第二章

第8話 ブラザーコンプレックスだからな

「どうなの? 早人」

「…………」


 時早人と時美優。


 俺達は双子だけど、長らく兄妹として過ごしてきて、親にも兄と妹として育てられてきた。

 妹が女優になってからも、その役割やパワーバランスが崩れるようなことはなかった


 しかし、美優が女優として成功する前から、明確に俺達のパワーバランスが逆転する時がある。


「……何も言えないってこと?」

「言います言いますから……」


 それは、美優が怒った時だ。


「いや、本当に隠すようなことじゃないから……」

「逃げない?」

「逃げない逃げない……」

「じゃあ座って」


 そう言って美優は意味もなく手に持っていたハサミをテーブルに置く。

 ハサミには恐らく何の意味もなかった。そう信じたい。


「ふぅ……」


 帰ってくるなりリビングに走り込んできたと思ったら……。


 言っておくと、美優は滅多に怒らない。


 まことや他の美優のファンが知っていそうな情報の中でも美優が怒らないというところは真実だと言っていい。


 まあ厳密に言うと、家族以外には怒らない、となるけど。


 特に俺が何かを隠そうとした時、美優は静かに怒り出す。


 それは今、俺が家に女子を入れたんじゃないかと疑惑を持たれている時のように。


「それで、今日早人が家に女子といたって本当?」

「…………」


 ソファで俺の隣に座る美優は逃がさないとでも言うようにくっついてくる。

 いつもなら疲れて眠そうにしてる目も今はギンギンに開いている。


 これは俺が思っている以上に大事おおごとなのかもしれない。


「まあ……」


 確かに、俺は今日美山と一緒に家にいた。

 クラスの可愛いと言われている女子と一緒にいた。


 しかしそれは偶然で、本来はペンを玄関先で受け取るだけで済む予定だった。

 たまたま降り始めた雨のせいで家に入れざるを得なくなっただけだ。


 しかも美山は玄関にしか入っていない。


 これをまともに話せば俺に責められる要素はない。それは確かだ。確かだけど……。


「……早人? 何かやましいことでもあるの?」


 問題は、隣の女優の圧が凄すぎることだ。

 この圧の前では悪いことをしてなくてもしましたと言ってしまう。


 これも演技の力なのか?


「ちなみに……それはどこで聞いたんだ?」

「先に答えてくれたら教えてもいいよ。というかなんでそんなこと聞くの? この先見られたくないことがあるから? やましいことをする予定だから聞いてるの? そうじゃないよね?」

「いや確認したかっただけですすいません」


 俺、どんなに正しくても妹に勝てないんじゃね?


「まあ、そのさ……本当にやましいことがあるわけじゃないんだけど……」

「うん」

「女子が家に来たのは本当だよ」

「そっか」

「なんでハサミ持った?」


 やっぱりそのハサミ意味あったのか? 俺に対して使用するためにあったのか?


「何でもないよ。続けて?」

「で……別に遊びに来たとかじゃなくてさ。……ペン、貸したんだ、そいつに」

「なんで?」

「同じクラスだから、仕方なく」

「どこで? 教室で?」

「……そうだよ」

「本当に? 教室で貸したの? 理由は?」

「そりゃ、教室で、相手がペン忘れてて……それしかないだろ? 貸す理由なんて」


 俺が流暢に言い訳をすると、美優はするすると動いて何故かソファに横になり、俺の膝に頭を乗せてくる。

 そして下から俺を凝視してくる。


「…………」


 「なんで今膝枕なんだよ」という至極真っ当なことですら言える雰囲気じゃない。


 なんだこの状況。


「それで?」

「で……さ、それは昨日の話なんだけど……ペン返すの忘れたって、今日連絡が来て」

「休みなのに?」

「それは俺もおかしいと思ったんだけど……近くに来たとかで、ついでに返したかったらしくて、それで家に来たら――」

「それは何で連絡してるの?」

「……ん?」

「早人とその子は何を使って連絡してるの?」


 ……あ、死んだか?


「……しゅ、しゅまほ、で」

「それはその子が早人の連絡先を知ってたってこと? それともその日初めて連絡がきたってこと? あと近くに来たって言ったけど家も知ってたってこと? 前にも一回来てたとかじゃないよね?」


 視界の端でハサミの銀がキラリと光る。

 お前の血で赤く染めてやろうかとチョキチョキ音も鳴っている。


 挟むだけじゃなく刃も搭載したそのシルエットはまさに凶器。

 よくこんな物を小学校で使っていたものだと今更になって――


「クラスのLINEのグループがあったんだよ!」

「……クラスの? 今の?」

「そうそう! 全員入れようって入学してすぐに言い出した奴がいてさぁ、俺も渋々入ってたからそこから連絡されて――家の場所は俺歩いて通学してるから高校の近くだってバレてたんだろうな」

「ふーん」


 死の恐怖が迫った時、人の脳はフル回転するらしい。


 もし無理矢理連絡先交換されたとか言っても信じてもらえないだろうし――


「今だけなんか声大きかったけど」

「…………」

「まあいいけど」


 完全に生殺与奪の権握られてる。


 でも一応、頓珍漢なことは言ってない、よな。


「……それで、届けにきたら雨降ってたから、少し家に入って止むの待っただけで……家っていうか玄関に入っただけ、なんだけどさ」

「ふーん」

「何も怒るようなことじゃない……だろ?」

「別に怒ってはないけど」


 嘘つけ。怒ってない奴が下から兄をそんな顔で睨むか。


「ちなみに、教えてくれたのは向かいのお婆ちゃんね」

「ん? ……ああ、誰から聞いたのかの話か?」

「そう」


 今言うのかよ。

 というかマジかよ。


 あのお婆ちゃん最近スマホも使ってるしずっと元気だなと思ってたらスマホでそんなことしてたのかよ。


「いや、お婆ちゃんにスパイみたいなこと――」

「それで」

「……うん?」

「仲良いの?」

「……誰が?」

「その子と、早人」


 見ると、下にいる美優はさっきまでの怒った顔はどこかにやっていた。


 ちゃんと話した結果、さすがに怒るほどのことじゃないなと思わせられることができたのかもしれない。


 ただ、怒りが解けた美優の顔は、いつもの眠そうな顔かと思いきや、少し寂しそうな顔。


「いや、ただのクラスメートだよ」

「ただのクラスメートが家に届けにくるかな」

「知らね。俺ならその女子からペン借りても行かないな」

「早人がもっとブサイクなら良かったのに」

「唐突になんの話だよ」


 兄妹間でも酷い話はしちゃいけないんだぞ。


「私は早人が心配なんだよ」

「具体的に何に」

「悪女に騙されないか」

「ああ」

「あと女子と話さないか」

「一気にハードル上がったな」


 共学の高校で女子と話さず過ごすのはいくら俺でもハードルが高い。


「大体……そんなこと言ったらそっちのが心配される側だろ」

「なんで?」

「芸能界の闇とかさ」

「私人と関わらないもん」

「共演者のイケメンに狙われたりさ」

「私人と関わらないもん」

「金持ってるし、変な宗教とか儲け話とかが来たりさ」

「私人と関わらないもん」

「その返し最強かよ」


 強すぎるから禁止にしようぜ。

 というかそっちが心配してきたくせに俺の心配は全部はじき返すのかよ。


「でも心配してくれるのは嬉しいけどね」


 「へへへ」と笑いながら美優は俺の膝の上で頭の向きを変える。


 もうそろそろこの頭が猫でも邪魔になってくる頃だ。


「大体、ずっと前から言うか迷ってたけど」

「なに?」

「お前――ブラザーコンプレックスだからな?」

「知ってる」

「……えっ、ああ、そうか」


 知ってるならいいけど。


 ……でももうちょっと動揺してくれない? こっちが動揺しちゃうだろ。


「でもいいじゃん。家族の仲がいいのはいいことだよ」

「それは、程度によるだろうけど」

「私は大きくなってもこのままがいいな。別居したらどうしても疎遠になっちゃうし」

「別居て」


 そんな夫婦みたいな言い方されても。

 そりゃ普通は一人暮らしするなりして別居するだろ。


「でもな? 俺はしないけど、美優はいずれイケメンと結婚して世間を……」

「私は結婚しないよ」

「……今はそう思うかもしれないけどお前も」

「絶対しないよ。何億かけてもいい」

「…………」


 ふざけた体勢から放たれる鋭すぎる眼光。

 こいつの強い意志の前では職場の「結婚しないの?」もセクハラになる前に消滅しそう。


「というかさー」

「……んだよ」

「私仕事で忙しくて友達も全然いないのに、そんな私を早人は見捨てるの? 酷いと思うなー」

「……見捨てはしないけど」


 きっと、一人暮らししても美優のことを気にかけはすると思うけど。


 ……というか仕事のことを持ち出されると強く言えないからやめてほしい。


「きっと今私人生で一番忙しいしさー」

「うん……」

「普通の高校生みたいに遊ぶこともできないしさー」

「うん……」

「来週は休みが一日あるんだけど、友達いないから遊びに行くこともないしさー」

「うん……」

「だから次の日曜日一緒に映画観に行かない?」

「…………完全に断れない流れにしてきたなお前」


 めっちゃ同情誘ってくるなと思ってたらそれを最後に言うためだったのかよ。


 そりゃ、そんな話されたら俺も行ってやりたいとは思うけど――


「でも俺、もう中間テストあるし……」

「また学校の子優先するんだ」

「学校の子じゃなく学校の事な」


 ナチュラルに女子との繋がりを疑い続けるのをやめろ。


 ……まあ、テスト期間中、美山の手を借りたくないと言ったら嘘になるけど――


「……何時からだよ」

「行ってくれるの?」

「映画だけな。朝は勉強したいからできれば――」

「じゃあどうせなら一番最初に見たいなー! 多分朝九時くらいから始まるだろうから席取っとくね。あ、ちなみに観る映画は先に決めてるんだけどいい? その日から上映だから観に行きたいんだ。早人は席どの辺がいい? 私は真ん中がいいんだけど――」

「…………」


 とりあえずその日勉強どころじゃなさそうなことは確定したけど、美優はノリノリだし……仕方ないか。


「どうする?」

「……その辺は……美優の好きにしてくれ」

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