022:開戦(後)

 姉さんは以外にもあっさりとそれを受け入れた。

 その言葉を聞いたサキさんは安堵の表情など見せることなく、むしろ警戒を強めた様子だ。

 サキさんには姉さんがどんな人かはあらかじめ伝えてある。

 姉さんがこれくらいのことで諦める人物ではないことはサキさんもわかっているのだろう。

 それをしっかりと認識しているからこその反応だ。

 それに普通なら姉さんがそんな雑な手段を取るなんてことはない。姉さんがあんな乱暴な手段を取ったのは俺が相手であることが前提だったはず。

 実際、俺が姉さんに連れて行かれたとしても俺自身が法的手段を取ったり、外部の人間にそういった行動を取って貰うなんてことはしなかったはずだ。

 俺にとって姉さんは戸籍上ではどうであれやはり家族なのだ。法的手段に出るという強行手段は取りたくはない。それを姉さんには見透かされていた。

 しかし第三者であるサキさんがそれを仄めかすことによってそのやり方を阻止することが出来た。

 姉さんのことだ。俺がサキさんを連れて来た時点でこうなることも想定内なのかもしれない。

 で、あるなら次は別方向から姉さんは攻めに出るはずだ。


「でも、ユキくんとサキさんのお付き合いにはやっぱり反対ね」


 姉さんにすれば俺なんかよりも面倒な相手であるサキさんを排除してしまえばその後はどうにでも出来る。

 『カノジョと別れさせてから俺を連れて行く』という方向性に変わりはないようだ。


「どうしてですか?」


「ユキくんの今の成績は知っている? とても良いとは言えない成績だわ。ユキくんの将来のことを考えるなら今は学業を優先するべきだと思うの。カノジョがいて勉強が疎かになるというのは姉として看過することは出来ないわ」


 実際に姉さんは俺の成績のことを案じている訳ではないだろう。

 しかしこの場では正論で論破した方の勝ちとなる。

 これはそういう勝負なのだ。


「イツキ君の成績のことは私の方でも把握していますし、もちろんそれを放置するつもりはありません。ですからこの私がこれからしっかりとサポートしてイツキ君の成績を上げて見せますのでご心配には及びませんよ」


「でもサキさんも自分の勉強もあるのだし負担になるでしょ? イツキ君のことは姉である私に任せて、サキさんは自分の将来の為に自身の勉学に励むべきではないかしら?」


「それを言えばシズクさんの方だって大学の方があるじゃないですか。それにこの程度のこと、私に取っては大した負担にもなりません。イツキ君のことは安心して私にお任せください」


 成績の話は耳が痛い。

 しかし学業面においてはサキさんに隙はない。

 大した負担にならないというのもあながち嘘でもないのだろう。

 全く持って羨ましい限りだ。きっと脳の構造からして違うに違いない。

 まあ、それは置いてといて……。

 この件に関してはサキさんが退くなんてことはないはずだ。

 サキさんの身から溢れる圧倒的な自信がそれを物語っている。


「そう? それならいいのだけど……。ところで二人は付き合ってからどの位経つのかしら?」


 また姉さんが攻め手が変わった。学業面からのアプローチには効果がないことから次は交際期間に視点を変えて来た。

 姉さんは淡路と別れたことを知っていた。それから大した日数は経っていないのだからそれがどれ程もないことを姉さんは知っている。

 知っていながら飄々とそれを口にしている。


「付き合い出したのは今週の頭からですね」


「そう、まだ『その程度』しか経っていないのね」


 姉さんのあからさまな煽りにサキさんはまるで動じずに返答する。


「ですが私達は互いに想い合っていますので。時間なんて関係ありませんよ」


 姉さんも姉さんでサキさんの答えに表情ひとつ変えずに切り返す。


「時間が関係ない? そんな訳がないわ。共有している時間が短ければ、それだけまだお互いのことを理解出来ていないところもあるでしょ? その点、私はユキくんと三年も一緒に暮らしていたのだから、私の方がユキくんを理解出来ていると思うのだけれど」


「イツキ君のことを自分の方が理解しているからシズクさんと一緒いた方が良いと言いたいのですか? ですがシズクさんはイツキ君とは二年もの間、会っていなかったんですよね? 『男子、三日会わざれば刮目して見よ』という言葉があるように、イツキ君だってこの二年の間に成長しているはずです。しかもシズクさんは三日どころかその約243倍もの期間、イツキ君と会っていなかった。もはやシズクさんの知るイツキ君とは別人だと言ってもいいのではないですか?」


「人の本質と言うのは実際にはそう簡単に変わりはしないものよ。現にユキくんだって私のことを今でも『姉』と慕ってくれているもの。たかだか数日の付き合いの貴女とは違うのよ、サキさん?」


 わー、ここのケーキセット美味しそうだなー、頼んじゃおーかなー、でもちょっとだけお高いなー、今月結構ピンチだからなー、どうしよーかなー。

 火花を散らす二人を横目に、俺はメニューの方に冒頭していた。

 姉さんがどんな手法で来たとしても俺に出来ることはない。

 俺が少しばかり現実逃避したところでどうとなるものでもないだろう。


「お待たせしましたぁ。ご注文のアイスコーヒーとホットコーヒーでーす」


 全く空気を読まないこの声の主は間違いなくアイツしかいない。

 この店に来た時に俺達を出迎えたあの店員だ。

 何だか嫌な予感がする。


「ん? どうしたんですか? なんだか少し空気が重いですよ?」


 これを少しだと言うお前の感覚はどうかしている。


「詳しくは知りませんがこんな男のことで言い争いなんてダメですよ! ちゃんと仲良くしないと!」


 『こんな男』とはなんだ、『こんな』とは。

 良くも知らない奴が横からしゃしゃり出て来てこれ以上場を乱すな。

 お前の役割は終わったのだ。さっさと退場してくれ。


「仲良く? それは私ではなく彼女に掛けるべき言葉ね。私はなんとも思っていないのだけれどサキさんが私のことを良く思っていないみたいだから」


「いえいえ、それは私の台詞ですよシズクさん。私の方こそなんとも思っていないのですが、シズクさんには受け入れて貰えていないようですから」


 にこやかに話す二人が本心では笑っていないことは誰の目にも明らかだ。

 しかしそれはこの店員にはそれが伝わっていない。

 店員は気にする素振りも見せずに話を続ける。


「それじゃぁ、お二人ともお互いのことを嫌い合っている訳ではないんですね?」


「少なくとも私はそうね」


「私も同じなので、そういうことになりますね」


 二人の返事に納得したのかその店員は笑顔を見せた。

 これでやっと邪魔者がいなくなってくれーー


「でしたら話は簡単です! ここは勝負しかありません!」


 なんでだよ! なにをどう考えたらそうなる! 二人とも嫌い合っていないなら必要ないだろ! なんで勝負なんてことに考えが行き着くんだ!?

 さっきのことといい、今といい、こいつの頭の中はどうなっているんだ?


「お互いを嫌ってはいないけれど、お二人ともこの男を諦めるつもりはない。なら勝負をして決着をつけてハッキリとしてしまいましょう!」


「勝負? それはサキさんが可哀想だわ。どんなことで勝負したとしても結果は見えているもの」


「大した自信ですね、シズクさん。勝負は時の運、絶対なんてありませんよ?」


「ああ、勘違いしないでくれるかしら、サキさん。私はサキさんのことをとても優秀な人だと思っているわ。けれどどうしたって埋まらないものもあるわ。私は大学生で貴女は高校生。知識量も経験も私の方が有利であるのは目に見えているでしょ?」


「私もシズクさんが優秀な人であるのはわかります。ですが知力面に関しては負けていない自信はあります。経験というところには確かに遅れを取っている可能性はありますが、シズクさんに間違いなく勝っているものがあります」


「あら、それは何かしら」


「『若さ』です」


 姉さんの方からビキッと何か本来なら聴こえないはずの音が鳴った様に感じた。

 姉さんが苛立っているのは珍しいと言っていたが、この領域は俺も初めてだ。

 だからハッキリはわからない。ハッキリとは判らないが多分いま、姉さんはオコです。激オコです。


「……それは私が若くないって言いたいの?」


「いえいえ、ただの事実ですよ、シズクさん」


 それでも笑顔を崩さない二人。ホント、女って怖い。

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