鳥の羽根が沢山! フワフワして擽ったそうですわ!)


 ひらすらこんな感じで、まるで考えが纏まらない。そんな中、少年が声を掛けてきてきた。


「そんなに珍しいんですか?」

「え?」

「ずっとキョロキョロしてるから」


 前ばかり向いていると思っていたけれど、どうやら見られていたらしい。


 それで恥ずかしくなってブランシェが顔を赤くすると、少年が吹き出した。


「…………そこまで笑わなくても良いじゃないですか……」

「ごめんごめん。……あっ!と、すみません。いやさっきの騒ぎの時もそうですけど、ひたすらオロオロしてるし、怒らないし、全然高貴な人に見えなかったので」


 馬鹿にされていると感じたけれど、ブランシェにとっては逆に話しやすくなった気がした。だから思い切って聞いてみる。


「あ……あの! 貴方は誘拐犯さんなんですか?」


 すると少年は一瞬呆けて、そしてまた大爆笑。


「な、何故笑うのです?」

「だって凄くいきなりだし、それに助けられといて“誘拐犯”呼ばわりは酷くないですか?」

「す、済みません! ですが怪しい人は警戒しなさいと言われているので……」


 するとまた笑って、そして聞いてきた。


「じゃあ僕が誘拐犯だとして、でもだったら僕に付いてきたら駄目だと思いますけど?」

「そう……なんですが…………何故でしょう? その……悪い人には見えないので……」

「悪く見えない極悪人なんて一杯いますけどね」

「ならやはり、貴方は誘拐犯さんなのですか?」

「さあ? それより舐めないんですか、それ? いくら可愛くても飴なんですし、食べてあげた方が飴屋も喜びますよ」


 そう話題を逸らされてしまったものの、飴細工を食べ物だと認識していなかったブランシェは恐る恐るウサギ型のそれを舐めてみる。


「…………甘い」

「そりゃ飴だし。甘いのは当たり前だと思いますがね」

「ですが……わたくしは部屋を飾る為だけの装飾品だとばかり思っていましたから」

「へー。じゃあ本当に食べた事ないんだ」


 それでコクリとブランシェが頷くと、少年が口を開いた。


「じゃあ舐められて良かったですね。装飾品を舐めるなんて経験、普通じゃ出来ないでしょうから」


 それでブランシェは気付いた。


 今まで装飾品だと思っていたパーティー等で飾られている飴細工も、実は食べられるという事実に。そして、こんなにも簡単な事に気が付かなかった、自分自身の思考の狭さに。


 そしてこうも考える。


 もしかしたら先程見たパンは、千切って口に運ぶ物では無いのかも知れない。先程見たネックレスも、実はネックレスでは無いのかも知れない。それに道すがら見たアレもコレも…………全部ブランシェの価値観の外にある物なのかも知れない……と。


 それで視界が開けた気がしたブランシェが少年に礼を言おうとしたけれど……少年の方が先にブランシェに話しかけてしまった。


「さ、着きましたよ」

「え?」

「ここまで来れば、後はバレても問題無い筈です」


 それで辺りを見回すと、そこは城壁のそばの路地裏。どうやらブランシェは帰されていたらしい。


 しかし、もう少しだけ見て回りたい気持ちがあったブランシェ。だけれどそんな彼女の気持ちなどお構い無しに、少年が頭からスカーフを被せた。


「じゃ、腕輪は返して貰いますね」

「え!? あ、あの…………」

「サヨナラ」


 そうさっさと腕輪を外されて、驚いたブランシェが慌ててスカーフを外すけれど…………不思議な事に、さっきまで居た筈の少年の姿はどこにも無かった。


         ★


「ブランシェ様! 何故この大切な時に抜け出そうなんて考えたんですかっ!!」


 あれから仕方無く帰り、今、自室でブランシェは側付きの神官・マルクの説教を喰らっている。


「御自身の生誕祭ですよ? 我が国の……いえ、世界にとって100年に一度の宝と言っても良いくらいの白き聖女なのですよ! 身勝手な行動は慎むべきでしょうっ!!」

「……………………ごめんなさい」


 青い髪に緑の眼をしたマルクは普段はとても有能で冷静沈着な男だけれど、さすがに今回のは冷静ではいられなかったらしい。こめかみに青筋が立っている。


 しかし隣に居る赤髪・赤眼のもう一人の男……近衛隊の一人・レオがからかう様に話す。


「だから言ったじゃないか、姫様はあくまで散歩の延長をされたのであって、そこまでピリピリする必要なんてないって」

「むしろ近衛の貴方がピリピリしないのが変だと思いますが? ……というより、貴方がブランシェ様を『一人で散歩でもなされたら……』等と唆したりしなければ、この様な事にはならなかったのです!」

「姫様にだって息抜きは必要だろ?」

「息抜きなら、もっと他にもあるでしょう! わざわざ危険を冒す必要など有りません!」

「たかだか城下町、しかも一時間。それに抜け出す事は近衛の全員知ってたし、だから護衛も複数付けた。お前が心配し過ぎなんだよ」

「え!?」


 寝耳に水のブランシェの声に気付いたレオが、軽く詫びた。


「いや済みません。姫様に何かあれば国全体も困りますし、俺含めて抜け出しに関わった兵士が死罪になるのも嫌なので、こちらで色々させて頂きました」

「そう…………ですか」

「ブランシェ様、納得されてはいけません! ……良いですか、今日は国外からも多くの人間が出入りし、一部とはいえ城の開放までしてる…………」


 怒り心頭のマルクが再び説教しだすのを聞きながら、ブランシェは内心溜め息を付いていた。


(確かにレオが色々と教えてくれたから抜け出せたのは理解していますが…………結局、仮染めの自由だったのですね……)


 全部自分の力で抜け出せたと思っていたブランシェにとって、近衛隊の気遣いは逆に嬉しくなかった。


 勿論、ブランシェはそれが我儘からくる気持ちだと十分に理解している。


 なにせ物心ついた時から宗教上の戒律や行儀作法含めた勉強に縛られていたブランシェは、反抗心や妬み嫉みは悪だと信じ己を律してきたからだ。だから白き聖女として、皇族として、ひたすらに“良い子”でいる事を努めてきた。


 けれどいつからかそれが重荷でしかなくなってしまい、普通の人や生活が憧れになり……渇望に変わっていった。


 一度で良いから、王女・聖女とは無関係な人間になりたい。


 長い間思い続けて、ようやく実行に移したのだ。


 けれど近衛隊がブランシェの脱走を誘導していた。見守っていた。見張っていた。


 つまりあの飴細工の店の騒動であの少年が来なければ、近衛隊の誰かが自分を助けに来たのだろう。


 だけれどそれは、ブランシェにとって纏わりつく鎖と同じ。


 だからこそ、あの少年に助けて貰った奇跡を思う。


 誰も彼もが自分を見ても平伏したりしなかった。路上をスカーフ無しで歩いても、皆無関心だった。知らない物が沢山あった。知りたいと思う物が沢山あった。


 そして何より、あの少年。


 自分を白き聖女だと知っていても、他の人と変わらない接し方をしてくれた。


(名前……聞いておけば良かったわ)


 少年の笑い顔を思い出して、ブランシェは寂しくなった。


(もしもう一度会えたら、またあの時間を過ごせるのかしら……)


 しかし、もう二度とブランシェは自由に動けないのを知っている。


 だから残念に思いつつ、またいつも通りの白き聖女としての“良い子”に戻るのであった。


        ★


 そんな例の少年は、城下町から少し外れた宿屋の一室に居た。


 夜中に少年が何かの作業をしていると、窓辺に鳥の姿。


 夜に鮮やかな鳥が飛ぶ事など有り得ない筈なのに、その事など気にもしていない様な仕草で少年が窓を開ける。


「何? 見張り?」


 少年が鳥に話しかけるものの、鳥はさえずるしか出来ない……筈だった。


「半分はそうかもね。……貴方が思い余ってお姫様を殺しちゃうんじゃないかって不安になって来たの」


 またしても有り得ない事に、鳥が人語を話した。しかしやはり、驚く事も無く少年は鳥と話し続ける。


「殺すなんて、する訳ないじゃん。まだ16だよ。今殺したら意味が無い」

「理解してるならいいの。ただ突然お姫様に接触を図るなんて、危険な真似は止めて欲しいわ。しかも魔具まで出しちゃって。……どうするの? 動き難くなるかもよ?」

「別にどうって事ないさ。それよりも城の下見中に向こうからホケホケと来てくれたんだ。このまま何もしない方が後悔するって」

「まあ百歩譲って心情的には分からなくもないけど、でもそうなると情が移って計画を実行出来なくなるとか……」

「それも絶対無いから安心してって! むしろ話したら危機感なさ過ぎるお貴族様でムカついたくらいだよ。スラム街に入れば飴細工どころか今日の飯さえ食えない奴等も多いのに、それを装飾品呼ばわり。おまけにオロオロしてばっかだし。白いだけの無能なら、その飴で使う金をスラムの奴等に渡しやがれっての」


 昼間とは打って変わって辛辣な言葉。だけれど鳥は笑う。


「ふふふ。いつも通りで安心したわ。……さ、もうそろそろ時間よ」

「分かってるよ! 煩いなぁ」

「グチグチ言ってないで働きなさい!」

「へーへー」


 そうして少年が指輪を外す。


 すると目や、長くなった髪が悪魔を表す漆黒になり、そして同じ漆黒の羽根まで生えた。


 そんなカラスの様な真っ黒な悪魔がニヤリと笑う。


「じゃ、ぼちぼち始めるか」

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