無能力者の僕は天才姉妹に挟まれている

白米

プロローグ 門出

 日本東京都某所。

 都心から少し離れた地区。都会の喧騒が届かないこの場所に、各務かがみ家の屋敷はひっそりと建っている。

 のどかな土地柄もあって普段は静かな屋敷だが、今日ばかりは珍しく賑わいを見せていた。

 それもそのはずで、今日は各務家が誇る二人のご令嬢が新たな門出をするめでたい日なのだ。

 玄関先にはすでに分家の人々が集まり、その両腕に豪華な花束を抱えている。さらに隅には、各務家に仕えるメイド五名と執事二名が控えていた。

 やがて、ガラガラと音を立てて引き戸が開く。それと同時に、「おおっ」と歓声が上がった。


 先導するのは、白百合のごとく穢れのない白銀の髪の少女。

 その後に続くのは、漆黒よりもさらに黒く、そして艶のある濡羽色の髪の少女。

 どちらも上品な着物姿で、晴れ舞台にはふさわしい恰好だった。

 そして、そんな華やか過ぎる二人の影に、こっそりと隠れるようにして一人の少年が後を追う。


 二人の登場をまだかまだかと待ちわびていた分家の人々は、我先にと豪勢な花束とともに祝いの言葉を告げる。

 しかし、少女たちはそんな人々には目をくれずすたすたと歩みを進める。

 正門まで来ると、突然、先導していた白銀の少女がくるりと踊るように体の向きを変え、目立たないようついてきていた少年へと笑顔を向けた。


「ほらほら見てっ。私の言った通り空は青いんだよっ、しきくんっ」

「うん。冬華とうかねぇの言ってた通りだね」


 白銀の少女は、まるで子供のようにはしゃぐ。

 そして雲の合間を抜けた小さな旅客機を見つけ指をさした。


「それでねっ。あれがこれから私たちが乗る『飛行機』って乗り物なんだよっ」

「……本当に空を飛んでるんだね」


 少年は見上げながら関心そうに呟いた。

 ありとあらゆる外部からの接触を断たれ、隔離された空間で生活してきた少年にとって、外の世界のどれもが新鮮だった。

 目をきらきらと輝かせる少年の横顔を嬉しそうに見つめると、白銀の少女は「ふふんっ」と得意気に胸を張った。

 そんなやり取りを傍から見ていた黒髪の少女は「はぁ」と小さくため息をつく。


「姉さんが自慢することじゃないと思いますけど」

「い、いいじゃん、別にっ。私が識くんに教えてあげたんだもんっ」

「兄さんも初めから知識として知ってるはずです。なので姉さんが兄さんにというのは正しくないです」

「むううぅぅぅぅーーーーっ」


 黒髪の少女は、有無を言わせずぴしゃりと言い放つ。

 決着かと思われた論争は、白銀の少女の一言でさらに泥沼と化した。


瑠夏るかちゃんってば悔しいんだっ。本当は識くんに教えるのは自分がよかったんでしょっ」

「――んなっ」


 黒髪の少女は耳の先まで顔を真っ赤に染めた。


「な、ななななにをバカなこと言ってるんですか、姉さんはっ!」

「ふふーん。図星なんだぁ」


 白銀の少女はにやにやと笑みを浮かべる。

 それを見た黒髪の少女はさらに声を荒げる。

 傍から見れば、美しい姉妹の仲睦まじいやり取りだ。しかし、分家の人々は険しい表情を向けていた。

 

 彼らにとって本家の直系であるご令嬢に顔を覚えてもらうことは、今後のメリットにつながる。だからこそ、自分よりも二回りも三回りも年下の少女に媚びへつらい、わざわざ祝いの言葉を言いに来たというのに。

 それが、まるで最初からいないかのように見向きもされない。

 それだけでも腹立たしいのに、さらに喧嘩の渦中にいるのが少年の存在という事実が、分家の人々にとっては気に食わなかった。


 アイツさえいなければ――その場の誰も口に出さず呟く。

 そのうち一人の男がぼそりと声に出した。


実験体おもちゃ風情が」


 口に出してはいけなかった。せめて、少女たちが去るまでは。

 その発言を少女たちは聞き逃さない。突如として二人から表情が消え去る。

 白銀の少女が男に向かって手を伸ばす。すると、またたく間に周囲の気温がガクッと下がった。

 肌寒い――なんて表現は生易しい。骨の髄まで凍ってしまいそうなほどの極寒に、草花はもちろん、羽虫や鳥までもが凍てつく。そしてそれは生身の人間ですら例外ではない。

 まばたきする間もなく、男は足元から霜が降り、凍り始める。

絶対零度アブソリュート・ゼロ』――まさにその名が相応しい能力だった。


「――ヒッ」


 逃れようとしても、もう遅い。まるで縫い付けられたかのように両足は地面にぴったりと張り付いている。

 パキパキと音を立てながら、霜は足を伝う。霜が全身を覆いつくすのに、そう時間はかからないだろう。


「その失礼な口、二度と開かないようにしてあげるよ」

 

 無慈悲で冷徹。

 そこには、先ほどまで子供同然にはしゃいでいた白銀の少女はいなかった。

 少年が慌てて止めに入る。


「冬華ねぇっ! 落ち着いてっ」

「識くん……。でも……」

「僕は平気だから。ね?」

「……識くんがそう言うなら…………」


 不服そうにしながらも、白銀の少女は能力を解除する。

 それと同時にゆっくりと温度が戻っていく。

 男に降りていた霜もいつの間にか消え去っていた。

 その様子を黙ってみていた黒髪の少女は呆れた表情でため息をつく。


「姉さんは兄さんのこととなるとすぐに見境がなくなりますね」

「うぐっ」

「アレでも一応、親族に当たります。誰が身内を攻撃しますか」

「うぅ……だってぇ」


 白銀の少女はしょんぼりと肩を落とす。


「まぁまぁ。瑠夏もその辺にしてあげて」

「…………へー、そうですか。兄さんは姉さんの味方なんですね、そうですか」

「そ、そういうことじゃなくてっ」


 じとっと目を向ける黒髪の少女に、少年はわたわたと慌てる。

 そんな三人の下に、一人の執事が駆け付けた。

 額を流れる汗をハンカチで拭き取ると、耳打ちにぼそっと報告する。


「お、お嬢様方、そろそろ出発しないとお時間が……」

「「「――あ」」」


 三人同時に素っ頓狂な声を上げた。


「姉さんのせいですよっ。事を荒げるからっ!」

「もとはといえば瑠夏ちゃんがヤキモチしたからだよっ」

「話はあとでいいからっ。冬華ねぇも瑠夏も急いでっ」


 少年は二人の背中を押す。

 執事の案内で少女二人は車の後部座席へと座った。少年も二人の後に続くように乗り込むとき、屋敷の玄関で静かにこちらを見つめていた女性と目が合う。

 女性は不適な笑みを浮かべると、ゆっくりと口を動かした。


『期待しているわ』


 わかっています、少年は口に出さず呟いた。

 少年の役割は、二人のご令嬢のお世話係。しかし、それは表の顔である。少年には、決して誰にもバレてはいけない密命があった。

 そのためだけに、存在を消し、特殊な手術によってになったのだ。

 ただ――


(僕は決して貴女のためにやるわけじゃない)


 少年は先に座った少女たちに目を向けた。楽しそうに笑顔を向ける二人に、少年も笑みを浮かべるのだった。

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