020:喫茶店(後)

 振り返ろうとするがそれを身体が受け付けない。力を振り絞り無理やりに振り向こうとするが身体は硬直した様に重く、身体からギギギと軋む音が出ている様にすら感じられる。

 振り向こうとしている俺にサキさんは構わず声を掛ける。


「貴方、ここに来るのは初めてだって言ってたわよね?」


 ああ、忘れてた。俺はいつもこうだ。良かれと思ってやったことがいつも裏目に出てしまう。そろそろ学習しろよ、俺。


「す、すみません、実は先週に淡路と来たことがあったんです。でもその事を言ったらサキさんが良い気はしないと思いまして……」


「嘘をつかれる方が不快なのだけど……」


 ですよねぇ。当然怒ってらっしゃいますよねぇ。

 こうなってしまっては言い逃れしたところで更に機嫌を悪くするだろう。

 それが嘘か本当かなどもう関係はない。

 ならば非を認め正直に謝るしかない。それが俺に出来る傷を最小に抑える唯一の方法だ。

 仕方がない。今ならパンチかビンタ一発くらいで済むかもしれない。済むよね? 済んで欲しい。我が儘は言わない、とりあえず一撃『必殺』だけは避けられればそれでいい!

 ここはそれを堪えて姉さんとの一戦に望むしかない。

 サキさんの攻撃を覚悟し、ようやく振り向き終えて深く頭を下げた。


「申し訳ございませんでした!」


 振り向こうとした時にはあれだけ抵抗していた身体は頭を下げることには何の抵抗も感じはしなかった。

 むしろ軽々しく下がった。どうやら俺の頭は簡単に下がるように出来ているらしい。

 サキさんは「ふぅ」と小さく一度ため息をついた。


「まあ、今回は許して上げる。で、お姉さんはもう来ているの?」


 あれ? それだけ?

 その一言で済んだことに逆に虚を突かれてしまった。

 いつもならここで怒りの一発が来るはずなのに何もない?

 めちゃくちゃ怒っているかと思っていたのに、これ程すんなりと許されると少し戸惑ってしまうのですが?

 まあ、無いなら無いで良いことだ。それに今はそんな場合ではない。

 今回のサキさんに対峙して貰う強者はもうすでにこの場所にいる。

 時間の指定などはなく学校が終わったらとしか話をしていなかったが、姉さんはこういう時は必ず先に来ている。そういう人だ。


「えっと、見たらすぐに判るかと思いますけど……」


 先ほどの残り半分の店内を見渡すと一際目立っている席がある。多くの席は埋まっているのだがその席の周囲だけは何故か埋まっている席が少ない。

 後ろ姿しか見えないが間違いなく姉さんだろう。

 本人の美しさに加え、一つ一つの所作や空気感がまるで違う。

 気軽に立ち寄れる喫茶店のはずなのにその周囲だけは上品な高級店の様な空気を纏っている。


「ああ、なるほど。あれが『お姉さん』なのね」


 サキさんは俺の視線を追って姉さんを見つけていた。

 そしてまるで怯むことなくその席へと進む。


「あ、ちょっとお客様ぁっ?」


「ああ、大丈夫です。連れが先に来ていますので」


「え、あ、そうですか……」


 愛想笑いを浮かべ目の前に立つ店員をかわし、俺もサキさんの後を追う。

 何が悲しくて俺を窮地に追いやった奴に愛想笑いなんぞしにゃならんのだ、お前のやったことを俺は忘れはしない。

 そんな恨み言を心で呟いた頃にはサキさんに追い付くことが出来た。

 向かっていた席にまで到達する直前で姉さんの方も俺達の存在に気付いたようだ。


「あら、やっと来たわね。逢いたかったわ、ユキくん」


「そんなに待たせた? てか昨日会ったばかりだろ?」


「私はユキくんとずっと一緒にいたいの。一分一秒でも離れてしまうと逢いたくなるのよ」


「その前は二年も会っていなかったけどね」


「そうね、だから凄く辛い二年間だったわ。けどもう大丈夫よね。これからはずっと一緒だもの」


「うっ、それは……」


 今この場で俺がそのことをきちんと断ることが出来ればこの話はそれで終わらせることが出来る。

 けれどその言葉は喉の奥で引っ掛かって口から出すことは出来なかった。

 やはり俺が面と向かって姉さんに反抗するのは難しい。

 結局、サキさん頼りだ。

 なんとも情けない話だが今はサキさんに賭けるしかない。


「ところでこちらの方はどなたなの?」


 俺よりも先に席へとたどり着いたサキさんにたった今、気付いた様な口振りで俺に問い掛ける。

 当然気が付いていなかった訳がないのだが……。


「初めまして、私はイツキ君とお付き合いしています和泉冴姫です。お話はイツキ君から聞いていますよ、『お姉さん』」


「ああ、貴女がユキくんの『今の』カノジョさんなのね。ユキくんからなんと聞いているのかしら?」


「ええ、『酷く』優秀な方と聞いていますよ。それと大学に通いながらお父さんのお仕事のお手伝いまでされている大変親孝行なお姉さんだと」


「あら、ユキくんたらそんなことまで話したの? 少し恥ずかしいわね。でも貴女こそとても優秀なのではないかしら? 私、優秀な人は一目で判るの」


「いえいえ、私なんてまだまだです。とてもお姉さんとは比べ物にはなりませんよ」


 何故だろう。

 二人とも微笑みを浮かべながら社交辞令的な挨拶をしているだけなのに……空気が重い。


「ユキくん、いつまでそこに立っているの? 他のお客様の邪魔になるから早く座りなさい。イズミさんも一緒にどうぞ」


「そうですね、お言葉に甘えさせて頂きます。座りましょうイツキ君」


「あ、はい」


 席に着いてすぐにあの余計なことを口にする店員がやって来た。

 しかし……よりにもよってコイツか。

 やって来たのは俺達を出迎えたあの店員だった。


「えーと、ご注文を承ります」


「アイスコーヒーを一つお願いします」


「俺はホット。ブレンドを一つ」


「はい、承りました。って良く見ると女性のお二人とも凄く美人ですね。でもどちらもこの間の女の子ではない……。ってことは二股ではなくて三股だったんですか!?」


 こいつはまた要らんことを……。

 見ろ、周囲のお客様達が少しガヤガヤし始めちゃったじゃないか。


「そうね、ユキくんは女の子に言い寄られると弱いところがあるわよね」


「そうですね。イツキ君は女性関係に対してだらしないところがあるから」


 まさかの意気投合!?

 二人ともさっき会ったばかりですよね!?


「と、言うことは他にも!?」


「否定は出来ないわね。イツキ君のことだから私の目を盗んで、他の女の子に手を出しているかも知れないし」


「そうね、私の把握していない誰かがいるかも知れないわね。実際、イズミさんのことは把握していなかった訳だし」


 そこはちゃんと否定して欲しいんですけど!

 店員が侮蔑の視線を俺に向けている。

 仕方がない、自分で弁解するしかない。


「違いますよ。俺は二股も三股もしてませんから」


「や、やっぱり! 四股! それとも五股!? もしかしてそれ以上!? やだっ、この性獣っ! 近寄らないでっ、話し掛けないでくださいっ!」


 おいちょっと待て! 「やっぱり」ってなんだ!

 反論したかったのだがその前に店員は勝手な勘違いをしたまま、カウンターへと足早に戻って行ってしまった。

 全く見覚えのないことでこの言われよう。……理不尽だ。

 そして周囲の視線が刺さる様に向けられているのを感じる。比率が極端に女に傾いているからだろうか。学校での視線などよりも、トゲトゲしい殺気がこもった視線。これが針の筵と言う奴か。


「『アレ』があの二人を?」


 おい、『アレ』って言うな。

 人に向かって『アレ』って言っちゃいけませんって習わなかったのか?


「顔は悪くないけど……流石に釣り合ってなくない? 何て言うか、オーラっていうか。女の子の二人にはあるけど男の方にはそういうのがなくない?」


 こちとら一般ピープルのただの男子高校生なんだよ。

 なんでも超人の二人なんかと比べるな。

 あと釣り合っていないのは俺が良く判っているから。


「きっと弱味を握って脅してるのよ。最低」


 どちらかというとそれは俺の方の立場な気がするのですが。

 無理やり高圧的に従わされているのは俺の方だと思うのですが。


「外野が少し五月蝿いみたいだけど、いいわ。ところでユキくん。昨日、私が言ったことは覚えてるのかしら?」


「えっ? あー、それは……もちろん」


 そうだった、今は外に気をとられている場合ではない。

 今は姉さん一人に集中しなければ。

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