『日韓ポップス新時代』について

というわけで1月7日にNHKスペシャルで放送された『世界に響く歌 日韓ポップス新時代』という番組の感想などを書きます。

20日以上前に放送されたものについて今さら書くのもどうかとは思ったのですが(苦笑)、乗りかけた舟というのもありますし、とても興味深い内容でしたので何らか感じてもらえればと思います。




非常にざっくりと番組内容をまとめると、YOASOBIという日本のアーティストと幾つかのKpopのアーティストに密着して、アメリカやアジアの幾つかの国で彼らが受容されていく様を追ったドキュメンタリー番組です。


私がまず感じたのは「世界」という言葉の曖昧さについてですね。

アメリカでのライブや、アジアの幾つかの国での熱狂的な反響を受けて、それだけで「世界」に受け入れられた音楽だ! と言い切ってしまって良いのか? という点を捻くれた私は第一に思いました。「世界」とはもっと広い場所を指すのではないか? ということです。

しかし自国以外で受け入れられるというのは、ミュージシャンにとってかなり大変なことなのだと思います。基本的にポップスは自国の詞を乗せて歌いますから、そのハードルを超えて外国で受け入れられるのは簡単なことではないでしょう。

そしてまた一方で、日本で言う「洋楽」とはまずは第一にアメリカのチャート上位の楽曲を指すわけで、世界の中には依然としてそうしたチャートを見て「これこそが音楽だ!」と思い受容している人々も多くいるのでしょう。

そうしたものはまだまだ影響力を持っているのかもしれません。そう考えるとアメリカのチャートを「世界」と冠するのもあながち大袈裟と言い切ることは出来ないのかもしれません。


近年では日本でもKpopのアーティストが勢力を拡大しています。

私も普通に時々幾つかのヨジャドルのMVを観たりします。どれもクオリティはとても高いと思うのですが、ジャストで滅茶苦茶好きな音楽性のアーティストというのは少なくて、まあ普通に可愛いなぁ、エロいなぁと思いながらMVを観ることがほとんどです。聴き始めた当初はR&Bやヒップホップなどの洋楽的なアプローチの楽曲に新鮮さを感じていたのですが、最近はどれも似たものに聴こえることが多くやや飽きを感じてきました。


アメリカでもKpopは近年BTSを始め幾つかのグループがビルボードのチャートに入ってきており、勢力を拡大しているいるという状況です。対して日本のアーティストが米ビルボードのチャート上位に入ったという例は坂本九の『スキヤキ』にまで遡らねばならないようです。

Kpopが外貨獲得のために国家プロジェクトとして世界を目指して来た。というのは割と有名な話だと思います。日本にも隣国の大きな市場として積極的にKpop勢はやってきました。

対して日本のレコード会社はほとんど海外で売るという戦略を立てて来なかった、というのも有名な話でしょう。KARAや少女時代などが日本に上陸してきた時も、日本のAKBは握手会商法で国内でCDを売ることにのみ注力していた……というように番組内でも扱われていました。


それは恐らくその通りでしょうし、日本の音楽シーンがガラパゴス化しているという批判も多分適切なのだと思います。

そんな中でYOASOBIの『アイドル』はアニメ『推しの子』の主題歌として世界中の人々に届く音楽となりました。

先日あるアニソン作曲家の方が「日本のアニソンはもっと世界を目指すべきだ」という趣旨のツイートをしておられました。

私はこのツイートを最初かなり批判的な目で見ていました。「ガラパゴス音楽最高じゃねえか、今さら洋楽の真似をしてどうする?」という意見です。

しかし、もはやCDを売る時代ではなく配信サイトでの再生数が指標になる以上、産業としての音楽を考えるならばこれはかなり大事な視点なのかもな……と思い直しました。絶対数の少ない日本国内での需要よりも、より大きな市場となる諸国に向けて音楽を作ってゆくのは理に適ったやり方でしょう。


しかし私個人としては、やっぱりこの意見に全面的に賛成は出来ません。

私は音楽が好きなので、産業的な側面からのみ音楽を評価することが出来ないからです。多く売れる音楽よりも、心に響く音楽の方が価値が高いと思っているからです。そして私自身は、最大公約数的に広く聴かれる音楽に本当に心震わせられることは今後あまりないように思えるからです。それは私の生来の逆張り精神というのもありますが、私にとって音楽とはもっと内面的なものだからです。

そして私と同じような感覚を持って聴いている音楽ファンは割と多いのではないかとも思っています。

音楽は国境を超える……というのはある部分までは真実だとは思うのですが、本当に心震え、救いを感じるような音楽というのは、中々最大公約数的な音楽の中には現れないのではないか、と私は思っているということです。


番組の主たる論旨としては、エンディングでも述べられていた「日韓のエンターテインメントが世界を動かす時代がやってきた」というものでしょう。

2023年紅白歌合戦でYOASOBIの『アイドル』を日韓様々なアーティストがコラボしてパフォーマンスする。というのはまさにその象徴的な出来事だったように思います。

日本のポップスが世界的市場で成功するとしたら、やはりアニメなどのジャパニーズカルチャーを絡めたものになるのでしょう。

まあさらに時代が進めば、こうした枠組みそのものが意味をなさなくなってゆくのかもしれませんが。




以下は余談というか、本筋とは外れた雑多な所感です。


YOASOBIのAYASE氏もNew Jeansのプロデューサーのミンヒジン氏も、作り手の当事者として「如何に売るか」という点はあまり考えていないように見えましたし、「売れるものが果たしてイコールで良いものなのか?」というジレンマもほとんど感じていないようにも見えました。「良いものを作ればそれだけ多くの人に受け入れられる」と正面から考えているように見えました。

そう考えられるのは多分作り手としてかなり幸福なことなのだと思うのですが、単に彼らが元々の志向としてそうなのか、売れ切った人たちだからその志向で仕事が出来るのか……ということがとても興味深く感じられました。


あと、もう一点特に興味をそそられたのはLE SSERAFIMのSAKURAこと宮脇咲良さんのことですね。

Kpopの文脈で活躍している日本人の筆頭として挙げるならば彼女になると思うのですが、私は10年以上前日本のHKT48というグループでデビューした時から彼女のことは何となく知っていました。様々な活動を経ての今の活躍は本当に凄いと思います。

日本のアイドルに比べてKpopはカッコイイ要素が強く、同性からの憧れの対象となることも多いと思います。今も彼女に憧れて第二、第三のSAKURAを目指している女子も多いでしょうし、今後そこに立つ日本人もますます増えていくのでしょう。




以上です。とくに結論も意見もないまとまりのない文章になってしまいましたが、何か感じた点などありましたコメント頂ければ幸いです。



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