005:下校

「けど今日はもう日が落ちてしまったわね。それは明日からにしましょう。今日はそろそろ帰りましょうか」


 こちらの絶望を他所に彼女が前もってこの教室に置いておいたのだろう自分のカバンを拾って「行きましょう」と教室を出て行く。俺もそれに着いて力無く教室を出た。

 彼女は空き教室に鍵を掛けてから俺のクラスの方へ足を運んだ。俺のカバンを回収する為だ。

 それから借りていたのであろう空き教室の鍵を職員室に返しに行った。

 職員室に入ったのは彼女だけ。俺は職員室の前で待っていた。先に帰ってしまおうかとも思ったが、怒られそうなので止めた。

 中からは男の教員の声で「遅くまでご苦労様」と言う声が聞こえた。

 おそらくは生徒会の業務で遅くなったと思われたのだろう。

 再び彼女と共に靴箱で履き物を履き替えて校門に向かう。

 日が沈んで外はもう薄暗くなっていた。

 校門前まで行くと彼女は後ろを着いて来ていた俺に、くるりと振り向いて立ち止まった。


「それじゃあ、イツキ君。明日から宜しくね」


 『明日から宜しく』ねぇ……。

 俺は一体何を「宜しく」すれば良いのやら。

 多分、俺の求めている「宜しく」ではないことは確かだ。

 そこでふと気が付いたが、校門から見える車道には車が停まっていない。

 お嬢様といえば車で送迎かと思ったのだがそうではないのだろうか?

 

「徒歩で帰るんですか?」


「ええ、そうよ。家もそんなに離れてはいないから」


「てっきり運転手付きの高級車がお出迎えしているのかと思っていました」


「車を出すほどの距離ではないから必要ないもの」


 なるほど、お嬢様と言っても誰しも高級車が御送迎と言うわけではないのか。

 しかし必要ないだけでその存在は否定しない。

 運転手付きの高級車は存在するのかもしれないな。

 彼女は「それじゃあ」と言って自分の自宅に向けて足を進める。

 とりあえず進む方角は同じようだ。


「進む方向は同じなんですね。どの辺ですか?」


 若干小走りで彼女に追い付いて隣に並び、自分の携帯端末のマップアプリを開いた。


「えっ? あぁ、えっとぉ、この辺よ」


 彼女が携帯端末のマップに触れて指先で場所を示す。

 ふむ、綺麗な細長い指をしている。ネイルなどはしていないが爪も綺麗に整えられている。先ほど俺の顔面を平手打ちし、五寸釘や果物ナイフを投げつけ、警棒を顔面に打ち込もうとした手が、これ程小さくて可憐なものだとは思わなかった。……じゃなくて!

 なるほど、どうやら駅近くにある俺のアパートとそれほど距離は離れていないようだ。


「なら家まで送りますよ」


 空には星も見え始めている。流石にここまで暗くなった道を女一人で帰す訳にはいかないだろう。

 ふと彼女の姿が隣から消えている。後ろを振り返ると彼女は立ち止まって不思議そうな表情をしていた。それは驚きの表情だろうか。『キョトンとした』と言う表現が相応しい様に感じられる。


「どうかしましたか?」


「あー、いえ。イツキ君がそんな優しげなことを言えるとは思ってなかったから。少し意外だったのよ」


 それ自分のカレシのことですよね? 自分で選んでおいて、彼女は俺をどんな人間だと思っているのだろうか。

 まあ、実際おおよそは正しい。これ程暗くなければ一人で帰って貰っていた所だ。

 確かに間違ってはいない。

 だが彼女の俺への評価は上げておいた方がいい。そう思っているならそのままで問題ないはずだ。


「そうです。俺だってやれば出来る子なんですよ」


「わかったわ。それじゃあ、お言葉に甘えて送って貰おうかしら。でもいいの? 貴方の家とは反対方向でしょ?」


「確かに方角的には少し外れていますけど反対では無いですよ? 俺のアパートは駅の近くにありますので」


「でも貴方の家の住所は確か……。それにイツキ君の家は一軒家だったわよね?」


 ハッ! しまったぁっ!

 彼女なら俺の家の住所も知られていると思っていたが、どうやら実家の方しか知らなかったようだ。俺は高校に入る時に親元を離れて一人暮らしを始めていたのだ。書類上では実家の住所のままなのだが……。彼女の情報力ならそれも知られていると思っていた。どうする!? 誤魔化すか? いや、ここまで言って誤魔化すと本当のことを知られた時にマズいことになるかもしれない。

 諦めて正直に話すしかない。本当なら彼女に対しては俺自身の情報はできる限り秘匿しておきたい。それを彼女に知られるのに若干の抵抗はあるのだが、仕方がない。


「……俺、今はアパートで一人暮らしをしているんです」


「へー、そうだったの。それは知らなかったわね」


 そう言って教室で見せたようなニコリとした笑顔を見せた。

 その笑顔からも何を考えているのかは読み取れない。

 ただ何かしらの意味を含んでいることだけは感じられる。

 あー、チクショウ。やっぱり余計なことを言ってしまった。

 自ら新しい情報を与えてしまうとは。


「あ、そういえば……」


「え、まだ何か?」


「まだちゃんと自己紹介をしていなかったわね」


「あー、そういえばそうですね。でもいいんじゃないですか、お互いに名前は知っているんですから。その他のことは追々とで」


「ダメよ。こういうことは大切にするべきよ。いいわ、なら私の方から」


「私は『和泉冴姫』。貴方と同じ二年生。今日から貴方のカノジョになったわ。宜しくね、イツキ君」


「俺は知っての通り『壱岐幸葛』です。今日から貴女のカレシにされ……なりました。宜しくお願いします」


 道端で立ち止まり握手をかわす。

 恋人同士と言うよりもビジネスパートナーと握手する姿が連想される。

 その後は連絡先の交換をして彼女の自宅近くで別れ、何事もなく帰宅することが出来た。


 はぁ、面倒なことになった。

 まさかこんなことになるとは思っていなかった。

 何がどうあれ彼女と付き合うになってしまった。

 学校一、いや全国一かもしれない完璧過ぎる美女、高嶺の花過ぎる彼女と。

 切り替えよう! なったことは仕方がない!

 とりあえずは心証良く付き合うことにしよう。彼女はああは言っていたが彼女と俺がずっと付き合って行く未来は想像出来ない。いつかは別れることになるだろう。

 だが彼女から反感を買って別れることになれば、この先の人生にすら響く可能性がある。別れる時は円満に別れることが理想だ。

 それにあんなに美人なカノジョが出来るなんて俺の人生史上、この先にはないことだろう。

 運良く仲良くなれれば『あんなことやこんなこと』もあるかもしれない!

 そう考えれば中々に胸熱ではないだろうか?

 青春は今しかないのだ。

 でも……勉強したくねぇーっ!!

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