015:『姉さん』(前)

 何故、どうしてここに姉さんが?

 ここのことを知っているのは母さんと……多分、義父さんも知っている。

 学校の知り合いだとツカサと淡路、そしてサキさんくらいのはずだ。

 母さんと義父さんが姉さんに話したとは考えづらい。

 しかし学校で俺のことを知る人物の中に姉さんと接点がある人間がいるとも思えない。


「ここに来ていること、義父さ……『姉さんのお父さん』は知っているの?」


 義父さんのことを今、「義父さん」と呼ぶことに若干の迷いを感じ、呼び方を変えて話すと姉さんはクスリと笑った。


「別に『お義父さん』って呼んだっていいのよ?」


 良いはずがない。結局あの人は俺の「父」にはならなかった。俺がそうで無くしてしまったのだから。

 俺がそんなことを考えてることを知ってか知らずか、いや知っているのだろう。それでも姉さんは言葉を続ける。


「でも私がここに来ていることは知らないはずよ、お父さんには内緒で来たんだから。もしそんなことを話したら止められちゃうに決まっているじゃない?」


 母さん達が知るはずがない。それはわかっていた。当然だ。

 知っていたなら絶対に止められたはずた。しかしそうであるならば何故?


「どうしてここが……」


「それは秘密♪」


 そもそも『どうしてここを知っているのか?』なんてことは大した問題ではない。

 姉さんがその気ならいつだって知ることが出来ただろう。

 姉さんは世間一般で言われる『天才』なのだと思う。

 しかも分野を問わず、スポーツ、芸術、勉学、やれば何においてもすぐに人一倍、いや十倍以上の結果を出す。

 姉さんにとってはそれを知ること位のことはを当たり前に出来てしまうし、してしまう人だ。

 ならここで重要なのは『どうしてここに来たのか?』だ。

 姉さんが突然現れたことにただでさえショート仕掛かっている頭をフル回転にして考える。

 それらに俺が思考を凝らしていることには一切構わず、姉さんの手が俺の頭に伸びていたのに気付いたのは姉さんの手が俺の頭に触れてからだった。

 姉さんの指が俺の髪に触れたのを感じて、身体がビクッと跳ねる様に反応する。


「背、伸びたのね。二年前まで私と同じくらいの背だったのに。やっぱり成長期の男の子には敵わないわね」


 二年前と何も変わらない優しい声が俺を包み込む。

 確かに俺はこの二年でいくらか背が伸びた。しかし肉体的に成長したのは俺ばかりではない。そう言った姉さんもしっかりと成長している。前と変わらず美しいままではあるのだが、しかしその美しさには更に磨きが掛かり、色香は二年前とは比べ物にならないほどに増している。

 だからこそ、俺がこの時に感じていたのは『恐怖』という感情に近かったのだと思う。


「そろそろ入ってもいいかしら? こんなところで話し込んでいたらご近所にも迷惑になっちゃうでしょ?」


 姉さんはそう言うとこちらの答えも待たずに一歩部屋に足を伸ばす。

 姉さんを部屋には入れてはいけないと思った。だが俺の意思とは裏腹に身体は姉さんを避けようと部屋の中へ戻って行く。

 二歩目、三歩目を踏み出されると同じ極の磁石の様に一定の距離を保ったまま後退してしまう。

 気が付くともう姉さんの両足は玄関の中に入っていた。

 結局、姉さんを止めることは出来なかった。 


 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


「はぁ、ユキくんが淹れてくれたお茶は美味しいわ」


 姉さんは部屋に入ると先ほど勉強に使っていたあのテーブルの前にベッドを背にして正座して座り込んだ。

 俺は催促された訳でもないのに茶を用意してテーブルの上にその茶を注いだグラスを置いていた。どうやら姉さんと暮らしていた時の癖が出てしまったようだ。


「ペットボトルのお茶を移し変えただけだよ」


「それでもよ。私の為にユキくんが用意してくれたってだけで美味しくなるの」


 平然とそういうことを言う、俺の知る姉さんだ。

 昔から姉さんはこんなことを当たり前に言う人だった。

 俺はお茶を出した後、姉さんの後ろにあるベッドに腰を降ろし、壁を背もたれにして座った。位置的には姉さんの左斜め後方となる。ここがこの部屋においての俺の定位置であるのだが姉さんと正面切って話したくなかったこともある。

 そんな俺を姉さんは少し姿勢を変えて横目に見えるように座り直した。


「あまり歓迎してくれていないみたいね」


「それは、姉さんが急に来るから……」


「でも、本当は嬉しいって思っているでしょ?」


「そんなことはーー」


「そんなことは『ある』でしょ? 駄目よ隠しても。お姉ちゃんにはちゃんと解るんだから」


「人の思っていることを勝手に決めつけるのは姉さんの悪い癖だよ」


 姉さんは俺に限らず人の心をなんでも解ったように言い当ててしまう。そしてそんな人が言われたくない言葉を平気で相手に突きつける。

 多分、姉さんの言う通り心のどこかでは少しだけ嬉しく思う気持ちも持っている。でも俺にそんな資格はない。思ってはいけない。

 だから俺も自分でも子供っぽいことだと判ってはいるが、そのことを否定せずにはいられなかった。

 この手の話は分が悪い、話を変えよう。


「そんなことより今日は何をしにーー」


「私ね、カレシが出来たの」


「え?」


 姉さんにカレシ? 姉さんに男が出来たってことか?

 そこまで理解するのに数秒、もしかしたら十数秒ほど掛かったかもしれない。

 それを理解してから姉さんの方を見ると視線が合うが思わず視線を逸らしてしまった。

 姉さんは俺の様子を見てから再び言葉を続けた。


「同じ大学の先輩よ。話が合うから付き合うことにしたわ。そのことを伝えるために来たのよ」


 姉さんが少し微笑みながら俺の方を真っ直ぐ見ている。


「いい人なのよ、性格は穏やかで身長はユキくんとそう変わらないくらいかしら。スポーツ系のサークルに入っているらしくて体つきも悪くないわ。学力面に関してはとても優秀よ。家柄も良くて、将来は弁護士を目指しているの」


 まったく絵に描いた様な完璧な男。

 サキさんもそうだったが意外とこの世の中には『完璧』な人間は多く存在しているのかもしれない。

 しかし姉さんの『カレシ』ならそれくらいは当然か。

 ただひとつだけ腑に落ちない。


「なんで俺に、わざわざそんなことを……」


 そんなことを言う為だけにこんなところに来たと言うのか?

 姉さんは何を考えている? それを俺に伝えてどうしたいのだ?

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