労働について

 仕事を辞めて一週間ほどが経った。

 正確にはまだ有休消化期間中なので、年内いっぱいは前の会社に在籍していることになる。

 一応次の進路も決まっていて、1月6日くらいまでは休みのはずだ。

 二週間ちょいという長期の休みは久しぶりだが、コロナ禍の影響で旅行に行くのもためらわれるし、有意義に過ごせず腐ってゆくだけだろうと休みに入る前は思っていた。

 実際のところ無駄に過ごした部分もあるのだが、そこも含めて最高だ。

 夜勤の仕事から昼間の生活リズムに戻りつつあるのは最高だ。

 どこにも旅行には行かずほとんど家にいるが、最高だ。

 とにかく会社に行かなくて良いというのは、本当に最高だ。


 好きな時間に起きて、好きな時間に飯を食って、録画していた番組とYouTubeを見て、時々ライブを観に行って、運動もちょろっとして、こうして文章も書いていれば、それなりに充実感もある。

 まさに理想的な生活という気さえする。

 しかしまあ、こんな生活がいつまでも続く訳もない……などという常識的帰結を当たり前に受け入れて良いのか?というほどに今の生活は良い。

 人生というものは長いようで短い。

 そしてその終着は足音もなく忍び足で……だが確実に、近づいて来ている。

 私の貴重な残り人生のうち、ほんの一分たりとも労働などというものに時間を割きたくないのだ!

 そもそもだ!今や時代は21世紀!

 人類が農耕を始めてからどれほどの歳月が経ったというのか?

 産業革命が起きてから何世紀が経ったのだ?

 その間に人類はどれだけの技術を進歩させてきたのだ?

 ……なのに!なのになぜ、人類は未だに労働などという空虚な時間に縛られているのだ!?

 おい、先人ども!お前らの怠慢じゃないのか?お前らの怠慢のツケを現代に生きる我々は今も払い続けているんじゃないのか!?

 なあ!未だに人生の大部分を労働に費やさなければならないなんて、人類は発展の方向を間違えてきたんじゃねえのか!?




 ……要は、とにかく働きたくないでござる。




 あれ、でも労働って自己実現だ、みたいな話がなかったっけ?と思い出す。

 労働によって、人間は組織の一員として、社会の一員としての実感を持つことが出来る。それこそが最高の自己実現だ!みたいなことを言っていた偉い人がいたはずだ。

 私はこの方面に関してはほとんど知識がないので……軽く(本当に軽く)調べた所、マルクスの理想的な労働観のようだ。

 今の時代マルクス主義自体は敗北したと言って良いと思うが、上記のような労働観が完全に間違っているとは言えないだろう。


 「人は食ってゆくためだけに働くのか?」という点だ。


 以前一般的なサラリーマンであろう友人が、時期によっては残業が毎日2~3時間ある、という話をしていた。「え、マジで?大変やなぁ」と私は返したのだが、その次の彼の返しに私は驚かされる。

「まあ定時で帰っても他にやることもないしな」というものだった。

 そして、同様の主旨の言葉を別の友人からも聞かされたことがある。

 これは「会社の雰囲気づくりによって、そう刷り込まれているだけだ!彼らは騙されているんだ!」と邪推することも可能だし、実際そういった部分もあるのかもしれない。

 だが本人が本当に仕事にやりがいを感じていて、その照れ隠しとして「定時で帰ってもやることがない」と言ったのだとしたら、それは真実だろう。

 ちなみに本当にやることが無い……なんてことは有り得ない。テレビを見て早く寝ることも立派な『やること』だ。少なくとも残業することにそれよりはやりがいを感じている、と取れるだろう。


 仕事にまつわるこうした問題でよく言われるのが、目的と手段がいつの間にか逆転している……というものだ。仕事は本来金銭を得るための手段だったはずなのに、仕事をすること自体が目的へと転換してゆく、ということだ。

 意識されないだけで、こういうケースは実はかなり多いのではないだろうか?


 私の場合本当に仕事をしたくないのだが、もちろん私も、今までの仕事の中に全くやりがいを感じて来なかったわけではない。

 自分がより上手く仕事がこなせるようになったという成長。チームの中で有効な働きをこなせたという充実感。新しく入ってきた人間に仕事を教えるという教育の部分、などではそれなりにやりがいを感じてきた。

 ただまあ大抵の場合「これが自分でなければならない必然性はないよな」とか「こんな仕事、世の中的にはどうでもいい仕事だよな」という方が勝る。


 私がやってきた仕事はバイトも含めれば……年末年始の郵便配達、警備員、パン屋の厨房、ビル等の清掃業、ゴミ処理の作業員、そして直近の新聞工場などだ。

 やってられねぇ!ともっと短期間で辞めた仕事もあるから、上記に挙げた仕事は自分の中ではそれなりに条件が良かったということになるだろう。それでもそうした仕事を生涯続けるには至らなかった。

 まあ理由は様々だろうが、面白いと思えるほどはやりがいを感じなかったというのも要因なのだろう、という気はする。


 しかし、どっちかというと「やりがいを求めて仕事をしている」ということを認める人は少数派ではないか、と思う。

 多くの人は「は?別にやりがいなんかねえよ、食ってくためだし!」とか「お前さあ……こっちは家族を養っていかなくっちゃならねえんだよ。いつまでも甘ったれたガキみたいなこと言ってるんじゃねえよ!」という反応が返ってきそうである。

 しかし何だかんだ言いつつも、自分の仕事にプライドを持っている人はそこにやりがいを感じているのではないだろうか。

 そこをあまり認めないのは他と比較してしまうからだろう。

 世の中を見渡せばもっと立派な仕事をしていそうな人はいくらでも見つかるし、もっと自分がやりたかった仕事が浮かぶかもしれない。もちろん単にないものねだりとも言えるかもしれない。

 しかし長く同じ仕事を続けられている人は立派だと思うし、自分でも意識しないうちにやりがいを感じているのだと思う。イライラが募って仕事をやめたくなった時は、時間をおいてから冷静にそういった部分ももう一度考えてみて欲しい。

 もちろん同じ仕事をずっと続けることが正しいわけでもない。冷静に考えて別の仕事がしたいと思うのならばそうすれば良いと思う。

 

 以上、今まで労働者側の立場から考えてきた。

 対して経営者側は労働者に誠実に対応しているか、というと……とてもそうは言えない、というのが私の実感だ。

 基本的には多少の違法行為も構わない、労働者には法律などに関してなるべく無知でいて欲しい、今までこれでやってきたんだからこれに従え、ごちゃごちゃ文句を言うヤツは辞めさせろ……私が働いてきた職場では、ほとんどこうだった。

 原因や対策を考え出すと日本の経済の問題や政治の問題など、いくらでも議論が広がってしまうのでここらでやめておく。経営者の方々にはぜひとも法律を守って欲しいと思う。


 


 トニカク、ハタラキタク、ナイ…………………………………………






 (了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る