エホバの証人に関する報道について

※私はエホバの証人2世として育てられてきて、今から20年ほど前高校生の頃に離脱しました。

この稿はどちらかというと宗教2世問題について関心が強い方、当事者に向けた書き方をしています。しかしもちろんそうでない方にも読んで関心を持っていただきたいと願っております。質問等あればコメントから可能な限りお答えします。

関連した記事をこのエッセイ集にも幾つか書いておりますので、興味のある方はぜひお読みください。




何やらエホバの証人(以下JWと略記)界隈が騒がしい。ここ数日で様々な報道番組に実態が取り上げられているようで、私のTwitterのTLはフォローしている元2世信者の方々による関連の話題で持ちきりだ。

私自身はちょっと乗り遅れたというか、そこまで大きく感情が動いていない自分をもどかしく感じている、というのが正直なところだ。


こうした流れの直接的な発端はもちろん安倍元首相殺害から始まった旧統一教会への注目だろう。宗教2世というものに世間が注目するようになったことは、私自身当事者として望んでいたことであるはずなのだが、実際にそうなってみると快哉という感じでもない。この辺りの自分の心情については後にまた触れてみようと思う。


さてJWである。

特に今回取り上げられているのは主として輸血拒否とムチ問題という2点のようだ。

そしてそれが教団の指示であったのか、家庭内の親の判断に任されていたのか、というのが主な争点だろう。


JWの輸血拒否というものの根拠は、聖書中に「血を避けるように」という記述があるという解釈によるそうだ。信者は血を含んだ食品を食べ飲みしないし、輸血を避ける。事故や病気により命に係わるような危険な状況になったとしても輸血を拒否するのだ。


私が組織にいた当時はそのための『輸血拒否カード』というものが存在していた。「自分がもし意識を失うほどの緊急事態に陥ったとしても私は輸血を拒否します」という意志を示すため、常に首からぶら下げて携行するように、というものである。

私自身はバプテスマ(洗礼)を受けることなく離脱したので、正式な輸血拒否のカードではなく、子供用の身分証明書みたいなやつを常に携行させられていた。文意を正確には覚えていないが、これも輸血を拒否する内容のものだったし携行を怠ると母親にとても真剣に怒られた。

夏場なんかはTシャツ一枚で首からカードケースをぶら下げているものだからとても目立つ。「何それ?」と散々周りの友達に聞かれたのがとても嫌だったことを思い出す。


もう一方のムチ問題である。

JWにおけるムチ問題とは、子供(幼児も含む)が宗教教育から外れるような行動をとった際には、親は物理的な体罰によってでも正しい道に矯正しなさい……というものである。

具体的に言うと、親に反抗的な態度を取った際、集会中に居眠りしたり落書きをしたりした際、その他神の教えに反する行動を子供が取ったと判断した場合は、親はムチで子供の尻を叩くことで懲らしめを与え反省させ行動を改めさせなさい……ということだ。

……こう書いてみるまで私自身当事者でありながら、どこか他人事な感覚だったのだが、本当に3~4歳の幼児の頃から何かある度に母親にムチで尻を叩かれていたのだからかなり異常だよな。そりゃあ私の性格も大いに歪む。うん、仕方ない。

しかし今までは自分がムチを受ける側からの視点しかなかったが、ムチを打つ母親も相当なストレスだったろうな、と今では思い至る。そのストレスを踏み越えて我が子に愛のムチを振るうことで信仰はより強固なものになっていかざるを得なかったのかもしれない。


「子供を神の下に正しく導くためには愛の鞭をためらってはなりません。一時的には子供も親を怨むかもしれませんが、大人になった時には、あの時正しく自分を神の下に導いてくれてありがとうと感謝を述べるでしょう」という趣旨のことが当時の出版物には書いてあったし、講演などでも頻繁に言われていた。


ちなみにムチとはSMの女王様が振るうような文字通りの鞭ではなく一種の概念でもある。要は子供を矯正させ得る威力を持った道具ならば何でもよい。

私がよく食らっていたのはゴム製のガスホースを短く切ったものだった。これが一番痛かった。これを生尻に受けるために自分でズボンとパンツを下ろすのである。他の方の経験談を見ると自分で「お願いします」とムチを懇願せねばならなかった(!)家庭もあるようだ。

ムチはゴムホースだけではなかった。ベルトの時もあったし、竹製やプラスチック製の定規の時もあったし、素手の時もあった。幼馴染の賢太郎君の家ではハエ叩きが用いられていたようだ。この鞭に何を用いるか問題は熱心な母親姉妹たち(JW内では洗礼を受けた女性のことをすべて姉妹と呼ぶ)の内で時々白熱した論争を巻き起こしていたように記憶している。


ムチは家に帰ってから執行される場合もあるが、集会中に居眠りした場合などは集会場のトイレなどに連れて行かれその場で執行される。集会中に同年代の子供がぐずりながら親に手を引かれ席を立っている姿を目にすると「やっちまったな、まあ頑張れよ」と同情的な目線でそれを見ていたことを思い出した。


しかしいつからかムチは立ち消えになった。私の場合は小学校高学年ごろになるとムチで打たれた記憶はほとんどない。まあ大人に近い大きさに育ってきた子供をムチ打つことが躊躇われたのか、口で言えばわかると判断されたのか、その異様さに自覚を持ち始めたのか。はっきりとした理由は分からないがともかくそれ以降はムチで打たれた記憶はない。

ちなみに現在は教団の意向としてムチは推奨していないようだ。




今回これだけJWが注目され話題になっているのは、こうした問題について諸々の人々の働きかけにより、教団側に問い合わせたことがきっかけになっている。

そして教団側の返答はどちらも教団の指示ではなく「親たちがそれぞれ勝手に判断してそれを行った」ということのようだ。

これには私も失望させられた。

当時は出版物等でもかなり具体的な指示が出されていたし、会衆内ではバリバリにそうした雰囲気を醸成されていたじゃないか! 教団は自らの指示であることを認めろ!

……という部分もあるのだが、JWの教えでは世間から迫害されることこそが真の宗教の証であり、終わりの日(ハルマゲドンを経て地上の楽園へと地は生まれ変わるという教えがある)が近いことの証である、と散々言われていたのだ。だから「個々の家庭の判断だった」などという中途半端な逃げの姿勢には失望させられたという方が正確だ。「未熟な子供たちを真のエホバの証人に育て上げるための当然の教育でした」と開き直ってもらった方が良かった。


抑圧を生む宗教教育はもちろん虐待である。

センセーショナルで一般的に分かりやすい問題としてこの2点が注目されているが、私個人としては他にも辛い部分が沢山あった。

小学校に上がった際に他の児童とは明らかに異なってはいなければならなかったこと、自分の将来に絶望していたこと……こちらの方がより本質的な虐待だったと私は感じている。

自分がJW2世であるということは30代後半となった今も私の肩に重くのしかかっている。もっと普通の家庭に生まれていたらなぁ……と思わない日はなかったと言って良い。


冒頭に述べたように旧統一教会の問題に端を発して宗教2世というものが今注目されている。エホバの証人という具体名までもが連日報道されている。

こうした状況を私はどこか夢見ていたはずだ。

世間から迫害されてこんな宗教滅びてしまえば良いと強く思っていたはずだ。

しかし実際にそうなってみても私の感情はあまり大きく動いていない。

今がその決定的な時であるはずなのだが、さしたる高揚もないし、子供当時の辛かった思い出がフラッシュバックしてダメージを受ける……ということもない。

安倍元首相が撃たれた時の方が震えるような感覚があった。今の状況の方が私にとってはるかに当事者であるはずなのだが、どこか他人事な気もする。

JWの組織などは解体されてしまえ! という気持ちもあるが、私の母と姉は未だ現役で信仰している。彼女たちの精神的な安定のために存続しておいてもらっておいた方が良い気もする。

現役の普通の信者たちが不当に攻撃されて欲しくはないし、無知で本質的部分に興味を持たない連中の好奇の目に晒されるのが可哀相という気すらする。

誤解されては困るが私はJWの教義を一片たりとも信じているわけではない。

でもJW信者とは現役の人々相手であろうと薄っすらと仲間意識が残っているということなのかもしれない。そう思い至った。


私自身は現在は無宗教者と言って良い立場だろうが、厳格にその道に励んでいる宗教者には尊敬の念を覚えるし、深く話を聞いてみたいとも思う。

しかし同時に宗教など本当に下らない、ままごとみたいなものだ、というような感覚もある。

1870年代アメリカで生まれたキリスト教系新宗教であるJWが1980~90年代日本で急速に広まったのは様々な社会的な要因があるのだろう。

そこにはある程度の必然性があるとも言えるが、時代の麻疹はしかのようなものでしかないとも思う。JWを含め同様の宗教がこれから100年後に存続しているとは到底思えない。そんな程度のものに私の人生は規定されたわけだ。本当に下らない。

なぜこんな状況の下に私は生まれざるを得なかったのか? という方が本質的な問いかもしれないが、これは何も私が宗教2世だからではなく誰もが抱くものだろう。




以上長々書いてきたが特別に望むことは何も無い。

幼児期からの宗教教育によって得損なってきたものを取り返すことは、30代後半になった私にはどうしたって無理だということを嫌というほど痛感しているからかもしれない。

JWが解散するようなことになったら少しは胸のすくような気持ちになるかもしれないが、別にどうしてもそうなって欲しいわけでもない。

高齢の母親と未だ熱心な姉がJWを辞めるようなことになったらそれは面白そうだが、彼女たちが長年かけて積み上げてきたアイデンティティを捨て去るとは思えないし、万が一そうなってしまったらそれはそれで私も大いに戸惑い困るだろう。

以上書いてきた通り私の精神は諦念にまみれているが、これはこれで豊かなものだとも思っている。


まあ似た境遇の方々は仲良くしてください。そろそろ時勢的に許される感じになってきていると思うのでオフ会でもしましょう!






(了)

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