第4話 肉じゃがと弟子入り

 ブラッグスさんについて、屋敷の食堂に行くと、そこは広々とした部屋で10個くらいの円形のテーブルが置かれてあり、そのそれぞれのテーブルを取り囲むようにいくつかの椅子が置かれてあった。


 おそらく、この屋敷がまだホテルだった頃に訪れた客たちが、食事をするための場所だったのだろう。


 一緒について来たノワールさんは、慣れたように厨房に一番近い所に置いてある唯一テーブルクロスがかけられているテーブルの前に置かれている椅子に座ったので、僕もそれに習ってそのテーブル席に座った。


 ブラッグスさんは一度、厨房に戻ると中から湯気が立っている大きな鍋を両手に持ち、それを僕たちのいるテーブルの中央に置いた。僕も手伝おうとしたが、ブラッグスさんにそれを止められてしまった。再び厨房に戻ったブラッグスさんは今度は底が深めのスープ皿と食器を持ってきて僕たちそれぞれの前に置いてから自分も椅子に座った。


「それでは、食事を始めるとするかのう。アルバート・シルヴィアも遠慮せずに食べなさい」


 ブラッグスさんは、そう言ったが僕は鍋の中に入っている料理を見るのが初めてだったので、食べるのに気後れしてしまった。


 すると、ノワールさんは中央に置かれている鍋から野菜と肉を自分のスープ皿に移すと、それを少し食べてみせた。


「ほら、アルバート。毒とか変な薬なんか入ってないでしょ?」

 ノワールさんは、僕の方を見ながら安心させるようにそう言ったが、僕はそんなことは考えてもみなかった。でも、そういう可能性もあったのか。


 さっきの居間でのノワールさんとの会話で僕の中でブラッグスさんへの警戒心は大分薄らいでいるようだった。


 もし、さっきの話を聞かなければ僕は本当にこの未知の料理を前に怖じ気づいていたかもしれない。


 今の言葉にブラッグスさんは、心外だとでもいうように少しムッとしたようだか、何も言わずに僕の方を見ている。


 正直に言ってその鋭い眼光を含んだ目で見つめられると、射すくめられたような気分になるが、ブラッグスさんは何となく僕に何かを期待しているかのように、微かにソワソワしていた。


 僕は、ブラッグスさんの視線に促されるように、鍋の中から自分が食べる分を手元のスープ皿に移した。


 どうやら、それぞれ切り分けたジャガイモ、ニンジン、タマネギと牛肉を一緒に煮込んだ料理のようだった。だけど、そのスープの色は黒みを帯びていて、やや食べることを躊躇させる色合いだった。


 僕が手元の料理を見ながらそんなことを考えている間も、相変わらずブラッグスさんは、僕のことを見つめ続けている。正直に言って食べづらい。


 僕は恐る恐るその料理を口に運ぶと、口の中に不思議な味わいが広がった。それは今まで僕が食べたこのない味だったので上手く表現ができないが、とにかく、すごく美味しいことには間違いはなかった。


「どうじゃ? うまいか?」


 ブラッグスさんは、僕の目を覗きこむようにして言った。


「はい、すごく美味しいです」

ブラッグスさんは、まだ僕の目をみつめている。


「クェックェックェッ。どうやら嘘は言っていないようだな。どうじゃ、ノワール。この地に移り住んで早3年、初めてお主以外の者に儂の手料理を食べさせることに成功したぞ。しかも、アルバート・シルヴィアは儂の作った料理を美味いと言った! 儂のこの3年の苦労は無駄ではなかったぞ! クェーックェックェックェッ」

 ブラッグスさんは、本当に嬉しそうに笑った。


「確かに、これは美味しいわね。私もせっせっと買い出しに行っていたかいがあるわ。でも、最初の頃の料理はひどいものだったけどね」


「クェックェックェッ。確かにその通りじゃが、それも既に過ぎ去った過去のこと。儂はついに度重なる失敗を糧に今回の成功へとたどり着いたのじゃ!」


 なんだか、言い方が大袈裟すぎる気がする。他人に自分の料理を誉めてもらうのが、そんなに嬉しいのだろうか? 多分、ブラッグスさんは嬉しいのだろう。3年もノワールさん以外の人に手料理を振る舞えなかったというのだから。


「こんな料理は初めて食べました。これはなんという料理なのですか?」


「クェックェックェッ。教えてやろうアルバート・シルヴィアよ。これは“肉じゃが”という遠い異国の料理じゃ。以前、様々な国を旅していたときに味が気に入って、魔物の討伐の代償にレシピを教えてもらったのじゃ」


「でも、結局あの時はレシピを教えてもらった後で本屋に行ったら、普通に料理本にレシピが載ってたんだけどね」


「ぐぬぬ。しかしあの街は確かに魔物の被害に悩まされておったのじゃから結果的には良かったじゃろ」


「まあね」

 と言ってノワールさんは、ニンジンを口に入れた。この二人はずっとこんな風にして過ごしてきたのだろうか? 僕には二人が何か特別な関係で結ばれているように感じられた。


「このスープは、黒っぽい色をしていますけど、どうやって作っているんですか?」


「それはな、醤油というやはり異国の調味料をベースに作っておるのじゃ。その醤油の味を再現するために実に3年の月日を研究に費やした儂の苦心の品じゃ」


 あー、街の人たちが噂していた闇魔術師がしているという怪しげな研究ってこういうことか。


 僕は、さっきノワールさんとブラッグスさんの研究について話したときに、ノワールさんが悪戯っぽく微笑んで「楽しみにしていなさい」と言った理由を理解した。


「どうじゃ、野菜の味の方は?」

 ブラッグスさんが、せかすように僕に聞いてきた。


「美味しいです」

 本当に、美味しかった。


「クェックェックェッ。今度も嘘ではないようじゃのう。なにしろ儂自らがここの庭で老骨に鞭打って丹精込めて育てた野菜ばかりじゃ。それでもまだまだ品種改良の余地はあるがのう」


「グレゴリーは色々な国を旅しているときに、魔物の討伐と引き換えに色んな野菜や果物の種とかを分けて貰ってたのよ。あるときなんかオーガ4匹を退治して種芋10個の報酬なんてこともあったわ」


「仕方なかろう。儂には闇魔法しか能がなかったんじゃから。しかし、今日からは違うぞ! 儂は客を家に招き、手料理を振る舞い、客から味について満足したという評価を得た。儂はもう今までの儂とは違うのじゃ。クェー、クェックェックェッ」


 客? 客というのは僕のことなのか? 僕は今まで他人から客扱いされたことなんてなかったので恐縮してしまった。


「美味いのなら遠慮せずにもっと食べるがよい。若いのじゃから、それだけでは足りんじゃろう」


 僕は、その言葉の誘惑に耐えきれずに、肉じゃがを鍋の中が空になって満腹になるまで食べてしまったが、ブラッグスさんとノワールさんはそんな僕を咎めようともせずに、楽しげにしていた。


「ブラッグスさんは、闇魔法使いなのにどうして野菜を作ったり、料理を作ったりしているんですか?」

 全員が食事に満足して、食後の手持ちぶさたな沈黙の時間が流れる中で僕は、聞いてみた。


「闇の中に光を灯すためじゃ」

 ブラッグスさんは、そう言った。


「お主もあの街で暮らしているのならわかるじゃろう。あの街は今、闇に覆われようとしている。長く続いた戦争のためにいまだに戦禍の傷痕は町中いたるところに残り、そのため人の心は荒廃し、様々な負の念が町中に渦巻いておる。皇都でもいまだに戦後復興は完全に果たされておらず、あのような辺境の街など中央からは見向きもされん。確かに儂は闇魔法使いで闇の必要性も理解している。しかし、闇が存在するためには必ず光があらねばならんのだ。だからこそ、儂はここに居を構えあの街に光を灯さんとしているのじゃ」


「そのために料理や野菜を?」


「そうじゃ、人々の心を癒し光を灯す物は様々あるが、まずは衣食住じゃ。だから儂はまず人々の食を満たすため日を費やしているのじゃ。儂が品種改良して作った野菜を食べて美味いと言う者がおれば、それを分け与え、乞われれば作り方も教える。料理も同様じゃ。もしかしたらそれらが街の名産品となり、街が潤うかもしれん。そして、街中の者が美味い物を食べ満足したら次はそれが別の街々に伝わり、更には様々な地方にも伝わり国中、もしかしたら世界中に光を灯すことができるかもしれん!」

 ブラッグスさんが、そう言い終わったあと食堂にはしばらくの沈黙が訪れた。


「いやいや、今のは老いた老人が誇大妄想にとりつかれて口走った戯言だと思って笑ってもらってもかまわんよ」


 そう言うと、ブラッグスさんは恥ずかしさと気まずさが混ぜ合わさったような様子で目を伏せた。


 ノワールさんの方は、まるで僕の母が生きていた頃、母が僕の成長を見て喜んでいたときのように、優しげな表情で微笑みながら何も言わずにブラッグスさんを見ていた。


 その時、僕の心の中の闇に大きな光が灯ったのを感じた。その光に照らしてブラッグスさんを見たときに僕の口から自然に言葉が出てきた。


「お願いします! どうか、僕にブラッグスさんのお仕事のお手伝いをさせてください!」


 ブラッグスさんは驚いたように、伏せていた目を上げて僕を見た。


「いや、使用人とかは別に募集してないんじゃがのう」


「いいじゃない。あなただって最近は一人での畑仕事は疲れるって言ってたし。それにこの子はなかなか、いい魂を持っているわ」


「しかしのう」


「お願いします! 給金はいりません。寝る場所と食事さえあれば何も文句は言いません。何なら僕自身を奴隷としてブラッグスさんに売り渡してもいいです」


「奴隷制はこの国では禁止されておるよ。それにお主の家族がなんと言うか」


「僕は、その日暮らしで給金を稼いでいる孤児です。だから、何も心配はいりません」


「うーむ」


「この子が今までのような生活を続けていけば、この子の魂が闇に蝕まれて呑まれ尽くされてしまうまで、あと1~2年ってところね。どうするのグレゴリー?」

 ノワールさんがそう言うとブラッグスさんは、深くため息をついた。


「恥ずかしながら言うが、儂はこの生涯のほとんどを闇魔法に捧げて生きてきたのじゃ。だから、儂には魔法以外の繋がりでの他人との接し方がわからんのじゃよ」

 ブラッグスさんは、肩を落としてそう言った。


「だったら、簡単な事じゃない。この子をあなたの魔法の弟子にしてあげればいいでしょう」


「何を言っておるのじゃ、ノワール。この子には闇魔法どころか、いかなる属性の魔法の素質もないことくらい、お主もとうに気がついておるじゃろ」

 ブラッグスさんが、そう言うとノワールさんは僕の方を見た。


「どう? アルバート。あなたは闇魔法使いグレゴリー・ブラッグスの弟子になりたい?」


「はい。できることならブラッグスさんの弟子になって、ブラッグスさんのお仕事のお手伝いがしたいです。でも僕には魔法を使う素質がないんですよね?」

 すると、ノワールさんは、また悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「フフッ。それでも色々やり方はあるのよ。ところでアルバート、あなたがさっきラウンジに大切そうに抱き抱えてきた血の臭いのする袋には何が入っているの?」


「牛の内臓です」


「何に使うつもりだったの?」


「今夜は、あれを食べるつもりでした」

 僕は、少し恥ずかしくなった。


「でも、今のあなたは食事を終えて満腹のはずだわ。それならその牛の内臓はもういらないはずよね。朝になれば腐ってしまうし」


「はい」


「なら、それを今ここに持ってきて」


「おい、まさかアレをやるつもりなのか?」

 ブラッグスさんが声をかけた。


「フフッ。そのまさかよ。さあ、アルバート。ラウンジに行ってあなたの食べるはずだった牛の内臓を持ってきてちょうだい」


「はい」と言って僕は、食堂を出て置かれてあった牛の内臓を持ってノワールさんの前に戻って来た。

 何となくノワールさんには逆らえないような気がしたからだ。


「それじゃあ、アルバート。それはもうあなたにはいらない物なのよね?」


「はい」

 ノワールさんの優しい問いかけに僕は正直に答えた。


「アルバート、それならあなたが今持っている牛の内臓を私にちょうだい」


 僕は不思議に思いながらも素直にノワールさんに牛の内臓を渡した。ブラッグスさんは何かをあきらめたように何も言わなかった。


「まだ、あなたはグレゴリー・ブラッグスの魔法の弟子になりたいと思っている?」


「はい。それでブラッグスさんの手助けができるのであれば」


「わかったわ、アルバート。それじゃあ少しの間動かないでね」


 僕が言われた通りにしていると食堂に神聖さともいうべき語韻を含んだノワールさんの声が響いた。


「供物は確かに受け取りました。その代償として暗黒神の名において汝の願いを叶えましょう」


 それから、数秒間たってから再びノワールさんの声が聞こえた。今度の声はさっきまでの声とちがって、聞きなれた親しげな声だった。


「もう、いいわよアルバート。これであなたには闇魔法の素質が備わったわ。その力をどう使うかは、あなた次第。せいぜい良い闇魔法使いに弟子入りして正しい道へと導いてもらうことね」

 とノワールさんに言われたが、僕は自分自身にどんな変化が起きたのかがわからなくて、からかわれたのかもしれないと不安に思い、ブラッグスさんの方を振り向いた。


「やりすぎたようじゃなノワール。この子からはとてつもないほど強力な闇魔法の素質が芽生えておる」

 ブラッグスさんは、僕の不安を察したように言った。


「それじゃあ、これで僕はブラッグスさんの弟子になれるんですね?」


「ああ」


「やったー! お願いします僕を弟子にしてください!」


「もう、こうなっては仕方がないじゃろう。それにお主はノワールが見込んだ男じゃ。これからは儂のことを師匠と呼べアルバート」


「はい! 師匠!」

 僕は喜びのあまり大声を出してしまった。


「あ、そういえば。その牛の内臓、やっぱり私いらないから臭くなる前に庭にでも埋めといてね」と、ノワールさん。


 こうして僕は闇魔法使いの弟子になった。

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