私情まみれのお仕事 外伝1 弟子のお話 健一とお友達

赤川ココ

第1話

 背もたれ越しのベンチの客は、背中越しにそっと、封筒を差し出した。

 始終無言なのは、警戒しているのか、現実味のないやり取りに、緊張しているのか。

 どちらでもいいと、男も無言で背を向けたまま、封筒を受け取った。

 顔も、見ない方がいいだろう。

 ドジを踏む気はないが、もしものことがある。

 何せ、この地でのこの手の仕事は、商売敵がいるか否か、その商売敵が誰かで勝敗が大幅に変わってしまう。

 万が一捕まって、依頼者の名や顔を吐いてしまったら、経験値はがた落ちだ。

 客が無言で立ち去るのを気配で察すると、男は請求書を読む手軽さで封筒を開けて、中を確認した。

 疲れた一万札が数枚と、一枚の写真。

 金銭には目もくれずに、写真を凝視した。

 どこで手に入れたのか、集合写真だった。

 目当ての人物に、赤丸が入れてある。

 男は穴があく程に、その顔を凝視していた。

 どう見ても、相応にしか見えないと、溜息を吐く。

 その集合写真に写る者は、真ん中のスーツ姿の教師を含む三人以外、学生服を身に付けて、真面目な顔を作って写っている。

 この学校は、この地では有名なマンモス校で、詰襟の制服は中等部のものだ。

「しまったな……」

 男は、これから会う度に後ろめたい気持ちになるであろう人物を思い浮かべ、空を仰いだ。

 だが、受けてしまったからには、引き返せない。

 それが例え、十代の子供を手にかけると言う依頼であっても。


 二十一世紀の半ばを過ぎ、この地も随分と都会化していたが、まだまだ農家も多い。

 一昔前は酪農だけでなく畜産も盛んだったらしいが、土地柄がたたって殆んど廃れ、今では本当のブランドの牛豚の畜産業のみが頭角を現したのみで、後は酪農や綿麻の生産へと鞍替えしていった。

 それに伴って、工場も衣類系が増えて、新しいブランドも生まれて来る。

 それを国内で安く売れるよう、都市全体の関係者が、一丸となって働いていた。

 そんな中、全く世に知られることのない報告が三つ、計ったように立て続けに関係者の間に行き渡った。

 時は前後するが、ある三人がほぼ同時期に弟子を迎えた、と言うニュースだった。

 この都市には、いくつかの伝説があった。

 そのうちの一つに、まだ十代に見える若者三人が集う場では、どんな難題も解決するというものだった。

 当の三人はそんな馬鹿なと笑うが、彼らを知る者たちの間では、一種の願望が混じるその伝説を、事実だと断じる。

 願望にしかならないのは、仲が悪いわけでもないのに、滅多に三人が集う事がないせいだ。

 仕事に偶然会うことはあっても、プライベートでの鉢合わせは二人まではまだしも、全員が揃う事は殆ど皆無と言っても、いい様だ。

 背丈も体格もほぼ同じの彼らは、三人揃えばそれだけでも目の保養になるのにと周囲が嘆く程、見目の整った若者たちだった。

 その上、妙に腕が立つ。

 一人一人が確かな実力で、この地の裏で君臨していた。

 だが、三人が揃って、何か一つの事をなすことは滅多にない。

 それなのにその頃、時期は前後したものの、一人ずつ弟子を持った。

 しかも、十代前後のまだ幼い少年少女を。


 金田かねだ健一けんいちれんに会ったのは、まだ生死の境を行ったり来たりしていて、大人の自分を全く想像できないほどに、何もかもを諦めていたころだった。

 父親に紹介されたその人は、自分と五つ違いの兄を見下ろして、露骨に顔を顰めた。

 腰まである黒髪を後ろでしっかり束ねた小柄な若者は、冷ややかに自分より大柄な男をこき下ろしながらも、健一と兄のみのるを見る目には棘はなく、名を問う声もやんわりとしていた。

 年も尋ね、答えを聞いて、呆れ顔で呟いた。

「……オレの所を出て、一月足らずで一人目かよ」

 針の筵状態の父親は、ただただ大柄な体を、精一杯縮め続けている。

「で、結局、ミヤに子を押し付けて、営業とやらのついでに、弟を探してたってか?」

「まさか、そこに、あなたまでいたとは……」

 笑って何とか、場を和らげようとするが、全くその努力は報われていない。

 そこで、少し真面目に表情を改め、父親は言った。

「あいつには、将来しっかりとした医者に、なって欲しいんです。元々医者になりたいと常々言ってたし、オレもそうなってほしいと、願ってるんです。親父の後を継ぐための修業のつもりで、世界中回ってたようなもんでしたけど、永く家に戻れなかったのは事実だし、手土産代わりに、アジアで勢力を広げている会社と繋がってからと思って。まさか、あんな事件の収拾を任されるとは、思っていませんでしたけど」

 当時は、意味不明な会話だったが、健一もさすがに今は、何となく事情を察している。

 父親は、修業時代に会った女と結婚し、子供を二人儲けたが、妻となった女とは、健一が二歳になる前に死に別れた。

 健一の体は、産まれた時からあちこちに、病原となる物が発症しているのが、発覚していた。

 徐々に大きくなるそれは、当時の医学では根治法がなく、学校の制服に袖を通せない可能性が大きいと、宣告されていた。

 物心つく前から、様々な病院へ検査入院し、同じような宣告をされ、今ではそれが普通なのだと考えていたから、健一は父親がその結果を医者に告げられるたびに、素直な落胆を顔に浮かべるのを、どこか他人事のように見物していた。

「事情なんざ、どうでもいい」

 蓮は、そんな子供の気持ちを察している様子もなく、素っ気なく尋ねた。

「何で今更、子連れでここに来た?」

 問われた方は言い澱み、一緒に訪れた女性に、助けを求めた。

 父親が不在の時、自分たち兄弟の面倒を、見てくれていた人だ。

 今思うと、少しお姉さんな若い女性だが、その当時は優しい包容力が魅力の保育士の様に見え、兄は大好きになっていたようだ。

 殆ど住処に戻ることも、どこかに腰を据えて休むこともない蓮が、年末年始に決まって泊まり込む場所を知っていて、親子を案内してくれたのもこの女性だった。

 ミヤと言う呼び名の知り合いの女性は、しみじみと蓮を見て言った。

「しばらく会ってなかったし、その外国での仕事の後も会ってなかったから、只びっくりしてるんだけど……背が、伸びたねえ」

「そんなことを言うためだけに、わざわざ来たってのか?」

「そうじゃないよ。この子がね、子供を預かってくれた、お礼がしたいって」

「……?」

 市原いちはら家の玄関先での会話は、住民たちに聞き耳を立てられている。

 意味不明な話の流れは置いておいて、場所を変えようと、蓮は家の中に声をかけた。

「すぐ戻る」

 返事を待たずに家を出て、客たちを連れて、家を少し離れた道路に出た。

「あんたへの礼なら、何もここに来る必要も、ねえじゃねえか。わざわざ、こいつの面を拝む趣味、オレにはねえぞ」

「そうなんだけどね、私自身は別に、何の望みもないんだよ。こんなかわいい子たちを、暫く預かれるなんて、それだけでも幸せだったし、気も紛れたし。断って私に話を持ってきてくれた君やあおい君に、礼がしたい位なんだよ」

 優しく笑いながらの答えに、蓮は一層、呆れ顔になった。

「それこそ気にする必要ねえぞ。オレはガキが嫌いだし、葵に至っては、そんな余裕がねえからこそ、あんたに盥を回しただけで……」

「それは、分かってるけど、実は、君にも絡んでもらった方が、上手くいくんじゃないかって、そんな相談があるんだ」

「相談?」

 眉を寄せた蓮に音もなく近づき、みやびは何かを耳打ちした。

 年が近い二人の綺麗な男女の様子に、一瞬どきまぎしてしまった健一の横で、実は近すぎる二人の距離に、目を険しくしている。

 耳打ちされた蓮は、目線が近くなった雅を見返し、戸惑い気味に口を開く。

「今更、そんな事、調べてどうすんだよ?」

「今の世だからこそ、だよ。本当は、ゼツが医者としての勉強を終えるまで、待つつもりだったけど、その人の方が先に、医者になる見込みが、あるんだろ?」

 蓮は小さく唸りつつも、反対ではないようだった。

 雅は頷き、はじめに切り出した。

「君の弟さんが、医者になった暁には、検査して欲しい子が、一人いる。その時は、君が弟さんに、紹介して欲しいんだ」

「え、誰ですか、その子って……」

「その時になれば、分かるから。ね?」

 戸惑う始と、考え込む蓮、そして微笑んで、何とか良い返事を引き出そうとする雅の会話は、その頃の自分にはよく分からない物だったが、今では何となく理解できる。

 その話がどうなったのか、健一は知らないが、約束として残っている事だろう。 

 その数年後、症状が悪化した健一は、地元の病院へ入院することになった。

 取りあえず急場しのぎの、最悪な病巣となった個所を、除去する手術を受けることになり、父親の弟である玲司れいじが、医者として治療できるのを待つ余裕は、無くなっていた。

 唸る医者と父親の絶望的な表情、兄や祖父叔父の悲痛な空気を、健一は他人事のように感じつつ、ベットに横たわっていた。

 一人の病院も慣れたもので、面接時間を過ぎ暗くなった病室内の天井を、ぼんやりと見つめながら、自然な眠りが訪れるのを待っていたその日の夜、うとうとしていた健一の顔を、そっと覗きこんできた者がいた。

 息をひそめて覗き込んだ誰かは、小さく息を吐きそっと傍の丸椅子に腰かけ、静かに言った。

「眠れねえのか?」

 狸寝入りでやり過ごそうとしていた健一は、びくりと体を震わせてから、ぱっちりと目を開けた。

 顔をめぐらせると、そこには会ったことのある若者が、腰かけていた。

「相変わらず、お前の親父はどこか抜けてんだな。手術前のガキを、付き添いなしで置いて帰るか。心配してるのは間違いないんだが、自分と同じように、怪談話が苦手かも知れねえって、考えないのかね」

「……前に、入院した病院には、結構居たよ。でも、平気だった」

 苦笑を貼り付けた蓮に、掠れた声で答えると、若者は少し目を見張った。

「へえ、肝の据わりようは大したもんだな。まあ、仕方ねえか」

 頷きながら手を伸ばし、健一の額に触れた。

 小柄な割に、武骨な掌だ。

「症例がない、まれな病か。それをずっと聞かされてりゃ、恐怖もマヒしちまって、無関心にもなるか」

 父親にされるのとは違い、乱暴だがどこか安心する手に撫でられ、健一はくすぐったい気持ちと言う、初めての感覚を味わった。

「……お前、大きくなったら、何になりたい?」

 思わず目を閉じて、その感触に浸っていた子供に、蓮は唐突に尋ねた。

「大きく?」

「ああ。あるだろう? どういう、大人になりたい?」

 よく、分からなかった。

 当時健一は、小学生だった。

 日本に来て、初めて年を認識し、学ぶ場所がある事を知った。

 だが、手本となるのは父親と周囲の大人だけで、どういう大人にと言う夢は、全く浮かばなかった。

 しかし、若者を前にした子供は、答えていた。

「強くなりたい。お祖父ちゃんやお父さんが泣かないように、もっと強くなりたい」

「……そうか」

 その表情を見下ろし、若者はにっこりと笑った。

 今思うと、蓮がそんな綺麗な笑顔を浮かべる事が、どんなに珍しいか分かるのだが、当時はその笑顔を見れて、ほっとしただけだった。

 いつも浮かべる笑顔ではないそれは、逆に何かやらかす前の笑顔だと、今ではよく知っている。

 その笑いのまま、その時の蓮は子供の額から離れた手と、もう片方の手を合わせて、健一の前で掌を上に開いて見せた。

「よく見てろ。簡単な手品だ」

 横になったまま凝視してくる子供に、マジシャンよろしく、おどけた声で言う。

「種も仕掛けもこの通り、一切ありません。確かめてください?」

 興味津々の健一が、こくこくと頭を頷かせるのを見て、蓮は一度両掌を握りしめた。

 少し手を持ち上げて、両方の握りしめた掌に、息を一息ずつ吹きかけてまた笑顔を浮かべ、健一を見た。

 そして、そっと再び子供の見える位置に両手を置き、その手を開く。

 そこには、数個の錠剤があった。

「お前は、薬慣れしちまってるだろうが、年齢からすると、この位ずつがいいだろ」

 片手にその錠剤を移し、小さくたたんでいた紙を広げてその上に転がしていく。

 胡麻ほどの小さな錠剤が、その場で包装されて行くのを見ている子供に、蓮はこともなげに言った。

「手術の直前まで、日に三度、飯を食った後に一錠飲み込め。全て飲み終わる頃が、手術日になるように用意したから、まあ何とかなるだろう」

「これ、なあに?」

 手を布団から出して受け取った健一に、若者は笑った。

 不敵な、今では見慣れた笑顔だ。

「お前の体の中の病原菌を、消滅させる薬、だ。誰にも言うなよ?」

 夢だったのかと、朝起きた健一がぼんやりと体を起こすと、何かを右手が握りしめていることに気付いた。

 開いてみてからすぐに握り直し、あれは夢ではなかったと実感した。

 蓮に言われた通り、手術予定日までこっそり薬を飲んだ結果、健一の手術は直前で中止となった。

 前日に行われた検査で、目を覆う程にあった病巣が、残らず消えていたのだ。

 家族が喜び、医師たちが首を傾げる中、叔父の知り合いだと名乗り、一度お見舞いにも来てくれた若者だけは、妙な表情を浮かべていた。

 上と下に年が離れている友人二人と、叔父金田玲司が手離しで喜びあうのを見ながら、その若者は父の顔を見つめて溜息を吐く。

 それが気になりつつも、健一はその日のうちに退院し、大事を取って暫く静かな部屋で療養することになった。

 まだ再発するかもと、寮住まいの叔父は警戒しているようで、一月後の検査まではと時々様子を見に、家に戻ってくれた。

「ねえ、叔父さん」

 食も随分太くなった健一は、果物の皮をむいてくれる叔父に、気になっていたことを訊いてみた。

「お見舞いに来てくれた人たち、大学のお友達?」

 包丁を持つ手が止まり、顔を上げた男は嬉しそうだった。

「ようやく、そう言う好奇心が出たのか。それなら、もう大丈夫だな」

 意味が分からず、きょとんとする甥っ子に、玲司は答えた。

「あるアルバイトで、知り合った人たちだ。一人は、あれで刑事なんだぞ」

「おまわりさん? すごい、どの人? 金髪の人?」

 身を乗り出した健一の問いに、叔父は思わず目を丸くした。

「お前、あの人に、気付いたのか?」

 その問い返しに目を見張り、甥っ子は声を張り上げる。

「ええっ、あの人、幽霊だったのっ?」

「いや、違う、違うが……」

 手を振り回していた玲司が、我に返って手を置く。

 包丁を手にしたまま、振り回していた。

 咳払いをして甥っ子を見て、穏やかに言う。

「刑事は、河原さんって人だ。ガラの悪い口調だっただろう? あの人はお前と同じ年の、子供がいるんだ」

「へえ」

「友達になれれば、いいな」

 優しく言う叔父に、キラキラした目で続きを促す。

「他の二人は?」

「……塚本君は、まだ駆け出しだが、優秀な国家公務員だよ。その、お前、あの人に気付いたのか、見舞いでも全く話さなかったのに?」

 何でそんなに驚くのかと、首を傾げる健一に玲司は答えた。

「あの人は、恩人だ」

 ずっしりとした言葉が、叔父の口から洩れた。

「命を、助けてくれたこともだが、私の背中を、強く押してくれたお人だ」

 どう返すことも出来ない子供に、玲司は笑って言った。

「今度、お連れした時に正式に紹介する。どういう方なのかは、その時に分かるだろう」

 言ったとおりに、叔父がその人を連れてきたのは、一週間後だった。

 学校から戻ると、部屋に直行する健一を客間に呼び、玲司は客としてきた若者を紹介した。

 客は、金髪の若者だけではなかった。

 その若者と対照的な色の、同じくらいの背丈の若者が一緒だった。

 薄い金色の真っすぐな毛並みの短髪の若者は、それとは裏腹の黒い瞳を子供に向けて名乗った。

「この人とは懇意にしている、セイ、だ。こっちはきょう

「キョウとでも、カガミとでも、好きに呼べばいい」

 にんまりと笑った黒髪の若者は、やはりそれとは裏腹の、薄茶色の瞳を向けて言ったが、こちらはセイと名乗った若者の目より、どこかぼんやりとして見える。

「君の父上とは、少し面識があったんだ。だから、君が大変な状況だと聞いて、見舞ったんだけど……」

 セイは、何とも言えない顔つきになり、鏡を見た。

 同じように見返す若者も、呆れ顔になった。

「これは、あれだな。未来を諦めてた誰かさんと、この子を重ねた結果だろう」

「……別に諦めてたわけじゃないけど。それだけで、そんな大技を? と言うか、出来たっけ、そんなこと?」

「出来るようになったんだろう。随分、背も伸びただろう?」

 聞き返す鏡に、金髪の若者は、悲観の色の濃い溜息を吐いた。

「私たちを追い越すのも、時間の問題だよ」

「だろうなあ」

 しみじみと頷く若者の横で、セイは健一に尋ねた。

「蓮、と言う人に、会ったことは?」

「知ってるの? あの人の事?」

 向かいに座った子供が、目を輝かせて身を乗り出すのを見て、若者は僅かに身を引いた。

「あの人、どこにいるのっ?」

「ど、どうして、そんなことを訊くんだ?」

 その勢いに押された若者に、健一ははっきりと言った。

「僕、あの人の手下になるっ」

 セイは、見張った目を窓の外に向けた。

「槍は、降ってないよね?」

「降ってたら、オレらは何本刺して、ここまで来たか分からんぞ」

 のんびりと答える鏡に、若者は目を見張ったまま返した。

「この子、蓮を気に入った? これは、何かの前触れかも?」

「本気で心配するな。あいつ、なんだかんだ言って、面倒見はいいぞ」

「だけど……」

 更に何か口走ろうとするセイを、もう一人の若者はにんまりとして、肩を叩きながら遮った。

「焼き餅か? いい傾向だ」

「何だよ、それ」

 よく分からない事を言われて、眉を寄せる若者に構わず、鏡は子供に答えた。

「普段はこの時期、行方が分かりにくいのだが、運がいいな。あいつ、謹慎させられている」

「え、そうなのですか?」

 玲司が、目を丸くして問うところを見ると、叔父もあの若者を知っているらしい。

「ちとな、あいつにしては馬鹿な事をやって、それが大っぴらにばれてしまってな。自分の住処に、軟禁状態だ」

 ちなみに、と鏡は隣に座るセイを、一瞥する。

「こいつも、本当は謹慎中だ。今日は、オレが付き添うと言う条件で、外に出れただけだ」

「……だから、こちらからの連絡でしか、あなたと接触できなかったんですね。何をやらかしたんですか、セイ?」

「……大したことじゃ、ないよ」

 口数が少なくなったセイが帰った後、検査でいい結果が出て、晴れて健康になった健一を、蓮と再会させたのは、同じように付き添って蓮を連れてきた、鏡だった。

 そして、渋る蓮を半ば脅すようにして、健一の弟子入りを承認させてくれたのも、この若者である。

 その時には、鏡も一人の少女の面倒を見ていたので、道連れが出来たと言う感情があったと思われるが、そんな内輪の事情はどうでもよかった。

 強くなると言う無謀な夢を、呆気なく出来るようにしてくれた人の身近で、健一は成長していった。

 少々、過ぎる程に。


 中一になった年の、夏休み明け。

 休み中は修行と評して、たまに訪れていた岩切いわきり家を、金田健一は珍しく思いつめた顔で、訪ねていた。

 弟子仲間のしずかの叔母に当たる人の家で、一つ下の少女が養女として引き取られた所だ。

 岩切由紀ゆきは、三十代の女性で結婚していて、子供が好きで欲しいと思っているが中々恵まれず、そのせいか静の幼馴染の突然の訪問にも気遣いこそすれ、迷惑がる事はない。

 外面だけではなく、申し訳なさそうに、由紀は言った。

「御免なさいね。今日は、古谷家でお泊りするって」

「え、明日、平日なのに、ですか?」

 思わず驚いた健一に、由紀は顔を曇らせて頷いた。

「心配し過ぎたら、あの子気にして、無理に元気を装うでしょ? だから、詳しくは説明を聞いてないんだけど……」

 今日の帰宅途中に、何かあった、と言う事だ。

 緊張する健一に、由紀は再び謝る。

「御免ね、こんな心配事を、あなたに言うのも、どうかと思うんだけど……」

「そんな、水臭いですよ。様子見に行ってみます。どちらかと言うと、志門しもんさんの方が、相談しやすいし」

「相談? 珍しい、悩み事か?」

 玄関の外の方から、聞き慣れた声が健一の声に返した。

 ぎょっとして振り返ると、木刀片手に岩切家の道場の方から歩いてくる、二人の若者がいた。

「え、どうしたんですか、二人とも?」

「どうもしてないぞ」

 のんびりと、鏡が答えた。

 出会ったころと変わらぬ容姿だ。

 性格も全くぶれず、のんびりとした口調の若者の後ろで、蓮が小さく笑った。

「ちと、ストレスのたまる仕事の途中でな、発散させてもらってたんだ」

「へ、へえ」

 蓮は、あれから少し成長したらしい。

 傍にいる鏡と、もう一人の若者セイの背丈と同じくらいになり、体つきもがっしりとしかし無駄のない肉付きに、成長しつつある。

 腰まである黒髪は変わらず長いが、整った顔立ちからは幼さが消えて、大人の男らしさが滲み始めている。

 しかし健一は、そんな蓮の背丈も体格も、十三のこの年になるまでで、軽く追い越してしまいそうな勢いで、成長していた。

 そのせいか、蓮は最近自分を傍に近づかせない。

 だから、近づきすぎないようにおどおどしながら話を聞いていると、蓮は露骨に眉を寄せた。

「あのな、お前がオレよりでかくなっちまったとしても、足切り落とそうとは考えてねえぞ。そうびくつくな」

「オレは蓮に対して、そう思ってるがな」

 鏡が、のんびりと混ぜ返す。

 セイもそう思っているらしいが、実行できるか今では怪しい。

 他の所でならまだしも、腕力や剣筋は蓮に劣っているのだ。

 剣筋で何とかできそうな鏡は、背丈よりも声と匂いにげっそりしているらしい。

 蓮の足を切り落としたところで、成長がなかったことにはならないのに、二人が本気で考えていそうなところが、少し怖いのである。

「ストレスが溜まるって、子供の護衛とかそんな事ですか?」

「まあな」

 尋ねると、曖昧な答えが返る。

 具体的な話は聞かないのがルールだと知る健一は、それで納得して岩切家を後にしようとしたが、蓮の一言で固まった。

「学校で、何かあったのか?」

「え、何でですか?」

 強張りそうな声を、何とか平常に聞こえるように絞り出したが、それが成功したかは分からない。

「何となくな、難しい顔になってるような気がしたんだが、違うのか?」

「……少し気になる事は、あるんですけど、師匠に頼る程じゃあ……」

「……そうか」

 返答に困って絞り出した答えに、蓮はあっさりと納得してくれた。

 そんな様子が逆に気になり、つい訊いてしまう。

「難しい仕事、なんですか?」

 内容を聞くのはルール違反だが、これくらいなら気にしてもいいだろうと判断した弟子の問いに、若者はあっさりと頷いた。

「オレにとっては、ちと難しい……つうか、気力を使う仕事ってだけだが、まあ、何とかなるだろう」

「そうですか」

 珍しく焦燥して見える蓮に頷き、健一は今度こそ岩切家を後にした。


 中学一年の夏の初め、健一は気安く話せる同級生が出来た。

「それは、おめでとうございます」

 古谷ふるや家でそう話し出した少年に、人のいい笑顔で返したのは、健一よりも三つ年上の少年だった。

「ご友人、とまではいかないのが、健一さんらしいと言うべきか……」

 その少年の隣で、健一よりも一つ年下の少女が、小憎らしい事を言うが、その勢いがいつもより弱い。

 やはり何かあったのかと、訊きたい気持ちをぐっとこらえ、健一は相談事を片付ける方を優先した。

 その同級生の身の回りで、最近事故が多い。

「何か恨みでも買われてるとか、心当たりがあるのか訊いてみたんですけど、そんな事ないって、惚けるんですよ」

「それは……もしかしなくても、あなたと関わりたくないからでは?」

 岩切静の意見に、健一は詰まった。

 確かに、元気になってからの数年間、友達が欲しくてつい、勢いよく相手に接してしまいがちだ。

 だが、今年中学生になったのだからと、その癖を必死で抑えている。

 それなのに、関わりたくないと思われるとは、どれだけ付き合いにくいと思われているのだと、健一は沈み込みそうになった。

 そんな健一の様子に、年上の少年は少し考えて、問いかける。

「その、何度か起こったと言う事故、どのようなものなのですか?」

 物腰も柔らかい古谷志門の問いに、健一は何とか気を取り直しながら答えた。

「車に轢かれそうになったり、上から植木鉢が落ちてきたり……この間なんか、通り魔に刺されそうになったんです」

 通り魔の件で、健一とその同級生とは、親しくなったと言ってもいい。

 学校の門を出た途端、刃物を振り舞わず大きな男が、下校する生徒たちの群れに飛び込んできたのだ。

 がむしゃらに刃物を振り回す男は、逃げる生徒は追わず、門を出たところで立ち竦んだその同級生に、飛び掛かったのだ。

「……ああ、うちの学校の方針に、難癖付けるタイプの人の、短略的な犯行と落ち着いた、あの件ですか」

 多少問題のある子供でも、転入試験に受かる頭があれば、例外なく招き入れる方針の学園だ。

 中等部と高等部は、そう簡単に転入できない試験になっているそうだが、その事実を知らない地元の人も、多いと聞く。

 地元の人は数年前から、義務教育の時期にこの学園に入学させるのが、当然と考えているからだが、多少は理解をしてもらった方が、いいのかもしれない。

 十歳くらいから在籍し、試験を免れた健一や静と違い、志門は難問とされる中等部の転入試験に受かり、転入しているのだから、招き入れて損はない人なのだ。

 最もこの人の場合、今健一が上がりこんでいる家の主、古谷氏の後継ぎとして育てられ始めたから、周囲からの不満は、ほとんど聞かれないのだが。

 静はぼんやりと呟いてから、冷めた目で一つ年上の少年を見た。

「もしや、返り討ちにして警察に突き出したのは、健一さんじゃないですよね?」

「そこまで、咄嗟には動けないっ」

 動ければ、確かにぼこぼこにして、警察に引き渡したい気分だったが、我に返った時には、竹刀片手に応戦した先生に、その通り魔は打ちのめされていた。

 場合によっては、相手の怪我の責を負わされる事案だが、生徒を守ると言う使命の元では、その不安は微々たるものらしい。

「すごい先生だよな。女の先生なのに、女子の人気を勝ち取ってる理由が、分かった気がする」

「……ああ、望月もちづき先生が、撃退して下さったのですか」

 志門の担任教師の望月千里ちさとは、剣道部の顧問でもある。

 頷く志門に、健一が声を潜めながら返す。

「同じ頃に下校してた市原先輩が、つい飛び出そうとしていたのを止めて、先生が飛び込んだ、というのが本当のところみたいです」

「それは……危うい所でしたね、その通り魔の方」

 真顔で受ける少年と、市原なぎは同級生だ。

 顔見知り程度の間柄だったが、クラスメートとなった後、更に仲良くなりたいと、凪の方のアプローチは激しくなる一方だ。

 そんな辟易する事情だけが理由ではなく、志門はつい通り魔の方に同情してしまう。

 誰かが凪の事を、『猫の皮を被った鉄球』と称したことがある。

 どうやって鉄球に猫の皮を? という突っ込みはさておき、甘い愛らしい容姿と裏腹に、とんでもない怪力を身の内に秘めた少年が、通り魔を撃退していたら、撃退と言う言葉が、白々しくなる惨状となっていたに違いない。

 凪の父親は、ノンキャリアながら、着々と昇進している刑事だった。

 その実績を無にすることをされては、学園としても、後味が悪いと見える。

 その後すぐに全校集会で、この事件の事も警戒を促す話も耳にしていたが、健一がその場にいたと言うのは、初耳だった。

 襲われそうになったのがその同級生だった、と言う事も。

「あれ以来、少しだけ気になって、話す機会を作ってるんですけど、この夏休みの間に、どうやら何度か怪我をしているみたいで……」

 その原因が、先に話した事故の数々だった。

「しかも、車の件は轢かれそう、じゃないんです。あいつ、追突されてるんです」

 大人しくお茶を啜っていた静が、少しむせた。

「昨日、一緒に下校してたら、突然持ってた鞄を落として、蹲ったんです。びっくりして、近くの病院に運んだら……」

 右腕の骨が、折れていた。

 駆け付けたその同級生の父親と、健一の叔父が事情を尋ねると、少年は考えながらそう言えば、車に轢かれかけた事があると、答えたのだ。

 轢き逃げされたのかっっ。

 という父親の叫びは、当然の事だったが、当の息子は首を傾げただけだ。

「車に追突されて、吹っ飛びはしたけど、すぐに動けたし、頭は打たなかったから、大事ないと判断したって……志門さん、そいつ、この春から転入して来たんで、頭は、すげえ良い筈なんです」

 噂では、百点満点で試験問題をクリアしたと聞いたほどの、秀才だ。

 そんな少年の言葉に、耳を疑う健一の傍で、叔父が溜息を吐いた。

「君が、判断して良い話ではない。前にも言った筈だが、忘れたのか?」

「忘れてはいません。ですが、こんな事で、父を困らせるのはどうかと……」

「こんな事で困らないで、どこで困れと言うんだっ?」

 忙しい医者の父親を気にしての、息子の弁に男はつい声を荒げていた。

「もしやその子、金田先生の師匠格の方の息子さん、ですか?」

「そうです」

 速瀬はやせしん、それがその同級生の名前だ。

 色素の薄い髪色の速瀬りょうとは違い、黒髪で真面目そうに見える少年だが、引き取られるまで随分苦労したらしい。

「あの、そのお話から考えると、先のお話の植木鉢が落ちて来た件も……実際には、当たっているんですか?」

 どの高度からの落下かは分からないが、恐らくは頭に落ちたはずなのに、平然と通学できるとは、随分と頑丈な少年だ。

 つい感心する静に、健一は首を振った。

「そうじゃない。あいつ、痛みに恐ろしく鈍感らしいんだ」

「は?」

 ちなみに植木鉢の方は、目の前に落ちて来ただけで、怪我には至っていないようだが、それも大人二人に詰問されてようやく吐いた。

「吐いたって……容疑者じゃないのに、その言い方は……」

「そう感じる尋問だったんだよ。そこまできつい訊き方しないと、あいつ、何も話さないらしいんだ」

 その他にも、よくよく聞いてみると、おかしい事に巻き込まれている。

「歩道橋の階段の上で、突き飛ばされて落ちたとか、近くの看板が靡いて倒れて来たとか。兎に角、自然な事故にしては、続きすぎるんです。もしかしたら、変なものに、取り憑かれてるんじゃないかって……」

 歩道橋の階段で足をひねり、看板の下敷きになり、それでも伸は親に相談せず、通学していた。

「今、うちの病院に入院してるんですけど、気が気じゃなくて。ほら、ああいう所って、変なものが集まりやすいでしょう? あいつに取り憑いてる奴が、その集まりを吸収して大きくなってたら、太刀打ちできませんよ」

「それは、テレビの見過ぎでは?」

 頭を抱える健一に、静の返しは冷たい。

 志門は首を傾げたまま考え込み、慎重に口を開いた。

「その方とは、一度も顔を合わせた事はないと思うので、はっきりとは分からないのですが、誰かに恨まれるような方なのですか?」

「分かりません。頭がいいし、結構優しい印象の奴だから、クラスメートの女子にもよく見られてる奴なんで、その辺りでやっかまれることはあるかも。でも、恨んで怪我させる程の事、クラスの奴らに限ってはしないですよ」

 殴り合いの喧嘩も、教室内では見た事がない。

 学園の備品を壊したら、どんな理由であれ、親に弁償の請求が届くのだ。

 一度、可愛い女子をやっかんだ女子生徒が、友人たちと共にその生徒の机に、悪口を書き立てた事がある。

 消えにくい油性ペンや、カッターで机に書かれたそれは、次の日に買い替えられたが、後日、書いた女子生徒全員の家に、請求書が届いたと言う。

 やり過ぎだと訴える親たちに、理事長は言った。

「校則は、守っていただく様、制約が成されているはずだが、もしや、内容を読んでおられないのか?」

 生徒手帳に、はっきりと明記された校則。

 これは、理不尽な束縛の校則ではないと、地元でも評判の的確な規則だ。

 これを守れれば、社会に出て戸惑う事はあるまいと、理事長直々に考えたものだと言う。

 公共の物を壊したら、弁償が基本だと、相手が人間で、怪我をさせた時も同じと、この学び舎は現実的な事を、教えてくれる場だった。

「だから、あいつに限った話でなく、退学した生徒とかのやっかみが、偶々あいつに多く降りかかった、って話かな、とも思うけど、それだと、やり過ぎでしょう?」

 自動車を使うような嫌がらせは、その度を越している。

「それを言うなら、自動車が出た時点で、取り憑かれていると言う疑いに、疑問が出てきます」

「そうだけどさ、通り魔やその車の運転手に、何か憑いてあいつを襲ったかも、知れないだろ?」

 唸る静の横で、志門が天井を仰ぎ頷いた。

「私で、何か力になれるとも思えませんが、お見舞いと名売って、会ってみましょうか。明確な話は、その後でも、よろしいでしょうか?」

 学生の身で、まだまだ世間を知らぬ志門は、控えめに健一へと告げた。

「勿論です。その上で、何か助言を下さい」

 後輩の過剰な期待に、内心不安でいっぱいになりながら。

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