第8話 師匠がここにいる理由

「まあ、そういうことじゃ。お主には信じがたいことかもしれんが、ノワールは正真正銘の暗黒神なのじゃ」


「はあ」

 あまりのことに、何と言っていいかわからない。


「でも、ノワールさんは師匠が召喚魔法を使っていないときでも、屋敷内にいたりしますよね? それはどういうことなんですか?」


「ノワールは闇と影があるところなら、それを通じて異空間からこちらの世界の、どこにでも出てこられるのじゃ」


「その、能力のお陰で、グレゴリーの料理研究のために、色々なところに食材を買い出しに行かされたのよね。まあ、生きている者を異空間に連れてはいけないけないのだけれど。生き物を異空間に入れると皆死んでしまうのよ」


「むっ、その件に対しては素直に感謝しておる」


「そういうわけで、これからもよろしくねアルバート」

 ノワールさんは相変わらず微笑んでいる。


 ぼくは、混乱する頭を努めて冷静に保とうとしながら以前から疑問に思っていたことを聞くことにした。


「どうしてですか?」


「何がじゃ?」


「どうして、師匠は暗黒神のノワールさんを召喚できるくらいの、すごい魔法使いなのに、なんでこんなところで野菜を作ったり、料理を作ったりしているのですか? 街では悪い噂を流されて、今日だってひどい目にあわされて、師匠はいい人なのにこんな扱いはあんまりですよ」


 師匠は何も答えなかった。


「そうだ。もっと大きな街に行きましょう。魔物の討伐の報償金が高いところに。そこで師匠の実力を見せつけて魔物の討伐をすれば師匠に尊敬が集まるし、今のまま野菜を売るよりも、お金だってたくさんもらえますよ。師匠ほどの魔法使いには、そっちの方がふさわしいですよ」

 師匠は相変わらず何も言わずに僕の話を聞いている。


 僕は、同意を求めるためにノワールさんの方を見て言った。


「ね、ノワールさんだって、そう思いますよね」


「別に私は何でもいいわ。グレゴリーがそうしたいって言うなら、それに従うだけだし。グレゴリーが他の場所に行くって言うならついて行くだけよ」

 ノワールさんは、さも退屈な話を聞いているとでもいうように、つまらなさそうな態度で言った。


「魔物はどうする?」

 師匠が言った。


「この辺りは、辺境という立地上、強い魔物が多く出没する。だが、この街の冒険者ギルドにいる冒険者と言えば、駆け出しの若造か、かつては夢を抱いて冒険者になったが、報償金の高い大都市の魔物相手には歯が立たず、それでも夢を諦めきれずに、こんな辺境の街に流れてきた実力不足の者か、実力はあっても、わけありの流れ者の冒険者たちばかりじゃ。そういった者たちは危険なクエストには決して手を出そうとはせんよ。自警団にだって手に余る魔物も多い」


「だから、師匠は自分がこの街に必要だと?」


「そうじゃ。もしも、儂がおらんときに強大な魔物が出現してみよ。誰もその魔物には手を出せず、大都市に救援要請をしても。軍や冒険者が派遣されるのは何ヵ月も先のことになる。その間にも魔物の被害は拡大し続け、最終的には被害は甚大なものとなり、この街の戦災復興もさらに遅れることとなるじゃろう」


 しばしの沈黙が訪れた。


「のう、アルバート。我が弟子アルバート・シルヴィアよ」


「はい、師匠」


「お主は先ほど、尊敬を集める方法や、多額の金を得られる方法について語った」


「はい」


「じゃがのう、地位や名声や莫大な富など下らぬものじゃ。いや、やっぱり富はある程度、必要じゃがのう。いつか、お主にも儂の言った事が、わかるときが来ることを儂は願っておる。無論、それらを追い求める者のことは否定はせんがのう」

 僕は、黙って師匠の話しに耳を傾けた。そばにいるノワールさんも何も言わない。


「かつて、この国では戦争が起き、若い頃の時間を闇魔法の研究に捧げていた儂は、自らの意思で戦地に赴いた。それが、同胞を守るため、故郷を守るため、故国を守るためじゃと思って、戦場で儂は数多くの者を殺した。人間はもちろん、亜人種デミヒューマン、魔物、魔族、動物、必要とあれば何者であろうと殺した。」


 師匠は一度ため息をついた。


「そして、戦争が終わり、儂は脱け殻のようになった。そんな虚しい日々を過ごす中で儂は、儂が殺した者について考えた、儂が殺してきた者にも妻や子供、親や兄弟などの家族がいて、婚約者や恋人や友人が、故郷でその者の帰りを待っていたのだろう、と」


「でも、戦争だったんでしょ。だったら仕方がないじゃないですか」


「そうじゃ、仕方がないことじゃ。任務遂行のために殺すことも仕方がないことじゃった。儂を殺そうとする者から身を守るために、殺すことも仕方がないことじゃった。仲間を助けるために、殺すことも仕方がないことじゃった。儂も自分にそう言い聞かせた。だが、儂にはそれだけでは割りきれない思いが残ったのじゃ」


 師匠は話を続ける。


「だが、儂は戦場にいるときにはそんなことは露つゆほども考えなかった。一々殺す相手の事情を考えておっては、人は殺せんからのう。儂は機械のように冷徹に、淡々と人や亜人種や魔物を殺し続けた」


「あなたは嘘つきね、グレゴリー。あなたは敵味方区別なく、できるだけ被害が少なくなるように戦っていたわ」


 ノワールさんが口を鋏んだ。


「買いかぶり過ぎじゃよ、ノワール。儂はただ何も考えずに殺し続けただけじゃ。ただ、儂は自分の殺した者の数を誇りに思えなかったのじゃ」


「あなたは、仲間の命を助けるための、絶体絶命の状況のときにしか、私を召喚しなかった。私がその気になれば敵を全滅させることだってできたのに」


「それは、たまたまじゃよ。それにお主の存在は軍の最重要機密となっておったしのう」


「故郷に、両親と婚約者を残して来たって言って命乞いしてきた敵兵を殺さずに捕虜にしようとして、油断していたところをナイフで切られた傷はまだ痛むかしら?」


「あんなものは、かすり傷じゃ。もう痛まんよ」


「でも、あなたの体に消えない傷痕きずあとを残したわ」


「そんなものなど、どうでもいいことじゃ。今、言われるまで忘れておったよ。それに、儂の体には消えない傷痕がいくつもある。わざわざ、それを数えようとすれば時間がいくらあっても足りんよ」


「まあ、いいわ。でも、私には嘘が通用しないことは、あなたもわかっているはずよね」

 師匠は、ノワールさんの言葉が聞こえないようなふりをして話を続ける。


「儂は、今まで殺してきた者、助けられなかった者の犠牲の上に生永らえておるに過ぎん。戦争が終わり、儂はそれまでの人生と残された人生の時間について考えた。そして儂は 自分が殺すだけしか能がない人間ではないと、自分自身に証明したくなったのじゃ。戦後、儂は少しばかりの地位と、名声と、富を得た」


「“少しばかりの”、ね」

 ノワールさんは少し、皮肉っぽく言った。


「戦時中、儂が奪ってしまった命に対する対価としては、ささやかなものじゃ。儂は考えた結果。戦後の戦災復興のために、この身を捧げることに決め、逃げるようにして元いた場所を去り、この地に居を構えることにしたのじゃ」


「それが、師匠が今ここにいる理由ですか?」


「 そうじゃ。いや、他にも色々、理由はあるがのう」


「だから、街の人たちに何を言われても平気だというのですか?」


「そうじゃ。それに儂には一緒に野菜を育てて、その野菜を声を枯らすほどの大声で売ってくれる弟子がいる」


 師匠は、僕が野菜を売っているところを見ていたのか。


「それに、私もいるでしょ」


「そうじゃな、ついでにノワールもおるな」


「ついでとは失礼ね」


「のう、アルバート。儂らが今日売りに行った野菜を買った者は皆、貧しそうな身なりをしておったじゃろう?」


「はい」


「儂は、その者たちの今夜の夕食の卓に、儂らが育てた野菜が並び、それでその者らが空腹を満たすことを想像するだけで満足じゃ。もしかしたら、今日、野菜を買ってくれた者が次に儂らが野菜を売りに行ったときにまた買ってくれるかもしれんしのう。そうやって、少しずつ儂らのことが広がってくれれば良い」


「はい、わかりました師匠。出過ぎたことを言いまして、申し訳ありませんでした」


「良い良い。さて、日もすっかり暮れたし家に入るとしよう。夜風に長時間、体をさらしていると老骨にこたえそうじゃわい。それにしても、話が長くなってしまうのは年寄りの悪い癖じゃな。クェックェックェッ」


 そう言うと師匠は家に入って行った。


 だけど、僕はもう少し何かを師匠に言いたい気分だった。『それでも、僕は師匠を尊敬しています』とか『どこまでも師匠についていきます』とか、でもそれらの言葉は口から出ることはなかった。


「さあ、私たちも家に入りましょう。今夜は、普通よりもおいしくて、普通よりも大きくて食べごたえもあり、しかも値段は相場の半額の野菜で作られた料理を振る舞ってくれるのでしょ?」


 ノワールさんも、僕が野菜を売っているところを異空間から見ていたのか。


 僕は、ノワールさんに「はい」と答えてから、最後に家の中に入った。

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