闇魔法使いの弟子~伝説の最強闇魔導師に弟子入りしたけど何か地味~

猫車るんるん

第1話 プロローグ 最強の闇魔導師の伝説

“玉砕”、という行為が勇猛果敢な限られた英雄にのみ与えられる特権だと無邪気に信じていたのは、一体何歳までだっただろうか。


 皇国陸軍ロジャー・ゴールドウィン大佐は、野戦陣地内の戦闘指揮所の天幕の中で、そんなことをふと考えた。


 戦闘指揮所の中は重苦しい沈黙に包まれている。


 目の前に列した士官たちは、ただ一人初老の闇魔導師ゲオルギー・ローズ少佐を除いて皆一様に覚悟を決めたかのような悲壮な面持ちでゴールドウィン大佐の次の命令を待っている。


 その顔は皆ゴールドウィンが次にどのような命令を下すのかわかっているかのようであった。


 例外はゲオルギー・ローズ少佐だけだ。ローズはいつも通り底知れないような不気味な雰囲気を身体中から漂わせていたが、その態度は他の士官たちとは対照的にどこか呑気そうだ。


 ──私はこれからローズ以外のここにいる者全員に玉砕を命じなければならない。


 しかし、その自らの発する言葉が持つであろう重さに耐えかねたように、ゴールドウィンは再びローズを見た。


 相変わらず場違いなまでに呑気そうだ。だが、この悪夢のような状況下にあってそのような態度はひどく異様に見えた。


 ローズはこの戦争が始まってから軍に入隊してきた志願兵だという。そのため正規の軍事訓練は受けていない。


 皇国軍では戦力になりうる魔術師は常に不足していたため、実力があると認められた者は即戦場に送られることになる。ローズもその一人であったため、上官に対しても不遜とも受け取れるような態度をとることがある。



 ことの始まりはおよそ一月前のこと。皇国軍の一個旅団約5000名は交戦状態にある帝国との国境を突破することに成功し、そのまま先鋒隊として進軍を続けたが、皇国軍は帝国軍の伏撃を受け、その兵力のおよそ3分の1を失うという敗北を喫した。


 その後、皇国軍残存兵力は国境に展開している友軍に合流するため撤退を開始した。


 そこで、帝国軍の追撃を防ぐための後方戦闘の命を受けたのがロジャー・ゴールドウィン大佐率いる一個大隊である。


 大隊兵力およそ1100に対して帝国軍は少なくとも二個旅団兵力およそ10000を追撃に駆り出している。更に敵増援部隊が投入されることも考えられる。


 そんな状況下でゴールドウィンに下された命令はただ一つ、皇国軍残存兵力が撤退を完了するまでの4日間、帝国軍を食い止めるべしというものだった。


 ゴールドウィンは軍人として自らの不運を嘆くことを潔しとしない性格であったため、この命令に対しても迷わずに諾として従った。


 後衛戦闘を始めるに当たって、ゲオルギー・ローズ少佐が率いる“第四一特殊魔導小隊”という部隊がゴールドウィンの大隊に臨時編成された。


 “第四一特殊魔導小隊”は皇国陸軍で実験的に設立された部隊であり、その活動内容や戦果はほとんどが実験の結果として皇国陸軍総司令部に報告され、またそれゆえに彼らについては一定の条件下以外では機密扱いとされるらしい。


 何はともあれ、ゴールドウィンの大隊には魔術師の人数が少なかったため、司令部のこの計らいを素直に喜んだ。


 何しろ魔導適正を持つ者は少なく、その育成には時間も金もかかる。だから、このような即戦力となりうる魔術師たちは歓迎すべき存在であった。


 ゴールドウィンはまず、地の利が得られそうな場所を防衛拠点と定めて、そこに臨時の野戦陣地を築城した。


 2日目。まるでこちらの野戦陣地の完成を待っていたかのように防衛戦闘が開始された。


 凄惨さを極めた死闘の中で、もっとも活躍したのは“第四一特殊魔導小隊”であった。ゴールドウィンは彼らの戦う姿を見、またその報告を受けるたびに戦慄にも似た感覚を覚えた。


 地獄のような3日間を生き延び、生き延びた者の誰もが死体を見慣れ、血の臭いをかぎ慣れ、断末魔の悲鳴を聞き慣れた後の5日目早朝。


 ゴールドウィンの大隊はその数を半数にまで減らしながらも、奇跡的に任務を完了した。ちなみに“第四一特殊魔導小隊”にも数人ながら死傷者が出たとのこと。


 任務完了後の大隊の行動はゴールドウィンに一任されている。そこでゴールドウィンが選択した決断が玉砕であった。


このままの状態ではこれ以上の強襲に耐えきれないのは明らかであり、戦闘の継続は不可能と判断せざるを得なかった。


 しかし、状況はすでに撤退も降伏も許されないほどに逼迫している。もちろん、こちらから攻撃を仕掛けるなど論外だ。


 結局は、どのような状況下に陥ろうとも援軍を期待してこのまま粘れるまで粘るしかないのだが、国境の部隊からの伝令は絶えているためそれも望み薄だ。しかし、それでもわずかな望みに賭けて援軍を待つしかない


 援軍が来るまで総兵力を挙げて最後の一兵となっても防衛戦闘を継続する。


 ただし“第四一特殊魔導小隊”のみは大隊が時間を稼いでいるうちに国境に撤退すること、これがゴールドウィンがローズに下す最後の命令になるはずだった。


 “第四一特殊魔導小隊”だけを撤退させるのには理由があった。ゴールドウィンは彼らの戦場での戦いぶりを見ているうちに、“第四一特殊魔導小隊”への認識を改めざるを得なくなった。彼らはただの使い捨てのきく魔術師の集団などではなく、将来の皇国にとって戦争の趨勢すうせいをすら動かしかねない重要な戦力であり、貴重な財産のようなものだと思ったからだ。


 ゴールドウィンは上記のことを理由にローズ以外のその場にいる全員に陣地の死守を命じた。


「──以上である。何か意見、質問がある者があるか?」とゴールドウィンは一応の義務としてその場の一同に問うた。


「大隊長殿。進言してもよろしいでしょうか」すると、ローズが周囲の悲壮な空気にまるで気がつかないような態度で挙手しながら言った。


 ゴールドウィンは、まさか意見が返ってくるとは思っていなかったので驚いたが、それを悟られないようにできるだけ重々しく「よろしい。言ってみろ」と言った。


「自分は全軍撤退を進言します」

 ローズが口にしたのは予想外の言葉であった。


 ゴールドウィンはさっきの話を聞いていたのか? と言わんばかりの呆れた表情になった。

「不可能だ。敵に背を向けて撤退すれば追撃されて手も無く皆殺しになる。それとも闇魔導師殿は誰かたった一人でも生き残る可能性があるのならばそれに賭けるべきだ、などと甘いことを言うのではないだろうな」

 ゴールドウィンは皮肉っぽくローズのことを闇魔導師殿と呼んだ。


「そんなことは言いません」


「それなら何か策でもあるというのか?」


「あります」


「何だ言ってみろ」


「“第四一特殊魔導小隊”を殿軍に配し、自分が最後尾の守備につきます」


「何を馬鹿な。確かに“第四一特殊魔導小隊”の優秀さは私も認めるが、高々小隊規模では結局数に押し潰されて終わりだ。そんな勝算のない戦闘に闇魔導師殿の小隊を参加させるわけにはいかん」


 ローズの言葉があまりにも平凡だったことにゴールドウィンは少し落胆した。落胆したことでゴールドウィンは、ローズの言う策に少し期待をかけていたことに気づき、それだけに裏切られたような気分になった。


「勝算ならあります」


 ローズはなおも平然として続ける。


「勝算がある? あるのならばその根拠を言ってみろ」

 ゴールドウィンは怒り出しそうな自分を意識しながら、冷静さを保ちつつ言った。


「わかりました。根拠を言いますので、お人払いを願います。何しろこれは最重要機密に関することですから」

 そう言っているローズの態度が先ほどまでの呑気な態度が嘘のように、得体の知れない凄みを帯びたものとなり、目付きも鋭くなった。それは戦場でローズが見せる姿であった。


 ゴールドウィンの指示により、天幕の中はゴールドウィンとローズの二人だけになった。


「それで? その最重要機密とやらを聞かせてもらおうか」


「自分は暗黒神を召喚することができます」


「なんだと!?」

 ゴールドウィンはローズのこの言葉を聞いて驚いた。暗黒神の召喚は伝説とも言われる究極の闇魔術の一つであることは魔術に明るくないゴールドウィンですら知っている。その暗黒神を使役することができたならば文字通り神にも等しい力を得ることができるとも言われている。


「闇魔導師殿はなんでそのことを早く言わなかったのだ。そんな力があるのであればもっと前に使ってくれればよかったのに」ゴールドウィンは少し恨みがましそうに言った。


「言ったでしょう、最重要機密だと。それに暗黒神の召喚にはいくつかの条件が重ならなければなりません。部隊の最後尾で私が暗黒神を召喚して防衛線を張り、追撃してくる帝国軍を排除しながら国境まで撤退するという策はどうですか?」


「本当に伝説の邪神を召喚して使役することができるのか?」ゴールドウィンの声がわずかに震えている。


「はい。ですが、よく勘違いされますが邪神ではなく暗黒神です。ただ闇を司っている存在にすぎません。それに使役をするわけではありません。ご機嫌を取って頼みを聞いてもらうだけです」


 ゴールドウィンは考えこんだ。


 確かに、暗黒神の力が伝説の通りならローズの言う策にも勝算がある。しかし、その力はあくまでも未知数でどこまで計算できるかわからない。それにもしもローズが召喚に失敗でもすればどうなる? この策には不確定な要素が多すぎる。


 指揮官として最悪の事態を考えるのは当然のことだ。


 この場合の最悪とは、大隊そのものを失うのみならず“第四一特殊魔導小隊”までも殲滅されることに他ならない。


 死守か、撤退か、どうしたものか、何しろ自分は魔術の知識に疎い、現在この大隊内においてもっとも魔術に精通しているのは恐らく目の前にいるローズ少佐だろう。そのローズの言葉をどこまで信じて良いものか、これは一種の賭けだ。


 と、そこまで考えたところでローズが声をかけてきた。


「大隊長殿、質問があります」


「なんだ? 言ってみろ」


「大隊長殿は、現在財布をお持ちでしょうか?」


「はあ?」

 あまりにも予想外の質問に思わず変な声が出た。


「い、いや。持っていないがそれがどうかしたのかね?」


「それは残念ですな。迷っておられるようでしたので、持っていたなら財布の中からコインを一枚取り出してその表裏で方針を決めていただこうかと思ったのですが。生憎、自分も大隊長殿と同様、軍の会議には財布は持ってこない主義でして。財布があるとどうしてもコイントスで物事を決めたくなりますからな」


 それを聞いてゴールドウィンは「フン」と鼻をならした。


 ──なるほどな、運任せの勝算は口にしないと言いたいわけか。


「よろしい、我々はこれより撤退する。布陣は先程、闇魔導師殿が献策したものを基本形とする。闇魔導師殿、表にいる兵士に士官たちを早急にここに集合させるようにと命じてくれ。何しろこうなると一刻も惜しい」


「了解しました」

 ローズはそう言いながら、ぎこちない敬礼をした。

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