24.誰かの声

 その後、たっぷりと時間をかけて来た道を戻って元の場所へ。途中、お腹も空いてきたのでパン屋に寄り、サンドイッチを頬張り休憩も取った。教会の前にたどり着いた頃には、すでに夕方になってしまった。


 寿美香も教会を訪れるのは今回が初めてだった。近づくにつれて教会は岩の上に建てられていることが分かった。近くで見るとより建物の迫力が増し、岩の上にそびえ立つその姿はまるで要塞のような厳格な雰囲気を感じ取ることもできた。

 これも近づいて分かったことだが、教会の入口は岩のふもとから一直線ではいけないようになっていた。ふもとから続く道は、岩の外側を周る形で上へ上へと昇っている。ちょっとしたらせん状の坂道だ。

 ここをぐるりと一周半するということは、私たち今から教会へ入りますとアピールするに等しい。それ相応の覚悟で挑まなければならない道だった。

 自然と二人の表情は石のように固くなる。


 岩の表面をなぞってみる。岩肌はでこぼことしていて所々がとがっていて荒々しい自然の様子を保っており、人の手が加えられていないことがよく分かる。そんな危なっかしい場所を土台として教会は建てられていた。


「こんなのばれっばれじゃない。ここから入口まで一気に階段を作って欲しかったわ」

 寿美香は愚痴をこぼしながら岩を削って造られた坂道に足を踏み出す。彼女には躊躇や迷いがない。

「ほら行くわよ」

振り返り、立ち止まっている水奈に声をかける。

「あっ、うん」

他に教会への道がないか辺りを観察していたのだが、目ぼしいものも見つからなかったので寿美香の後に続いた。


 二人は歩くのが早かった。それはできる限り人の視線に捕まらないようにしなくてはという見えない不安からくるものだった。そうした感情が二人の歩を自然と早めるのだ。誰かが確実に見ている。差し迫ってくるような恐怖。言いようのない寒気に襲われる。空は晴れているにも関わらず、まるで雷雨が降る直前のような暗く淀んだ景色に感じられた。


「ジェレミーさんも言ってたけどさ。寿美香はもしもブドウを見つけたらどうするの?」

水奈が明るく努めて話しかける。

「どうするってこれだけ苦労してるんだもの。実在を証明できたあかつきにはきっと大喜びします」

「食べないの?」

「食べないわよ、しつこいわね」

「それじゃあ私が食べてもいい?」

「え、水奈食べたいの! 言いなさいよ。それならあたしも」

「やっぱりいらなーい」

「え?」

「ほらねー。一粒くらいならいいんじゃない。黙っててあげるから安……」

 寿美香がおのれの右足を後ろに引いた。そして両手を前に構える。

「あんたも好きよね」

顔はもちろん笑っていて。

「いやいやいや、冗談でしょ!」

二人が今立っている場所は、柵のない道。

「だから蹴られないと思った? 大丈夫。壁側に蹴るから」

「いやいやいや、衝撃というか反動で落ちるって絶対。壁も岩だしぎざぎざしててぶつかったら痛いよきっと。わかる? ここ、崖って言うんだよ?」

 寿美香はすり足で水奈に一歩近づく。

「お先です!」

 水奈は一刻も早くこの場から立ち去るために坂道を駆け上がっていった。


 教会の扉に手をつき息を切らしているのは水奈だった。

「寿美香が追いかけてくるから、んっ、疲れ、ちゃったよ」

「水奈が調子に乗ったからでしょう。おかげでここまであっという間だったわ」

そう言うと寿美香は、水奈の真横に立ち、休む間もなく教会の扉を押し開けた。


 見た目より軽く、けれども扉は地鳴りのような古い音を出し、訪問者がやって来たことを教会の内部に伝えた。


 中へするりと入る。教会の中は暗闇だった。外との光の差に思わず視界を奪われた。カメラのピントを合わせていくようにだんだんと内部の輪郭が露わになってきた。

 横に長い椅子が整列して並べられている、と寿美香が気づいた瞬間だった。二人の後ろで大きな音が鳴った。扉がひとりでに閉まったのだ。

 その乱暴な音は、教会内の空気を震わせ、そして訪問者を外界から隔てた。音は反響しながら小さくなっていく。静まり返る室内。二人とも息を殺す。声を出す代わりに目を動かした。


 寿美香でさえギクリとした。

 教会の中には十人ほど。礼拝中の人、ロウソクを灯す人、長椅子に座って談笑してる人。それは良い。問題なのは全員が二人を凝視していることだった。町中を歩いていた時とまったく同じシチュエーションである。この教会にそぐわない者たちへの排他的な空気がこの室内にも満ち満ちていた。


 教会の中は、奥に長い空間となっていて真ん中には赤いカーペットが敷かれている。それを挟むようにして横長の椅子が手前の方から奥の祭壇まで左右対称で並んでいた。頭上にはアイスクリームディッシャーですくわれたように丸いくぼみのある天井。それを支える太い石の柱たち。入り口付近は暗かったが、奥に行けば行くほど明るくなっていた。それはろうそくの明かりだけでは保つことができないほどの明るさだった。その光源の正体はすぐに判明した。


 大きく美しいバラ模様のステンドグラスが二人を待っていた。青を基調とし、緑や紫などぜいたくに色を使った鮮やかな寒色系のそのガラスたちは、太陽の光を受け透過光を生み出し、内から見る者の心を癒してくれる。日本人二人もそれは例外ではなく、異国のステンドグラスの美しさに見入ってしまう。


 気がつくと周りの人たちは二人の姿を視線から外していた。警戒を解いたのだろうか。一時停止していた映像を再生したかのように各々が本来の行動へと戻っていた。


 その状況に、寿美香は思わずニヤついた。

「チャーンス」

 彼女は水奈に顔がくっつくほど近寄る。

「この中に木が生えてたら楽だったんだけど、そんな簡単にはいかないわよね。きっとどこかに隠されてるんだわ。水奈、怪しい場所が無いか探しましょう」

「うん、慎重にね」

これ以上目立たないよう足音を消して歩くことを心がけなくてはいけない。


 寿美香は綺麗に配置された椅子の間を通り、身体と首を回しながら室内を観察していく。

 ふと寿美香の目にステンドグラスをまたもや仰ぎ見ている水奈の姿が写る。先ほど穴が空くほど見ただろうに今さらどうしてと。ただ、水奈の行動には意味のあることばかりなので今回もつい期待してしまうのだ。今は自分の使命をまっとうすることにして探索を続ける。


 探索する中、二人は同じタイミングで祭壇の正面に立った。


 教会の祭壇とその周りは、白と黄色の花で埋め尽くされていた。今朝、積んできて飾ったものだろうか。花はまだ生き生きとしていて生命力を強く感じることができる。こんなにも優しい風景なのにどうしてここの住民は怖いのだろう。大きなギャップに戸惑いを隠せない。

 祭壇から目を背ける形であるものに気がつく。祭壇の左に、椅子が一つ台座の上に置かれていたのだ。青いクッションの付いた色褪せた木製の椅子。背もたれを正面に向けながら礼拝に来る者たちが座るのをずっと待っているかのように、椅子はその場で静かに佇んでいた、

「地味過ぎて今まで気づかなかったわ」

「ねえ、下の方に何か書いてある」

「えーっと、なになに、……豊満の、えっ、ほっ、ほほほ、『豊満の椅子』ですって!」

嬉しさのあまり寿美香は身震いした

「これがあればブドウはいらないんじゃ……。って、駄目駄目。他にも何か書いてあるみたいだから。読んでからだよ、寿美香!」


『この椅子に座ると一年以内に胸が大きくなる。ただし、何かしらの代償を払わなければならない』

『注意書き』

『絶対に触れないでください』

『絶対に座らないでください』


「座ります!」

「今自分で何を読んだのさー! 代償って書いてるんでしょー、危険だよー!」

暴挙に出ようとする寿美香の腰を掴んで必死になって止める水奈。しかし、どんどん彼女に引っ張られていく。

「ぐぬぬ。代償が恐くて希望なんか持てないわよー」

「ううう。寿美香の脚力が奪われちゃうかもしれないよー」

「それは嫌」

寿美香が急に力を抜くものだから、水奈は後ろにずっこけてしまった。

「いたたっ。もしこれがさっき館長さんも言っていたTOPだとしたらどうするのさ。その注意書きが本当だとしたら大変だよ」

「そうね、ごめん。やめとく。万が一あたしの武器が無くなったとしたら、ジャーナリストへの道が遠ざかるもの」

「そうだよ。だから今後は気をつけてね。迂闊に手を出さないこと。自分たちが探してるブドウも同じ類いのものなんだろうけどね。そっちは代償を払わないものだといいね」

「そうね、無償がいいわね。って、もうこんだけ苦労してるんだし既に払ってるんじゃないの?」

「言えてる」

二人で苦笑いした後、探索を再開することに。


 寿美香がステンドグラスの方へ歩いて行くので水奈も続こうとしたが、どうにも違和感があったので一人椅子の前へと戻る。台座と椅子を俯瞰して眺めてみる。


 あっ、それでか。


 早速、違和感の正体が判明した。椅子がミリ単位で傾いているのだ。台座は地面と水平なので、その原因は椅子の方にありそうだ。

「足の高さが違う? というか……」

 椅子の脚の先端が台座に埋まっている。先ほどは気づけなかったことだ。どうやら脚とほぼ同じ大きさの穴が台座には空いていて、そこに椅子がはめ込まれているということらしい。椅子を固定してるのだろうか。何にしても脚の長さがばらばらなのだろう。

 寿美香にわざわざ報告するほどのことではないのかもしれない。


 その後も二人は探索を続けた。

 礼拝に来た人たちもすでに少なくなり、日も暮れ教会内が薄暗くなるにつれ沢山のロウソクの炎たちが主張を始め出す。未だ成果はない。


 寿美香は、祭壇の周りに飾られた花を眺めていた。

「不自然ね」

彼女はそうつぶやいて祭壇前のお花畑に足を踏み入れる。そして、花を丁寧にどかし始めた。

「あっ、これ見て。ほらほら、地面に何か刻まれてるわ」

 花を可能な限り踏まないようにしながら水奈もお花畑へ。

 寿美香が指さす床には、まるで彫刻刀で削られたような綺麗な文字が確かに浮かび上がっていた。

「ほんとだ!」

「ここだけ一段と花が多く置かれてたの。まるで見られたくないものを隠すようにね」

「なるほど」

 寿美香はフランス語で書かれた文字をゆっくり訳しながら読んだ。

『祭壇が一際輝く時、それは表れ、木への道標となるであろう』


「やっと木の存在が出てきた! 道理で見せたくないわけね。この謎かけみたいなものの意味が分かれば、あたしたちは先へ進めるってことかしら」

「だと思う。祭壇というのも目の前のこれを指してるんだとしたら、この教会のどこかにブドウへたどり着くヒントがあるはず」


 二人は『一際輝く時』というキーワードに注目してみた。

「祭壇を何かで照らすとかはどうかしら。例えば、教会中のロウソクを集めて祭壇の上に置くなんていうのは?」

「うーん。それをしたとしても日中の方がもっと明るい気がするなー。もっとも輝く時、だからね。とすると、昼間なのかなーって思うんだ」

「昼間か。太陽が一番明るい時って、たしか子午線を通過する時じゃなかった?」

「そう、真南に位置するんだよね。高度が一番高くなる時で空気層の関係で明るさが増すとかなんとか」

「あたしもそこは詳しく分かんない。あはは、お互い勉強が必要ね」

「どうも理系は苦手で」

水奈は頭に手を置くと乾いた笑いをした。


 寿美香は、そういえばとつぶやくと、ポケットからスマートフォンを取り出した。

「これ、フランスでも使えるのよ。せっかく海外で使えるように契約して持ってきたんだけど、今まで全然使ってなかったの。ようやくの出番ってわけ」


 寿美香は画面を見た途端、青ざめた。

「やばい」

「どうしたの?」

 寿美香は画面を水奈に向けた。そこには、着信五十九件、メール十五件の表示がされていた。いずれも寿美香の両親からだった。

「両親には黙って出てきちゃってさ。フランスに到着したら一度連絡するつもりでいたのよね。あたしって馬鹿ね。忘れてたわ……」

 今まで使う機会がなかったにせよ、スマホからの大量の通知に気がつけなかった。彼女が今日の今日までどれだけ夢中でブドウを探し回ってたかが垣間見れ、水奈には一言進言してあげることしかできなかった。

「あとで折り返したほうがいいかも」

「そ、そうね……」

 寿美香には両親に怒鳴られる自分の未来がはっきりと見えた。


「あー、寿美香は、なんでスマホを取り出したんだっけ?」

「え、あっ、そうそう、これで太陽が子午線に位置する時刻を調べようとしてたの。よっ、よーし、気を取り直して」

 しかし、原因不明の接続エラーによりネットが繋がらない。


 四苦八苦すること十五分。頭をかきむしる寿美香を水奈は椅子に座り眺めていた。そうこうしている内に、自分の足が震えていることに気がつく。教会内が冷えてきたのだろうか。


 時刻が分からなくても明日の天気が晴れなら、午前中に教会を訪れて待っていればいいもんね。教壇で何かしらのヒントが表れるはず。よし。ようやく光が見えてきた。


「教会というのはな、水奈」


 それは唐突にやって来た。


 水奈の頭の中で、誰かの言葉が蘇ってきたのだった。


 誰の声だろう。聞き覚えのある声だった。忘れもしない憎き声。そう、あれはお父さんだ。家の暖炉の前で得意げに話す父親の顔を今でも思い出すことができる。

それにしてもなぜあの時のことを今になって……。


「教会というのはな、水奈、ほとんどのものが―――」


「そうか!」

水奈は勢いよく立ちあがり、髪の毛が乱れた寿美香の元へ。今は父親に感謝するしかなかった。

「ネットは繋がなくて大丈夫かもよ」

「ふえ?」


 水奈は、早速自分の考えを説明してみた。すると、どうだろう。淀んでいた寿美香の目には輝きが戻ったではないか。


 説明の最後に、寿美香のスマートフォンを貸してもらい、水奈はある機能を使わせてもらった。それが説得力の決め手となった。

「なるほど! それなら一旦ホテルに帰って出直しましょう!」

「ちょっと待って。それよりもここに留まるのはどうかな?」

「えっ、なんで?」

寿美香は、信じられないといった風に目を真ん丸にした。そんな彼女の様子に水奈は慌てて補足を入れる。

「いや、あの、教会って毎日開いているものなのかなーって。あと、開くとしても何時からなのかな。もし、時間が合わなかったらとか、色々と心配なんだよ」

「何言ってるの。閉館時間になったら追い出されるのよ。そういった不安は承知のうえの旅じゃない」

「もう少しのところまで来てるからこそ不安要素を消していかないといけないんじゃない?  誰もいなくなるまで隠れるのはどうだろう」

「どこによ? 確かにそれができるに越したことはないけれど、隠れる場所って言ったって……。周りは椅子しかないし。いくら暗くったってこれじゃあすぐに見つかるに決まってるわ」

 寿美香が髪をかき上げる。彼女の声には怒気が交じっていた。

「そう、この暗さは好都合なんだけれど。どうすれば……」

「水奈が悩んでるうちにあたしは先にホテルへ戻るわ」

「なんで? ここは慎重に」

水奈の声もだんだんと大きくなっていく。

「もうすぐ太陽も沈む。いつ追い出されるか分からないのよ? 行くのか行かないのかはっきりしてよ」

「寿美香はそうやってすぐ結論を急ぐ。考える時間は絶対必要でしょ」

「はい? こっちだって考えなしに言ってるわけじゃないでしょ。まさに今が判断を急ぐ時じゃない」

「だから急ぎながらでも話し合って決めなくちゃ」


「「きっと後で後悔することになる!」」


 同じセリフを言ったにも関わらず、その意味はまるで違っていた。

 二人は立ちすくむ。


 水奈は人と言い争うのが苦手だ。だからその場から逃げるようにして一人長椅子へと向かう。


 水奈が人に反論するのは珍しいことだった。それだけ寿美香が心を開ける存在になってきたのだ。しかし、それに気づけるだけの余裕が残念ながら今はどちらにも無い。

 寿美香と喧嘩するつもりなんてない。心配性だから余計に慎重になってしまう。寿美香を危険な目に合わせたくないだけなのに。


 重い腰を静かに椅子に預ける。

 カツン。

 背中から聞こえた妙な物音。


「あっ」

と水奈。


 寿美香もそれに気がついた。水奈に出会ってからずっと尋ねようと思っていたことだったからだ。


 少しの間だけ躊躇した後、気まずい空気を払拭するかのように寿美香が口を開く。

「そういえば、水奈がずっと背負ってるそのリュック、何が入ってるの?」

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